第1話 奇妙な箱
その日の晩、古いアパートの湿り気のある畳の上に男は座っていた。
男の名は杉並悠太である。
仕事を終えた悠太はその部屋で今週買ったマークシート式の宝くじの当選発表を食い入るように眺めている。そして文字通りガックリと肩を落とす。だがそれはいつものことだった。
またハズレだ。同じ数字をマークし続けて半年間。その間末等が三回当たっただけ。
「これならパチスロの方がまだいいぞぉ~」
そう言いながら、座った姿勢から畳の上にゴロリと転がり天井を見つめた。
年の頃は30。髪には整髪料もつけず、ざっくばらんな方向を向き合っている。栄養バランスが悪いのかビールの飲み過ぎなのか、普通の体型に下腹だけがポコリとしていた。
自堕落な生活。この五年彼女もなし。つるみ合う友人もいない。飲み会も参加しない。そして寂しい三十歳。仕事があるだけまだマシかもしれない。ただただ、会社との往復にカロリーを消費して、休日宝くじを買ってパチンコかパチスロをする非生産な愚かな生活。
コンビニ弁当を食べて、カップラーメンを食べての生活は栄養面だって狂ってる。もう、こんな夢も希望もない生活から抜け出たい。結婚だってしたいのだ。
自暴自棄にはなりたくはないと思ってはいるものの、うまくいかない世の中に半死半生のような生活だ。宝くじでの一攫千金しか悠太には生活を変えるアテがなかったのだ。
「はぁ。結婚相談所にでも登録するかな?」
そんな独り言をして、寝っ転がったままホコリだらけの部屋の隅の角を見た。
するとそこに不思議なものがある。
ソフトボールの球くらいの大きさの黒い箱。プラスチック製なのか、古い蛍光灯の灯りを受けて少しだけ反射の光を放っていた。
「あんなのあったっけ? でも拾いに行くのめんどくさ」
思ったままのことを口にすると、その黒い箱はポンと球形になりゆっくりとこちらにコロコロと転がってきて、寝ている悠太の顔の前で止まる。そしてまた箱型になった。
悠太が驚いていると今度は、黒い箱の表面の中央に電光掲示板のように一列に文字が光って現れた。
「──読めねぇ……」
それは見たこともない文字。だが悠太が読めないと言うと、すぐに『言語:日本語』と、光文字が表示された。
「は!?」
悠太は驚き半身を起こす。それにも構わず次々と箱には光文字が現れてくる。
『この箱はあなたの願いを叶える箱。使い方は……』
「え? 何? 願いを……叶える? 叶えるだって!?」
光文字はどんどんと流れて来て、悠太が読み終わった順から消えて行く。
『使い方は、願い事を言う→その代償に箱はあなたの体の一部を頂きます。あなたの体がなくなれば願い事は終了です』
悠太はゾッとしていた。
体の一部を取る。なんとも気味が悪いワードだ。この箱らしきものを嫌悪感を持って眺めると、箱と言ってもつなぎ目がない。ただの四角だ。プラスチック素材のような光沢があるが傷一つ、埃一つない。なぜこんなものが自分の部屋の中にあるのか全く分からなかった。
怖くなった悠太は、それに触らないようにビニール袋を使って掬い入れた。そして、靴を履いて近くのコンビニに行き、ゴミ箱の“カン”と書かれた中に捨てると、中の空き缶とぶつかってゴトンと音が鳴ってようやくホッとした。
そのコンビニの中に入りしばらくぶらついた後、ビールと柿の種を買い込み部屋に戻る。部屋に上がり込みテーブルの上に今買ってきたばかりの「ビール」と「柿の種」と『黒い箱』を置いた。
──黒い箱だ。
血の気が一気に引く。
思わず、知らないうちに服に大きな虫がついていたときのように派手にもがいた。
なぜ捨てたはずの黒い箱があるのか?
鳥肌を立てて立ち上がり、それを見ることしか出来ない。
だがそんなことなど構わずに黒い箱には絶えず『願い事をどうぞ』という光文字が輝いている。
一体全体なんなのか。確かに捨てた。空き缶とぶつかり合う音も聞こえた。とても気味が悪い。
だが、願い事──。
体の一部をもらうというワード。それは、こちらで指定できるのかと思っていると箱に新たな光文字で『指定できます』との表示。
なんで心で考えてることが分かるのか。もしも心で願い事を言ったらそれを勝手に叶えてしまうのかと、冷や汗をかきながら思っていると今度は『あくまで言葉にしてからです』との解答だった。
悠太はホッとしながら、箱に声を出して聞いてみた。
「キャンセルは? できるのか?」
『叶える前ならできます。ただし、叶えた後で体の返却を求めることはできません』
悠太の言葉に反応してすぐに反応してくる。しかしキャンセルができるということだ。
「じゃぁ、願い事を言ってみるか」
それに答えて『どうぞ』と光文字が流れた。
「日本円で100万円が欲しい」
すると、箱の表面に光文字が現れ『代償は?』と聞いて来た。
「じゃ、虫垂」
虫垂は俗にいう盲腸のことだ。炎症をおこすと手術でとってしまう部分。男がそう言うと、すごい勢いで光文字が流れた
『Ai$09ちちちフフ55*#。いr瓶むら?#$FP!936◆そたフフ★溢蟹VuKaqスッ6』
訳の分からない文字の羅列。壊れてしまったかと思っても何もできない。しばらく待つと「トゥン」と高い音がした。警告音だったのだ。
『61万9千円です。代償を追加しますか?』
叶えられないようだった。基準が分からない。しかし虫垂で60万円以上ももらえる。
「キャンセルします」
『願い事をどうぞ』
「61万9千円が欲しい」
『代償は?』
「虫垂で」
金額を下げて同じように願い事を言うと、また光文字現れる。
『Ai$09ちちちフフ55*#。いr瓶むら?#$FP!936◆そたフフ★溢蟹VuKaqスッ6』
訳の分からない文字を羅列。だがそれが一拍おいて日本語に戻る。
『叶えられました』
光文字。それが出たと思うと箱から白い光が放出され、空間から悠太と箱の間に札束がザーーッと重ねられていった。まるでATMから出てくるように美しく並べられて。
悠太は興奮した。目の前に大金が重ねられている。それに手を伸ばそうとすると、箱からレーザーポインターのような赤い光が悠太の右下腹部にピッと当たったと思うとフッと消えた。
悠太はドキリとした。その意味が分かった。今ので虫垂が消えたのだ。だが痛くも痒くもない。
そう思うと、痛い思いもせずに目の前の61万9千円。体のいらない部分で大金を得られる。人間には必要がない臓器や器官もあるはずだ。胆嚢や脾臓、足の小指なども聞いたことがある。
二つあるものもある。腎臓、肺、精巣、眼球。
毛とかはどうなのか。わき毛、アンダーヘアなんていらない。それも金に代えれるのか?
いろいろ試してみる価値はありそうだった。この黒い箱の使い道に悠太は期待して一人笑った。