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第13話「魔法使いは一度だけ魔法を放つ」

 時刻は夜の七時半を回ろうとしている。

 真ん丸の月が地上を見下ろしている中で辺りは暗く、街灯が僅かに照らすだけで心許無い。俺は学校の制服に着替え、待ち合わせ場所の公園のベンチで待機している。そういえば去年はここで、たくさんのヤンキー達に接待されたが、今年はもうそんな事はないだろう。

 それにしても、まさかこんな事になってしまうとは。

「はぁ」

 思わずため息が漏れてしまう。幸せ蓄積数が減っていくのを感じるぜ……。

 原因は言うまでもない、ついさっきの電話だ――。



「久しぶりだな、天川三紀」

「!」

 返って来た声は、夕のものでは無かった。男の声で、聞いた事のある声だ。俺の記憶が正しければ、この主は……。

「高石!?」

「そう、高石だ。高石でいい」

 更に聞き覚えのある口癖。間違いない。

 だがどうして? 高石が夕のケータイで出てるんだ?

 ……まさか!

「付き合ってたのか、お前ら!」

 つい口走ってしまったが、そうに違いない! だってそれ以外に理由が無いじゃない! そんな、俺という男がありながら……っ。確かに高石はワイルドでかっこいいけどさ、俺だってそれなりのところはあるよ、多分!

「一体何をどう勘違いしたのかは知らないが、そのような事は断じて無い」

 ……まーそーだよな。普通に考えてそんなカップリングありえないもんな。何考えてんだ俺は。

 ならばやはり、今の状況の理由が見当たらない。

「じゃあ、何でお前が夕のケータイを? もしかして拾ったのか? だったら早急に交番に届けてくれよ。あぁいや、俺が届けるから返してくれ」

「推測が尽きない男だな。もっと考慮すべき点があるんじゃないか? 俺という人間性――俺という存在を」

「むぅ」

 高石の人間性ねぇ。知りたくもねぇや。ただ俺と会いたいだけの為に、会長を攫ったりする奴だ。深入りはしたくない。

 高石の存在? 凄く強くて、凄く怖い。後は大高の親分だってことぐらいしか情報は無いな。…………。

 冗談じゃないぞ。もし俺の仮説が正しかったら、まったく理に適ってないぞ。いや、元々そういう人間かもしれないけど、だからって……。

「結論は出ただろう? お前は賢い人間だ。すぐに思い付くはず」

 高石が笑いを込めて言った。

「褒めて貰ってる気がしないね。――何で夕を攫った?」

「手頃な保険だろう? おかげで華が増えて賑やかだ」

 こいつっ……!

「夕に手を出すな!」

「保障し兼ねる。あまりに美しくて、良からぬ事を考えてしまうのでな」

「どこだ、どこに居る! お望み通り行ってやるから、場所を教えろ!」

「お前一人では駄目だ。役員全員で来い。条件に従わなければ、メリーゴーランドに無料でご案内する事になる」

「だから場所だよ、場所! 解らなきゃ行きようがねぇだろうが!」

「ヒントをやろう。……鬼が、人に生まれ変わった場所だ」

 そう言った直後、ぶつんと通話が途絶えた。もういくら声を上げても無意味だろうから、喚かずケータイを閉じる。

 いいや閉じるんじゃない! 今すぐこの事を皆に伝えなければ!



 ざっとこんな経緯だが、何がざっとだ。「急展開すぎワロタ」って話じゃねぇか。俺だって笑いたいさ。立場が逆なら寝そべって煎餅齧りながら笑っているさ。くそっ、まさか俺が笑われる側になるとは、想像もしなかった。

「天川!」

 声に俺が顔を上げると、メグが普段の制服姿を雑に着て、息を切らせて立っていた。まぁ解ってはいるんだが、やっぱりその帽子は欠かせないようだ。……んーむ、そろそろこっちが恥ずかしくなってくる。

「どういう事だよ! 廣瀬が攫われたって!」

 当然の反応だが、俺も手を振る。

「そりゃあこっちの台詞だよ。引き合いに出すつもりなのか、それともただの餌か。どっち道、夕は震え上がってるはずだ」

「なら、とっとと行こうぜ!」

「いや、あっちは全員で来いとの事だ。春と龍を待たないと」

「ああっ、もう! あいつら何やってんだよ! 早く来いよ!」

 首筋を掻き毟って憤ってるメグを「まぁまぁ」と諭す。

「時間も時間だし、仕方ないだろ。俺だって電話が来たのはついさっきだ。この時間帯だと丁度夕飯だろうし、直行で来れる方がおかしいぜ」

「何言ってんだよ! オレだって飯を放って来たんだぞ! あーあ、ノロマがさっさとしてくれねえかな!」

「鈍間で悪かったな」

「まったくです!」

 気付くと、既に二人は制服姿で到着していた。メグと同様で、かなり雑な着方だ。急いで来てくれたに違いない。

「おっ、二人仲良く揃ってご登場か。お似合いじゃねーか」

『誰がお似合いだ(ですか)!』

 息ぴったりに言うと、ぷいっと顔をそれぞれ背けた。……何でいつの間に犬猿の仲になってるんだ、この二人。

 まぁ今はそんな事はどうでもいい。

「さぁて、行くぞお前ら。延長執行だ。あいつらに我らの制裁を――」

「何かっこつけてんだよ! 早く行くぞ!」

 メグはツッコミを残して先に走って行ってしまった。いや、まだ場所教えてないんだけど。

「恵の言う通りだ。早くしないと、何をされるか解ったものじゃないぞ!」

「そうですよ! 少なくとも、ゆとり全開の台詞はいらないです!」

「別に言わせてくれてもいいだろぉ? 気分なんだからさぁ。それと、夕は多分大丈夫だと思うぞ。焦らなくても、手を出される心配は無いと思う」

「何故そう言い切れる? 相手は大高だぞ。それに高石だぞ! 奇想天外を擬人化したような奴だ! 何をするか解ったものじゃない!」

「これはあくまで俺が率直に感じた事だけど――」

 俺はベンチから立ち上がって、歩き始める。

「あいつはきっと、そういう奴じゃない」

「そういう奴?」

 二人が付いて、龍が訊いた。俺は頷く。

「うん。そういう奴じゃないんだ」



 町外れの一角に、廃棄された工場が一つあった。広い中には手の付けられていない木片や鉄屑が転がっていて、あるべき機械は全て撤去されており、物寂しさを感じさせられる。

 夜陰、そこは光が満ちていて、多数の人間が中に居座っていた。どれも柄が悪く、着ている制服も乱丁に扱われていて、不潔な雰囲気を醸し出す。

 そんな野郎共が溢れてる奥に一人、手弱女が体育座りで壁に寄り掛かっていた。レンズの先の瞳は色を失っていて、虚ろに視線を落としていた。

「ひ~ろせちゃ~ん」

 そんな彼女の鼓膜を、怖気の走る声が貫く。

 廣瀬と呼ばれた女子が身体を震わせる。そんな廣瀬に近付いてきた男は、髪色を派手に染め、耳と鼻にピアスを付けているという、一般的には逸脱している外見。だが、この中では特にそんな事はない。皆似たような外見だからだ。

「どうしたの~、そんなリスみたいに小さくなっちゃって~」

 馴れ馴れしく肩に手を回してきた男に吐き気を覚えた廣瀬は振り払ったが、構う事なく男はがっちりと肩を掴む。

「なになに~? そんな敏感に反応しなくてもいいじゃないのさ~。あっ、ひょっとして照れてる~? やだなぁ~、俺と廣瀬ちゃんの仲じゃ~ん。照れる事なんてこれっぽっちも――」

「やめてっ!」

 男が胸に手を伸ばした時、廣瀬が精一杯の声で怒鳴った。しかしそれは周りの喧騒によってほぼ掻き消され、男にしか聞こえない。

「触らないでっ」

 えらく震えた手で男のそれを弾き、顔を膝の間に埋める。

「ふ~ん。まぁたそんな態度取るんだ~……!」

 男は言った直後、廣瀬の両腕を無理矢理万歳させ、力ずくで押さえた。廣瀬が身の毛を立たせ彼女なりに叫ぶ。

「や、やめてっ!」

「しょうがないな~。ゆーこと聞かない雌豚は、調教するしかないもんね~」

 男は下卑た笑みをニタニタと浮かべ、嫌がって身体をくねらせている廣瀬の制服を強引にはだけさせていく。

「……っ!」

 弱々しく身体に力を入れて抵抗するが、それはまったく意味を成さず、成す術もなく白い肌が露になる。

「ははっ、可愛く悶えちゃって~。興奮するじゃな~い。へへへっ、じゃあまずはたわわなおっぱいから――」

「おい」

「……あ~!? 何だよ~! いいところだってのに――」

 がめつい表情で振り向いた男の顔に――強固な拳が勢いよくめり込んだ。

 潰れる時に出る嫌な音がはっきり響いた後、男は背面飛びで頭から落ちた。周りからは笑いながら罵られていたが、気を失っていて聞こえていなかった。最早その顔に、先程の面影は無い。

「この女は、お前が触っていいようなタマじゃない」

 拳の主――赤髪を後ろに流している青年は吐き捨て、廣瀬の前に腰を落とし、はだけている服を丁寧に直した。

「っ」

「悪かったな」

 短く詫びて、青年が廣瀬の顔を見る。

「……何」

 青年は手を伸ばし、眼鏡を取った。それを通して辺りを見渡し、眉を顰める。

「伊達、か」

 もう一度今の廣瀬の顔を見て――軽く笑った。

「……?」

 首を傾げた次の瞬間、青年の右手が眼鏡をぐしゃりと握り潰した。突然の事で吃驚した廣瀬を、青年は人差し指を立て制する。

「その方が良い」

「…………」

 予想外の言葉に、廣瀬はただ黙りこくる。

 それを尻目に青年は立ち上がり、入り口を見る。

「どうやら、ご到着のようだな」

 そして不敵に笑い、右手を挙げた。



「マジカルバナナ~、バナナと言ったら黄色~」

「黄色と言ったら黄色組合~!」

「黄色組合と言ったら……何だそれ」

「ておい! んな事言ってる場合かよ! 一刻も早く行かなきゃいけねえってのに!」

 恵の意見には激しく同意だ。少なくとも、マジカルバナナなどと現を抜かしていい状況では断じてない。

 心細い街灯が照らす道。周りは田んぼが列を成し、一本道を示している。どうやらこの先に、高石の待つ廃工場があるらしい。ならば恵の言葉じゃないが、一刻も早く行かなくてはならないというのに、この会長ときたら。

「まぁまぁ。急がば回れって言うだろ? こういうときこそ、心に余裕を持って冷静にだな」

「善は急げって言うじゃねえか! あぁもうッ、オレは先に行く! お前らは早く来いよな!」

 そう言うと恵は走り出して行ってしまった。少々不安になり、俺は提案する。

「俺達も走った方がいいんじゃないのか?」

「嫌です! 疲れます!」

「それもそうだな」

 提案しといてなんだが、こればかりには俺も頷く。疲れる事は良くないからな。何事も楽な方向に持っていかなくては。それは生物としての努めだと思う。

 その俺の考えを否定するかのように天川が「いやいや」と反論する。

「あんまり遅れるのは良くないって。流石にちょっと急いだ方がいいかもしれないな。ほら、走ろうぜ」

「嫌です! 疲れます!」

「上に同じ」

 ……いや待て。

 このままじゃ二ノ宮と同じじゃないか。それは生理的に受け付けない。この上ない屈辱だ。こんな金持ちで出来損ないのニートと同類など、俺の男子生命としてのプライドが許さない!

「身体を動かすのは、悪いことじゃないな、うん」

「なっ――。そ、そうですよ! 健康的で良いですね、はい!」

「? 何で急に意思疎通したか知らないけど、とにかくメグの後を追うか」

『変な解釈をするな(しないで下さい)!』



「…………」

 関野が息を切らして着いた先には、大量の身体が転がっていた。その全てはどこかに傷を負っている。目に痣が出来ている者、爪がぱっくり割れている者、歯が折れて飛び出てる者……。

 その男女混同の溜まりを見ながら、関野は絶句して立ち竦んでいた。視線を右に落としては、左に落とす。最後、真下に落とすと、口元が血だらけの女が自分の足首を掴んで見上げた。

 関野はしゃがんで、顔を近付ける。

「何で、お前ら……」

「すいません、姐さん……役に、立てなくて……」

「お前ら……」

「あたし達じゃ、この様で……はは、結局、姐さんの荷物のままだ……」

 不意に、女の視界が真っ暗になった。関野の帽子が、女の顔を優しく包んだからだ。

「もう喋るな。後はオレに任せろ」

 その言葉に、女は安堵したように息を吐いて――暗闇の中で目を閉じた。

 関野はあらわになった、まだ短い黒髪を揺らし、工場内を見渡す。奥に座り込んでる廣瀬を見て安堵。そのすぐ傍に立っている青年を見て、ギリギリと歯軋りを立てる。

「かァけェるゥ――――――――――――――――――――――――――――!」

 そう呼ばれた高石は憤怒の形相で振り返り、

「下の名前で呼ぶなァ――――――――――――――――――――――――――!」

 そう叫んだ。

「どういうこったよこりゃあ。オレの知らない間に、随分大きなパーティーがあったみたいじゃねえか。それにオレを招待しないってどういう事だよ?」

「焦るな。気が短いのは良くない事だ。あの時、髪と一緒に抜け落ちてしまったか?」

「話を逸らすんじゃねえよ!」

「こいつらの事か? 逆だよ、関野。俺はこいつらを招待した覚えは無い。物騒な乱入客だ。おかげ様で、こっちのもてなし役は全滅してしまってな。お生憎だが、残ってるのは俺だけだ」

「夕も居るだろーが!」

 いつの間にか到着していた天川が、後ろから指を差して大きく言った。二ノ宮と城古はせわしく呼吸をしながら、膝に手を付いていた。

「約束だぞ。夕を返せ。今すぐ返せ!」

「解せないな、天川。この状況で何故そんな戯言を吐く? 前に言ったはずだ。俺達大高は、お前達生徒会執行部を潰すと」

「それが今って事かよ」

「十分な戦力を用意しておいたんだが、予想外の出来事で全滅だ。よって俺が代表の意を以ってして、全力で相手をする」

「……メグ」

 天川が心配して声を掛けると、

「大丈夫だ」

 鬼の形相のままで答えた。

「オレがやる」

 そしてすぐに言って、拳を強く固めた。

「もう無理だ。爆発しそうだ。……翔、何でお前はそんな清々しくしていられるんだよ? お前の仲間が、こんなにも倒れてるってのに」

「消しゴムのカスが床に散乱してても気にならない。そうだろう?」

「……なるほどね。お前が想像以上にクズだってことがようやく解った。なら、クズは処分しないとなあ。そうだろ?」

 関野が笑って言うと、

「その通りだ」

 高石も楽しそうに笑った。

「畜生、笑ってんじゃねえよ。むかつくったらありゃしねえよ。――安心しろよ、お前ら。今すぐあの面、泣かしてやっからよお! お前らの分まで、あいつの泣き声をスカイツリーまで届かせてやるからよお! 覚悟しやがれ――」

 意気込んで走り出す直前――。

 天川が、関野の肩を掴んで止めた。

「駄目だ。お前まで、クズになる必要は無い」

「屁理屈こねてる時じゃねえんだよ天川! 手えどけろ、仲間がこんな無残にやられてんだよ。リーダーのオレが尻拭いしねえでどうすんだ」

「俺がやる」

「……は?」

「役員の尻拭いは、会長である俺の役目だ。だから、俺がやる」

「笑えねえ冗談は昼に吐け。つまらねえ事はもう無しなんだよ。オレが始まりなんだ。だからオレが――」

 途中、天川が関野の身体を強引に自分に向けさせ、右手で顔を掴んで極限まで近付けた。

「俺がやるって、言ってんだ!」

 吐息が驚いている関野の顔にかかって、関野の頬が若干赤らめた。

「あ……?」

「会長権限だ。副会長は、下がってろ」

 放心状態の関野は軽くのされ、文字通り下がる。

「お、おい天川! お前じゃ無理――」

「黙ってろ龍!」

 城古の警告を、天川は大きな声で掻き消した。

「俺がやるんだ。……俺が」

「天川さん……」

 二ノ宮のか細い声を最後に、天川は前に歩き、高石――翔と対峙する。

 翔がそれを、拍手で歓迎した。

「会長の風格、と言ったところか。だが天川、それは勇気ではない。無謀というんだ。賢いお前なら、既に解っているはず」

「褒められてる気がしないね。それとも、びびってるのか?」

「ふふっ。面白い。生徒会執行部会長がどれほどの手合いか。この身で感じさせて貰う!」

「イきんないよう踏ん張りなっ!」

 そして二人は激突した。



 翔は見誤っていた。

 天川の戦闘力は五十三万という事に気が付いていなかったのだ。

 その圧倒的な武力を前に、成す術もなく翔は屈する。

 こうして役員達の称賛を浴びながら、天川は笑顔で迎えられた――。



 なんて事はまったくなかった。

 高々と拳を振りかざしてはアッパーを喰らい、脚を回そうとしては脇腹にキックを喰らい、避けようと思ったら逆方向から思い切りパンチを喰らったり。

 挙句の果てには一方的に攻撃を受けるようになっていた。ジャブ三連発にハイキック。ハイブローからのローキックと、受ける度に天川の身体に痣が生まれ、血が飛び散る。

 時間にして十数分。その状態が絶え間なく続いた。

 結果――天川の口元は切れて血が垂れ、目の周りは青くなり、鼻は歪に曲がり、頬は腫れていた。

 それでも天川は、今にも折れそうな二本足で立ち上がり、全身の痛みに悶えながらも拳を構えた。

「――っ!」

 もう見ていられないといわんばかりに関野が身を乗り出すが、

「…………」

 天川の意思を汲んだ城古が、首を振りながら関野を止める。

 また天川が殴られ蹴られる度に、二ノ宮が小さく悲鳴を上げて、関野の身体に顔を埋めた。

 反対側で座り込んでる廣瀬も、手で口を覆ってその光景を見ていた。時折、目を伏せながら。

 時間にして十数分。その状態が絶え間なく続いた。

 傍から見れば、勝負は既についていた。いや傍から見ずとも、無傷で平然と攻め続けている翔を見れば、誰でも彼の右腕を挙げるだろう。

 しかしここには、審査員及び審判はいない。つまり、どちらかが負けの意を自ら示さなければこの試合は終わらない。永遠に。

「もう十分だ、天川」

 翔が胸倉を掴み、見るに耐えない酷い顔を見ながら言った。

「お前の会長としての志は、よく理解した。無理と解っていても尚挑戦する勇気、まさに称賛に値する。だが、これ以上は無駄だ。敵ながらして天晴れと言ってやる。――だからもう、選手交代の時間だ」

 最後に一発顔に鉄拳を下し、天川の身体はうつ伏せに倒れる。

「さぁ、次はどいつだ?」

 平然とした表情で、翔は役員約三名に訊いた。厳密には、二人の顔を見て訊いた。

 二人はもう怒りが溜まって仕方ないだろう。自分を殴りたくて仕方ないだろう。翔はそう思っていた。

 が、その考えとは裏腹に、二人、厳密に三人は動かなかった。その瞳の奥に、怒りの類は無かった。あるのは寧ろ、別の何か。

「……おいおい、何勘違いしてんだぁ……?」

 翔が声に振り向くと、天川がぐらつきながらも立っていた。

「まだ俺のバトルフェイズは――ぐほっ」

 台詞の途中で、翔は再び天川を鉄拳の下にダウンさせた。

「勘違いしてるのはお前の方だ。もうお前には、札を引く段階すら回ってこない。ライフポイントは、既にゼロなんだよ」

 吐き捨てて、再度振り返る。

「副会長二名。どちらかが、仕事の後処理をするべきだと思うが?」

「何のッ、仕事の後処理だってぇ……?」

 また聞こえた声に、翔が苛立たしく振り向く。やはりそこには、天川が息を切らしながら立っていた。

「……何故立ち上がる。これ以上意味は無い。お子様はとっくに眠っている!」

 翔は一瞬の速さで天川を殴り倒し、しばらくその姿を見ていた。

 するとやはりと言うべきか――ゆっくりと身体が起き始めた。まるで電池が切れ掛かってる機械人形のように、ぎこちない動きで。しかし辛うじて、身体を不安定に揺らしながらも立ち上がった。

「どうして立てる! 満身創痍もいいところのはず!」

「……ふぅーっ。流石にそろそろ、限界かもしれないなぁ。――なぁ高石。お前何でこんな虚しい事してるんだよ。喧嘩なんて何も生まない。自己満足で終わる自慰行為と同じさ。時間と精力を無意味に消費するだけだ。もうやめにしないか?」

「関野と同じようにいくと思ったら大間違いだ! 俺には俺の信念がある! 俺には俺の生き方がある! 他人にとやかく言われる筋合いは無い!」

「そうやって泥沼に果てて行くのがお前の人生かよ。そういうのは昭和時代に終わった。今は平成なんだよ、〝翔〟」

「下の名前で呼ぶな!」

「親から貰った名前だからか?」

「そうだ! こんな名前、無い方がいい!」

「いい名前だと思うけどなぁ。それにもしお前に名前が無かったら、〝刑務所から出てきたようなイカれた糞野郎〟としか呼べなくなるぜ?」

「お前に何が解るっ!」

 翔が張り裂けそうな声を上げ、天川の胸倉を掴んで寄せる。

「もう一度訊くぞ。お前に俺の何が解るって言うんだ? 俺の気持ちなど理解しようが無い癖に、何を解った様な口を利いているんだ? 何様のつもりなんだ!」

「そいつは誤解だな、翔」

 天川が胸倉の手を掴む。

「俺は何も理解してねぇよ。理解する気もねぇよ。他人の俺が、お前の全てを理解出来る道理なんかねぇだろ」

「何だとっ……!」

「だったら逆に訊くけどな! お前に俺の何が解るんだよ? 解らねぇだろ? 解らなねぇよな? そうだよ、それが普通だよ。残念ながらな、人間には以心伝心なんて虫のいい技術はねぇんだよ。伝う訳ねぇんだよ。――だのに当のお前と来たら、ここぞとばかりに悲劇のヒロイン気取りか? タマついてる癖に笑わせるんじゃねぇよ! そんな都合のいい役者なんか、見てて虫唾が走るぜ!」

 唾を吐きながらそう言って、翔の手を振り払った。

「特に、自分の名前から否定するような奴なんかな、反吐が出る! 名前を親から頂いてるだけでもありがたいと思えよ! そうやって貰えない奴が世界にはごまんと居るんだからよ! ……目の前に居るんだよ! お前がいくら突き放そうが邪険に思おうが、それが唯一無二、お前の名前なんだよ! お前である、証なんだよ!」

「…………。ならば、お前に一つ問おう。原点回帰、最初の質問だ」

 翔が拳を固め、振りかざす。

「何故、立ち上がる!」

 刹那――。

 何かが折れるような、嫌な音が辺りに響いた。

 天川の額から、血が一滴ずつ地面に垂れていく。

「約束したからだよ」

 天川が力を振り絞って、右拳を固めた。

「約束は破らねぇ。――それが俺の、生徒会だっ!」

 翔の土手っ腹に初めて、天川のストレートが入った。



 ……何だ?

 たった一撃。

 たった一撃喰らっただけなのに。

 何故、こんなに苦しい?

 何故、こんなに、深く……。



 翔がその場に膝を突き、天井の一点を凝視し俯いて動かなくなった。

 一方の天川は息を切らせ、時々咽ながらも、一歩ずつ確実に廣瀬に近付く。

 その姿に惹かれる様に廣瀬は立ち上がり、同じように天川に近付いて行く。

 最中、天川が身体を崩し、地面に崩れた。慌てて廣瀬は駆け寄り、天川の身体を抱き上げる。

「あー……。怪我は無いか、夕?」

「無い、無い!」

「そうか、それは良かった。……ははっ、格好悪いよなぁ。ごめんな、こんな駄目会長で……へへへっ」

 掠れた声に、廣瀬は首を振った。

「何で、そこまでするの……」

 そして、いつかと同じ質問をした。

「言っただろ。絶対、守るって……」

 直後、天川の首がガクンと垂れた。廣瀬は目から涙を浮かべ、必死に言う。

「嫌……嫌! 死んじゃ嫌! もう一人にしないでェ!」

「落ち着け、廣瀬。気を失っただけだ。素手やり合っただけじゃ、死にはしないさ」

 後ろから城古が肩に手を置き、優しく言った。

「廣瀬さん、天川さんは私の召使いに介抱させます。安心して下さい」

 あくまでも「私が」とは言わずに提案した二ノ宮に、廣瀬は首を振った。

「廣瀬さん……?」

 二ノ宮が怪訝な顔をしたところで、城古が「気の利かない奴だ」と罵って、「ゲームオタクに言われたくないです!」と二ノ宮が反論。罵詈雑言の嵐が巻き起こっていた。

「おい、翔」

 一方、関野は呆然としている翔に声を掛けた。

「もういいよな。もう……終わりでいいよな」

 最後の確認をすると――翔は突然笑い出した。

「ふふふ……。名前、か。名付け親ですら……いや、俺ですら忌み嫌い読む事も無かったこの名前が、俺の名前なのか。皮肉なものだ……。――俺は何を求めていたのか……それがようやく、解った気がする。ごっこ遊びは、もうおしまいだ」

 翔は立ち上がって、毅然とした足取りで工場の出口に向かう。

 そして去り際に、一言を残した。

「悪かったな」

 誰に向けての言葉なのかは、誰にも解らなかった。



 影で全てを見ていた、一人の男を除いて。



「ん……」

 目を開けると、広がっているのは白い天井。左からは住宅の間を縫って陽の光が差し込んでいる。身体には白い布団が掛けられていて、同色の敷布団を下にしていた。

「ここは……」

 俺は目を擦り、身体を起こす。

「いっ……!」

 頬が痛み、反射的に左手が押さえる。何故かガーゼが貼られていて、よく触ると顔のあちこちに貼られていた。

「あぁ、そうか」

 思い出した。俺は勇気を振り絞ってあの翔に挑んだんだった。何とも、無謀な真似をしたもんだ。おかげでこの有様って訳だ。

 しかし、ここはどこだ? 俺ん家にはこんな布団は無い。何より、匂いが違う。こんな良い匂いは、俺ん家ではし得ない。

「……?」

 ふと、右手が温もりに満ちてるのが解った。誰かが、手を握ってくれてるような――。

「あ……」

 その両手を辿って見ると、紫の長い髪が下に伸びている。首が垂れていて顔が見えないが、俺の友人に紫色の髪の持ち主は、一人しか居ない。

「夕、おーい、夕」

 俺は名前を呼んで、左手で頭を揺らす。目を開けた夕が顔を上げて、俺を見た。

「……起きた?」

「えっ。あ、うん」

 夕は寝惚けた顔で訊いて、素直に俺は答えた。

 あれれ、おかしいな。てっきり俺は嬉しくて飛び付いてくれるのかと思ったんだけどな。この雰囲気なら、そんな展開もあり得ると思ったんだけどな! ワクワクしてたんだけどな!

「……まだ、痛い?」

「うーん、ちょっと、まだこの辺が」

 俺は指で右頬を突いて示す。

「……そう」

 夕は短く言って、俯いてしまった。

 あれれ、おかしいな。てっきり俺は心配して傷を舐めたりしてくれるのかと思ったんだけどな。この雰囲気なら、そんな行動もあり得ると思ったんだけどな! ドキドキしてたんだけどな!

「……めん……さ……」

「ん?」

「ごめんなさい……」

 俯いた状態で、夕は言った。よく見ると、身体が小さく震えていた。更には、目尻に光る粒が見える。きっと、自分の所為でとかどうとか思ってるんだろう。

「気にするなよ。もう終わった事だし、いいじゃないか」

「良くないっ!」

 とうとう夕は涙を流しながら、俺に顔を見せた。

「サキが凄く傷ついたっ! 私のせいでっ……」

「夕のせいじゃないさ。誰のせいでもない。強いて言うなら……大人のせいだ。――もう済んだ事だ、泣かないでくれよ」

「……でもっ」

「言っただろ? 絶対守るって。言っただろ? 約束は破らないって。つまりは、そういう事さ。だから、泣くなよ」

「……うん」

「笑ってりゃいいんだ。――もう泣くのには、疲れただろ? だから、笑えよ」

「……うんっ」

 すると、夕は涙を拭い、ありったけの笑顔を俺に見せてくれた。これで良い。これで良いんだ。終わり良ければ全て良――。ん!?

「待て、夕。眼鏡はどうした?」

 ここで俺は初めて、夕のチャームポイントである眼鏡が無くなっていることに気付いた。

「……割られた」

「何だって!? 誰に?」

「……高石」

「何だとおおおおおぉぉぉ! よし、今すぐ弁償して貰うぞ!」

「……でも、言ってた」

「言ってた? 何を?」

「その方が良いって……」

 夕が、頬を赤らませて言った。

 こ、これはっ! 洗脳されてやがるっ! 翔の奴いつの間に! このままじゃ翔のペット同然! 早急に振り払わなければっ!

「何言ってんだ! 夕は眼鏡あった方が良いに決まってるだろ!? 夕が掛けないで誰が掛けるんだよ! 眼鏡は夕のアイデンティティーだろ!」

「……そう?」

「そうだって!」

「……そう」

 夕は納得したようにしばらく黙って、それから言った。

「……じゃあ、買って」

「よーし、それでいいんだそれで――。……はい?」

「お金無いから、買って」

「いや、そりゃ俺だってねーよ! 俺は夕と違って身体張って働いて稼いでるんだよ! ギリギリなんだよ! 無駄に使える金なんてねーよ!」

 とでも言ってやりたかったが、そんな事を言ったらこのムードが台無しだ。俺は仕方なく、この場限りは頷いておく事にした。

「解ったよ。――ところで、このパジャマって夕のだよな。俺の制服は?」

「……汚れてるから、洗ってる」

「おぉ、助かるよ。……という事は、夕が着替えさせてくれたの?」

「…………」

 夕はさっきとは比べ物にならないくらい紅葉して、顔を背けた。おぉっ、何だかんだ言ってもやっぱり女の子なんだなぁ。こういうところを見ると和むぜ。

「ありがとな、色々」

「……大きかった……」

「……えっ?」

 俺の背筋を、怖気が走った。



 その後――。大高はすっかりと大人しくなり、山高に手を出す事は愚か、他校にちょっかいを出すような真似はしなくなった。

 どうにもそれは、翔が行方不明になっている事にも関係しているようだ。

 何で翔は行方を暗ましたのか。それは俺にも解らない。

 けど何となく、翔が最後に言い残した言葉の意味が、少し解った気がする。

 〝あの人〟なら翔の事を知っているかもしれない。訊けば教えてくれるだろうし、捜してもくれるだろう。

 でも、それはしない。そんな無粋な事を、翔は望んでないだろうから。

 ともあれ、山高の抱える大きな問題は、これで解決した。もう悩む事は無い。

 だがきっとこの先も、俺達の青春を阻む未知なる壁が待ち受けているだろう。

 それをぶち壊して行けるか――。俺には解らない。

 しかし、俺達なら大丈夫。

 どうなるかは解らない。

 だから人生は面白いのだから。

 とことん転んで行こうじゃないか。

 行き着く先に、大きな光があると信じて。

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