ノア
アポロンJはクラウン・サイドに頼まれた依頼のために、エーリカと街中を歩いていた。
目指すのは奴隷王ノアの館。
「……」
「……」
無言。二人はお互いに喋ろうなどとは思っていなかった。
アポロンJはこれからこの女をノアに引き渡す。仲良くなれば情が生まれる。
つまり会話などは全く必要のないものだった。
一方エーリカは逃走を計画している。会話で己の情報を晒すのは愚の骨頂。
こういう訳で、お互いが無言を貫いていた。
そんな時、街を歩く二人に声が掛けられた。
「待てよ」
二人は声の方に顔を向ける。
そこにいたのは、屈強な男達。
――数は六人。こいつら恐らく賞金稼ぎだな。だとしたら狙いは……
アポロンJは隣のエーリカを一瞥する。
「何か用か?」
あくまでアポロンJはなに食わぬ顔で男達に問う。
アポロンJにとってこの状況はよろしくない。この男達と闘うということは、注意がエーリカから多少逸れる事となるからだ。
そうなるとこの女がクラウン・サイドすら手を焼くレベルだとすれば、自分がやられるか、逃走されてミッション・インポッシブルになるかのいずれかだ。
最も今彼女は魔導具をつけていないので、そこまで危険はないとアポロンJは踏んでいるのだが。
まあ、とは言っても最善は闘いを避けること。
「そこの女、金髪のロングに蒼い瞳。エーリカ・ライズ・フェルナンデスだな?」
「ちが……」
「そうよ」
男の問いにアポロンJは否定で答えようとしたのだが、それをエーリカが遮り肯定してしまった。
「ノアからその女を連れてこいと頼まれている。渡せ」
男は威圧的に言う。
――どうする……。ここは渡すべきか。そもそもノアはクラウン・サイド以外にもこの女の取戻しを依頼してたのかよ
アポロンJは状況の悪さに思わず項垂れる。
そして、青年の下した判断は
「断る」
拒絶だった。
――計画通りね
アポロンJとは違い、エーリカは思った通りの状況に持ち込めたことで、密かに笑みを浮かべる。
――この混乱に乗じて、全員まとめて始末する
そして覚悟を決める。
「ならば力ずくで奪うまで。行くぞ」
六人の賞金稼ぎはアポロンJへと向かって走り出す。
それを見たエーリカは魔導の発動の準備を密かに完了、そしてアポロンJは男達に対応するため腰を低く構える。
男達とアポロンJとの距離が僅かになったその瞬間、エーリカの声が響き渡った。
「クローズ・ジ・アイス(氷の結界)」
その声を合図に六人の賞金稼ぎ、そしてアポロンJは巨大な氷塊に包み込まれ、その動きを止める。
――案外簡単で拍子抜けね
もう少し予想外の出来事でも起きて、失敗するのではないかと心配していた彼女であったが、いい意味で誤算だった。
――さ、こんな街中でそれなりの魔導を使ったからちょっと目立ったわ。早く行かなくちゃ
エーリカは『keeps 』の介入を恐れて、その場を素早く立ち去った。
そして数時間後、街を出たエーリカは森の中を歩いていた。
アーバンスという街はその街を出た瞬間から深い森に足を踏み入れなければならない。
なぜならば街が森に囲まれているからだ。
エーリカが森を迷うことなく歩いていたそんな時、彼女は背後に微かな気配を感じた。
「誰?出てきなさい」
後ろを向くことなく声をかける。
しかししばらくしても気配の主は現れることがない。
仕方がないのでエーリカは気配の感じる場所に魔導を放ってみることにする。
「ブレイクアイス」
その言葉を合図にエーリカの周囲に氷の礫が開放される。
そしてそれは気配へと向かって飛んでいく。
そして氷は気配へと接触する。
物凄い音と共に木などが粉砕される。
「危ないわね」
「貴様は……」
エーリカの後をつけていたと思われる人物が姿を現す。
その人物は…
「クラウン・サイド。私をまた捕らえに来たのか?」
クラウン・サイドだった。
それを見たエーリカはすぐに戦闘体制に入る。
「やめなさい。やりあうつもりはない」
しかしそれをクラウン・サイドはすぐさま止める。
依然としてエーリカは警戒を解くことはない。
「じゃあ何で私をつけてきた?」
「それを言うつもりはない。敢えて言うなら観測のためね」
「観測?」
クラウン・サイドの観測という目的、全くの予想違いにエーリカは思わず聞き返す。
その問いにクラウン・サイドは軽い笑みを浮かべる。
その笑みは、愚者を哀れむ時にするクラウン・サイドの癖の笑みだった。
「まあ分からなくても良いわ。とにかく、貴方にはなるべく逃げてもらいたいの。これを持っていきなさい」
そう言うと、クラウン・サイドは小指に着けていた指環を取り、エーリカに投げる。
それを片手でキャッチしたエーリカはその指環に細工がないか確かめる。
「これは?」
「魔導具よ。とっておきのね」
クラウン・サイドは再びあの笑みを浮かべる。
「それは本当に大切な時だけ使いなさい。キーワードは……」
クラウン・サイドはキーワードを口にするが、それを聞いたエーリカは目を丸くする。
魔導具に用いられるキーワードはおおよそ保存されているものに関連する。
なぜならそのほうがイメージしやすいからだ。
しかしそのキーワードはエーリカにとって何の関連があるのか分からなかった。
「もう私は行くわ。せいぜい長く逃げなさい」
クラウン・サイドはそう言うと一瞬でその場から消えた。
――何を考えている?クラウン・サイド
クラウン・サイドへの疑念は消えないものの、エーリカはその魔導具を己の小指に着けておいた。
そして時は遡る
エーリカに氷漬けにされていたはずのアポロンJは街中をなに食わぬ顔で歩いていた。
――あの女、魔導具は持ってなかったはずだ。どうやって魔導を発動させた?
アポロンJはそれが気ががりだった。
油断していた訳ではないが、魔導を使うと分かっていればあの魔導は当たらなかっただろう。
「いるんだろ?クラウン・サイド」
アポロンJは歩きながら呟く。
「流石ね。気付いていたの?」
「いや」
「あら、やられたわね。」
「で、何の用だ?」
アポロンJはクラウン・サイドに問う。
クラウン・サイドは暫く沈黙し、そして答える。
「依頼を変更よ。エーリカは殺して」
衝撃的なことを言うクラウン・サイド。思わずアポロンJも言葉を失う。
そしてしばらく考え、出した結論は…
「断る」
アポロンJは拒否した。
しかしその結論をクラウン・サイドは怒ることなくむしろ嬉しそうに見え、アポロンJは気味悪さを感じる。
実際アポロンJの推測は正解だ。クラウン・サイドは確かに喜んでいた。
――やはり貴方“も”そうなのね、アポロンJ
クラウン・サイドはアポロンJとの確かな共通点を確認し、密かに喜んでいたのだ。
「やっぱり依頼はそのままでいいわ。彼女は街を出て、隣街のカトラスに向かっている。今なら急げば先回り出来るわ」
そう言うとクラウン・サイドは一瞬でその場から立ち去った。
――そして時は戻る。
エーリカは依然カトラスへ行くために森を歩いていた。
その途中にクラウン・サイドと遭遇するなどと、ハプニングはあったが、それ以降は順調に進んでいた。
そしてそろそろ森を抜けようという時だった。
エーリカの進行方向の数メートル先の木の陰から男が現れる。
「待てよ」
その男を見てエーリカは少なからず動揺する。
「なぜ、ここにいる?」
なぜならその男はエーリカの知る人物。
彼女は身体中から汗が吹き出るのを感じる。
「なぜここにいるんだ?奴隷王ノア!」
キラキラと宝石が散りばめられた服を身に纏い、美しい金髪をショートにしている男。
そこにいたのは自称奴隷の頂点、ノアだった。




