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ク ロ い ハ コ  作者: 家紋 武範
テオと天才篇
100/202

第100話 麦畑、青い空の下で

 一方──。

 箱の持ち主の男テオドロスは、恨むような目で黒い箱を見る。だが黒い箱は笑うように小さく光った。


『願い事を言って下さい』


 だがテオはそれから目を背けた。もうこれ以上箱を使うことはしない。これは神の贈り物ではない。悪魔の落とし物。

 兄フィンセントの絵が売れたことも、なるようになったことなのだ。

 それを箱があるからと安易に願ってしまった。


 使うまい。使うまい。しかしフィンセントの病状が気になる。


「コフッ」


 その時──。咳が一つだけ。

 抑えた掌を見ると真っ赤な血だ。今日だけではない。元々病弱なテオは度重なる精神的ストレスで体の内面がやられていた。


 だがまだ死ねない。

 兄を有名にしたい。ヨハンナと幸せな人生を送りたい。


「クソッタレ!」


 普段冷静なテオは癇癪まじりに汚い言葉を吐きながら黒い箱を自分の見えないところにしまった。

 そして口を布で脱ぐう。悪い血はみんな出た。そして悪魔の箱もしまった。これでいい。これで見ることなどない。

 もう二度と──。



 自分の病状を隠し、テオはヨハンナとついに結婚した。兄フィンセントもきっと喜んでくれる。そう思った。

 だがフィンセントの心は複雑だ。

 理解者である弟テオドロスが結婚すれば、自分に思いを傾けてくれなくなる。

 自分だけに。

 そう思ってしまった。


 そしてヨハンナは男の子を妊娠。

 ますます兄フィンセントの気持ちが押しつぶされる。それは弟を独占したいという気持ちではない。もうテオには自分だけではない。自分だけが頼りなのではない。そういう気持ち。


 愛されないものが少しの愛を求めても自分の思い通りにならない。フィンセントの心はまたも陰鬱なものになっていってしまった。




 歪む。歪む。心が歪む──。


 しまい込んだ心の箱に隠した『孤独』『認められない』『愛されない』が一気に噴き出して心を埋め尽くす。


 蝕む。蝕む。心を蝕む──。


 真っ暗闇に包まれる前に、フィンセントはかろうじて手を伸ばす。


 絵筆──。それを掴んでこんもりと盛った絵の具を一掬いしてキャンバスに塗り込む。まるで嫌な気持ちを叩き付けるように。




 自分には絵しか無い。ゴーギャンは出て行った。ポール・シニャックはパリに戻って行ってしまった。

 弟のテオドロスも──。

 フィンセントは無心で絵を描き続けた。

 そうしないと精神が病んで行ってしまう。


 黄色い明るい絵。

 それがフィンセントの心を少しでも明るくしてくれる。

 塗る。厚く塗る。思いを絵に重ねて行く。

 もう黄色い家のドアを叩くものは誰もいない。北風(ミストラル)くらいだ。


 孤独は毒だ。


 フィンセントの心を蝕んだ。誰一人訪れない。誰もかも何もかも自分に見向きもしない。


 本当はそうではなかった。普通の人ならば。

 しかしフィンセントは特殊だったのかもしれない。人よりも愛されたい思いが強かったのだ。愛されたい。認められたい。そんな思いが彼の中に100パーセントを占めた時。フィンセントの手には拳銃が握られていた。

 それが今引き金を引く。


 自分の腹に向かって──。


 オーヴェルの麦畑。高い空に銃声が響く。驚いた鳥が大空に羽ばたく。

 彼は──。フィンセントは間違った道を選んだ。


 人生の楽しみよりも苦しみの方が勝った。孤独がフィンセントの人生を支配した。

 世界を照らす朝日を。明るい外への扉も。明日へと踏み出す一歩でさえ。彼にとっては辛く重苦しいものだったろう。


 人生という奈落に落ちる中、テオドロスは力強い手を差し伸べ救おうとした。しかしフィンセントはそれをか細い糸のように感じてしまった。

 与えられた愛を少ないと感じ、他人から与えられない愛を求めた。


 売れない画家──。

 それはフィンセントに後ろめたさを感じさせた。無能。人生の落後者。周囲が全て成功者に思えた。


 この世界中が彼を天才と認めたにも関わらず。彼はそれを見ることが出来なかった。


 この僅か二日を持って、天才フィンセント・ファン・ゴッホは神の元へと旅立ったのだ。


 それを黒い箱は誰にも見られない場所で微笑むように光りをたたえた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ちょっと返信に困りそうな、勝手なオチを予想してしまいました……
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