勇者ルーカスについて
音楽を聴きながらがんばります。
少しだけ勇者ルーカスについて説明しよう。
この世界は魔王が支配していた。
人は魔族に殺される恐怖に怯えながら暮らしていた。
王様は、魔王を退治するために勇者を求めた。
この岩に刺さってある剣を抜いたものを勇者とする。
丘にあった剣の岩にはそんな看板が掛けられました。
ある日、一人の少年が剣の柄に手を伸ばした。
彼は涼しい顔で剣を岩から抜こうとした。
「あ、折れた」
少年の手に握られていたのは柄だけだった……。
こうして世界は滅んでしまった。
……のではなく、柄は接着剤で止められしっかり剣に固定された。
そして、その後、少年はちゃんと剣を抜いた。
こうして勇者ルーカス・ダナフォールが誕生した。
そして奴は今、予定通り私を殺すのだろうか?それとも本当に殺意が消えたのだろうか?
しかし、彼は、予想外の言葉を口にした。
「俺は、あなたに惚れました。あなたが私の全てです。決闘してください」
「決闘……」
勇者と決闘とか……私に死ねと言っているの?
私はかよわい女の子なのよ。
「噛みました。結婚の間違いです」
間違えるな。危うく私は想像の中で死ぬところだった。
「俺と結婚してください」
「……」
気絶しなかった自分を褒め称えたい。
「いや、いきなりそんなことを言われても……」
私は何か悪い夢でも見ているのだろうか?
夢なら頼むから冷めて欲しい。
「俺と結婚するか、指を一本一本折られ血の涙を流しろっ骨を一本ずつ折られ針を刺されながら死ぬかどちらがいいですか?」
「脅迫かよ」
夏風のように爽やかな笑顔でそんなことを言うなよ。
「そうです。あなたには拒否する権利何てない。指を一本一本折り、肉を一枚一枚はいでいけば、きっとあなたもイエスと言うでしょう。
目を抉り取って私なしでは生きられない体にするなんていうのもいいかもしれません」
勇者はゾッとするほど狂気を孕んだ目で私を見てきた。
こいつ……本当に愛と正義の勇者なのか。まるで魔王じゃないか。
「こ、こ、こ、婚約します。はい、します」
私は青くなりながらがくがくとうなずいた。
「やっぱり愛し合う二人は結婚しないと」
私の脳裏に勇者にいつ殺されるかビクビクしながら生きていく未来が浮かんだ。
私の頭の中では、脱走計画が繰り広げられていた。
絶対、逃げる。逃げて見せる。逃げないと殺される。
しかし、相手は腐っても勇者だ。どうすれば逃げられるか本気で考えなければいけない。
そんな私の思考回路を読んでいたかのように勇者がしゃべりだした。
「覚悟してください。俺はこれから世界一のストーカ-になります」
「なるなっ」
こいつにはもっとまともな道を歩んでほしい。
「大体どうして私なの?私はかわいくないし、性格だって悪いわよ。
いいところなんて一つもないわ」
「そんなこと知っています。俺はあなたのことならどんなことも知っています。あなたの性格の悪いところも全部受け止めます。愛するキャサリン」
熱っぽい口調で愛を語りだした。
しかし、奴の口説き台詞は最後の一言で全て台無しになっている。
「……リアよ」
「緊張しすぎて名前を間違えてしまった」
どこの世界にプロポーズする相手の名前を間違えるバカがいるのよ。
「で、私のどこがいいの?どうして私にプロポーズしたの?」
勇者は、情熱的な目をしながら平然と答えた。
「あまりにも貧乳すぎるからです。あなたが誰からも愛されることなく生涯を終えることをあまりにもかわいそうだと思って」
「死ねえええええええええ!」
「冗談です。俺は、なんとなくあなたがいいと思ったのです。これが運命というものです。リアが好きだ。好きで、好きで、頭がおかしくなりそうだ。
俺とずっと一緒にいてください」
「嫌です。だいたいあなたはもともと頭がおかしいから、これからさらに多少おかしくなったところで問題ないでしょう」
むしろ頭のおかしい状態からおかしくなるということは、まともな人間になるかもしれない。
「何を言っているんですか。俺は正常です。俺をおかしいという人間こそおかしいのです」
もう何も言うまい。
「俺は、何を言われようとあなたのことを諦めません」
いや、諦めろよ!気持ち悪いって。
「俺は、勇者です。何があっても諦めません。不屈の精神ってかっこいいでしょう」
「気持ち悪いだけです」
何この粘着体質……。
今すぐこの勇者を縄で縛って誰かに押し付けてしまいたい。
私は殺されることなく自分の住んでいた下宿に戻り今まで通りの生活を送りだした。
勇者は、なぜか私の部屋の隣に住み出した。そしてご飯を食べに私の部屋までよく来る。そんな勇者にご飯を与えている私はなんて優しいのだろうか。
ちなみに、ちょっと疑問に思って夕食の時間に聞いたみたことがある。
「どうして勇者になろうと思ったの?」
「それはもちろんお金のため」
「……正義感とかは?」
「皆無に決まっている」
「そんなに堂々と言うな」
勇者には、正義感も野心も欠片もなかった。
そして朝から晩までグータラしている。ちなみに、勇者パーティーは、彼をおいて魔物退治の旅を続けている。勇者がボッチの勇者パーティーとか初めて聞いた。
勇者は、この国のお姫様が攫われるという重要なイベントが起こった時も何の行動も起こさなかった。
その時、私の中の何かがぶち切れた。
「あなたは勇者でしょうが!魔王を倒すことが使命なのよ。何をやっているの!」
「もちろんです。でも、めんどうくさいので、魔王がやってくるまで家でゴロゴロして過ごそうと思います」
そう言ってよく遊びに来る猫とたわむれていた。
「それでも勇者かよ」
「……勇者であるからって別に魔王と闘わなくてもいいと思う。使命とか、宿命とか、そういうものに縛られた生き方をするなんてまるで奴隷みたいじゃないか」
「でも、それは国からお金だけ前払いでもらったあなたの言ってもいいセリフじゃないだろう」
「べ、別にいいでしょう」
上目遣いで私を騙そうとしているが、そうはいかない。
「よくないよ」
しかし、勇者はついに開き直った。
「いきなり世界のために魔王を助けろとか言われてもモチベーションが上がらないよ。世界平和とかどうでもいいし」
勇者がこんなことを言うなんて、この世界は終わっているな。
「そんなこといって人類滅亡したらどうするの?」
「人類とかどうでもいいよ。でも、リアは俺が絶対に助けるから安心していて」
何このかっこよくない決め台詞は……。最後のセリフはものすごくかっこいいのに、その前のセリフがひどすぎる。
「でも、町の人間が死んだら困るでしょう」
「そんなことないよ。むしろリアと二人きりとかうれしすぎるね。食べ物とか無料で食べられるようになるしいいかもしれない」
やる気を出すどころか、やる気を失っているだと……。
「そんなこと言っていないでちゃんとやる気を出して魔王を倒しなさい。かわいいお姫様がさらわれているのよ。その人のために闘ってきなさい」
「やる気ね……。そんな姫どうでもいいよ。犬にでも食われて死んでしまえばいい。
あ、でも、リアがさらわれたらやる気が出るな。
ちょっと魔王にさらわれてきてくれないか?」
「おい。お前は悪魔か!」
「大丈夫、ちゃんと助けに行くよ。吊り橋効果とか、助けに来られてうれしいとかで恋が生まれるかも」
「生まれねぇよ。生まれるのは殺意だけだ」
どこの世界に女の子に向かってさらわれて来てなんていうひどい勇者がいるのだろうか。
誰か、こいつを勇者失格にするべきかもしれない。
いや、勇者失格である以前に人間失格だ。
「とにかく、エリザベス姫だけでも助けてきなさい」
「嫌だ。めんどうくさい。
君とは一秒たりとも離れていたくない」
まずい。勇者がこのままだと世界が滅んでしまう。
「じゃあ、魔王と倒したら私があなたとデートしてあげてもいいわよ」
内心、魔王と相討ちになって倒れてしまうことを願いながら、私はそう言った。しょうがない、世界のためだ。
「本当?」
「ああ、もちろん本当よ」
「行ってきます」
勇者は、窓から飛び降りた。
人類の希望がこの背中にかかっているのだ。
絶対に勝ってね。
しかし、勇者は、すぐにドアを開けて帰ってきた。
「ただいま」
「……お帰り」
「剣を持っていくのを忘れていた」
……こいつに人類の希望を託した私がバカだった。
読んでくださりありがとうございました。