着飾らない楽な自分は。
リンゴちゃんが家を出て、次にモモちゃんが学校に向かった。そして僕はというと、テレビの前であと一分は粘れると、時計の針を目で追いながら座り込んでいる。
こんな僕ではあるが、学校の準備は出来ているから、今すぐ行こうと思えば、登校することができるようになっている。制服はリボンまできっちりと身に付けていて、授業で使う道具は入れてある。
まあ、出掛ける前の二人に散々促されたから、要因であるのだけど。
と、そろそろ丁度一分が経つ。……あと一分は粘れる。
散々居座った挙げ句、結局遅刻ギリギリにたどり着くような時間に家を出てしまった。それでも歩いていける距離だから、疲れはしないのだが、人が少々多すぎるのが難点だ。
家を出て数十歩だけ進むと、横から声をかけられる。
「ユズちゃん、おはよう」
挨拶をした人物を見ると、それは普段から交流のある、近所のお婆さんだった。
いつも飴をくれるような、親切なお婆ちゃんである。
「あぁ、お婆ちゃん~。おはよぉ~」
僕はにこやかに挨拶を返す。その程度なら、別に何の才能も要らない、ごく一般的な行為だ。
時間があまりない僕は、それを終えると、また歩きだそうとしたのだが、お婆ちゃんは何かを思い出したように声を出す。
「あ、そうだった!」
「どうしたのぉ? あ、腰?」
「まだ、そんな年じゃないわよ。……モモちゃんがね、これを落としたの。大切なものでしょ?」
お婆ちゃんが手渡したのは、何世代か前の、女児向けアニメキャラクターのキーホルダーだった。確か、母親から買って貰ったとか言っていたものだ。
チェーンの部分が錆びて、取れてしまったようだ。
こんな、よく分からないものに思い入れを持つ理由は、理解しがたい。が、普通の人は、笑ってこう言うものだ。
「うん、分かったよぁ~」
お婆ちゃんから、キーホルダーを受け取る。安っぽいプラスチックの感触を掌に覚えると、僕はあることに気がつく。
「あ、鍵閉めてないやぁ~……」
「物騒だから、急いで戻った方がいいよ」
「うん……」
僕は来た道を、急いで引き返す。これでは、学校に遅刻してしまうかもしれない。
二人には、少し悪いことをしてしまったかな?
楽をすることで、僕は対等になれることを知った。
目立てば排他されるべき存在であることは、何となく分かるから、自分の能力を抑えて擬態する必要があるのだ。
テストの点数は50点丁度にするし、運動も隣に居る人と同じくらいに合わせているから、気に留めなければ、気になることもないようになっている。
しかし、これは別に苦ではい。人が普段やっていることを、片手でやればいいだけのことだから。問題があるとするならば、少しもどかしく感じる程度のことだろう。
そういえば、語る程のことでもないのだけれど、僕と同じような人と出会ったことが、一度だけある。ゲームの大会で優勝したその人は、誰よりも賢くて、周囲の人間からも厚い期待を寄せられていた。
何でも出来て、明るくて、これなら少しは楽しめると思って、いや、あの時は確か『全力で楽しもう』と言われたんだっけ? まあ、そんな感じで、例のごとくボコボコにしちゃったわけなのだけれど、後が悲惨だった。
……僕がじゃない。彼女が、だ。
ゲームの大会には、スポンサーなんて人も居たから、僕のプレイを観た多くの偉い人達が、その子を捨てて僕を見た。
当然断ったが、負けたあの子は、やる気と自信を無くして引退してしまったらしい。
それはそうだろう。これだけの才能があって気づけないとは情けないなんて、あまり自慢できないな。
チートがあるゲームで、リトライなんかするはずが無かったのだ。
走っている途中で鐘が鳴った。校門には、いつもの怖い先生が立っていて、僕を厳しい目で睨んでいた。
学年が違うから知らないが、教え方が上手そうなお説教を5分ほど、ホームルームの代わりに聞かされることになった。仲間と協力とか、和を作るとか、友情努力勝利とか、あまり興味が湧かなかったが、反省文で必要になるから覚えておかなくてはならない。
ようやく解放された僕が教室に入ると、異様な雰囲気が立ち込めていた。扉を開けた瞬間、彼ら生徒の目は僕に集まる。それは、あまり珍しいことでは無いのだけれど、しかし、彼らの表情はどこか緊迫していた。
まるで、直前まで何かを話し合っていたようで、数秒間を静寂で構成している。しかし、杞憂だったのか、すぐに元に戻って、意味のない会話を始める皆。
疑問に思いながらも、首を傾げる理由もないため、僕はさっさと自分の席に座って仮眠を取った。
僕は天才だが、少なくともそう言われて育ったが、両親は普通の人達だったと記憶している。
二人とも公務員で、安定という名の牢獄に進んで入っていくような人達だった。確かに楽そうには見えるのだけれど、単純作業を楽しめる人間でなければ、地獄とそう変わりはしない。
と、そんなことを言ったら怒られた。
理解出来ない反応だが、もう理解する必要はない。彼らは事故で死んでしまったから。
よくある事だ。
最後まで泣かなかった僕を、親戚の人々は何故だか責めてきたけれど、僕は泣かなかった。その演技力を身につけるのは、骨が折れそうだからだ。
目が覚めると、授業はほとんど終わっていて、最後のホームルームが終わる頃だった。
ぼんやりと過ごしすぎて、記憶に薄いが、何とか普通水準の対応は出来ていたと思う。鞄を肩にかけ、椅子を引いて立ち上がると、一人の女の子がこちらに近づいてきた。
クラスの中心と呼べる立場の彼女は、威風堂々たる立ち振舞いで、僕の前に立ちふさがる。
果たして、何があったのかと尋ねる前に、彼女は言った。
「アタシのが盗まれたの。持ち物を見させて!」
どうやら、僕が登校する前に何か物が盗まれたようだ。断るのは疑念を生むと思い、僕は了承した。……これが間違いだった。
肩にかけた鞄を床の上で探る彼女は、驚きの声を響かせる。
「あ!」
鞄の中には、錆びて古いキーホルダーが入っていた。特に怒られるような事でもないのに、彼女は僕を睨んでいた。
「やっぱりアンタねっ!!」
よく分からないが、探し物は見つかったらしい。それも、僕の鞄の中にあった、同居人の持ち物を指し示して。
……楽に生きたいだけなのに、どうして僕を無視しないのかなぁ?
本気で何かを言う前に、僕は教室から逃げ出した。
ユズちゃんは、自分の行動がどのようにして人を惑わすかを考えています。たいした事をした自覚がないので、余計に人を傷つけます。
天然ドジっ子なのに、賢いから萌えるのだよ?