お料理特訓
ジュリエットはエプロンを着用し、包丁を片手にスタンバイしていた。
「マキューシオ様はお料理ができますの?」
「ふむ。俺はすごいぞ。料理だけは大変よくできると評判だ」
そう頷いたマキューシオもエプロンを着ている。たぶんそれは誉められてるのではなく貶されているんだ、とは言わずに、ご指導お願いしますわ、とジュリエットは言った。
マキューシオはジュリエットの前で、簡単そうに料理をした。一通りやると、何も言わずにジュリエットを振り向く。これをやれ、と言うように。ジュリエットはぶんぶん首を振ったが、マキューシオが無表情のままなので諦めて手を動かし始めた。
それからしばらく後である。
「どうしてこうなるのか、理解ができない。まったく、世界には不思議が溢れているな」
ジュリエットが出来上がったものを見せたとき、マキューシオはこう言った。ジュリエットは気まずくなってうつむいた。
「理解ができないといえば、なぜ君はロミオが好きなのだ」
いきなりのことで一瞬、言葉が出なかった。
「逆に聞きたいのですけど、今までその言葉を恋する乙女にかけて、有益な答えが返ってきたことがありまして?」
マキューシオはふむ、と頷く。
「ないな」
「答えるとするなら、ロミオ様がロミオ様だから、私は恋に落ちたのですわ」
マキューシオは、納得したのか興味を失ったのか、ジュリエットが作ったなにかを口に含み、これは酷いなと呟いた。
「ロザライン、どこに行くんだい?」
扉を開けようとしたときだった。ロザラインはゆっくり振り向いて微笑んだ。
「ごめんなさいおにぃさま。お夕飯までには戻ってきますわね」
「僕は、どこに行くのかと聞いてるんだよ」
穏やかな声だが、それが逆に、ロザラインには恐ろしかった。しかし笑顔を崩すことなくロザラインは首をかしげて見せた。
「必ず、戻ってきますから」
ロミオはため息を吐いた。
「どうしてキャピュレット家なんかに行くんだ。なにが不満だって言うんだ。僕はね、ロザライン、君が心配なんだよ」
言葉とは裏腹に、鋭い瞳。それが突き刺さるようで、ロザラインは恐怖より寂しさを感じた。
やっぱり、違うの? この人は──
「お兄様、あたしは、この家の人間じゃないのよ」
そう言って、ロザラインは素早く扉をすり抜ける。外に出ると、ロザラインは後悔で頭を抱えた。あんなこと、言うべきじゃなかった。そのときのロミオの表情を思い出して、ロザラインは深く深くため息を吐いた。
「どうしてこうなるのか、理解ができない。まったく、世界には不思議が溢れているな」
マキューシオが言う。どこかで聞いたことがある台詞だ、とジュリエットはぼんやり思った。
ジュリエットに作られた料理も酷いことになっているが、ジュリエットの指も酷いことになっていた。さっきから包丁で切ったり、鍋で火傷したり散々だ。
「ジュリエット、どうしてそこまで料理ができるようになりたいんだ? 君なら、作ってくれるひとが近くにいるだろう」
「決まってますわ。ロミオ様の近くにいたいですもの。それに、ロミオ様が食べる料理はいつも、私が作ったものであってほしい」
マキューシオは無表情で首をかしげた。それから頷き、頑張りたまえ、と言った。
「他人事ですのね」
「他人事だからな」
ジュリエットがほんの少しふてくされたような顔をすると、マキューシオはジュリエットの背後に回り、包み込むように手を握った。
「では、諦めて俺にするか、お嬢さん」
いきなりのマキューシオの言葉に、ジュリエットの頭は真っ白になる。ようやく脳内で処理され、ジュリエットの顔は赤くなった。
「なんですの! 離して!」
ジュリエットは振り払おうとするが、マキューシオの力が存外強く、びくともしない。
尚も抵抗していると、マキューシオは不意に、にゃんこの手、と呟いた。
「え?」
「にゃんこの手はこうだ」
押さえているほうの手を直される。それから包丁を持っている手を強く握って、トントンと食材を刻んでいく。しばらく見ていると、食材がすべて綺麗な形に切られた。
「……それで、どうだろう。俺にしないか」
随分平静に戻っていたジュリエットは、不敵な笑みを浮かべることさえできるようになっていた。
「あら、マキューシオ様……その言葉、恋する乙女にかけて、有益な答えが返ってきたことがありまして?」
見上げると、マキューシオと目が合った。マキューシオは一瞬ジュリエットの瞳を見つめ、すぐに食材に目を戻す。
「まったく、恋する乙女にかけても有益な答えが返ってこない問い、という書物を作るべきだな。そうすれば俺も、もう少し器用に立ち回れるのかもしれん」
嘆くように、楽しむようにマキューシオは呟いた。
「もう帰るのかい、ロザライン」
もう四十くらいだろうか、老夫婦はひどく寂しげに言った。
ロザラインは笑顔を見せて肩をすくめた。
「また来るわ」
本当に? と訊かれた。本当に、と答える。
「ジュリエットも帰ってこないし、寂しいんだよ、わたしたちは」
そのジュリエットはモンタギュー家の屋敷にいるのだけど。
「絶対また来るわ」
「いつか」
老夫婦が目を伏せる。その憂いをたたえた表情は、二人、とてもよく似ていた。
「いつか、わたしたちの娘になってくれるかい?」
ロザラインは満面に笑みを浮かべた。
「ええ、もちろん!」
ロミオはため息を吐いた。どうにも巧くいかないものだ、と。頭を抱えると、同時に頭痛がしてきたような気もする。
なぜ、よりによってキャピュレット家なのか。あの、憎たらしく血にまみれた奴ら。僕の、大切なものを根こそぎ奪って行く汚れた家。
ロザラインはまだ帰ってこない。
「……ロミオ様……?」
控えめな声に顔を上げると、すぐ近くにあった瞳に視線が衝突した。
「うわっ、近っ、キモチワルっ」
ジュリエットは顔を赤くした。もう、ロミオ様ったらお上手、と呟いた。意味がわからない。
「なんだよ」
「あ、あの…」
ジュリエットははい! となにかを差し出した。それは、皿にのったパイのようだった。
「これはもしかして、君が……?」
「ええ」
嫌だ。絶対に食べたくない。
「ちょ、ちょっとだけだから。ちょっとだけ食べてください」
「嫌だよなんでだよ。なんでパイなんだよ。急に難易度高すぎるだろ。ナメてるのか。それとも自意識過剰なのか。無理だってわかれよ」
「う……これは、ただマキューシオ様が『食べたいものしか教えん』とか言ったからであって、私が作りたかったわけじゃ……」
ふと視線を落とすと、ジュリエットの傷だらけの指が見えた。包帯と絆創膏をベタベタ貼った手。それを見た瞬間、ロミオは痛みにも似た苦々しさを感じた。
「馬鹿だな……」
「え?」
「食べるよ。食べればいいんだろ」
ジュリエットがなにかを言う前に、ロミオはパイを掴んで口に放り込んだ。ゆっくり咀嚼していると、ジュリエットが不安そうに見つめていた。パイを飲み込み、ロミオは口を開いた。
「……美味い」
「……え?」
「美味い」
「本当に?」
「見た目は悪いけど、味は悪くない。結構頑張ったんじゃ……」
言いかけて、ロミオは止まった。ジュリエットの顔が、みるみる歪んでいくからだ。満面の笑みになったと思ったら、そのままの表情で涙を落とす。笑って泣いている。苦しそうにしゃくりあげているのを見て、ロミオは慌てた。
「一体なんなんだ!」
それに答えずにジュリエットはただしゃくりあげている。たぶん、なにも喋れないのだろう。ロミオは呆れて呟いた。
「この、泣き虫め……」
ロザラインは笑顔で呟いた。
「この橙色の山はなんなのかしら」
大皿にはなにかがこんもりと盛ってある。その周りには、満面の笑みのジュリエットと、勘弁してくれという顔をしたロミオと、腕を組んで関係なさそうな顔のマキューシオが座っている。
「私が作ったのですわ! ロミオ様も感激の味ですの」
「うっわ、調子に乗ってるよ。僕がいつ感激したんだよ。君の記憶捏造技術には吃驚だね」
「ふむ、思いは届くものだな」
「マキューシオは死ね」
なんだかわからないが、みんな仲良くなったらしい。
「いいなぁ、あたしも仲間にいれてほしかったよぉ……」
「あら、ロザライン……私もロザラインといっしょにお料理特訓したかったですわ」
「やめておけ、ロザライン。彼女の料理は心臓に悪い」
マキューシオの言葉に、ロザラインは笑って、それから首をかしげた。
「もしかして、貴方が教えたの?」
「他に誰がいる」
確かに、確かにそうだけど。
「ロザライン座って。この、大量のパイを消費しなくちゃならないんだ」
ロミオは憂鬱そうな顔をした。まあいいや、とロザラインは座ることにした。どうやらお兄様の機嫌も治ったようだし。
パイを口に入れると、予想よりずっと美味しくて驚いた。それからジュリエットの指を見つめ、この人なら、と心の中で呟いた。
この人なら、変えてくれるかもしれない、と。
ジュリエットちゃんがんば。
ロミオ様が出せて満足。
でも最近マキューシオさんも好きかも。
でも、実はロザラインちゃん超好きw