The melancholy of the soldier's ~戦士達の憂鬱~
The melancholy of the smoker and bookman ~喫煙者と読書家の憂鬱~
The melancholy of the philosopher ~哲学者の憂鬱~
と投稿した「The melancholy ofシリーズ」の三作目です。
読み味やテーマは多少意識していますが、世界観、ストーリーは全くつながりのない、独立した掌編ですので前二作を読まれたことのない方も是非ご一読くださいませ。
ゴーグル越しに広がる光景を、戦術副脳がコマ送りに分解する。
3の7乗倍という濃密な時間の流れの中、ダッドリーは、音速で膨らむ圧縮空気が生み出す波紋を視界の端に捉えた。
音よりも早く、なによりダッドリーが危険を認識し避けなければと思うよりも早く、ダッドリーの体は宙を舞っていた。足が地面を捉える感覚が消える。背を反らせ後方に倒れこむ様にして、凶弾を交わす。
視界の中を、枯れ果てた灰色のコンクリートジャングルが流れていった。
代わりに瞳に飛び込んだのは、くすんだ空に浮かぶ恒星型人工核融合炉のクロムイエローの輝き。
刹那。視界の中央に座す輝きを真っ二つに割るように、ソニックブームを引き連れた死の軌跡が一条引かれた。
のんきに射線に身を置いていれば、今頃骨片と脳漿と金属片をばら撒きながら破裂していたであろう自分の頭を幻視しながら、ダッドリーは糸で繋がれた傀儡人形の如く、戦術副脳が導く最適な動きに身を任せる。
後方へと倒れた勢いを活かし後転。コンクリートの地面を穿つ追撃から逃げ延びながら、流れる視界の何処に敵影があるかを瞬時に把握。身を翻し反撃に転じる。
一先ず、フルバーストで弾倉に残っている弾丸を適当にばら撒く。排莢された有機化合の薬莢が空気中の二酸化炭素と反応し、地面に落ちる間もなく蒸発していく。
視界が段々と赤みを帯びていった。視界の色味と比例して強くなる目の奥の痛みを必死で無視し、ダッドリーは弾倉を換装。
神経加速の負荷。それは、演算自体をクラウドコンピューティングで行っている戦術副脳でも、爆発的な運動能力を備えたサイボーグの体躯でもなく、ダッドリーに残された人間部分、生体演算機を焼いてしまう。
痛みに耐え切れなくなり、ダッドリーは神経加速を段階的に弱める。まるで早回しのようにクルクルと速度を上げて回りだした世界に目を回しそうになる―神経加速酔―のを必死に堪え、ダッドリーは確実に引き金を弾く。そうして、射線上の敵を――。
「カチッ」
乾いた音。引き金は固くロックされ、視界の中で赤く光る三角の照準、その中心に居た敵を破壊するはずだった弾丸は、主人の意に反しチャンバーに留まっていた。
ありとあらゆる判断。ありとあらゆる行動が加速されているその戦場で、その無機質に乾いた音は、場違いなくらいゆっくりと静かに響いた。
ゴーグルを通してAR(仮想現実)に映しだされていた戦場のパラメータが、すべて消える。
戦場の至るところで弾けていた圧縮空気の音も、気づけば止んでいた。
「ふぅ」
ダッドリーは、神経加速を完全にオフにし、ゴーグルを押し上げながら上空を仰いだ。
「タイムアップ、か」
前方にそびえる廃墟となったビルの影から“審判”の姿が覗いた。光学迷彩のレベルを下げきってないのだろうか、円盤上に広がった空色の靄が蠢いてるような影。ぼやける輪郭に反し、はっきり見えるのは“審判”が放射状に発する蒼碧の光だ。
今この瞬間にこの場所がDMZ(非武装地帯)に成ったことを表す調停の光。
“審判”が一帯に放つ識別信号によって、兵士たちの兵装はすべて管理されている。敵味方無用が宣言された今、敵を敵として認識することも、銃弾の一発を放つことも叶わない。
ダッドリーは自身の指が、動かぬ引き金に添えられていることを思い出し、銃把を握る手から力を抜いた。
“管理戦争”“計画戦争”。そんな呼び名が適している様なその争いを、しかし身を置く当人たちはただ“戦争”と呼んでいた。
ダッドリーも、ダッドリーへ凶弾を放った兵士も、ダッドリーがその眉間に銃弾を叩き込もうとした戦士も、今は敵味方の区別なく、各々身に付けた兵装を外し、銃を下ろしていた。
“審判”の管理なき今、彼らに戦争をする力は無い。
識別タグの機能なしに彼らは敵味方を峻別することも出来ないし、管理された銃はDMZ(非武装地帯)では機能しないように引き金はロックされ、身にまとった戦術兵装も戦闘機動の出力を封じられる。そして様々な感情をコントロールする脳内物質すら、“審判”の管理の元で戦術副脳が支配をしている。
敵を見つける眼を奪われ、敵を屠る牙を抜かれ、身を駆る四肢をもがれ、そして敵を憎み殺意を抱くことすらも忘れ、そうして戦士は戦士で無くなる。
蒼碧の輝きに照らされている彼らに、争いをする力も意思も許されては居ない。
ひとたび敵味方無用がもたらされれば、数多に放たれた銃弾が穿ったコンクリートからの、戦術兵装をまとった戦士たちが駆け回ったコンクリートからの、幾条も上がる砂礫の煙がまだ晴れては居なくても、既に争いの時ではないのだ。
ダッドリーはその相貌を緑の光に晒しながら、肩から銃のストラップを外し、脇の瓦礫に立てかける。裾、袖、襟、腰回り。戦術兵装の各部に設えられたアジャスターを外し、窮屈な鎧から解放されると、深々と息を吐き、そして吸う。
何度か深呼吸を繰り返す。蒼碧の光が運んできたプログラムを副脳が受け取り、脳内でドーパミンとエンドルフィンとセロトニンとガンマアミノ酪酸が弾ける。ほんの数十秒前に鼻先を銃弾が掠めた人間が持ちえるないはずの落ち着きに操られて、ダッドリーは瓦礫に腰を下ろした。
「ケツが痛いな」
そういえば昨日はコンクリートではない、本物のジャングルを駆けていた。ボコボコと足を取られる大樹の根っこは鬱陶しかったが、休憩の時に腰を下ろせばシダやソテツの類が良いクッションになった。
明日、腰を下ろすのは果たして何処だろうか。そんなことを考えながら、ダッドリーは間抜けのように口をあんぐりと開け、中空を眺めていた。
「よう、旦那。隣いいかい?」
気づけば、見知らぬ男がそこに居た。ダッドリー同様、敵味方無用によって牙を抜かれた戦士。
ダッドリーは男を一瞥し、好きにすればいいと無言で返す。
「俺は、ウォリス」
「ダッドリーだ」
「やるかい?」
ウォリスはそう言うと、ダッドリーのそばに腰を下ろしながら、銜えたタバコを上下に動かしてみせた。
「いいや、こいつだけで充分だ」
ダッドリーはそう言って自分のこめかみを指でトントン、と叩いてみせる。
ウォリスは自分のタバコをふかしながら続けた。
「あぁ、そうかい、おたくはC(iagr)じゃねぇのか。じゃあ、A(ccelaration)か? 俺ぁそっちの気はねぇから、領域貸すぜ?」
副脳が分泌する以上の脳内物質を外部から摂取する事は、戦士たちが戦いの中で張り詰めた気を緩めるために好んで行われることだ。旧時代の文化、風習にならってCigarと呼ばれる名前とポーズを持つそれは、DMZ(非武装地帯)のそこかしこで見られる戦士達が好む嗜みの一つだ。
A(cceleration)も同様の嗜みだ。戦闘時に起動させる副脳の機能、神経加速。情報の処理速度を極限まで高めることによって、まるで時間が止まってるかの様に世界を認識するための機能を適度に用いることで脳に過負荷を掛け、幻覚や朦溺状態を引き出す娯楽を好む戦士たちも要る。
蒼碧の光の傘の下で、副脳で出来る神経加速は大きく機能を制限される。脳が悲鳴を上げ、彼岸の世界をかいま見るためには複数の副脳の連結が必要とされていた。
「よしてくれ、神経加速酔ほど嫌いなものは無いんだ。好き好んで戦闘中でもないのにあんなもの」
そう言って、ダッドリーはうんざりだと言う風に手を払った。
「ははは、ちげぇねぇ。俺もAは好かん」
心底嫌そうな顔をしているダッドリーを、ウォリスは笑う。タバコを銜えたままに器用に。
余りにもあけすけとした態度のウォリスの言葉に、ダッドリーは言い様の無い鬱陶しさを感じ、少し嫌みめいた言葉が浮かぶ。
「Cを好きな奴だって一緒さ」
思うが早いか、その悪態が口をついて出てしまった。そして、自分の吐いた語気の冷たさに、ダッドリーは少し慌てる。言わずともよかった台詞かもしれない。
あまりにも不躾過ぎただろうか。
とは言え、吐いた言葉を飲み込むほどの事もない。それも不自然だ。
僅かばかりの気まずさに、ウォリスへと視線を向けることもためらわれ、所在なげに中空へと投げられたダッドリーの視線。そこを紫煙が過った。
ウォリスの吐いた、紫煙の輪。
ダッドリーがその煙に気づき、ウォリスの方を向き直ると、ちょうどウォリスが二つ目の輪煙を生み出した所だった。
ダッドリーは自らに向けられた煙に面食らうが、中心の輪を広げながらその煙はダッドリーの輪郭を掠め後方へと消え過ぎていった。
「そいつぁすまん。まぁ、やめんが。はっはっは」
これで気を悪くして、隣を立つのならそれはそれで構わない。そんな事を考えていたダッドリーは、ウォリスの鷹揚な笑い声にすっかり毒気を抜かれていた。
「ふん」
「旦那は、AもCもしないのか、珍しいな」
ウォリスは素朴な声で疑問を漏らす。
多くの戦士たちが束の間の休息の間に嗜む娯楽。一秒後には自らの命が散っているかもしれないと言う戦場の緊張感。そんな極限状態で摩耗した心を彩る清涼剤にAやCが多く好まれているのは事実だ。
それぞれ半々ほどだが、ごくたまにどちらも好まない者も居る。そんな戦士たちが選ぶのは――
「って事はD(eath)か?」
ウォリスは燻らせていたタバコを地面に擦りつけると、自分の台詞に驚いたかのように、ダッドリーに向きなおる。
仮想死体験とも呼ばれる、第三の快楽。
自身の記憶をすべてクラウドサーバーに預け、身体のあらゆる制御プログラムを徐々に切断していく事で、文字通り死を迎えるというものだ。
もちろん、本当に死ぬわけではない。全身機械の戦士たちは、たとえ一度動かぬ金属塊に成り果てようとも、再びに炉心に火が灯れば息を吹き返す。まるで何事もなかったかのように。
眠るのと変わらない、とある者は言う。
今の自分は死ぬ前までのあいつとは違う、とある者は言う。
此岸と彼岸の境目でしか見れない景色がある、とある者は言う。
その感想は人それぞれだが、確かに一定数、戦いの合間の清涼剤として死を求める人間は居た。
AやCと比べごく少数でも。自らの命を戦争の駒と割り切る戦士たちの中でも、異端とされて居ながらも。
だが、ダッドリーはその異端ですらなかった。AよりもCよりもDよりも数の少ない、特異な嗜好の持ち主。
「俺は、なにもしない」
ウォリスはダッドリーの言葉に、口に銜えた二本目のタバコを取り落とす。
そんな様をダッドリーは苦笑いで見やる。
「そんな、驚くことか?」
「……旦那、B(uddhist)かっ!?」
驚きにタバコを吸うことも忘れたのだろうか。ウォリスは落としたタバコを拾おうともせずに、ダッドリーに顔をまじまじと見つめた。
「本当に居るんだな。戦場の都市伝説みたいなもんだと思ってた」
ウォリスの怪訝な視線を鬱陶しく思ったのか、ダッドリーはウォリスが落としたタバコを拾ってウォリスに突きつけ、非難をぶつける。
「やめろよ、そんなマジマジと。そんなに珍しいのか? 俺にはむしろ、AだのCだのDだのにうつつを抜かす奴の気持ちのほうがわからん。
何分か前まで、次の瞬間敵の弾丸が俺の脳髄をぶち撒けるかもしれんって所で、敵の頭をぶち撒けるための銃ぶら下げて走り回ってんのに、そんな後に脳内麻薬だろうが幻覚だろうが臨死体験だろうが、どうだって良くなるだろう」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
「で、実際何するんだ、旦那は?」
「だからなにもしないさ。空でも眺めてればいい。そうしてれば、そのうち審判が黄色い光と一緒にやってくる。そしたらまた銃でも引っさげながら、敵の照準の中を走る。そうしていれば、明日か、来月か、来年か、それともその先か。まぁいつか死ぬ。それで終わりだ」
「それで、勝てるのかよ。戦争、に」
ウォリスはいつしか、タバコを吹かすこともなく真摯な眼差しをダッドリーに向けていた。
「戦争、か」
生存を、理由を、存在を、挟持を、譲れない何かを掛けた争いは、決着を迎えぬままに永い時を越え、いつしか手段ではなく目的になっていた。争いに与えられた数々の枕言葉が移り変わり、そしていつの日か戦士たちは争いをただ「戦争」と呼ぶようになっていた。
残ったのはただひとつの第一優先目標。
『敵を殲滅せよ』
「さぁな」
ダッドリーは変わらず空を眺めて、一言そう言った。
「さぁなって。旦那は何のために戦ってるんだ。戦争こそが、俺た……」
答えをはぐらかすダッドリーにウォリスが食って掛かったその時、ダッドリーとウォリスの間に一条の光が差し込んだ。目に焼きつく様に明滅する鮮黄。
「ほらお迎えの時間だ」
そう言ってダッドリーは立ち上がる。首を捻り、肩を回し、骨をコキコキと鳴らしながら体をほぐす。 ウォリスは忌々しげに審判を見上げていた。
そんなウォリスを脇目にダッドリーは銃を担ぎ直し、ゴーグルを下げる。鮮黄下では銃火器の使用は制限されるが、副脳はアイドリングになり機能が概ね使用可能になる。
ゴーグルの向こう側は既に戦場だ。林立する廃墟をスクリーンにして戦術副脳が様々なパラメーターを映し出す。幾つものグラフや数字の中で赤く光る三角形がダッドリーの目に留まる。
「機械軍だったのか、ウォリス」
「旦那は、人類軍……か……?」
ダッドリーとウォリスは、互いのゴーグルの中で、互いの存在を赤い照準の中に捉える。もはや蒼碧の時は過ぎた。鮮黄も時間の問題だ。
「俺の弾丸には当たるなよ」
そう言って、ダッドリーはその場を後にした。
瓦礫の向こうに消えていくダッドリーの背中を見つめながら、ウォリスは銃を担ぎ直す。次の戦闘まで時間はなかったが、タバコを銜えて火を灯した。
神経加速に引き伸ばされた時の中で、次の蒼碧まで弾丸の雨をくぐる。そして、敵を撃ち滅ぼす。その繰り返し。
その向こうに何があるのか。
人間の威信と安寧があるのか。
機械の尊厳と自由があるのか。
戦士たちがその答えを知ることはない。
ウォリスが吐き出した紫煙は、薄く拡散しながら空へと昇っていく。
やがて空へと消えていく煙が赤い光に染められた。
拙作をお読みいただきありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
もし、他の「The melancholy ofシリーズ」を読まれていない方が居られましたらそちらも合わせてお楽しみいただければ幸いです。