第10話 達成
瑞希は部屋に帰って、少し暗い表情でキッチンにあるイスに座った。
それは神様からの贈り物である箱を、捨ててしまってバチが当たらないか。そんなうっすらとした恐怖があった。
そもそも日本人ほどバチを恐れる民族はいない。無宗教ぶっていても古来から自然や万物に魂が宿ることを信じる気持ちが体に染みついている。
鉛筆の芯が折れたり、茶碗を落として割ったときにヒヤッとする気持ちはそれなのかも知れない。
ましてやあの箱は自身の考えを文字にする力がある。あの赤い光で危害を加えてくるかもしれない。
瑞希は意を決して立ち上がってゴミ捨て場に戻り、黒い箱を取り出して部屋に戻った。
「ただいま~。神様連れて帰ったよ~」
誰もいない部屋に独り言を放ち、黒い箱を大型冷蔵庫の上に置いた。
「この部屋、神棚ないから……。えー神様。大変失礼しました。どうか高いところからミズキをお守りください」
そう黒い箱に祈って礼をした。黒い箱を神として祀ったのだ。
それから瑞希はしばらく黒い箱に頼らずダイエットをした。低カロリー高タンパクのものをわずかに食べ、ジョギング、ウォーキングをする。
しかし、一度楽に取ってしまった脂肪だ。みんなでやった焼肉パーティも楽しかった。
そんな瑞希が、ジョギング、ウォーキング、わずかな食事──。耐えられるはずがなかった。
しかも瑞希には脂肪が残り少ない。これをどう頑張ったってそれ以上減らすというのも無理があった。一週間ほど体重計に乗ってはため息をついた。
「あれから、頑張って『51.0』。100gしか痩せてないよ。100gのお肉食べるのは楽なのに落とすのって大変。……はぁ。なんか噛みたい。カミカミしたい」
ダイエットの辛い道のり。こればかりは茨の道だ。しかし楽な道もある。チラリと冷蔵庫の上を見た。
「ねぇ神様ァ。残り3kg落とすって可能なのかなぁ」
そう言いながら、黒い箱を見ると、光文字が現れている。発光しているので分かるのだ。
しかし瑞希のいる位置からだと文字が見えなかったので、立ち上がって箱を手に取りそれを確認した。そこには当然のように『可能です』と書かれた文字が光っている。
「やっぱりねぇ~。神様はなんでもお見通しですっと」
瑞希は軽く答えた。魅力的な言葉に負けないように。アドバイス程度にしようと思ったのだ。楽を選べば楽に支配される。それをし続けてはいけないと誘惑に乗らないようにするものの、箱は続けて誘惑の文字を表す。
『背中、太もも、頬、内臓脂肪。さらにプロポーションを崩さないように表面の脂肪を削ると3kgです』
具体的な説明に女は箱を掴んだ。ここまでプレゼンされると誘惑に負けるなと言われても難しい。
「マジすか。神様!」
『もちろん』
「それ取ってもらえるっすか?」
『願い事を言って下さい』
「そーなんだよ。願い事。だいたいにして痩せたいのが願い事なのに、神様は脂肪を取ってさらに他のものをくれるんだもんねぇ~」
『貴金属?』
「貴金属は興味ないっつーか。……あ! そーだ!」
女は立ち上がって本棚から一冊のカタログを取り出した。
「神様、これわかります?」
女は黒い箱の前にカタログを広げた。黒い箱から白い眩しい光が誌面を横なぞりにした。スキャナーの読み取りをしているようだ。箱に光がしまわれていくと同時に文字が表示された。
『オムガ・シームスター、メンズ・レディース』
高級腕時計のカタログだったのだ。二つ合わせて115万円。
「吉井さんがこの時計欲しいって言ってたの。彼の分とミズキの分」
『叶えられました』
「早!」
驚く瑞希の目の前のテーブルの上に空間から現れる箱に入ったオムガ・シーマムター・ペアウオッチ。
そして、黒い箱から赤い光が瑞希の体中に当たる。瑞希は眩しくて目をつぶった。
目を開けると、高級時計と黒い箱に『願い事を言って下さい』の文字。
しかし瑞希にはどうでもよかった。急いで裸になって体重計に乗る。
『48.0』
瑞希は黙って体重計を下りる。そして、その場にしゃがみこんだ。
次の瞬間、手を広げて飛び上がった!
「やった! やったぁーーー!! 48! 48! よんじゅぅはちぃぃぃーー!!」
素っ裸で歌舞伎の大見得のようなことをしたあとで、服を着用し黒い箱に丁寧におじぎをした。
「神様、ありがとうございます。ありがとうございます」
そして、箱を冷蔵庫の上に置いて、もう一度おじぎをして顔を上げる。
目の前には冷蔵庫のドアに貼られた目標。
『目指せ! 48kg! 到達したら告♡白』
そう。告白だ。目標に到達したので吉井に告白する! さすがにここまで痩せれば大丈夫であろう。明日は思い人、吉井がこちらの会社に来る日だ。その際はしたないけど食事に誘ってしまおう。
瑞希の目標は達成された。後は行動に移すのみとなったのだ。