戻りたかったのは
笑っているその人は、あたしの大好きな人だった。そのはずの人だった。でもその笑顔は、あたしの知っているあの人じゃない。あたしは聞かずにはいられなかった。
“あなたは、なんなの?”
その人はくすくす笑う。
“ねぇ教えてよ……。一体何人やつらを殺せば、彼女は帰ってくる?”
怖かった。あたしは必死に首を振る。それでもあたしは言えなかった。何人殺したって、死んだ人は帰ってこない。
あの人だったなにかは、笑いながら剣を抜いた。
“君は、どっちなんだ?”
布団にくるまり、ロミオはふて寝していた。
ジュリエットは帰ったし、ロザラインは帰ってこない。みんな僕をおいてけぼりだ。もうこの際マキューシオでもいいから来ないかな、なんて考える。そういえばマキューシオも昨日は来なかった。どうしたもんかな、と考えていたときだった。
「入るぞ、ロミオ」
扉の開く音と同時にロミオは叫んだ。
「お前は呼んでない!」
「……なぜ顔が赤い。熱でもあるのか」
「黙れ。むしろ死ね」
ロミオは毒づきながらまた布団にくるまった。マキューシオがため息を吐くのがわかった。相も変わらず無表情で突っ立っているのだろう。ああ苛つく。
「……お前たち兄妹は似ているな」
ロミオは飛び起きた。
「ロザラインに会ったの!?」
「昨日だけどな。遅くなって済まなかった。……ロザラインは元気そうだったぞ」
この男、なにしてくれてんだ。ロミオはマキューシオを睨みつけた。
「しばらくは戻れないそうだ」
マキューシオが表情を変えずに言う。ロミオは落胆した。マキューシオは頬をかいてロミオになにか言いかけた。その前にロミオは気になって訊ねた。
「その手、どうしたんだい? 怪我?」
マキューシオは自分の左手を眺め、転んだ、と呟いた。転んでそんな傷ができるわけがないが、ベタなやり取りが嫌いではないロミオはなにも言わなかった。
「意外だな。俺はてっきり、お前が怒り狂って俺を殺そうとするのではないかと身構えていたのだが」
「殺してやろうか」
「遠慮しておく」
ロミオは深くため息を吐いた。
「あの子は、なにをしようとしているんだ?」
「……お前は、俺が誰だか覚えているか?」
頓狂な問いに、ロミオは呆けた顔しかできなかった。その言葉の意味を必死に考えていたとき、マキューシオが言葉を重ねた。
「俺と出会った日のことは?」
「マキューシオ? なにが言いたい」
「答えてくれ」
仕方なくロミオは頷いた。
「覚えているよ。お前と会った日のことなんて、忘れるわけないだろう?」
「では、その時お前はなにを思っていたんだ」
ロミオはすぐに答えようとしたが言葉が出なかった。
覚えて、いない────?
マキューシオは尚もロミオに問い続ける。
「ロザラインはどうだ。ロザラインは誰だ」
「僕の……妹だ……」
「どんな子だった。お前はなぜ、あの子を妹として愛した」
絶句した。自分自身に問いかける。どうして、覚えていないんだ。
そんなロミオの様子をじっと見てから、マキューシオは小さく頷いた。
「ロザラインは、お前を助けたいんだそうだ」
「僕は……壊れて、ない」
声が震えた。
「ああ、そうだな。お前はただ、前と少し違うだけのお前だ」
驚いて顔を見ると、マキューシオはいつもの飄々とした無表情でロミオを見ていた。
「ただ、それでお前が苦しんでいるように見えるから、あの子は一生懸命にもがいているんだろう」
「僕の、せいなのか?」
「お前のせいじゃない。お前のためだ」
同じことじゃないか、となじりたくなるのを抑え、ロミオはマキューシオに訊ねた。
「どうすればいい?」
マキューシオは窓の外を見、それからロミオに目を戻した。
「来てくれないか」
こつこつ、という音に驚きつつ窓に寄れば、そこにいたのは不貞腐れた顔のロミオだった。ジュリエットは色めく心を抑えつつ、辺りをうかがった。
「どうしてここに来たのです? あ! 私の想いにやっと応える気になったのですね!」
「その超プラスな思い込みやめてくれる? 僕はただ、マキューシオの馬鹿にむりやり連れてこられただけなんだから。ロザラインは?」
ジュリエットは落胆したが、すぐに笑顔を作った。
「ロザラインは今、お母様にご挨拶に言ってますの。ロミオ様はロザラインに会いに来ましたのね」
当たり前だろ、という言葉を予想して待っていると、ロミオはああとかうんとか煮えきらない返事をした。
「それもある」
それもある、ということは、他にもあるということだ。なにをしに来たのです? と尋ねると、またも煮え切らない返事をした。
「だからそれは……マキューシオにむりやり連れてこられたからで……」
しかしそこでロミオは咳払いし、ジュリエットを真っ直ぐ見据えた。
「君に、会いに来たのかもしれない」
「え……」
晴天の霹靂とはまさにこのこと。ジュリエットはなにも言えずにロミオを見つめていた。ロミオは眉をひそめる。
「睨まないでくれる?」
「あ、ああ……ごめんなさい」
一体、どうしたのだろう。ロミオは熱でもあるのだろうか。いや、熱があるのは自分のほうだ。とてもとても顔が熱い。もしかしたら赤くなっているのだろうか。そうだとしたら早く引っ込んで穴に潜りたい。
「……なにしてんの」
その場でしゃがみこんだジュリエットを見て、ロミオは心底呆れた顔をした。
「だって! 嬉しかったのですわ。ロミオ様が私に会いに来てくれた。こんなに危険なところに」
「それはまあ、マキューシオもいるし、僕は忍び込むのが得意なんだ」
なんだか論点がずれているような気もしないでもないが、ジュリエットは気にしない。ロミオは肩をすくめて笑った。それから、不意に真顔になる。
「君は、僕のどこを好きになったわけ?」
ジュリエットは軽い衝撃を受けた。それを自分で訊いてしまうのか。
まったく、ロマンチックの欠片もありませんこと。でも、そこが素敵ですわロミオ様。
「そうですわね……強いて言えば、ロミオ様がロミオ様だから、私は恋に落ちたのです」
いつか、マキューシオに言ったのと同じことを言う。あの時から思いはなにも変わっていない。
「……じゃあ、僕が僕じゃなくなったら、嫌いになるかい?」
不思議な質問だとジュリエットは思った。ロミオは、少し笑っている。なんだか悲しそうに見えた。
「あら……どんなロミオ様でも私は愛してますわ」
「さっきのと矛盾してる」
「恋する乙女に矛盾はつきものですわ」
「自分で乙女って言っちゃったよ。気持ちワルっ」
「でもそうですわね……」
ジュリエットは少し考えて、笑顔になった。
「もしそれをロミオ様が認めているのなら、ですわ。自分と違う自分をロミオ様が認めているのなら、私も認めましょう。私はロミオ様が認めているものを愛しましょう」
ロミオは瞳を丸くしたが、やがて小さく笑った。可笑しそうにも呆れたようにも見える笑みだったが、ジュリエットは嬉しかった。
「ロミオ、行くぞ」
マキューシオが走ってきた。ジュリエットをちらりと見てからロミオの手を取る。握るな気持ちワルい! と叫びながらロミオも走る。ジュリエットはそれを、いつまでも見送っていた。ガタン、という音がするまでは。
見ると、ロザラインが訝しげに立っていた。
「どうしたの? 外に誰かいたようだったけど」
「いいえ」
「貴女……嘘が本当に下手ね。あ! もしかしてあの鈍感男……」
ジュリエットが苦笑いしながらかぶりを振ると、ロザラインは呆れたようにため息を吐いた。それを見て、ジュリエットは首をかしげる。
「ロザライン、顔色が悪いようだけど」
「……今日はちょっと嫌な夢を見たのよ」
ロザラインは憂鬱そうな顔をして、それから気を取り直すようにジュリエットに言った。
「続きを話したいんだけど」
ジュリエットは頷く。お願い、とも言う。
「そうね、厳密に言えばこれはこの前の話の続きではないわ。あたし自身の話と、そしてお兄様の話よ」
ロザラインは遠い目をした。ジュリエットは拳を握り、頷く。
「初めに言っておかなくてはいけないんだけど、あたしはね」
まばたきをして、ロザラインは言った。
「あたしは、モンタギュー家の人間じゃないのよ」
衝撃の事実!でもありませんね。ロザラインちゃんの告白。
とりあえずあの兄妹のツンデレ感が楽しいです。ツンツンデレを目指して頑張ります。耐えろジュリエットちゃんとマキューシオさん(笑)