運命?
ジュリエットは歌う。愛する人に、この激しい想いを。
「ああロミオ様。あなたはなぜ、ロミオ様なのです?」
それを聞いたその人は答えた。
「え? 知らないけど。親に聞いてよね。というか会ったばっかの人に聞くことそれ」
ジュリエットは赤くなった頬に手をあてて呟いた。さすがはロミオ様。言うことが他とは違いますわ。ロマンチックの欠片もありませんこと。ああなんて素敵なんでしょう。
「そのポーズ気持ち悪いよー。いつまで上からこの僕に話しかけてくれてるんだよ。そろそろ無視するぞ」
二人が出会ったのは、確かに舞踏会であった。しかしそれは、今に伝わる二人の物語とは、少々異なるオープニングであった。
「おい、あれが噂のジュリエット様じゃないか?」
一人の乙女が闊歩するのを、男たちは見つめていた。陶器のような白い肌に、はっきりした大きな蒼い瞳。ブロンドの髪は歩くたびにまるで天使のようにふわりと揺れる。そこから見える耳がなんともいえず色気がある。
「想像よりずっと美しい!」
「本当だ。一言二言でいいからお話ししてみたいな」
ジュリエットはそれを聞いてため息を吐いた。
また言ってるわ、あの人たち。確かこの前も……違うわ。あれは違う人だった。
ジュリエットにとっては、どれも同じように見えた。どんなに容姿がよくても、中身が同じなら見分けがつかない。本当に、面白くない人たち。
「少し夜風にあたってきますわね」
母にそう断ると、ジュリエットは一人庭に出た。葡萄の匂いが立ち込めて、闇が一段と深くなっているように思える。
「もう、こんなとこ、出ていってやろうかしら。誰も本当の私を見てはくれない……」
そう小さく呟いたその時だった。
「じゃあ君は、“本当の私”を見てもらうために努力したのかい? というか、“本当の私”ってなんだよ。どうせ、自分でもわかってないんだろ」
嘲笑うような声。ジュリエットは辺りを見渡し、それからゆっくり塀に近づいた。
「一体誰ですの!」
その瞬間、体に衝撃が走った。気づけば地面に伏し、意識が遠退きかけていた。
「あれー、なにかなー、なんか塀を飛び越えるついでに蹴り飛ばしちゃったかなー、いや気のせいだなー。さて、大丈夫かいお嬢さん」
嗚呼お父様お母様、先立つ不幸をお許しください。
「しっかりしなお嬢さん。人間これくらいじゃあ死なないよ」
抱き上げられ、薄く目を開けると、そこには思ったよりもずっと華奢な青年がいた。しかし自分を抱き止める腕は力強く、ジュリエットはうっかり赤面してしまった。青年は、柔らかそうな栗色の髪を揺らしながら首をかしげた。深い色の瞳に見つめられると、畏れさえ生まれた。
「君……どこかで見たことあるね」
青年は少し考えて、不意にジュリエットを転がした。
「こんなことしてる場合じゃなかった!」
こんなこと、で片付けられた。すべてこの男のせいなのに。しかし青年はもうジュリエットの存在を忘れたようで、舞踏会を眺めている。
こんなこと、生まれてから今までにあっただろうか。いや、ない。自慢じゃないが、ジュリエットは男がこんなに近くにいるのに放っておかれたことなど一度もなかった。
青年は急に扉を開け、叫んだ。
「ロザライーン!! 愛してるー!!」
マジカコイツ。
いけない。あまりの衝撃にジュリエットのキャラが崩壊するところだった。
青年はなおも叫ぶ。
「ロザライン! 戻っておいで! 僕が悪かった。君がショートケーキの苺をなによりも大切にしているのは知ってる。でも僕ってけっこうベタなやり取りが好きなんだよ。しょうがないだろう?」
ねぇ帰ってきてよぅ、と泣き言を言う。呆気にとられていた周りの人々が何やら小声で言い合い始めた。
「あいつ……モンタギュー家のロミオじゃないか?」
「そうだ。そうにちがいない」
一人の男が叫んだ。
「お前、ロミオだな? モンタギュー家のロミオだな?」
青年は微笑んだ。
「そうだよ。ところで君は、誰だったっけな?」
あちこちで食器の割れる音。モンタギューめ! 死ね! という声。向かってくる男たちを軽くかわしながら、青年──もといロミオはまた声を張り上げた。
「ロザライン……戻っておいでよぅ」
なんて、女々しい男。自己中心的で、自分勝手で、マイペースで、奇人変人。
ジュリエットは呆然と立ち上がり、ロミオの腕を掴んだ。不審そうな顔をしたロミオに、ジュリエットは告げた。
「ロミオ様、貴方のようなお方は初めてでございますわ。私、人目で貴方様に運命を感じました。どうか、どうか生きて……」
そして、思いきり引っ張った。
「おいおいなんだよお嬢さん」
走って庭に出る。迷路のようにいりくんだ花の路を迷うことなく進む。ロミオは当惑しながらもついてきていた。
「ここまで来れば大丈夫ですわ」
「……うん。なんにも大丈夫じゃないけどね」
ロミオは深くため息を吐き、どうやって戻ったらいいんだと呟いた。
「あそこに戻ったら殺されてしまいます」
「でも僕、ロザラインを迎えに来たんだし」
「そのロザラインとかいう人はお止めなさい。それより私のほうが、きっと貴方様をお幸せにしてさしあげますわ」
「うっわ気持ちワル……」
ロミオはげんなりした顔をしてみせた。それから手をひらひらと振ってしっしっ、と言った。こんな扱い初めてだ。ひどすぎる。まるで犬を見るような目。この美しさの前に、全ての男は壊れた玩具のように愛を囁くのだと思っていた。それは自信でも過信でもなく、当たり前の事実だったのだ、つい先程までは。
「ロミオ様は、私のことを知ってますの?」
「知らないね、見たことあるような気がするけど」
「知らないで、この扱いですの?」
「どの扱いさ」
なんでもございませんわ、とジュリエットは首を振る。どうやら平常運転らしい。
「とにかく、今日のところはお帰りになって」
えー、やだー、と駄々をこねるロミオに、ジュリエットは困り顔をした。お願いだから、とまるで子どもをあやすように言うと、ロミオは自分の頭をなでつけてため息を吐いた。
「わかったよ。帰ればいいんでしょ」
よかった。納得してくれた。
でも、こっちはどうしよう?
「私、帰ったらどれほど叱られるでしょう……」
それを見ていたロミオが、顔をしかめてジュリエットの腕を掴んだ。
「え?」
「君、家事はできるんだろうね」
家事? なんのこと?
「だから料理とか洗濯とか掃除とか、できるんだろうね、って言ってるんだよ」
それは……できると言ったほうがいいのだろうか。
「あ……はい」
「それならいいんだよ」
なにがかしら。
「じゃあ来てもいいよ。僕の城に」
「ぼ、僕の城ってまさか……」
「うん。モンタギュー家の城さ」
ジュリエットは軽い目眩を覚えた。