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04.はじめてのおつかい

「あ、いまけった!」


「そうね。早くお姉ちゃんに会いたいって言っているのかもしれないわね。」


「ほんと!? ルーもはやくあいたい!」



 三人目の子をお腹に宿したアイリスは、東の宮の子ども部屋で、ルピナスと一緒に過ごしていた。最近、大きくなった母のお腹に触れることが、ルピナスのブームになっているらしい。三歳になった彼女は、弟か妹が生まれてくるのを心待ちにしていた。


「ねえにいさま、にいさまもさわる? あかちゃん、けるの!」


 しばらく母のお腹に耳を当てた後、ルピナスは兄、アレンに向かって声をかけた。子ども部屋の隅にある本棚の前で本を読んでいたアレンは、ゆっくり顔を上げた。


「うん、この本を読んだらね。」


「えー、いま! いっしょ! いっしょがいいー!」


「もう、ルピナス。兄様が本を読んでいる時は、邪魔しない約束でしょう?」


「でもルーにいさまといっしょがいいのー!」


「後で来てくれるわ。母様と待っていましょう?」


 不服そうにしばらく唸っていたルピナスだが、最終的にははいと言ってアイリスに抱きついた。それを受け止めて、アイリスはアレンに向かって頷いてみせた。もうしばらくは、本を読むのに集中できるよという意味を込めて。


「あともう少しで終わるから、待ってて、ルー。」


「はあい。」


 アレンの言葉への返事には、少しだけ元気が戻っていた。

 それからまた母のお腹を触っているうちに、ルピナスの機嫌は良くなっていた。キャッキャと笑い声をあげながら、母と、母のお腹の中の赤ん坊と遊んでいると、コンコンとノックの音がした。


「アイリス様、少しよろしいですか?」


 顔をのぞかせたのは、カーネラだった。


「どうかしたの?」


「それが、殿下がお忙しく、今日は昼食を一緒に食べられそうにないと。」


「あら、そうなのね。」


 昼食を共にできないことは、今までにも何度かあった。残念だと思いつつも、仕事の邪魔をするわけにもいかないので、我儘は言えない。


「じゃあ、グレン様は、ご飯はどうなさるのかしら?」


「あ…、それは聞いておりませんね……。なにか用意して持って行きましょうか。誰か手が空いていたかしら……」


「みんな忙しいのなら、私が届けるわ。サンドイッチなら片手で食べられるし、良いんじゃないかしら。」


「まさか! アイリス様に運ばせたりしたら、殿下に叱られてしまいます。」


「ええ? そんなことはないと思うけれど……」


 だめです、誰かに運ばせます、と言って引かないカーネラと、グレン様に会いたかったのに、と言って残念そうなアイリス。そうは言っても、皆が心配するであろうことは分かっていたので、アイリスが引こうと思った時。


「かあさま! ルー、おつかいいく!」


 愛らしい声で、ルピナスが放ったおつかい宣言。アイリスは、数度目を瞬いた。カーネラも、目を丸くしている。


「かあさま? きこえなかった? ルー、おつかいいく! ねえ、かあさま、きいて! ねーえー。」


 ルピナスは、アイリスの腕にしがみついた。


「ご、ごめんねルピナス、聞こえているわ。おつかいに行きたいのよね。」


「うん! とうさまにさんどっちとどける!」


 サンドイッチがうまく言えないルピナスも可愛いわ、と違うことを考えていたら、またもルピナスにしがみつかれてしまった。アイリスは慌てて意識を戻す。


「ありがとう、ルピナス。でも、ルピナス一人で行って、父様のお部屋が分かるかしら? ここじゃなくて、アルディーン叔父様がいる建物よ?」


「わかんない! でもルーおつかいいく!」


「えええ?」


 ルピナスの気持ちを無下にしたくはないが、だからといって一人で行かせるのは不安しかない。どうしたものかと、アイリスとカーネラは目を見合わせた。

 すると、パタンと本を閉じる音がした。


「ルー、僕も一緒に行っていい?」


 兄アレンを見て、ルピナスはきょとんとした表情で、数回目を瞬かせた。


「にいさま、いっしょ?」


「うん。僕、ルーと一緒に行きたいなあ。……だめ?」


 ルピナスの表情は、みるみるうちに明るくなった。


「いいよ、にいさま! いっしょいこう!」


「ありがと、ルー。」


 こうして、ルピナスのはじめてのおつかいは、アレンが付き添うことになったのだった。


* * *


「とうさまのおへや、あっちじゃないの?」


「うん。今日はあっちのお部屋じゃないんだって。この廊下をわたって、向こうの建物まで行かないといけないよ。」


「えー!?」


 仲良く手をつないだアレンとルピナス。サンドイッチの入ったバスケットはアレンが持ち、ルピナスはナプキンなどが入った軽い籠を持っていた。


「なんでー? とおいよー!」


 アイリスは確かに東の宮ではないと言ったのだが、ルピナスには伝わっていなかったようである。アレンは苦笑しながらも、どうやったらルピナスがやる気を取り戻してくれるか考えて、口を開いた。


「……遠くて行くの嫌になった? 父様にサンドイッチ届けるのは他の人に頼もうか?」


「や、やだ! ルーがさんどっちとどける!」


「うん、じゃあ、ちょっと遠いけど、頑張ろうね。」


「うん、ルーがんばる!」


 二人がおつかいに行くことは、城の者には伝えてある。行き交う侍女や、衛兵たちが、二人を微笑ましく見つめていた。


「とうさま、さんどっちよろこんでくれるかな。」


「うん、きっとお腹を空かせて待ってるよ。」


「じゃあはやくいかなくちゃ!」


 俄然やる気になったルピナスがこけてしまわないようにと、アレンは繋いだ手に力を込めた。



「おや。アレン様に、ルピナス様ではありませんか。どうされたのですか?」


 声を掛けられたのは、廊下を渡り、グレンの部屋まであと少しという時だった。


「こんにちは! おじさまだあれ?」


 ルピナスは、可愛らしい声でそう言うと、こてんと首を傾げた。


「る、ルー! なんてこと言うの、宰相様だよ。一度会ったことがあるだろう?」


「えー、うそだあ! おじさま、ルーとあったことあるの?」


 おじさま、と呼ばれたユリウスはにっこり微笑み、膝をついてルピナスに視線を合わせた。


「いいえ、初めましてでございましたね。挨拶もせず、申し訳ありませんでした。宰相のユリウス=マルテルです、以後お見知りおきを。」


「うん、はじめまして! あのね、あのね、ルーね、にいさまといっしょ、とうさまにさんどっちとどけるの!」


「おつかいということですね? ええと、届けるものが、さんどっち…?」


 ユリウスは必死に頭を回転させ、ルピナスの言葉を理解しようとした。


「あ、あの、サンドイッチのことです。父上が、今日は忙しくて東の宮に戻れないと聞いたので、お昼を届けに来たんです。」


 二人の様子をハラハラしながら見ていたアレンは、ユリウスが「さんどっち」を理解できなかったのだと気付き、慌てて説明をした。


「ああ、そうだったのですか。それはご立派ですね。」


「えへへ。えらい? ルーいいこ?」


「ええ。きっと殿下も褒めてくださるでしょう。」


「わーい、やったー!」


 ユリウスに褒められて、ルピナスはご機嫌だった。


「では、私からもルピナス様にお願いをしてもよろしいでしょうか?」


「いいよ! ルピナスおねがいきく!」


「ありがとうございます。では、私はしばらくしてから伺います、と殿下にお伝え願えますか?」


「……どういうこと?」


 ユリウスの言っていることが理解できず、ルピナスはアレンを見上げた。


「また後で行きますねって、父様に言って欲しいんだって。ルー、ちゃんと父様に言える?」


「うん、だいじょぶ! わかった! まかせて、おじさま!」


「ありがとうございます。よろしくお願い致します。」


 ユリウスは、静かに立ち上がると、来た道を引き返そうとした。


「あ、あの!」


 それを見たアレンは、思わず彼を引き止めた。もしかして、ユリウスは父の元に向かっていたのではないかと思ったのだ。


「宰相様は、父上に用があったのでは……」


「いいえ、お二人のおつかいより優先させるべき用はございませんので、アレン様が気になさる必要はありませんよ。ご安心ください。」


「は、はい。ありがとうございます。」


 アレンはぺこりと頭を下げた。それをにこやかに見ながら、ユリウスが彼を愛娘の婿候補にと考えていたことは、また別のお話。


* * *


「とうさま! さんどっちもってきたよ!」


「こら、ルー! ちゃんとノックしようなってさっき言ったろ!?」


 書類と向き合っていたグレンは、突然開いた扉と、聞こえてきた愛らしい声に顔を上げた。その後時計を見て、時間を確認する。東の宮に戻って昼食をとらないと決めてから時間を全く気にしていなかったが、もう昼食の時間だった。


「だって、とうさまおなかすいてるから、はやくさんどっち!」


「それとこれとは別。ノックは礼儀だよ、ルー。母様みたいな女の人になるんだろ? だったらちゃんとしないとダメだ。」


 アイリスも、勢いよく扉を開けることが多々あった気がするが、グレンは口を挟まないことにした。


「うー……、はい。」


「ちゃんと返事ができて偉いな、ルピナス。」


 そう言うと、グレンはルピナスを抱き上げた。視界が高くなったルピナスは、キャッキャと声をあげる。


「次からは気をつけるんだぞ?」


「はい、とうさま!」


 元気良く返事をしたルピナスの頭を、グレンは優しく撫でた。


「ところで、ここへは何の用で来たんだ? ご飯はもう食べたのか?」


「あのね、あのねとうさま。ルーおつかいきたの!」


「おつかい?」


「うん、とうさまのさんどっちもってきた!」


 ルピナスはそう言うと、自慢気に自分の持っていた籠をグレンに見せた。


「あっ、ちがう。さんどっちはにいさまがもってるの!」


 ルピナスがおろしてほしそうに身じろいだので、グレンはゆっくりとおろしてやった。自分の持っていた籠を預け、兄からバスケットを受け取ったルピナスは、それを父に差し出す。


「はい、とうさま。おひるごはん! おしごとがんばってね!」


「父上、ナプキンなどはここに置いておきます。あまり、無理はしないでくださいね。」


 ルピナスから預かった籠を、アレンは机の端に置いた。


「ああ、ありがとう。」


 グレンは二人に礼を言うと、笑顔でルピナスからバスケットを受け取った。


「二人のお陰で、夕食は一緒に食べられるよう、もうひと頑張りできそうだ。」


「ほんと!? ルーたちのおかげ!?」


「ああ。」


 この後も仕事があるため、二人とあまり長い間話せないことを残念に思いながらも、グレンはルピナスの頭を撫でてやる。一方のルピナスは、父に頭を撫でられご機嫌だった。


「ねえルー、なにか忘れてない?」


 あまり長居しては邪魔になってしまうと思い、アレンはルピナスに声をかけた。少しの間きょとんとしていたルピナスだったが、すぐにあっと声をあげた。


「あのね、とうさま。おじさまが、あとでくるって!」


「アルディーンが?」


「ううん、アルディーンおじさまじゃないおじさま!」


 おそらく自分と同年代の人のことを言っているのだろうと予想はできたが、そんな人はわんさかいるのでグレンは首を傾げた。娘の言いたいことを理解するには、まだまだ修行が足りなかったようである。


「あの、宰相様のことです。ここに来る途中にお会いして。」


「ああ、そうだったのか。」


「そうだよー!」


 言いたいことが伝わったので、ルピナスは満足そうだった。


「よし、じゃあルピナス、ちゃんとサンドイッチ渡せたし、母様のところへ帰ろうか。」


「もう!?」


「父様はお仕事をしながらサンドイッチを食べるんだよ? 僕たちが帰らないと、せっかく持ってきたサンドイッチ、食べられないよ? ルーはそれでも良い?」


「や、やだ! とうさまおなかぺこぺこ!」


「でしょう? だから、もう帰ろう。それに、母様におつかいちゃんと行けたよって早く言いたいだろ?」


「うん!」


 よし、なんとか説得できた、とアレンが安心していると、暖かい手に頭を撫でられた。それが父の手だと気付いたアレンは顔を輝かせた。


「アレン、ありがとう。帰りもよろしく頼むぞ。」


「はい、父上!」


 尊敬する父に認められ、頼られることが嬉しくて、アレンもルピナスに負けず劣らず満足そうな笑顔になっていた。

 それから、アレンとルピナスは手を繋いで東の宮へ向かって出発した。可愛い二人を見送りながら、午後も頑張ろうと思うグレンだった。


* * *


「かあさま、ただいまー!」


「二人とも、お帰りなさい。」


 アイリスは、愛しい子供たちを抱きしめた。城の中だし、二人なのだから大丈夫だと言い聞かせはしていたが、こうして元気に帰ってきてくれたことに、アイリスはほっとしていた。


「ちゃんと行って来られたのね。」


「うん! にいさまがいっしょだったもん、こわくなかったよ!」


「そうね。……ありがとうアレン。お兄ちゃんが一緒に行ってくれて、とっても助かったわ。」


「はい。」


 アレンは嬉しそうに頷いた。その笑顔を見て、アイリスも表情を和らげる。もう一度二人をギュッと抱きしめた後、アイリスはカーネラを呼んだ。


「さあ、ご飯にしましょう。おつかいにちゃんと行って来られた二人のために、今日のお昼は二人の好きなものを頼んでおいたの。」


「ほんと!? ハンバーグ!?」


「ええ。ちゃんと、ルピナスのはハートの形にしてねって頼んであるわ。」


「わーい!」


 ルピナスが喜んでいる横で、アレンはもじもじしながら、自分の好物のことも聞いて良いものか迷っていた。そんなアレンを、アイリスは優しく見つめた。


「あ、あの!」


「なあに、アレン?」


「す……スープは、トマトスープでしょうか?」


 とうとう堪え切れなくなったアレンは、母に近寄って、耳元でこっそり尋ねた。それが可愛くて、アイリスは顔を綻ばせる。


「もちろんよ。」


 母の返事を聞いて、アレンはパッと顔を輝かせた。


「ウインナーたっぷりでお願いねって言ってあるから、心配しないで。」


「やった、嬉しいです…! ありがとうございます、母上!」


「二人の喜んでいる顔が見られて、わたしも嬉しいわ。」


 アレンは兄らしくあろうと頑張るあまり、子どもらしい反応を抑え込む癖がある。そんなアレンから久しぶりに子どもらしい表情を引き出せたので、アイリスも満足気だった。


「アイリス様、食事の用意が整いました。」


 タイミング良く、カーネラが子ども部屋に顔を出した。ご飯の用意を頼もうとして呼んだが、既に終わらせてきてくれたようだ。


「ありがとう。よし、じゃあ二人とも、行きましょうか。」


 右手はアレン、左手はルピナスと手を繋いで、アイリスたち親子はゆっくり歩き始めた。その後ろを、カーネラが付いて行く。


「父上が、夕食は一緒に食べられるようにするっておっしゃっていました。」


「ルーとにいさまのおかげだよ! とうさまいってた!」


「まあ、そうなの。ありがとう、ルピナス。みんなでご飯を食べられるの、楽しみね。」


「うん!」


 こうして、ルピナスのはじめてのおつかいは無事終了した。ラカント王国の東の宮は、今日も平和である。

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