第-5話:その帽子には願いを込めて
「アタシは何で女なんだろう」
厨房だった頃のオレは、ずっとその事ばかり考えていた。
女っていうのは、皆醜い。
綺麗なのは、皆外見だけだ。
何かの為なら、皆簡単に汚い事をする。
金の為、男の為、子供の為。
例えそれが正義だとしても、オレにはそれが醜く見えた。
その生まれつきの黒い髪は何だ? 染める為にあるのか?
その身に着けてる下着は何だ? 見せ付ける為にあるのか?
その女としての身体は何だ? 男に捧げる為にあるのか?
女は男に貢げば、生きていく事が出来る。
オレの母さんは言った。
「これは仕事なの。私の身体でお金が貰えるの。汚くても、これはちゃんとした仕事なの。恵も早く成長して、私と同じくらい稼げるようにならないとね」
風俗で働いていた母さんは、いつも帰りが遅かった。それくらい、その仕事は大変なんだと思っていた。嫌でも仕方なく、家族の為に働いているんだと思った。
でも母さんは毎日、働きに出るとき、まるで遠足に行く時のように笑っていた。
いつも胸元を開いているし、スカートは女子高生並みに短い。歳を誤魔化す為に、化粧品に何万も掛けていた。それだけ風俗に、力を入れていた。家族の為だと思ったら、そうじゃない。単に、自分の性欲に忠実なだけだったんだ。
オレの父さんは言った。
「あれは仕事じゃない。汚く、醜いやり方だ。あんな仕事、恵はやっちゃいけない。女を簡単に売るんじゃない。その身体は、とても逞しく美しいものなのだから。解ったね?」
建築家だった父さんの仕事は、とても力強く見えた。俺は父さんの言う通りだと思った。母さんの仕事は醜く見えた。
それからだ、オレが女を嫌になったのは。
学校でもいつも思っていた。
何でこいつは、スカートをこんなに短くしているのだろうと。下着が見えてもいいのだろうかと。階段を上がる時、いつもスカートの後ろを押さえているなら、長く履けばいいのにと。どうして校則通りの長さでスカートを履いているのに、変な目で見られなきゃいけないのだろうと。
オレは決めた。女を棄てる。女として生きて母さんみたいになるなら、いっその事、棄ててやる。父さんみたいな、逞しい男になってやる。
そんな時だった。夜遅くにトイレに行こうとしたら、居間の電気が点いてた。
少し開けて見てみると――。そこには、獣のように互いの身体を貪っている両親が居た。無我夢中で、オレが見ている事にもお構いなしに、嫌な音を立てていた。
何だよ――。
父さんは逞しい?
違う、男も醜い。女を貪りたいだけの、醜い獣なんだ。
オレの両親は醜い。
だから、オレも醜いのか?
そうなる運命なのか?
……認めない。オレは強い人間になる。汚い欲望なんかに負けない人間に。
――それが、中学生の頃の話。
高校生になったオレは、周りの不良女子生徒に喧嘩を仕掛けまくった。図書館にあった古い漫画を読んで、喧嘩出来る奴が強いんだと思ったからだ。
容姿も、中学の頃に比べれば劇的に変わった。長めのスカートにズボンを履いて、結んでいた長い黒髪はウェーブを掛けて、スケバンっぽい感じにした。その姿を見た母さんは泣いて、父さんは怒った。
でも、オレは言ってやった。
「あんたらのせいだ。あんたらが醜いから。オレは醜くならない。絶対に、そんなの認めない」
その日以降、オレはろくに親と話をした事がない。
気付けばオレの周りには、負かした不良女生徒が集まっていた。
「あんたに付いていく」
そう言われ続けて、数は気付くと五十四人になっていた。オレを含めて五十五人。
やがてオレ達は、誰が言い出したかは知らねえが〝鬼のような女達〟という意味合いで、〝女鬼〟と呼ばれるようになっていた。オレはリーダーで、メンバーからは〝姐さん〟と親しまれるようになっていた。
オレ達は知名度がそれなりに上がっていく内に、大高と張り合うようになっていった。理由は単純に「むかつくから」と、互いに感じていたから。
道でばったり会っては殴り合って、どっちかが倒れるまで続く。例えそれが深夜だとしても、近所迷惑なんか顧みず、ひたすら満足が行くまで殴り続けた。
勿論、それは学校側から厳重注意の嵐。停学になったりもしたが、そんなのはどうでも良かった。
〝オレは強い。汚い女なんかじゃない。〟
それを証明出来れば良かったから。
そんな頃……オレが高二だった、寒くなりつつある十月の終盤。
オレの人生を大きく変える、あいつと出会った。
オレ達はいつも、一つの空き家を根城にしている。
誰も住んでなくて、業者もほったらかしにしてたから、丁度良いと思える場所だ。一階建てだったが、全員が居座るには十分な広さだった。十分なテーブルや椅子がある。そんなところで、オレ達は気が済むまで騒いでた。
だが勘違いしないで欲しい事は、オレ達はそこら辺のチンピラとは違うって事だ。コンビニの駐車場に居座ったりしないし、無意味に人から物を盗ったりはしない。それこそ〝汚い人間〟だからだ。武力の使い方を間違える事だけは絶対にしない。オレ達は悪役じゃないんだから。
「なぁ、試しにこれやってみようぜ」
相変わらずの騒ぎの中、ある一人が言った。
そいつの手には、どこからか手に入れた煙草が一箱あった。オレはそれを奥のボロいソファーから聞き、見ていた。
「おい、それどこで手に入れたんだよ? 今じゃあ自販でも買えねぇじゃん」
「それがさぁ、道端に落ちてたんだよ。誰かが買って、落としたんだろうな」
「ぷっはっは。馬鹿じゃん、そいつ!」
「折角拾ったからさぁ、試しに吸ってみようぜ。大人の気分ってのを一足先に堪能って訳よ」
「へへ、そりゃ良いわ。どれ、早速─―」
「馬鹿野郎!」
五月蝿かった部屋の騒ぎが、オレの一声で静まり返る。
「そんなもんやるんじゃねえ!」
オレはそいつの煙草を分捕って、ゴミ箱へ投げる。思い通りの軌道を描き、着弾した。
「姐さん?」
「こんなのはな、弱い奴がやる事だ。法にも負けるような奴が、オレに付いてんじゃねえ!」
オレは声を荒げて言った。
未成年で煙草やら酒やらをやる奴は、根本的に弱いんだ。聞けば、親に飲まされるとかいう奴も居るじゃねえか。自分の住む国の規則も守れない奴が、オレの傍に居て欲しくはない。
「そんな弱い奴に、なって欲しくねえんだよ」
「姐さん……。アタシは、何て事を……」
「……もう、煙草なんかに手は出すんじゃねえぞ。二十歳になるまではな」
「ウッス!」
「おうおう、不良軍団とは思えない雰囲気になってんなぁ、おい」
『!?』
聞こえるはずのない、男の声が響いた。全員が一瞬で緊張を握る中で、声のした方向を見る。
そこには、茶髪でオールバックの山高男生徒が一人居た。第一印象としては、爽やかそうな男子だ。
「誰だてめぇ!」「何しに来たぁ!」「ぶっ殺されてぇのかぁ!?」
一斉に五十四人の罵声が響く。男子は驚いて、手を振って「落ち着けよ」と言った。
「別に喧嘩しに来たとか、そういうのじゃないから。話をしたいだけだよ」
「話ぃ? おめぇなんかと話す事なんてあるかよ!」
「そうだ! 帰れ!」
「それともぶっ殺されてぇのかぁ!?」
いけねえ、これじゃキリがない。とりあえずは相手の話を聞かない事には始まらない。
オレは手を挙げ、皆を制する。オレは前に出て、男子と向かい合う。
「何の用だ? オレはここのリーダーの、関野恵だ」
「そんなの知ってるよ。こっちじゃ超有名人だからな。教室でも職員室でも、お前の話題は絶えないぜ?」
「……お前は?」
「俺は生徒会副会長の、天川三紀だ」
「生徒会?」
とうとうあの生徒会も動いたか。噂は聞いてるけど、今年の生徒会はかなり過激らしいな。もしかしたら、オレ達にとんでもない制裁を下しに来たのかもしれない。
「生徒会が、何の用だ?」
「何の用だ、じゃねーよ。解ってるくせに」
副会長が呆れながら首を振った。
「もう、大高とやり合うのはやめてくれないかねぇ。迷惑してんだよ。ご近所も、職員も、生徒も、生徒会も。お前らのとばっちりで、山高生が絡まれてるんだぜ? 恐喝、集団リンチ、強姦未遂……。警察沙汰になる事も起きてる。これ以上暴れられたら困るんだよ」
「それは出来ねえな。オレはあいつらが気に入らねえんだ。ぶっ倒さないと、気が済まねえ」
「……それだけじゃねぇよ。お前、最近学校休み過ぎだからな。これ以上休んだら、単位足りねーぞ。留年しちまう。そんなの嫌だろ? 去年だって、結構ギリギリだったのに」
……何でそんな事知ってんだよ、気持ちわりいな。
「別に構わねえよ。そんな事は、大分前に解ってるからな」
オレの返答に、副会長は「はぁ」と軽くため息を吐く。
「どうして、そんなに大高に拘るんだよ。お前らはそれ以外には大した事してないのに。寧ろお前は不良を更正してるじゃねーか。良い事してるのに、勿体無い」
「喧嘩してねえと、強さを証明出来ねえからな」
「強さ?」
副会長は首を傾げる。
「オレは弱い人間じゃねえ。両親みたいな、醜い獣じゃねえ。それを証明したいだけだ」
「……んー、お前の家庭事情は知らないけど……。客観的な意見を言わせて貰うと――弱いじゃん」
「……は?」
副会長は両手を挙げて、呆れるような素振りで言う。
「喧嘩でしか強さを証明出来ないなんて、弱者の極みだろ」
「何だとてめぇ!」「姐さんは弱くなんかねぇ!」「もうぶっ殺す!」
オレは再び手を挙げ、皆を制する。
そんな説教臭い話は、もう親から頂いてる。だからこっちでも答えは出してる。
「お前の弱さの定義なんか知らねえよ。オレはオレの信じるやり方で強さを証明してるだけだ」
オレの持論を言うと副会長は「はっ」と笑った。
「馬鹿馬鹿しい」
「……んだと?」
「他人を傷付けて、見下して――優越感に浸る事が、強さかよ?」
「…………」
「それは強さの証明とは言わねーよ。己の醜さの証明だ」
「――ッ!」
気付いた時にはもう、身体は勝手に動いていた。
オレは副会長の顔を、思い切りぶん殴っていた。副会長は倒れ、頬を擦っている。
「イテテ……」
「お前に何が解るってんだよ! 男にオレの気持ちなんか解らねえよ! 所詮男なんか、女の身体目当ての醜い獣だ!」
「ひでぇ言われようだな、おい。とりあえず謝れ。俺以外の男全員に謝れ」
自分の事は否定しねえのか。
「俺は――昔の俺は、お前の言う通り、女を性対象としか思ってなかったな。最低の男だ、うん。でも、男全員がそうだとは限らないだろ?」
オレは「いいや!」と反論する。
「限るね!」
「……その心は?」
「俺の父さんは、母さんの身体を目当てに結婚した! 毎日のように、子供が見てる事も構わずに、ただひたすら生々しくヤってるだけだ! どうせ男なんか、正統な理由を掲げて女に近づいて、最終的には身体を貪る! クズだよ、男はただのクズだ!」
「これまた酷い言い方だ。男の面目丸潰れだぜ」
副会長は頬を擦りながらも立ち上がり、背を向ける。
「とりあえず、今日のところは帰るわ。あまりに痛くて、泣きそう」
今一瞬、涙っぽいのが見えた気がするけど。
「……二度と来んじゃねえ」
「嫌だね。また、来るよ。……あー、いてぇ……」
嵐のように来た服会長は右手を挙げながら、嵐のように去っていった。
「姐さん! 次来たら、あいつボコしましょう! ウザすぎですよ、あれ!」
「……そんなのは、強さじゃねえ」
「でも、姐さん」
オレは「まあ待て」と、オレの考えを言う。
「あいつはオレが相手する。明日も来るなら……」
一対一の方が、いいからな。
「オーッス」
昨日と同じ時間に、仕事熱心な副会長は再びやって来た。
「おっと、これは……」
オレしかいない空き家に。
「待ってたぜ、副会長」
オレは立ち上がり、副会長を歓迎する。
「俺と一対一で話す気になったか? いやー、良かった! 野次馬は居ない方がいいからな、これで気楽に話が出来る」
「そうだな。それじゃ……」
オレは構え、副会長を見据える。
とうの副会長は、「ちょっと待て!」と首を振った。
「俺はそんなの専門じゃないぜ! 喧嘩なんかお断りだ!」
「オレと話すって事は、こうなるのさ!」
「な、何だそりゃあ!」
驚いてる副会長に、オレは軽いジャブを三発、腹に喰らわす。
「ぐふっ!」
唾を吐き出した副会長を、オレはアッパーカット、肘打ち、最後に回し蹴りで吹っ飛ばす。副会長はドアと激突し、また唾を吐いた。
「あぁー……。イテぇ……。ってか何、今の動き? ジョーさんも吃驚だぜ……」
「どうした? そんなんじゃ、オレは何も話さねえぞ」
「悪いけど、俺は殴りたい奴以外は殴らない主義なんだ。お前は、殴る対象じゃねーよ」
「……こんなに殴られても、平気なのかよ?」
起き上がりながら、副会長は言う。
「平気な訳ないさ……。けど、話はしたいんでね。まだ、倒れる訳にはいかねーのよ」
「ふざけやがって!」
オレは立ち上がった副会長の顔を殴り、再び倒す。オレは倒れた副会長に圧し掛かり、ひたすら顔を殴る。
「男なんか、醜いもんさ! そんな理由を付けるから、こうやって無力に殴られるしかない! 下らねえプライドばかり持って、本当の真意を持っちゃいない! どうだよ、オレは強いだろ!? 痛ぇだろ!?」
「強くねーよ」
「!」
オレは上げた右手を止める。
唇から血を流している副会長は、オレを見て首を振る。
「周りから見れば、お前の方が醜いはずだ」
「……戯言をお!」
オレは殴り作業を再開する。殴る度に、顔は赤くなり、血が出て、それがオレの顔へ飛び移る。
「ふっ! ふんッ!」
副会長は、ただ黙って殴られ続ける。
「どうだ、解ったか! オレは醜くなんかない! 強いんだ! お前なんかより、男なんかより、強いんだよお!」
あまりに興奮しすぎて、息が切れた。
「ハァ……ハァ……」
流石にここまで殴れば、この達者な口も黙るだろ。結局、男なんてのは弱いんだ。こいつもその例外じゃなかった。
もういい、さっさとこいつを外に放り出そう。
そう思い、立ち上がろうとした瞬間――。
「足りねーよ」
「……は?」
副会長は酷い顔で、妙な事を言った。
「もっと殴れよ」
そう言って、オレの右手を手に取り、自分の頬にぶつける。
「これっぽっちじゃ、お前の苦しみが解らない」
「な、何……言ってんだよ……?」
「どうにも、俺の強さの意味合いはお前と違うらしい。だから、お前のそれに近くしようと思ってな。だから――今日は殴られに来た」
「!」
こいつ……初めからこのつもりで……?
「さぁ、殴れよ!」
「ッ!」
「思う存分、気が済むまで殴ってみろよ! そんで俺の中の強さの定義を塗り替えてみせろよ! 教えてくれよ、お前の強さって奴をさぁ! 俺の弱さって奴をさぁ!」
「うっ……」
ここまで挑発されてるのに、何故か殴る気になれない。もう、拳を振り上げる気力が無い。
「どうして、そんな……」
オレが声を枯らせて訊くと、副会長は笑って答えた。
「話がしたいんだ」
「うわー、こりゃひでぇや。俺のイケメンが崩壊してらぁ」
洗面所から、副会長の声がした。バシャバシャと、顔を水で洗う音も聞こえる。
オレは座布団を椅子に敷いて、座って待っていた。とりあえず、話くらいは聞いてやる。内容は解ってるが、さっきの根性だけは認める事にした。
「お、悪いね」
顔を洗い終えた副会長は、もう一方の椅子に座る。顔を洗ったと言っても、痣はあるわ、口は腫れてるわで、入って来た時の顔の面影は一切ない。
「副会長、名前は何だっけ?」
オレは副会長の名前を訊ねる。
「天川三紀。天川って呼んでくれ。尤も、名前で呼ぶ奴は今のところ居ないけどな」
「天川。話って何だよ」
天川は「うむ」と頷いて、神妙な表情(と言っても、その顔では台無しだけど)で言う。
「お前さ、生徒会執行部の役員にならないか?」
「……はあ?」
どういう事だ? 天川は、オレに喧嘩をやめて欲しいんじゃないのか? 生徒会として、注意しに来たんじゃないのか?
それに、生徒会執行部なんて変な部あったか? 名前からして生徒会と被ってるし、どう考えても生徒会から鬱陶しく思われそうな部だけど。
「いやな、執行部を発足させるには、最低でも五人の役員が必要なんだよ。俺は会長で決まってるから、お前には副会長になって欲しいんだ」
急な話の展開に、オレは待ったを掛ける。
「ちょ、待てよ。オレへの話って、それだけか?」
「ん? あぁ、これだけ」
「生徒会としての仕事はいいのかよ」
「あー……それな……」
天川は頭を掻き、ばつが悪そうに言う。
「諦めた」
「諦めた!? どういう事だよ!」
「お前の言う通りだったよ。強さの定義、弱さの定義は人それぞれだ。お前は必死に、自分なりに強さを証明しようとしてる。さっき殴られて、どれだけ真剣なのかは解ったよ。それに水を差す事は、生徒会としても、俺としても出来ないかなって」
「そんなんで仕事放棄したら……。生徒会クビになるんじゃねえの?」
「いや。俺はもう辞めるつもりだから、それはそれでいい」
どういう事だよ……。生徒会執行部っていう新しい機関を作りたいのは解っけど、何でオレを役員にする必要がある? オレみたいな奴が役員の機関なんか、すぐに職員会議で取り上げられるぞ。PTAも黙ってないんじゃねえか?
「大丈夫だ。それは俺が何とかする」
「なっ!?」
こ、心を読まれた!? 読心術の使い手か、こいつ!
「いや。お前は考えてる事が顔に出やすいんだよ」
「そ、そうだったのか!」
知らなかったぜ……。気を付けねえと……。道理であいつらからやけに考えを言い当てられる訳だ。
「話を戻して……。どうして、オレを役員に?」
「そんなの簡単さ」
天川は一拍置いて、言う。
「お前が気に入ったからだよ」
「き、気に入った? こんなオレを?」
「うむ」
天川は頷いて続ける。
「やっぱそういう機関には、喧嘩紛いなものもあると思うんだよね。生徒会はそういうのは弾いてるけど、それを解決する機関も必要だと思うんだ。だから俺は、生徒会執行部を作ろうと思ったんだ」
「理由になってねえよ。オレがどうして必要なんだ?」
「言っただろ。お前が気に入ったんだよ」
「オレのどこを?」
「全部」
「はあぁ?」
全部って……。大雑把すぎて意味わかんねえよ……。
「お前、結構辛そうな過去持ってるよな」
唐突に、そんな事を言ってきた。
「んっ……」
世間から見て、これが辛いかどうかは解らないが、オレは両親のせいで生き方が歪んだ。もう、男を信じる事が出来なくなった。女として生きる事を拒絶するようになった。
なら、オレはどうすればいいのか。未だに答えが見つかってない気がする。今の喧嘩道は、ただの逃げ道なような気がして。
「じゃなきゃ、こんな逃避行みたいな事はしてないだろ。――その過去、話してみてくれないか?」
「…………」
「話すだけでも、少しは楽になると思うぞ。溜め込むのは却って良くないからな。――いや、無理ならいい。ただ、役員の苦痛を和らげるのは、会長としての務めかと思ってな」
「誰も、役員になるなんて言ってねえよ」
「おっと、そうだったな、悪い」
「でも……」
何でだろうな。
男は信じられない。そう思ってたのに。
「その度胸に免じて……話してやるよ」
ほんの少し。ほんの少しだけだけど。
こいつは、信じられる気がしてきた。
「……そうか。そんな事があったから、男をあんな風に思ってたんだな。それに女も。こりゃぁ、他人に解る訳ねーや」
オレの話を聞き終えた天川は、最初の感想を述べた。
話を聞いている天川は、真剣な表情で聞いてくれた。一度も嗤わず、オレの顔を見て、相槌をつきながら。
「気付けば、オレは不良軍団の頭だ。望んではいなかったけど、これでオレが強いって事が証明出来るなら、それで良いと思った。――でも、それは強さじゃない気がしてきた。そこまで殴られても動じない、お前の方がオレよりよっぽど強いぜ」
「そんな事はないさ。言ったろ、昔の俺は多分最低野郎だ。今は、それの罪滅ぼし……みたいな事をやってるだけだ」
罪滅ぼしか……。オレも、するべきなのかもしれない。
「お前の両親はさ、確かに良くないところを見せたかもしれないけど、それはそれ程愛し合ってるって事なんじゃないか? 愛し合う過程で、身体を求めるのは必然の事だろう。――まぁ勿論、節度は大切だと思うけどな」
愛し合ってる……。そんな事、考えてもみなかった。
オレの思い描いている愛し合いは、あんな裸でお互いの身体を貪り尽くす汚らしい行為じゃない。もっと……漫画みたいな、せいぜい甘いキスを良いシチュエーションでするくらい。服を脱ぐ必要なんか無く、心が通じ合ってるだけで満足出来るような青春風味。
けど、二人は大人だ。もう青春なんて歳じゃないもんな。そんなの既にやり尽くしてるのかも。なら、あれが本当の愛の形なのかもしれない。
「いやこう言うのもなんだけど、そうじゃなくて、身体目的の可能性だってあるけどさ。それに風俗は宜しくない仕事ではあるけど、それでも仕事は仕事。それで食って生きてる人も居るんだし、それを楽しむ人も居る。経済的にも成立してるし、あくまで娯楽の一つだ。否定したい気持ちは解るけど、それじゃあお前の為に必死に働いてるお母さんが報われないぜ。ま、その話だと性癖が関係してるかもしれないけど、性癖も人それぞれだし」
オレの培ってきた結論が、天川の推論でどんどん覆される。反論する余地は、まったく無い。
「でも、お前は悪くないと思うよ。中学生だったし、そう考えるのも間違いじゃないと思う。寧ろしっかりしてるじゃないか。中学生こそエロエロ言ってるもんだ。周りに流されない強さは誇って良いと思う。――ただ、両親は悪い意味でそんな事してたんじゃないと思う。大人の事情は解らないけど、少なくともそれは愛があってこそ成り立つ訳だし……って、他人の俺が言ってもな」
「いや……その通りだと思う」
「お?」
オレは俯き、首を振る。
「オレは、独り善がりに考えすぎた。両親の気持ちなんか、考えてもみなかった。――何より、そんな考えで……何の関係も無い人を殴り続けて、満足してた自分が一番許せねえ」
「じゃあ、もう殴るのは止めるか?」
「……ああ、やめる。もう殴らない」
それを聞いた天川は、笑って頷く。
「良かった。何とか結果に繋がって」
……こいつ、こうなる事まで想定してたのか? まあいいや。
「だから、ケジメをつけねえとな」
「ケジメ?」
この世界に入ったら、そう簡単には抜けられない。何かしらの〝ケジメ〟を示さないと、抜ける事は出来ない。フェードアウトは許されない。
何より、一切関係ない人達が、痛い目に遭ってる。それも片さないといけない。
「山高がオレのせいで被害を受けてるんだろ? それも解決しないといけねえからな。――とりあえず明日、山高の頭と張り合う」
「おい、早速前言撤回かよ?」
「喧嘩じゃねえよ」
オレは立ち上がって、座布団を持ち上げる。
「ケジメだ」
翌日。オレは大高の頭、高石翔を、廃工場に呼んだ。これで負けた方が、黙るって条件でだ。こうでも言わないと、奴らは来そうにない。
オレは必要な物を持ち、廃工場に入る。
そこにはただ一人、赤髪のオールバックの男、高石翔が腕を組んで待っていた。身長は百八十といったところ。半袖のワイシャツ姿という、今の季節じゃ凍えるような格好で居た。事故か何かで出来たのか、右頬には×型の傷跡がある。
「お前が、関野恵か。なるほど、鬼のような女と言われるのに相応しい容姿をしている」
高石翔の声は、思ったより低かった。それにドスの利いた声だ。如何にもって感じだな。
「お前こそ、いかにもって感じがするぜ。翔……ね」
「下の名前で呼ぶな」
声の温度が変わった。まるで沖縄から北海道に行き来するように。
「どうして?」
「親から貰った名前など、煩わしい」
「そう言うなよ、結構良い名前じゃねえか。遠慮なく、オレは翔って呼ばせて貰うぜ」
「……後悔させてやろう」
翔はやる気満々のように身構える。
しかしオレは手を出し、首を振る。
「今日オレは、喧嘩しに来たんじゃない」
「……何?」
「負けに来た。オレはもう、大高に手を出さない。だから、そっちも山高に手は出さないで欲しい」
オレの言葉を聞いた翔は、呆れたように首を振る。
「それが、女鬼の頭の結論か」
「ああ。オレはもう、人は殴らない」
「それを、俺達が聞くとでも?」
「思ってねえよ。だから、今ここでケジメをつける」
「……ケジメ?」
僅かに首を傾げた翔は、オレがポケットから取り出して物を見て目を見開く。
「そういう事か……」
スイッチを入れると、海岸に落ちてるバイブのように振動し出した。
……駄目だ。やっぱり、いざってなるとブルっちまう。
けど、これがオレの決めたケジメなんだ。
しっかり、落とし前はつけねえと。
じゃなきゃ、女鬼の名が泣くってもんだ。
最後の最後まで、きっちりした面構えをしよう。
そうでなきゃ、意味が無い。
――気付けば、彼女の髪はなくなっていた。
――彼女は地面に落ちた自分の髪を見て、「ふっ」と笑った。
――己の醜態を晒しつつ、尚且つ毅然と立つその姿は、まさに弁慶の立ち往生。
――そんな意思を表すかのように、彼女は地面に膝を付き、男子を見上げて、頭を垂れた。
「この通りだ。オレなら、何されても構わない。だから、山高には手を出さないでくれ」
「……ふざけるな!」
翔はオレの頭を蹴り上げる。オレの身体は浮き上がり、地面に突き落ちる。脳震盪らしきものが、オレを襲う。
「それが、強さを求めた者の成れの果てか! そんな姿を見て、お前に付いて来た奴らはどう思う!? そんな惨めな姿を見たら、何て言う!?」
「さあ、な。でも、これがオレの結論だ。もう、人は殴らない。虚しさは、もう求めたくない」
「お前はそんなに弱い人間だったのか!? 強さを求める人間じゃないのか! 俺は、この傷を付けた人間を見下す為に強くなった! お前も同じように強くなりたいと願っていたはずじゃないのか!」
傷っていうのは、その×型の傷の事か。こいつにはこいつなりの理由があって、こんな事をしてるんだ。解る、それはオレにもよく解る。
でもオレだって同じような理由で、今こうしてこの場に居る。翔が譲れないように、オレにも譲れない事はある。
「もう、どうでも良くなった……。ただ、オレのせいで関係ない人が苦しんでたってことに、罪を感じるようになった。だから、償おうと思った。それだけだ」
「…………。もう、いい。これ以上お前と向き合っていても、何も得られない」
翔は踵を返すと、指をパチンッと鳴らす。すると、物陰からたくさんの山高生が出てきた。数は……。数える気にもならない。とにかく、多い。
「好きにしろ。ただし、これが最後だ。悔いの無いよう、思う存分そいつを使え」
翔はそう言い残して、もうオレに興味がないように早々とした足取りで工場を出て行った。
翔が姿を消すと同時に、大高生の群れがオレへと迫る。
ここからが、一番の地獄になりそうだ。でも、これが今までオレがしてきた事。報いは受けないといけないんだ。
一人の大高生がオレを持ち上げ、より広い中央へ放った。
顔を上げると――。迫り来る靴底がよく見えた。
大高生達は、一斉に動き出した。
袋叩き、というのは、まさにこの事を言うのだろう。殴り、蹴り、また殴り、蹴り……。これの繰り返し。関野はただ、何の抵抗も無く、それを受ける。いや、受け入れている、と言った方が良いか。
これは、あいつの決めた事。
自分にそう言い聞かせ、今にも飛び出しそうな身体を自制する。行ったところで何も出来ない。そんな事は解ってるが、それでも何とかしてやりたい。
けど、俺だけじゃ何も出来やしない。
こんな無力な自分に腹が立つ。こんなんじゃ、会長なんて務まらない。
こんなんじゃ、あの生徒会は変えられない――。
「姐さん!」
「!」
いつの間にか工場には、女鬼のメンバーがぞろぞろと入ってきていた。
「お前ら……どうして……?」
「姐さんに、何しやがるんだ!」
そう言って、雄たけびを上げながら突っ込んでくる、鬼のような女達。
駄目だ、お前らにまで、同じ目に遭わせるわけには……っ!
「来るんじゃねえッ!」
オレは精一杯の声で、皆を止める。それに釣られてか、大高生の動きも止まっていた。
「これが、オレのケジメだ! お前らは何もすんじゃねえ!」
「でも、姐さん!」
「もう終わりにしたいんだよ。こんな生活は、もう終わりだ。オレも、お前達も」
「姐さん……」
皆は渋々、その場で下がる。もう充分だ、気持ちだけ伝われば、それだけで。
だが、大高生は動かない。解ってる、まだ殴り足りないって顔だ。
「どうした? 殴れよ」
オレは立ち上がって、腕を広げる。
「好きなだけ殴れよ! それがお前達の生き甲斐だろ!? やりゃあいいじゃねえか! 好きなだけ、やればいいだろうが!」
「君達! 何をやっている!」
そこに、二人組の警官が駆けつけてきた。この騒ぎを誰かが目撃したんだろうか、通報されたらしい。
大高生達はそれを見るに、慌てて持ち上げていた機材や木材を投げ捨て、一目散に逃げて行く。本当、逃げ足だけは速いよな。人の事は言えねえけど。
「また喧嘩か……。山ノ下高校も堕ちたものだ。どうせ、君が仕掛けたんだろう。おんき、だっけ? こんな社会のゴミの集まりが存在してるってだけで、身震いするったらもう……」
「何だとてめぇ!」「調子乗んなよサツがぁ!」「ぶっ殺されてぇのかぁ!!」
「やめろ!」
オレは皆を止め、頭を下げる。
「すいませんでした。もう、喧嘩はしません」
「ふん……。ん?」
警官はオレの頭を見て、落ちてる髪を見て、鼻で笑った。
その後、オレの頭に手を置いた。髪がないと、ここまで触られた感が凄いとは思わなかった。
「その方が似合っているよ。ハハハハッ」
そう言いながら、警官は撤収した。それは褒め言葉なのか、皮肉なのか。でも、そんなのはどうでもいい。
「姐さん、髪……」
皆がオレを見て表情を引き攣らせる。
「いいんだ。これで、全部チャラになるとは思ってない。これからだ、これから。それに……」
オレは再び膝をつき、頭を下げる。
「すまなかった。オレの下らないことに、皆を巻き込んで」
「姐さん! 頭を上げて下さいよ! アタシ達は望んで付いて来たんです」
「オレは、弱かったんだ……。強いって、思い込んでた。皆の前を歩く、資格なんてねえんだよ」
「何言ってんすか、強いっすよ」
オレが顔を上げて見ると、皆は笑顔でオレを見ていた。
「こんな事を、一人でしようとするんですから。でも、次はアタシ達も呼んでくださいよ! アタシ達は全員で女鬼なんですから!」
「そうっすよ!」「一人だけ抜け駆けなんて卑怯だぜ!」「ぶっ殺され――いや、何でもねぇ」
「皆……」
――や、ばい。来た、うるって来た。
オレは瞳に溜まり込んで来る涙を、どうにか必死に零さないよう上を向いたり目を見開いたりとしてみた。
でも、それは叶わなくて――。
「あれ!? 姐さんが泣いてる!?」
「嘘だろ! 血も涙もないと思ってたのに!」
「おぉい、泣く子も黙る女鬼のリーダーが泣いてるぞー!」
『ハハハハハッ』
「……何笑ってんだよお前らア!」
……名前の通りだ。
良い仲間に、恵まれている。
こんな果てしなく無力な俺にも、出来る事はあるんだろうか。
――そういえば、今月は……。
それからオレは、一週間の停学処分となった。と言っても、あまり学校に行ってなかったから、停学も何もないと思うが。
この停学を機に、親に全てを話して、親子関係を取り戻した。今では普通に生活している。会話は絶えない。本当の親子というのは、こういうのを言うんだろうな、多分。
今は夜の七時。テーブルを囲んで、テレビを見ながら母さんの作った夕飯を食っている。普通の、どこにでもある風景。
ピンポーン。
そんな風景は、一回のインターホンによって中断される。
オレは立ち上がり、玄関の覗き穴から外の人を確認する。
「天川……?」
そこには、すっかり元の顔に戻った、制服姿の天川が居た。その手には、異様にでかいデパートの袋らしきものがある。
オレは扉越しに訊く。
「……何しに来たんだよ」
「話をしに来た」
「またかよ」
しつこい野郎だ。
「役員になるって話、考えてくれたか?」
あっ。そういえばそんなの言われてたな……。さっぱり忘れていた。
だが、出す答えは考えるまでもなく決まっている。
「無理だ。オレにはなれない」
「その心は?」
「オレなんかが、なれる訳ないだろ……。留年確実の、不良娘のこのオレが」
「ケジメ、つけたんだろ。だったらもう、お前は不良じゃない。我が高校の誇れる、健康で優良な生徒さ」
オレは思わず笑ってしまった。
「誰の一存だよ、それ」
「俺に決まってんだろ?」
「もう会長気取りか? 気が早いな」
「ハハハッ。……なぁ、ドア開けてくれよ。外は結構、寒いんだよな」
「…………」
こんなオレを見たら、何て言うだろうか。天川でも、これは嗤うかもしれない。─―いや、嗤うはずはないさ。天川はそんな奴じゃない。
……ドアを開けた瞬間に、二つの意味の寒気が襲った。
オレはただ俯いて、天川と顔は合わせない。合わせたくない。きっと、声に出さなくても、嗤いを堪えるのに必死なんだ。勝手に、そんな風に考える。
「今日は、ハロウィンだろ?」
「え……?」
十月三十一日。確かに、今日はハロウィンだ。さっきもその話で盛り上がっていた。
「それが、どうかしたのかよ─―」
オレが言ってる最中に、オレの頭を何かが覆った。同時に、オレの視界が真っ黒になった。
「なっ……?」
「トリックオアトリート、てか」
オレは頭を覆った何かを手で触る。
……帽子? それも、尖がり帽子。魔法ファンタジーの映画とかに出てくるような感じの尖がり帽子のようだ。
「ありゃ。ちょっと、でかかったかな」
オレは帽子を後ろにずらし、視界を確保する。そして初めて、天川と顔を向かい合う。「ははっ」と、天川は短く笑って、指を差す。
「似合ってるじゃないか」
まさか天川は、オレの頭を思って、こんなものを……?
「――っ」
オレは思わず、また泣きそうになった。でも、今回は堪えた。泣くのを見られるのは嬉しい事じゃない。増してや男に慰められるなんて屈辱的だ。
「これなら、寒くないだろ?」
オレは、何を考えていたんだろう。こいつは、天川は、オレの思ってる男とは違うんだ。何もかも、違うんだ。
醜くない、獣なんかじゃない。オレに癒しの魔法を掛けに来た、魔法使い――。
「……ぅ」
「お、どうした? もしかして思わず涙か?」
「……バーカ。そんな訳、ねえだろ」
オレは笑いながら言って、
「笑えるじゃねーか」
天川もまた、笑いながら言った。
思えば、最近のオレは、笑う事も、泣く事もなかった気がする。ただのうのうと日々を消化してるだけだった。何だかかなり久しぶりに、心の底から笑えた気がする。
「なあ、天川」
「ん?」
「役員になったら……もっと、笑えるかな」
それを聞いた天川は、どんっと自分の胸を叩いて、自信満々に言う。
「勿論! 俺が笑い殺してやるよ!」
「……はっ。そいつは期待出来ねえな」
「何だと!? 俺を甘く見るなよー! こう見えても、漫才には自信あるんだぜ!」
「どうだか」
……何だろう。
笑いながらこんなに話をしたのが、懐かしい気がした。家族とは勿論そうしているが、赤の他人……特に男とこんな気分で話が出来るなんて、思ってもいなかった。
今やっと、俺は確信した。
天川は、信用出来る男なんだと。
「役員、やるよな?」
オレはその問いに頷いた。
きっとその時のオレの顔は――。人生で一番の笑顔だったと思う。