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第-1話:その言葉には救いを求めて

 白く塗られた壁が囲む、広い浴室があった。浴槽や壁の造りからして、如何にも高級そうな浴室だ。

 そこに、一人の人間が裸で入る。艶やかに塗られた壁に、その姿が投影される。

 すらりと長い背に金色の長髪を流し綺麗な顔を持っている、美しい女性だった。女性が蛇口を回すと、滴るシャワーが頭上から身体を濡らしていく。

 女性は目を閉じたまま、無言でその滴を受け浴びる。

「また、一人」

 そんな彼女の後ろに、もう一人が立っていた。姿形は女性と瓜二つだが、目は前髪で隠れて見えず、口元では獰猛な笑みが浮かんでいる。

「また一人、消えたわ。着々と、あなたの理想郷が築かれて行く」

 〝それ〟は、女性に一歩ずつ近付きながら言う。

「あなたの嫌いな人が、どんどんドンドン消えて行く。あなたに認められた人だけが残る、あなたの為の理想郷。これが後少しで、完成するのよ」

 〝それ〟は人間を後ろから抱擁し、右手で髪を愛おしそうに撫でる。

「あなたを苦しめる害虫は、もうすぐ全て無くなる。そうしてあなたは、絶対的な支配者になる。もうちょっと、もうちょっとで、あなたは解放されるのよ。ふフっ」

「……違う」

 女性は震える声で小さく否定し、撫でる手を左手で止める。

「私は、苦しんでなんかいない。生徒会に入った時から、とても楽しかった。会長になって、今の生徒会になって、凄く楽しかった。私を苦しめる人なんて、誰一人居なかった」

「何を言っているの? ……あの屈辱を、忘れたというの?」

「…………」

 語気を強める〝それ〟の言葉に、女性は押し黙る。

「忘れる訳がないわよね。あの男、最低だものね。散ッ々身体を舐め繰り回したところで、愛情は皆無。別れようとしたら、写真をばら撒くって言って脅してくるし。挙句の果てにはダッチワイフだもの。赦せない、赦せるはずがないわ」

「……それはもう、終わった話」

「ええ、そうね。あなたが殺して、終わった話よね。あの時の顔、いつまで経っても忘れられないわ。あの時の快感、いつまだ経っても忘れられないわ。そうよね、ふふふ」

「……もうやめて!」

 女性が身を捩り、〝それ〟と相対する。胸に手を置いて、張り裂けそうな声で訴える。

「これ以上私に纏わりつかないで! これ以上私を狂わせないで! もう何も怨めしいものなんてない! なくしたいものなんてない! 苦しくなんかないの! なのにあなたは私から何もかも奪って行く! そんなのはもう嫌!」

 悲痛の叫びが室内で何重にも反響し、やがて静まり返る。

 しかしそれを断ち切るかのように、〝それ〟は氷のような冷たい声を女性にぶつける。

「何を言っているの。私はあなた。あなたは私。表裏一体なの。人間というのは、皆そういうものよ。光があれば影は必ずある。あなたの場合は、それがちょっと大きいだけよ。ただ、それだけじゃない」

 〝それ〟は女性と身体を合わせ、濡れた首筋を舌でゆっくりと舐め回す。

「ほら、まだ足りないんでしょう? 欲望の塩が染み出てるわ。消したい奴が居るんでしょう? 昨日の奴みたいな、あんな奴が。御託を並べて、飼い主に牙を向く猛犬が」

「……小林、君……」



「――いいかこの野郎。あんたの言う〝理想郷〟なんて糞食らえだ。俺が生徒会に入ったのはそんなのを創る為じゃねぇ。あんたに釣られたんでもねぇ。俺の意思だ。俺の意思で入ったんだ。あんたにそれを創れって命じられた訳じゃねぇ。あんたの下僕になる訳でもねぇ。紛う方ない俺の意思だよ。――だから、二ノ宮を助けたのは俺の意思だ。誰かの命令なんかじゃねぇ。俺は生徒会役員として、当然の事をやったんだよ。あんたと俺は違う」



 女性は亡者の言葉を思い出し、首を振る。

「御託なんかじゃない。小林君は猛犬なんかじゃない。正しい意思を持ってた。私なんかより、遥かに善人。そんな小林君に、酷い事をした私なんかより」

「いくら自分を呪っても無駄。私は消えないわ。あなたという存在がある限り、永遠にね。――さぁ、もっと笑いましょう。壊しましょう。奪いましょう。あなたが受けた、それのように」

 すると〝それ〟は、氷が水に溶けるように、女性の中に入るかのようにすぅっと消えた。

「……あ……は、ははは……。あはははは!」

 それを契機に、女性は唐突に笑い出し、息が切れるまで笑うと、獰猛な笑みを浮かべる。

「アマカワ……天川」

 女性が蛇口を目一杯まで捻ると、シャワーの線は極限まで太くなった。

 そして女性は、豪雨のように降り注ぐ水飛沫の中で、猛犬の如く犬歯を剥き出し呟いた。

「要らない子……要らない子ね」

 薄気味悪く、より獰猛に。



 まぁ、こうなるとは思ってはいた。

 いつかは俺にも、お迎えが来るだろうとは予期していたさ。寧ろ今までお咎めなしだったのが不思議なくらいだ。

 ……しかしこれは、あまりに盛大すぎないか!?

 場所はしがないある公園。子供が遊ぶには遊具が少なすぎるのが第一印象。今日は日が高い内に多くの家を回ろうとして、朝っぱらから歩いていたら案の定疲れたので、このベンチで一息入れていたらこの状況だ。

 見た目からしてヤバそうな兄ちゃん達が、公園に溢れんばかりに群れて来ている。こんな光景を子供が見たら泣いちまうぞ。トラウマになりかねない。

 ……んーまぁ、多分これは観光ツアーか何かなんだろ? 〝ドキッ! 不良だらけの観光旅行!〟みたいな奴なんだろ? じゃあ俺にはまったく何の関係もないよな、ウン。

「さて、と」

 俺は空になった缶コーヒーを近くのゴミ箱に捨てて、ベンチから立ち上がってその場を去ろうと歩を――。

「待てゴラァ」

 進められなかった。嫌な汗が滲み出てるのが自分でもよく解る。

「はい、何でしょうか?」

 俺は知らん顔で訊いてみる。

「おめぇにちょっと用がある。痛い目ェ遭いたくなきゃ黙って付いて来い」

「……ふふふっ。痛い目だって? 何勘違いしているんだ? それを見るのはお前達なんだぜ。――何せ俺は、神に選ばれし戦士、ウォリアー・天川・ザ・グレイトなんだからな! 俺に喧嘩を売ったが最後……。さぁ覚悟しなっ! 俺の右手が真っ赤に燃えてええぇぇぇぇぇ、ファイヤアアアアアアア!!」

 なーんて事が言えたらいいのにな。今、この状況に陥って邪気眼の使い手が羨ましく思えたよ。……いや待て。今の危機的状況なら、もしやスーパーパワーを得られるんじゃないか!? 信じる者は救われるって言うしな! うおおお、神よ、俺に力をおぉーっ!

「おい、何変なポーズ決めてんだよ。気持ちわりぃ」

 ……届く訳ないよな。そうだよな。実際そんなことありえないもんな。常套手段で切り抜けよう。

「うーん……。ちょっと用事があるので、遠慮したいんですけど」

「アァ!?」

「すみませんごめんなさいやめて下さい殴らないで下さいお願いします付いて行きますからマジで本当にぃ!」

 今にも殴り掛かって来る勢いだった集団を、必死の謝りで何とか食い止める。……でもよく考えると、連行されても結局リンチされるんじゃ……。

 ぞろぞろと歩く集団の最後尾で、俺は近くの兄ちゃんに訊ねる。

「あの~、ところでどこに行くんで?」

「決まってんだろ。人目につかねぇところだよ」

 決まってましたか。見事に期待を裏切らないこの台詞、プライスレスですね、わかります。

 って、そんな悠長に言ってる場合じゃない。このままじゃ俺袋叩きでミンチにされちまう! 御免だそんなの! 何とかしてこの場を切り抜けなくては――!

「……?」

 何だ? 急に流れが止まった……? もしかして、先頭の人が捻挫でもしたのか?

「ど、どうしたんですか――」

『うわああああああああああああああああああああああ!!』

「うぇっ!?」

 突如、俺を囲んでいたヤンキー達が悲鳴を上げながら走り始めた。反射で耳を塞ぐ。何故だか彼らは、持っていた木片やバットを投げ捨てて一目散に逃げていく。

「は、はぁ……」

 何だかドタキャンされた気分だ。

 気付けば、公園には俺一人――いや、入り口にもう一人居る。

 今のヤンキーの類ではなく、制服から察するに山高の生徒。背丈は俺と同じくらいで、黒くボサボサの髪は目も耳も覆い隠し、表情を確認させない。

 まさか、こいつが奴らを追っ払ってくれたのか? とてもそのようなつわものには見えないが……。

「お前が、助けてくれたのか?」

 恐る恐る声を掛けてみると、髪の間から覗く瞳が俺を捉えた。想像とは違って、柔和そうな感じだ。

「ありがとう、助かったよ。ああいうのはホント苦手でさ」

 笑いながら言ってみるが、ノってくれない。うぅ、こういうのが一番痛いんだよな。スルーするなら貶された方がまだましだ。

「天川、か?」

 すると低い声で、俺の名前を確認してきた。俺は首肯する。

「あぁ、そうだよ」

「噂は聞いてる。不登校の生徒の家に一軒ずつ訪問してるんだろう? 何故そんな事をしているんだ?」

「それはだな、聞いて驚くなよ? 今の生徒会と俺の生徒会。どっちが正しいかを検証する為さ」

 それを聞いた生徒は、短く笑った。

「なるほど、それは面白いな。俺も今の生徒会は常軌を逸していると思う。天川のそれがどうかは定かじゃないが」

「はははっ、まぁじきに解るさ。――じゃあ、俺はそろそろ行かないといけないから。さっきは本当にありがとう、恩に着るよ」

「気にする事は無い。知ってる顔だったから声を掛けたら、勝手に青ざめて逃げ出したってだけの事だからな」

 ……こいつ、一体どんな事をしたんだ? ひょっとしたら、関野と同じ部類なのか……? そうだとしたら、人は見かけによらないな。

「もし何か困ってる事があったら、いつでも言ってくれ。今のところ俺は生き延びてるから、助力は出来るだろう」

 ……おぉ。本当、人は見かけによらないな。

「ありがとう。……あー、そうだ。名前は?」

 危ない危ない、これを訊かなきゃ助けを乞うにも乞えない。

「城古だ。城古我龍。周りからは龍と呼ばれているが、好きに呼んでくれ。……それじゃあな」

 彼はそう言い残して、悠然と立ち去っていってしまった。

「じょうこ……?」

 変な苗字だし、言い難い。

 うん、恐らく――いや絶対に、俺があいつを苗字で呼ぶ事は無いだろう。



 ~三月九日・土曜日~



 山の豊かな自然に囲まれた高等学校――山ノ下高校の体育館では、今まさに卒業式が行われていた。その場に居合わせている人間全員が正装をして、綺麗に並べられたパイプ椅子に腰を掛け、校長の言葉に耳を傾けている。

 しかし、その人数があまりにも少なかった。

 卒業生徒と在校生を含め、およそ二百人程度の数。学年毎に五クラスあり、一クラスの人数が四十人前後の学校の場合、全員が出席すると六百人程になる。

 それが定例だが、今年度は劇的に異例の欠席人数だった。しかもその数は計算されていたように、パイプ椅子に空きは無い。その光景に、参列している来賓は若干の戸惑いを見せていた。

 それでも、卒業式は何の滞りもなく執り行われていく。校長の言葉が終わったところで、司会の教師がプログラムを進める。

「卒業証書授与。生徒代表、喜多美咲」

「はい」

 最も来賓に近い席に座っていた生徒が返事をしながら立ち上がり、中央でお辞儀し、校長の待つ壇上へ上がる。

 祝辞の言葉と共に一枚の卒業証書を受け取り(後に全員の卒業証書が校長の手により授与される予定)、礼儀に倣う。前日練習の通りに動き、自分の席に戻った。

「生徒代表の言葉。生徒会長、喜多美咲」

 もう一度返事をして立ち上がり、卒業証書を椅子に置いて歩き出す。

「……?」

 その瞬間、司会を務めていた教師がすっと、ステージ裏へ消えるように退いた。

「!」

 その上、その場を見守っていた教師達が一斉に立ち上がり、ぞろぞろと裏へと吸い込まれていく。遂には校長まで、壇上から姿を消した。

 ――何、どういう事……?

 喜多にとって最も驚くべき事は、動揺しているのが自分と来賓だけという事だ。臨んでいる生徒達は、まるでこの事態が初めから解っていたかのように落ち着いていた。

 更にそこに――不穏な声が体育館に響き渡る。

「よぉ、会長。卒業する気分はどうだよ?」

 不意に聞こえた声に振り向くと、ステージの袖から一人の生徒が出てきた。

「……小林君?」

「おめでとうございますだぜ、会長。まぁ、まだ終わってないけどぜ」

 それに続いて、もう一人。

「大島君、どうしてそこに?」

「会長……」

 更に、一人。

「ブッチー……?」

 後ろで在校生として見届けるべき生徒が壇上に現れた事で、喜多は表に出さずも心中で困惑し始めた。

 ――これは一体どういう事?

 ――何で不登校措置にした小林君がここに居るの?

 ――何で大島君とブッチーはそこに居るの?

 ――こんな非常時に先生達は何をやっているの? 

 ――何より、この孤立感は何?

 ――この事態を私だけが知らない?

 ――私の知らない間で、何かが行われていた?

「疑問はやまないかい、喜多美咲」

 そこに更なる声が思考を遮り、新たな思考が一瞬で構成される。反対側から出てきた人間が、壇上に位置した。

 それが誰なのかを声で判断し、喜多は低い声で言う。

「……まさか、ここまでやるとは思わなかったわ」

 喜多は顔を上げて、その生徒を蛇の目付きで睨む。

「天川君」

 天川と呼ばれた生徒は校長の立ち位置に着き、マイクを下に向けた。そして、体育館に十分響く大きな声で訊く。

「何から知りたい? いや――、どこから知らない?」

 見下したその発言は、明らかに喜多の気分を害した。

 が、そこではまだ喜多は平静を装った。

「仕方ないねぇ。温室育ちで世間知らずの王妃様にも解るように、一から説明してやるよ」

 しかしいよいよ、喜多の顔に綻びが現れた。それを気持ち良さげに見て、天川は身ぶり手振りで説明する。

「俺が不登校の連中の家に日々訪問していたのは、あんただって感付いてただろ? けどそれが何を意図してかの事かまでは理解出来なかった。精々、無意味な説得をしてるってくらいまでしか考えてなかったろうね」

「…………」

 肯定を示す沈黙を確認し、天川は指を振る。

「無意味って決め付けるほど、愚かな事はないよな。意外にも世の中ってのは、努力が実るように出来てるんだよ。その証拠に――」

 天川が両手を叩いて、その音が体育館に響く。

 すると、後ろの扉――即ち卒業生の退場口から、ぞろぞろと生徒が入場してきた。

「――!」

 その光景に喜多は金縛りを覚える。

 何故なら、その生徒達は全員、自らが鉄槌を下した者達だからだ。今年度が終了するまでは、決して登校しないという契約を交わした者達。自らが毒牙にかけた、哀れで愚かなネズミ達。

 それが自分の知らないところで、反故にされていたのだ。

 動かぬ喜多の身体の底からは、屈辱に対する怒りが込み上がってくる。依然入場する生徒を見つめながら、拳にそれを懸命に抑え込む。

 やがて、体育館の中は生徒で溢れかえるようになった。

「どういう事!? こんなの予定には無いはずよ!」

 ようやく喜多は、形相を強がらせ向き直る。

「何言ってんだか。ちゃんと予定通りだよ。――今日が、フィナーレさ」

「解るように説明しなさい!」

「もう、卒業式は終わってるんだよ」

「……え?」

 まったく予想だにしなかった言葉に、喜多は最早呆気に取られ固まってしまう。

「今年度は、特別に土曜日に卒業式を行う代わりに、金曜日が休校になる。あんたの耳にはそう届いたはずだ。まぁ、普通に考えておかしいわな。金曜日にやればいい話だろ? 特別な事情も無いんだったらさ。――無いんだったら、さ」

「……まさかっ」

 喜多の中で仮説が浮かび上がり、その濃度が高まっていく。それが天川には解るのか、とても面白そうに口を動かす。

「あんたは腐っても優秀だ。ここまで言えば、今日のこれが一体何なのか、安易に結論が付くはずだ」

 天川は笑みを浮かべて、無言を以って喜多に促す。

 それを認めるという事は、自分は彼に劣っているという事の証明。

 頭ではそう解っていたが、黙っているのは愚の骨頂だと、喜多は声を震わせながら答える。

「……昨日の内に、私以外の三年生は全員卒業している。つまり、今日は……」

「今日は?」

「……私だけの、卒業式」

「その通り。あんたの為の、卒業式さ」

 予期もしなかった事実を聞かされ、来賓はただ戸惑っていた。

「私の為……?」

 喜多は振り返る。

 目。たくさんの目がこちらを見ていた。様々な感情移入が施された大量の瞳が、喜多を映す。どれもこれも、私怨や怨念の篭ったものばかりだ。

 喜多は振り返る。

 目。たった八つの目がこちらを見ていた。憐れむ目。失望の目。怒りの目。企ての目。

 祝福する目は、どこにも無い。

「敵じゃない」

 唐突に、喜多の後ろから冷たい声が聞こえてくる。

「周りを見て。誰も、誰も一人として、あなたを祝福しようとしてないわ。皆、あなたを軽蔑するような、外道ばかり。全員、敵よ。敵なのよ」

 〝それ〟は喜多の後ろから抱き付き、腰に手を伸ばし、優しく摩る。

 そして憐れみの目で喜多を見つめ、残念そうにため息を吐く。

「全てが台無し。本来ならあなたは、皆から賛美されながら晴れやかに卒業するはずだったのに。それをぶち壊しにしたのは誰? ――天川よ。今こそ、雪辱を遂げる時だわ。〝これ〟で、あの時みたいに、頭に穴を空けてやればいい」

 自然と己の手が伸びる先には、鉄の塊が。

 喜多の表情が歪む。

「……嫌……私は、もう……」

「大丈夫、お父様がまた何とかしてくれるわ。あなたは君主なのよ。あなたには生かす人間と殺す人間を選ぶ権利がある。いいえ、選ばなくてはならない。彼は――天川は、殺すべき人間なのよ」

 〝喜多美咲〟の息が荒くなる。

「さぁ! 抜くのよ! そして思い知らせてやるの! 真の支配者は、あなただって事を! 真の愚者は、天川だって事を!」

 〝それ〟の言うがままに、喜多は腰に隠し持っていた銃を抜き、天川に向けて両手で構えた。

 同時に、来賓や生徒から悲鳴が上がり、壇上の三人も表情を怖がらせる。

 回転式拳銃のそれは、装弾数五発の小型リボルバー。ハンマーはまだ起こされていない。それを支える喜多の手は震えているが、依然として天川を捉えている。

 冷気を纏った銃口は、無言で天川を睨み続ける。

 何時でも彼に、己の銃弾を放つ為に。



 正面から見て右側のステージ裏で待機している関野と二ノ宮は、窓からその光景を見ていた。二ノ宮は怖がって顔を伏せたが、関野は目を見開き、感嘆する。

「すげえ……」

 そして言う。

「天川の言ってた通りだ……」



 もう片方のステージ裏では教師達が収容されていた。その中でも一番老いている校長が出ようとするが、待機している城古に止められる。

「これ以上は駄目です! 本当に死者が出てしまう! この学校に汚わいを付ける訳にはいかない!」

 必死に抗議するが、城古が乱暴に校長を押し倒した。

「最後まで協力して貰う。ここまでは予定調和だ。後は、死ぬか死なないか。それは天川と運次第だ。見守る他無い。――それに、これからが面白いところじゃないか」

 城古が愉快な笑みを浮かべているのを尻目に、廣瀬は窓から心配そうにその光景を見つめていた。

「私は……ッ!」

 校長は無理矢理にでも止めに行こうとするが――。

 以前に接触してきた男の言葉を思い出し、踏みとどまる。

 〝あなたの罪は、果たして何色だったのだろうか〟

「くっ……」

 戒めの記憶と共に、校長はただ一つの事を祈りながら見守る。

 どうかあの男の、思い通りにならない事を。



「これはまた、物騒な物を取り出したな。それでどうする? 俺を撃つか?」

 だが天川はまったく動じず――まるでそれが解っていたかのような台詞を吐き、壇上を降りる。銃口は天川を追尾し、やがて止まる。天川が距離を開け、獰猛に破顔している喜多と対極に向き合う。

「私は、正しいもの。正義だもの。私は生徒達の要望に全力で応えただけ! 会長としての義務を果たしただけ! 何も悪くないわ! 悪いのは、それに歯向かうあなたよ、天川君!」

「そうかねぇ」

 天川は呆れ気味に手を振る。

「身勝手な要望をしてきたのは誰? 馬鹿馬鹿しい要求をしてきたのは誰? あなた達じゃない! 言われなければ解らない幼稚園児と同じじゃない! だから示してあげたでしょう? 黙ってそれに従っていればいいの!」

「ふぅ~ん」

 天川はつまらなそうに相槌を打つ。

「あなたは、私に誅されるべきだわ。全てはあなたの責任だもの。私の理想郷を汚した罪、その身を以って償いなさいっ!」

 喜多は、まるで操られているかのように――抗うかのように必死に言った。

 〝それ〟が首筋を舌で啜り、耳元で妖しく呟く。

「撃ってしまいなさいな。撃って、笑えば良いのよ。あの時みたいに」

 言葉に誘われて、銃を握る手に力が入る。震えが徐々に治まって、頭に照準を定めた。

 すると、標的が舌を鳴らした。

「悪いけど、あんたの言う〝理想郷〟に共感する奴は、ここには誰も居ないみたいだ。それでも、あんたは我を通すのかい?」

 喜多は首を振る。

「何を言ってるの? これはあなた達が望んだ結末じゃない。自分の嫌いな人は居ないほうがいいんでしょ? 居なくなればいいんでしょ!? 自分さえ良ければ良いんでしょう!? ――大丈夫、私もそう思ってるから。天川君には、消えて欲しいと思ってるから。殺したいって、思ってるからぁ!」

 いよいよハンマーが起こされ、人差し指が引き金に掛る。それに釣られるように、ギャラリーが波のように揺れた。

 天川は肩を竦めて、後ろ腰に手を伸ばす。

「うん、それは残念だ。俺だってまだ死にたくないからなぁ。その為には――」

 そして鉄の塊を手に、ゆっくりと腕を回し、喜多に向ける。

「なっ――」

 絶句した喜多と同じく、ざわついていた体育館が静まり返った。

 天川の右手には、喜多の物とまったく同じ物が握られていた。既にハンマーは起きていて、人差し指は引き金に掛っている。

「あんたを、殺さなくっちゃいけない」

 その言葉がまじないのように、体育館中を呼吸音のみが支配する。

 天川はしかめっ面で喜多を捉え、銃口を向ける。

「撃って! 撃つのよ!」

 〝それ〟が耳元で叫んだ。

「撃たなきゃ殺されるわ! あいつは敵なの! 迷わず撃つの!」

「……嫌。もう、殺したくない……」

 喜多は首を振った。

「あぁっ、理由ね、理由が欲しいのね? 問題無いわ、正当防衛よ。殺すには充分過ぎる理由だわ。――ほら、殺して。笑って。あの快楽を、もォっと頂戴。私にたァッぷり注いで頂戴な、ネぇ」

「美咲さん」

 名前で呼ばれた喜多は、顔を上げる。その両目からは、一筋の涙が流れ落ちていた。

「……嫌なの、本当は人を殺したくなんかない! 悲しむところなんて見たくない! 皆笑っていて欲しいの! 楽しくいて欲しいの!」

 何かから抵抗しているように、涙ぐみながら言った。

 そんな喜多を見ながら、天川は真剣な表情で言う。

「美咲さん。俺はあなたを殺さない。あなたは絶対に、死んだりはしない。――でも、俺はあなたを撃つ。……この意味、解りますか?」

「聞く耳を持っちゃ駄目! そうやって惑わした隙に殺すつもりだわ! 信じちゃ駄目よ! 皆敵、敵なんだから! 早く、早く撃って! 殺して! 殺すのよ!」

「私は……ッ!」

 喜多の人差し指が震える。

「信じられなければ、俺は死んで、あなたは一生亡者のままだ。〝それ〟を背負って、骸骨のように笑って生きて行くしか無い。だがもし、信じる事が出来たなら――」

 天川が言って、

「撃てえええええエエエエエェェェェェ!!」

 〝それ〟が叫んで、

「あなたは、人間だよ」

 瞬間――、轟音。

 同時に体育館の人間全員が耳を塞ぎ、目を瞑った。天川の右手が反動で跳ね上がった。喜多がその場で崩れ、拳銃を落とす。

「……ふぅー」

 天川が安堵し、拳銃を放って垂れかけた汗を拭った。

 喜多は放心状態で、虚ろな目をしてぽかんと口を開けていた。

「しっかしよく出来てるなぁ。耳栓しときゃ良かった」

 耳を穿りながら天川は喜多に近付いて、手を差し伸べる。

「美咲さん、気分はどうですか?」

「…………」

 喜多の目に色が戻って、天川を映す。

「……天川君、私は……」

「もう、終わったんですよ。あなたの卒業式は」

「私……私……!」

「美咲さん。もう、無理に笑わなくて良いんです。……泣いて、良いんですよ」

「……うぅっ、私はッ……」

 喜多の瞳から涙が零れ出し、それを覆うように喜多は泣き始めた。

 天川はただ、手を差し伸べ続けた。

 泣き病んだ喜多が手を握る、その時まで。



「……ふむ」

 その様子を見ていた一人の男――来賓の一人はやや不満げに頷き、反対側の出口からそっと体育館を抜け出した。

「七十点……かな」

 何点中か解らない点数を呟き、実に残念そうに首を振る。

「惜しかったよ、天川君。君は最後の最後で、真意を履き違えてしまった」

 そして、不吉な予言を言い残し、悠然とその場から立ち去って行った。

「これで彼女は一生、亡者のままだ」



 ~後日談~



 機材や木材が散乱してる部屋に、俺とじき会長は居る。

 ここが後に、生徒会執行部室になる予定だ。けど今はご覧の通りの有様で、近い内に片付けをしなきゃならない。あぁ、気が遠くなる。

 まぁその前に、解決すべき問題も山積みだけど。特に、卒業式での行動の反省文が大変だな。原稿用紙二十枚分って、鬼畜過ぎだろ……。そりゃ過ぎた行動だったけどさ……。

 それにまだ、メンバーが完全に確定していない。廣瀬は了承してくれたんだが、後一人……。龍をどうにかここに招き入れたい。何とか春休みまでには申請しておきたいんだが、果たして龍が簡単に受け入れてくれるかどうか……。

 まぁ、卒業式の時だって協力してくれたくらいだ。役員になる事くらい、あっさり首を縦に振ってくれる予感はあるが……。

「天川君」

「ん、あぁ。ありがとうございます、副会長。おかげで部屋には困らなくて済みますよ。いや、もう会長かな?」

「そうじゃなくて。〝会長〟の事、教えて欲しいの」

「……美咲さんの事か」

 どうせ隠すような事でもないし、会長になら、いいか。

 俺は近くに畳まれていたパイプ椅子を広げ、会長に座るよう促す。会長が落ち着いたところで、俺は積まれている荷物をどけて机に寄りかかり、話し始める。

「当然ですけど、ここで聞いた話は他言法度ですよ。いいですね?」

「……うん」

「それでは。――あんな美咲さんでも、まだ可愛い時期があった。会長みたいに、初々しく単純でドジな頃がね」

「それ、何気に私を攻撃してないですか?」

 会長は早速、むすっとした表情で指摘してきた。

「バレましたか。まぁ事実だからしょうがないですよね」

「しょうがなくないですよ!」

「それはともかく。――高校一年生の時、美咲さんに彼氏が出来ました。山田という男です。彼は評判が良くて、顔立ちもハンサムだし成績は随一。そんな彼と付き合えた美咲さんは幸せのはずだったんです」

「……そういうパターンですか」

 この後の展開を予測したのか、会長は嘆息した。

「現実は思ってる以上に残酷ですよ。――彼は美咲さんを、対等な彼女とは思ってなかった。所謂、肉便器扱いだったって事です。それに耐えられなくなった美咲さんは別れたいと言ったが、彼は辱めの写真をネットに流すと脅した。結局、その写真は警察に相談した結果破棄する事は出来たんだけど……。ここからが怖いところ」

 会長はわざとか解らないけど生唾を飲み込み、表情を固める。俺は話の続きを再開する。

「彼は、仲間ぐるみで美咲さんを襲ったんだ。つまりは、輪姦したって事です。……意味、解ります?」

「あ、当たり前です! 先輩を舐めちゃいけません!」

「じゃあ言ってみてくださいよ」

 俺の悪い予想が当たらなければいいけど。

「えっと……人民の、人民による、人民のための政治でしょ!」

 当たってしまったよ。何てテンプレな人なんだろう。

「それは十六代大統領でしょうが! 輪姦ってのは、複数の男が一人の女を強姦する事ですよ。より簡潔に言えば、多人数でレイプするって事です。身近に具体例を挙げるなら、俺と隼と大輝で会長を捕まえて身包み剥がして――」

「私で例えないで! もう解ったから!」

「なら話を戻しましょう。――その事件のせいで、美咲さんは孕んじゃったらしいです。勿論中絶したでしょうけど。それから、美咲さんの取った行動が更に怖い。いや、当然の報復と言えるかもしれないですけど。……単刀直入に言いますよ。美咲さんは、山田を殺したんです」

「えっ――!」

 会長は狼狽した。どうやら死人が出てくるまでは予測出来なかったようだ。

「銃殺でね。ほら、体育館で美咲さんが持ってた銃があったでしょ? あれで殺したらしいです。実は、美咲さんのお父さんは警察の上層部のお偉いさんで、その事件の刑事責任を圧力で揉み消したから、美咲さんは普通にその後の学園生活を送ることが出来たって訳で。――まぁ、流石に卒業式のは、銃刀法違反で罪に問われるでしょうけどね」

「……私、会長の事、何も知らなかった……ずっと副会長として近くに居たのに。――それで、体育館のあれは何だったの? 未だに意図が解らないんだけど」

 会長が怪訝そうに訊ねた。

 ここからは、完全な俺の推論の話。きっと、あの人とは違う考えだ。……だからこそ、あの人は俺に会いに来ないんだろう。

「美咲さんはあの事件以来、もう一人の自分が見えるようになっていた。ゴーストとでも言うのかな。それが美咲さんの支配欲の正体。美咲さんを救うには、ゴーストをなんとかしなきゃいけない。でも、これは美咲さん自身がどうにかしなきゃならない問題。だから、〝俺に消された〟という思い込みを生じさせる必要があった」

「思い込み?」

「プラシーボ効果ですよ。人間の思い込みの力は凄まじいものです。――あの時俺が撃った事で、ゴーストは死んだ。俺がゴーストを殺した。美咲さんはそう思い込んだ。まぁ、モデルガンなんですけどね。……よって、美咲さんは元の美しい美咲さんに戻れました。めでたしめでたし」

「……天川君は、凄いですね。そこまでの事を考えられるなんて。私なんて頭が固いから、会長になっても上手くやっていけるかどうか……」

 会長がしょぼんでしまった。

 凄くなんかない。結局俺は、あの人に踊らされていただけなんだ。それでも美咲さんを救えるのならと思っていたけど、吉報が無い以上、失敗したって事なのかもしれないんだから。

 あの後、美咲さんはどうなったのか、どんな状態なのかも解らない。それでも会長には、若干の虚飾を盛った結末を話した方が良かっただろう。

 とにかく俺は、異様に落ち込んでいる会長を宥める。

「いやいや。俺は俺の生徒会を貫いただけです。会長も、会長の生徒会を貫けばいいんじゃないですか? ほら、会長は無駄に元気ですし、そこを仕事に活かせばいい生徒会になりますよ」

「……褒めても、何も出ませんよ」

「解ってます。まだ搾れる大きさじゃないですもんね」

「笑うんじゃありません! いつかボンキュッボンになるんですよ!」

「美咲さんみたいに?」

「……そうです、会長みたいに、会長の意思を継いで、立派な会長になるんです」

 素晴らしい志を抱いている会長を元気付ける為に、俺は肩を叩いて、優しく言う。

「あなたならなれますよ。胸はともかく、ね」

「むーっ! 折角のムードが台無し!」

「別に会長とそうなったって嬉しくないですねー」

「酷い!」



 美咲さんが特別なんじゃない。突飛な訳じゃない。

 誰だってなり得る事だ。ただ普通の人の場合、恐れて行動に移さないだけ。自分を犠牲にしたくない。それが心理。

 美咲さんは、己を捨ててまで強くあろうとした。間違ってはいない。その意志は、正しかったんだ。

 安心して下さいよ。

 小さくても器のでかいこの人が、会長の意思を継ぎますから。

 安心して下さいよ。

 俺達は思いっきり、笑って楽しんでいきますから。

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