これは狂気の物語
私は死なない。
私は死なないの。
もうひとつの空。
まだ見ぬ、空。
私は手に入れた、空を見る資格を。
空に憧れる資格を。
空は私が頂く。
だからすべての地に生きるものは、消さなければならない。
悲しきことね。
女は呟く。
真っ赤な服を身に纏って。
周りには数えきれないほどの肉塊。
かつて人の形をしていた肉塊。
女の目尻から雫がこぼれ落ちる。
それは血の涙。
すべての返り血を受け、赤に染まった彼女。
これは正義の物語ではない。
とんでもなく血生臭い、狂気の物語。
★
とあるレストラン、そこに黒い男と水色の女が話をしていた。アポロンJとレイナ・アヴィである。
「で、お前の情報とやらを教えろ」
交渉は成立したため、アポロンJはレイナから情報を聞き出す。
「アナザースカイはこの街にある」
「それは知ってる」
「いえ、貴方は分かっていない」
レイナはそう言うと不適な笑みを浮かべる。この笑みは彼女が相手、要するにこの場合はアポロンJのことだが、他人の無知さを哀れむ時にするものだとアポロンJは分析する。
「もうすぐ、いえ、もう来ているかもしれない。アナザースカイの所有者が」
「どう言うことだ」
「奴も貴方と同じ。空に憧れる一人ということよ」
―なるほど。その所有者もアナザースカイを求めてこの街に来ようってわけか…
―この街にアナザースカイがあるっていう情報を誰かが流しやがったな。
アポロンJは笑う。笑みを抑えきれず、それは滑稽に。
「いいだろう。王冠殺しの前に排除してやる」
そう言うアポロンJの目は、アシッド・ボーイと同じ狩人の目。
これは常人には不可能の異端の証。
咎人の証。
そんな時、突如レイナの携帯からであろう着信音が鳴り響く。
レイナは立ち上がりレストランの隅に行くと、何やら会話をして再びテーブルにつく。
「アポロン、喜んで良いわよ。来たわ」
「アナザースカイの所有者か?」
「ええ。アシッド・ボーイの部下が12人、肉塊で発見されたそうよ。あれは普通の魔導具じゃ無理ね」
「全く、穏やかじゃないねぇ」
そう言いつつもアポロンJは嬉しそうである。
―ついにアナザースカイが拝めるかねぇ
アポロンはそのことを考えると笑みを止めることができない。
所有者には悪いが、消えてもらうしかない。アポロンJは自分の目的の為なら容赦はない。
この世界では迷いのある者から死ぬ。
「詳しい居場所は分からねえか?」
「しばらくは無理ね。だけどこの街にいる限りは私のテリトリーよ」
「そいつは頼もしい」
アポロンJは懐からタバコを取り出す。
「喫煙者だったの?」
「違うさ。まあおまじないみたいなもんだな、気にしないでくれ」
そう言ってライターでタバコに火をつけるアポロンJ。
それを見てレイナは露骨に嫌そうな顔をしている。
そのレイナの顔を見たアポロンJは
―レイナはタバコ駄目な奴だったか…
と、少々後悔したが
「ここ、禁煙席」
そう言う訳ではなかったようだ。
ちなみにこの後、レストランから厳しくお叱りを受けたのだった。
結局、レストランから出ることになったのは数十分後だった。
「ついてない」
思わずアポロンJは愚痴をこぼす。
「ま、貴方のせいだけども」
「すいません」
愚痴が結果的にレイナに毒を吐かれることとなったが、自分の否を認識しているアポロンJは素直に謝る。
「アナザースカイの次の情報が入ったら連絡するわ」
そう言うと彼女は携帯を取り出す。
それを見てアポロンJも携帯を取り出す。
そしてお互いの携帯をぶつけ合う。
これにより連絡先交換が完了する。
これは一昔前から万人に採用されている方法で、便利である為に現在も使われている。
お互いの連絡先交換が終わった所で、レイナは情報収集すると言って、何処かへ行ってしまった。
さて、これからどうするか…
黒い青年は思案する。一番は、アナザースカイの所有者を消すということだが、場所が分からないので無理だろう。
しばらく考えた結果、アポロンJはアシッド・ボーイに接触する事に決める。
アシッド・ボーイは今回、部下を殺られて怒っているに違いない。
そこでアナザースカイの所有者を消すに当たって、共闘の可能性もある。
何よりアポロンJは、自分の知らない所でアシッド・ボーイがアナザースカイの所有者と闘うことを恐れている。
アシッド・ボーイにアナザースカイの所有者になられては困るからだ。
ここはアシッド・ボーイに話をつけておくのが最善だろう。
次の行動を決定したアポロンJは、最もアシッド・ボーイとの遭遇率の高い『アダム&イブ』へと向かった。
――アポロンJが『アダム&イブ』に向かおうと決める数十分前の『アダム&イブ』にて……
酒場のドアがゆっくりと開かれ、そこに招かれざる客がやって来た。
それは女だった。
真っ白な髪のロングヘアーで真っ白なワンピースを身に纏った女。
「アシッド・ボーイという人を探しているの」
白の彼女は言う。
酒場の中にいた男共はどうしようか、といった表情でお互いを見渡す。
「ボスならいねーよ」
一人の男が代表として述べる。
「あらそう。残念ね」
不運、何処までもこの男達は不運だった。
本来、この男達はアシッド・ボーイを探る者が居れば、その場から締め出すか“お仕置き”するかしていた。
しかし彼らはアポロンJの時に失敗をしてしまっていた。
それはアポロンJがアシッド・ボーイの親友であったことだ。
アポロンJの一件がこの男達に、彼女もアシッド・ボーイの知り合いなのではないかという錯覚を発生させてしまう。
もし、アポロンJがこの酒場に来ていなければ、この女も酒をかけられ追い出されていたに違いない。
もし、以前追い出したアポロンJがアシッド・ボーイの親友であったというヘマがなければ、この女にアシッド・ボーイの不在を教えなかったに違いない。
「じゃあ貴方達に用はないわ」
そう言うと、彼女は右手を空にかかげる。その手首にはブレスレットが嵌まっていた。
「発現」
彼女のその言葉と共に、『アダム&イブ』は血の戦場へと変わった。
圧倒的な力を前にして、人間は無力だ。しかしそれを前にしても、生にすがろうとする。それが人間だ。
そんな“人間”から見れば白い彼女、いや、返り血で赤く染まった彼女は悪にしか見えないだろう。
そう、彼女はとんでもなく悪なのだ。
しかしここでは悪は悪ではない。
何故ならばこれは正義の物語ではないからだ。
これはとんでもなく血生臭い、狂気の物語。




