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昔と今は長いトンネルのなか

「そうね、なにから話しましょうか」

 勧めもしてないのにロザラインは椅子に座った。しばらく考えて、不意に頷く。

「一番昔の話をしましょう」

 一番昔、とは? ジュリエットが首をかしげる。

「これはあたしの話とは外れてしまうのだけど、貴女は知っておいたほうがいいんじゃないかしら」

 モンタギュー家とキャピュレット家の話よ、と言う。

「貴女は、なぜこの二つの家がこんなにも憎しみあっているのか知らないでしょう?」

「それは……キャピュレット家が教皇派でモンタギュー家が皇帝派だからじゃ……?」

「それもあるわ。いいえ、そもそもはそうだったの」

 ロザラインは、まるで見てきたかのように言う。

「疑問に思ったことはない? 例えばキャピュレット家がパーティを開いたとき、モンタギュー家だけは立ち入りを許されない。おかしいでしょう?」

 ジュリエットは首をかしげた。なにがおかしいのだろう。当たり前のことじゃないか。

「だって、他の皇帝派の家の人間が来ても眉をひそめられるだけなのに、モンタギュー家だけは絶対に許されない。その逆でもそうよ」

 確かに、言われてみればそうだった。なぜなのだろう。なぜキャピュレット家とモンタギュー家は、お互いを特別視して憎んでいるのだろう。

「……昔、キャピュレット家には一人の男がいた。容姿もよく情熱的で、異常に血気盛んなところ以外は申し分ないすばらしい青年だった」

 やはりロザラインは、あたかも自分の目で確認したかのように言った。

「そしてモンタギュー家には、同じ年頃の娘がいた。美しく聡明で、これまた情熱的で、どんな男も魅了されずにはいられなかった。そして二人は出会い、恋に落ちた」

 ジュリエットは耳を疑った。キャピュレット家の男と、モンタギュー家の女が、恋に落ちた?

「しかしそこは教皇派と皇帝派。派手に会ったりはできないもの。それでも二人は永遠に変わらない思いを誓った。しかし時は流れ、キャピュレット家の子息に縁談がきたの。噂は尾ひれをつけて広がり、モンタギュー家の娘に届いた。キャピュレット家の子息が結婚するらしい、ってね」

 離れているからこその悲劇。ジュリエットは胸が痛んだ。

「娘は悲しんだ。自分の恋心が一方的に踏みにじられたと思い込んだ。そして傷心の彼女の前に現れたのが、公爵の親戚の青年だった。青年は穏やかで優しく、キャピュレットの子息とは違う魅力があった。彼女は今度こそ、本当の運命の人を見つけたのだと感じた。もうこれで、あの人を許して、自分の幸福を生きようと思った。でもキャピュレット家の子息は、縁談を断っていた」

 キャピュレット家の子息は、愛する人との誓いを守ろうと必死になっただろう。その結果、悲劇は起きた。

「やがて公爵の親戚の青年は公爵になり、モンタギュー家の娘にプロポーズした。娘は承諾し、その話はキャピュレット家の子息に伝わった。キャピュレット家の子息にとっては青天の霹靂。そして彼は、あろうことか公爵青年を殺してしまった。しかも自棄になったのか、モンタギューの娘を無理やり妻にし、子どもまで生ませた。どうしたらいいのかわからなかったのでしょうね」

 ロザラインはそこで、天を仰いだ。それからジュリエットに目を戻し、大丈夫? と訊いた。もしかしたら自分は酷い顔をしているのかもしれない、と思った。

「モンタギューの娘は怒り、憎み、夫に殺意さえ抱いた。もともとは男の不貞が原因だと思い込んでいたし、公爵青年のことを本当に愛していたから。キャピュレットの子息には、そんな妻の憎しみが理解できなかった。自分は誓いを守るためにたくさんのものを犠牲にした。妻を愛している。しかし妻は自分を憎んでいる。精神がおかしくなった男は自ら命を絶った」

 ジュリエットは息をのむ。

「モンタギューの娘は子どもを抱えて生家に戻ることになったわ。いいえ、逃げた、のほうが正しいかもしれない。そして復讐を誓った。末代まで呪ってやる、ってやつね。そしてキャピュレットのほうでも、息子が死んだのはあの女のせいに違いないと怒り狂ったわ。そしてお互いの家は、その名が続く限り憎み合うことになった、ってわけなの。だからね、言いたいのは」

 ロザラインがため息を吐く。

「キャピュレット家とモンタギュー家は、一度家族になったのよ」

 ロザラインは最後だけ軽くそう言って、ジュリエットの反応をうかがっていた。なにか言わなくては、とジュリエットは顔を上げて口を開いた。と、コツコツという音が響いた。それは、窓から聞こえるようだった。ロザラインは訝しげに窓から外を見た。それから慌てて部屋の扉まで駆ける。

「ごめんなさいジュリエット。ちょっと用ができちゃったの」

 ジュリエットが呆然としていると、ロザラインは扉の向こうに消えた。



「なにしてるの!」

 ロザラインが駆けていくと、マキューシオは顔を上げた。その顔にはいつもの無表情である。ああ苛つく。

「なにしてるの」

 ロザラインはもう一度落ち着いてから言った。マキューシオの表情が変わるようすはない。


「やっぱりここにいたんだな」

「貴方、こんなところにいたら危ないでしょう?」

「ロミオがすっかり気落ちして、部屋から出てこないぞ。君は兄を引きこもりにするつもりか」

「誰にも見られてないでしょうね。誰かが来たらどうするの?」

「ジュリエットもここにいるらしいな。帰るように言ったのは君か」

「ちょっと待って、貴方がここにいるってことは、お兄様は一人? ダメじゃない、あたしたちがいなかったらあの人なにするかわからないのよ?」

「ジュリエットが一度いなくなったために、ここら辺も大分敏感になっている」

「お兄様はちゃんとご飯食べてる? 服は変えてる?」

「そういえばロザライン……ん?」


 マキューシオは止まり、ロザラインを見つめた。

「先程から噛み合っていないような気がするのだが、気のせいだろうか」

「あら、噛み合ってると思ってたの?」

 しばらくお互いを探りあうような沈黙。ロザラインは仕方なく口を開いた。

「いくらお兄様に頼まれたからって、こんなに危ないところに来るなんて……」

「誰がロミオに頼まれたって?」

「え?」

「俺は君が心配だったから来たんだ、ロザライン」

 ロザラインは言葉を失う。マキューシオは尚も続けた。

「君のやろうとしていることもわかる。しかしそれはとても危ないことだ。一つ崩れれば身の破滅じゃないか」

 声だけは心配そうに言う。ロザラインはうつむいて、頬を染めた。

「君みたいな子が、小さな体で戦っているのに、俺はなにもできない。だからせめて心配させてくれ」

 ……呆れた。ロザラインは軽くマキューシオを睨んだ。

「ほっといてよ。お兄様にはしばらくは戻れないって言っといて」

「ロザライン? なにを怒ってるんだ」

「あたしは、お兄様が好きだった。だから、やってるの。あたしの勝手なの。あたしはただ、あるべきところへ戻したいだけなの」

「そんなことを言っても……ロザラインが帰らないと言えば、俺がどれほどとばっちりを受けるかわからない君じゃないだろう」

「さあ? わからないわ、そんなこと。なんて言っても小さな体のお子さまですもの」

 ロザラインはくるりときびすを返した。マキューシオは呼び止めなかった。ああ本当に苛つく。

 あの人もお兄様も、なんて鈍感なの!




 扉が開く音がして、見ると不機嫌そうな顔のロザラインがいた。ジュリエットは笑顔でお帰りなさい、と言う。

「さっきの人、マキューシオ様に見えたわ」

「違うわよ、あれは鈍感男。知らない人だわ」

 ふん、と鼻息を荒くする。ジュリエットは苦笑した。そんなわけはない。

「でも、大丈夫かしら? マキューシオ様、ここは危ないんじゃなくって?」

 ジュリエットがそう言うと、ロザラインは少しだけ笑った。

「大丈夫よ、あの人、意外に強いから」

 ジュリエットは驚いた。ロザラインの言葉には、信頼感が滲んでいるようだったからだ。じっと見つめていると、ロザラインはなにを思ったか頷いた。

「話の続きは、また明日にしましょう」




 ロザラインはなぜああも頑固なのだろう。兄のロミオは、確かに自己中心的なわがままさは持っているが、それとは少し違う頑固さだ。もっとずっと前から培われたものなのだろうか。

 マキューシオはそんなことを考えながらモンタギュー家に向かっていた。と、目の前にいきなり人が現れた。マキューシオはそのままその人物にぶつかり、文句を言いかけた。

 悪い予感がする。その人物は、まるで故意に自分にぶつかってきたようだったからだ。目の前の男は顔を上げて笑った。

「すみませんね、ぜひ、お詫びをさせてください」

「……ティボルト」

 それは、キャピュレット家の子息であるティボルトだった。ジュリエットの兄だ。

「マキューシオか? これはこれは! 奇遇だな」

 白々しい。

「不注意でぶつかってしまい申し訳なかった。なにかお詫びをさせてくれ」

「結構だ」

 マキューシオはそう言って離れようとした。厄介ごとはごめんだ。しかしそう簡単にはいくはずがない。ティボルトはマキューシオの腕を掴んだ。

「そう言うなよ。それとも……俺のこの真心を無駄にする気か」

 真心? お前は言葉の意味もろくに知らないのか。マキューシオはそう言ってやりたかったがこらえた。

「一体なんの用だ」

「ジュリエットはモンタギューにいたんじゃないか?」

 ティボルトの声が低く、唸るようになった。マキューシオは少し考えて、声色一つ変えずに言った。

「ジュリエットというのは……お前の母君だったか」

 とぼけるな、というように睨んでくる。マキューシオは、面倒なことになったな、とぼんやり思った。

「今すぐにモンタギューに乗り込んでもいいんだぞ」

「ジュリエットなんて女はいない。それにそんなことは許さん」

「許さん? 誰がだ。お前がか? この人殺しめ。それとも、公爵がか?」

 マキューシオはふう、とため息を吐いた。腰についた剣の柄を突っつきながら、マキューシオはティボルトを見る。ティボルトはどうやら気づいていないようだった。

「思い出したぞ。ジュリエットといえば、あれだろう? お前の、少し熟しすぎた恋人の名だ」

 カキィン。金属と金属が衝突する音だった。マキューシオは防ぎながら感心していた。ティボルトが剣を抜くところは視認できなかった。あらかじめ剣に手を回していなかったら対応できていなかっただろう。

「お前は本当に、人殺しから脱せないんだな。反応がまるで機械だ」

「……もしかして違ったか? お前の熟しきった恋人の名は……」

 ティボルトが力ずくで払おうとしたので、マキューシオは間合いを取った。しかしそれも想定内らしく、すぐに間合いを詰めてくる。剣で防いだ。お互いに防いでいるのか攻撃しているのかわからなくなったころ、マキューシオは剣を捨てた。ティボルトが驚きつつも切りつけるのを避けつつ、腹に蹴りを決め込んだ。ティボルトは膝をついた。それを見てから、マキューシオは全力疾走する。ティボルトがなにかを叫んでいたが、その怒号はマキューシオの中でなかったことにされた。

「まったく……散々なめにあった」

 左手に走った赤の線を見つめ、マキューシオは呟いた。剣を投げ捨てたときにティボルトに斬られた傷だった。もう少し深かったら指がすべて散らばっていたかもしれない。その光景も面白そうだが、笑えない。

 終わりのない争いに飽き飽きしていたからといって、剣を捨てることはなかった。先程鍛冶屋で買ったとはいえ、あの剣に思い入れが欠片もないというわけでもなかったような気もしないでもない。

 それに、そんな無茶なことをすればやつらがどれほど怒り狂うか。

 そういえば自分は、モンタギュー家に向かっ

ていたんだっけ。マキューシオは憂鬱になった。

「一日に二度も死にかけたくはないもんだ」

 戦闘要員マキューシオさん。


 ちなみにティボルトさんは本家ではキャピュレット夫人の甥らしいですよ。

 ちなみにティボルトとマキューシオが戦うシーンは本家でもあるのですが、マキューシオは軽く捻られて呆気なく殺されています。そしてティボルトもロミオに殺されます。


 うちは平和ですな。

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