第-2話:その言葉には優しさを包んで
~約三ヶ月前・十月初めのとある日~
「――やぁ、君が喜多美咲さんか。思った通りの美人で良かったよ」
町を見下ろせる展望台。
そこは公園にもなっていて、子供達が砂場やブランコで遊ぶ遊戯場にもなっている。無料で望遠鏡を楽しむ事が出来る、開放的で空気の美味しい場所だ。
望遠鏡の傍で、遠い眼差しを町に投げ掛けていた女性に、一人の男が話し掛けた。
その女性は、金髪の長髪を流している見目麗しい女性だった。赤いワンピースを着た彼女は、どこか寂しそうな表情で振り返る。
「……あなたが、鬼神さん、ですか?」
喜多と呼ばれた女性は、背広を着た男を見る。
柔和な表情を浮かべる、優男と言った印象だった。それを強調するような朗らかな声で、鬼神と呼ばれた男は優しげな眼差しを向けながら話す。
「あぁ、いきなり呼び出したりしてごめんね。――それにしても驚いたよ、まさか本当に来てくれるなんて」
「いえ、お構いなく。……ところで、今日はどういったご用件ですか?」
「うん、それはね……」
――どうせ下手なナンパだろう。
喜多はそう思っていた。
突然、自分の携帯電話に鬼神からのメールが来たのは、つい先日の事だった。出会い系の迷惑メールかと思ったが、やる事も無かったので何となくの気分で返信してしまった。
そしたら当然のように返信が返って来て、それにまた返信するというスパイラルに陥り、最終的にはこのような形に収束する事となった。
どう考えても、彼女にとって利益は何一つ無い、無駄足に尽きる行い。下手をすれば不埒な事件に巻き込まれかねない。女子高生が手を出すには早すぎ、尚且つ危険な領域だ。
しかし彼女は、それを完全に理解した上でこの場に訪れた。病んだ心を持ったが故に。
「まずは一つ、断っておこう」
鬼神は人差し指を立てて――まるで喜多の心情を見透かすかのように、柔らかい表情で言う。
「俺は、君をナンパしに来た訳じゃない。君の身体をどうこうするつもりは無いから、どうかあまり警戒しないで欲しい」
「そう言う人に限って、身体目当てなパターンが多いんですよね」
「あぁ、そうだね。君はもう経験があるからね」
「……?」
鬼神の言葉に、喜多は疑問を浮かべる。
〝ありそうだね〟と言うのなら解る。推測の域での言葉は、この状況に置いては至って自然の選択だからだ。
しかし鬼神は、〝あるからね〟と、断言の域での言葉を選んだ。つまり、何か根拠があってそう言ったのだ。
即ち鬼神は、自分の事を知っている。それも漠然的でなく、より深い事情まで。
――この男は、只者じゃない。
喜多は不気味な不安感に背筋をなぞられ、より警戒心を強める。
だが鬼神は――その心中さえも見通すかのように、楽しげな笑みを浮かべながら言う。
「ははっ、君は賢いね。けど、俺はこう言ったはずだ。――警戒はするな、ってね」
「――ッ!」
鬼神の底知れぬ力を帯びた言葉に、喜多の五感は冷たくなる。
「……読心術でも、お持ちなのですか?」
「んー、まぁそう思ってくれて構わないよ。君が普通じゃないって事は、始めから解ってるから。俺も普通じゃないしね」
嘯く様子もなくそう言う鬼神に対し、喜多の脳内に響く警告音は更に大きくなっていく。そして喜多は試すかのように、鬼神に薄っぺらな笑顔を向けながら訊ねる。
「じゃあ、私がどんな抵抗をするかもお見通しですか?」
喜多は手を後ろに回し、下着に隠してある物を掴んだ。
しかし鬼神はまったく動じる事なく、淡々と言ってみせる。
「大体はね。懐にナイフを忍ばせてるだろう? いざとなったらそれで俺を一刺しするつもりなんだろうけど……。それは出来ないよ」
「……?」
「もし君が余計な事をしようとするのなら――。君が受けた屈辱を、もう一度味わわせるだけだ」
「ッ……!」
自分の受けた過去の屈辱。決して忘れない、忌まわしき光景。
それが己の脳裏にフラッシュバックし、喜多の身体は自然と硬直する。まるで金縛りでも受けたように。
「俺だってそんな事はしたくはない。でも、俺もまだ死ぬ訳にはいかないんでね。何事も穏便が一番だ、とりあえず楽にしてくれないかい?」
「…………」
喜多は蛇のように睨みながらも、渋々得物から手を離し、構えを解いた。
「結構。それじゃあ、話を始めようか」
そう言って鬼神は、柵に身体を傾け、喜多の顔を見つめる。
期待を孕ませたその表情は、喜多に何か薄気味悪い感覚を覚えさせる。
「……? あなたから、話があるんじゃないんですか?」
「半分正解。もう半分は、君自身が知っているはずだ」
「はぁ……?」
「俺の最大の目的は、君の話を聴く為さ」
「私は、あなたに話すような面白い話は知りません」
「君は、大きな悩みを抱えているだろう? ――自分のしている事の正しさを、己の中で常々問い続けている、違うかな?」
「っ……。あなたに、私の何が解るって言うんですか?」
語気を強めて問う喜多に、鬼神は変わらぬ表情で答える。
「全てだ。君の行っている事も、君の過去も、君の本心も解っている。――その上で俺はここに居るんだ。君を、救う為にね」
「私を……救う……?」
「そう。――さぁ、話してご覧。他言は絶対にしない。自分の好奇心は、他人に漏らさない主義だからね。俺は君に興味を持った。これが君にとっては僥倖なのさ。君はこう思っているだろう。〝やっと話を聴いてくれる人が現れた〟と。……ほら、身体の力を抜いてご覧。そうして君の中の毒を、俺に向かって放つんだ。難しい事じゃないよ。まずは深呼吸をして、目を閉じて――」
鬼神の言葉は、まるで催眠術のように喜多の五感に染み渡り――。
気付けば喜多の口は、流暢な言の葉を紡いでいた。
「――俺は全てを知っている上で、敢えて君にその復唱を求めた……。何故、こんなまどろっこしい事をしたか、解るかい?」
「……解りません……」
虚ろな表情で答えた喜多に、鬼神は満面の笑みを浮かべる。
「解らなくて良いんだよ。――そして、君のしている事は、正しい」
「本当、ですか……?」
鬼神は喜多の耳に口元を近付け、怪しく囁く。
「だが、足りない。そんなものでは、君の正義は伝わらない」
「では、どうすれば……?」
「君に俺の力を分けよう。誰にも屈する必要の無い、強固たる力だ」
そう言うと鬼神は顔を離し、一枚の名刺を喜多に渡す。
「これは……?」
「助力が欲しい時は、迷わずその番号に電話するんだ。俺の友人が出る。力になってくれるよ。――その力を使って、君は君の思い描く〝理想郷〟を創り上げるんだ。君に歯向かう者は全て敵だ。その者達は、悉く排除するんだ。そして君に選ばれた者達の中で、君は皆から賛美されながら、晴れやかに卒業するんだよ」
「私は……何をすれば良いんですか?」
「簡単さ。君はね、笑えば良いんだ。本心のままに――笑っていれば良いんだよ」
「……はい、解りました。――解りました」
喜多は笑顔を浮かべた。
その笑顔が、まるで猛獣のそれのように歪んでいる事にも気付かずに。
鬼神もまた――愉悦の笑みを自分に対して浮かべている事にさえ気付かずに。
クリスマスの近付くこの季節。
豪勢な屋敷の広大なリビングは、俺の一言によって圧倒的な静寂に包まれていた。もう俺が言葉を発してから三分は経つ。あーあ、即席ラーメンにお湯かけとけば良かったな。時間も時間だから、小腹が空いてるんだよな。
にしても、返答に時間掛かり過ぎだろ。まぁ直球すぎたかなとは思うけど、テンプレの一言くらいは返せるはずだ。それもないとなると、よっぽど予想外な一発だったようだな。逆に予想されてたら困るけど。
さて、別に俺は短気な訳じゃないが、延々と黙りこくられてたらどうしようもない。話をしない事には始まらない。もう一度ノックして、声を掛けてみる。
「おーい、いい加減応答してくれよ。本当の事なら今頃ズルズルいってるところなんだぞ。それとも何か? お前の頭は煮え切らないと働かないってのか?」
「五月蝿い。死ね」
「まだ命は大事にしたいね。ていうか俺の言った事、聞いてたか?」
「五月蝿い。死ね」
「何だか俺をマゾと間違えてねーか? まったく興奮しないから止めて欲しい」
「五月蝿い。死ね」
「リピート機能とは便利なこった。――そろそろ、本格的なキャッチボールしようぜ?」
「五月蝿い。死ね」
「そうか、キャッチボールは苦手だったか。なら――」
バトミントンだなと言い掛けた時、ドアが開かれた。今までの話相手と思われる人物が、目の前に仁王立ちしている。
親譲りの長く白い髪は左右におさげして、ドリルの如く縦ロールにされている。黒シャツの上に白のカーディガンを着て、白のショートパンツに黒のニーソックスを履いている。流石は家族と言うべきか、身長やBWHには若干残念感が否めないが、優美さを兼ね備えている。
夏美さんに似たその顔は綺麗な形だが、目がまるで豹のようだ。見るもの全てを敵視するような、見るものを寄せ付けないような。
ポジション的には、山高で例えれば会長に近いものだな。しかしこちらには、バリッバリのツンツンオーラが醸し出されているが。
「何ジロジロ見てんの? 気持ち悪っ」
「ふっ。最高の褒め言葉をありがとう」
もう慣れちまって、俺の中ではそういう認識に落ち着いている。
「マゾじゃん、気持ち悪っ。――入りたきゃ入れば?」
罵倒しつつも、俺を部屋へ招き入れるという事は、もしかして早速攻略しちゃったって事か!?
……いや、だったら顎で示したりはしないよな。そもそも今まででどうしてそんな事になり得るのか。自分のお気楽煩悩にいい加減鬱陶しさを感じる。
何はともあれ、俺は扉を開ける事が出来た。その先に広がる光景を、双眸に焼き付ける。
「……こりゃすげぇや」
入って、圧巻。世界の広さ、いや日本の広さというものを、改めて実感させられた。
まず、広さ。軽く俺の四畳半の三倍、いや四倍? それとも五倍? とにかく広く、一面に橙色の床と壁が広がっている。あれだぞ、俺のは玄関とキッチンを含めてだぞ? あんな部屋で満足してるのが哀れに思えてきた。
次に、匂い。俺ん家じゃ畳と虫の臭いしかしないから、この匂いに思わず魅了されてしまった。女子の部屋は良い匂いがするって本当だったんだな。廣瀬の部屋は、お世辞にも良い匂いとは言えなかったから、あまり信用してなかった。
最後に、小ささ。遠近感、と言うのだろうか、ベッドと机がめっちゃ小さく感じる。この広さと小物の無さが災いして、ちょこんとしていて可哀相に思えてきた。決して低価の物ではないんだろうけど。
ていうかスペース持て余しすぎだろ……。我が儘の出来ない俺の身になってみれば、どれだけ恵まれているのか解る。MOTTAINAIとはこの事だ。
「何ボーっとしてんだよ。気持ち悪いから歩け、茶髪頭」
「立ってるだけで気持ち悪いとは失礼だな! それに俺には天川って名前があるんだ! 茶髪頭だなんて無粋な呼び方で呼ぶな!」
「ふんっ、知るかっての」
なるほどな、こんなのと相手してたらビキビキ来るのも無理は無いな。今やっと大輝の気持ちが解ったよ。
二ノ宮がベッドに足をぶら下げて座ったのを見て、ふと俺は疑問に思う。
「ん、俺はどこに座れば良いんだ?」
「立ってればいーじゃん?」
「いやいや、座りたいんだけど」
「じゃ、そことか」
爪先で示した先は、地べた、即ち床。
「……関野と廣瀬は、座布団用意してくれたんだけどな」
「何か言った?」
「いーえ」
若干憤りながらも、俺はその場に胡坐をかいて座り込む。なんだなんだ、ちょっとくらいの気遣いはあってもいいんじゃねぇの? まったく、最近の若いのは心が狭いんだから。
「不満そうな顔すんじゃねーよ。蹴るぞ」
「だから俺はマゾじゃねぇから!」
「ふんっ!」
うぬぅ……圧倒的なツンっ気。デレる様子は、一切無い。……いや寧ろ見たくないな、気持ち悪そうだ。
さて、こんなプレイを楽しんでる場合じゃない。俺は別に楽しんでないけど。話すべき事を話さねばならない。その為に来たのだから。
「本題に入っていいか?」
「……あたしが殺したって、どういう事だよ」
「ん、あぁ。お姉さん……夏美さんの事故死は、当然知ってるよな」
「一応、家族だからね。耳塞いでも入ってくるわ」
〝一応〟
納得出来る据え置きだった。
「そうか。だったら残念な報せかもしれないな。――あれは事故死じゃないんだよ。他殺なんだ」
「……はぁ?」
「廣瀬に警察のデータベースに入って調べて貰った。この事故についての記録もしっかり残ってたよ」
「それ、普通に犯罪じゃん。通報しよ」
とても普通の反応をされてしまった。俺は慌てて二ノ宮を止める。
「待て待て待て待て! 早まるんじゃない! そんな事されたら捕まっちまうだろ!」
「きゃははっ、ウケる」
「ウケるな! とにかく、今は俺の話を聞け! 折角のシリアスなムードが台無しだろうが!」
「ウケる~」
「はぁ~……」
こりゃあ、再教育が必要だな。近い内に家庭教師を雇う事を勧めておこう。
いや、悪い事をしてるのは間違いなくこちらだからそんな資格はないのだろうけど……。
「続きな。警察のデータベースには、この事故……いや事件について記されてた。容疑者もはっきり載ってたよ。――二ノ宮春香。お前の名前がな」
「…………」
沈黙。
時によってそれは、肯定の意を示す。罵倒を好むこの娘がこうなるという事は、今がまさにその時という事だ。
「何故大事に至らなかったかは、この屋敷を見れば想像に難くない。金っていう権力を使ったんだろうな。汚いね、まったく」
「…………」
「どういう事かは説明したぞ。――あっ、証拠出せとは言わないでくれよ。今は無いから。明日にでも、廣瀬に見せて貰えば解る事だ」
「…………」
「さぁ、原点回帰だぜ、お嬢様」
俺は右足の膝を立たせ、右腕を置いて、顔を俯かせている二ノ宮に、先程の質問をする。
「どうして、夏美さんを殺した?」
ふっ、決まったっ。
「……カッコつけんなよ、気持ち悪っ」
あれっ、決まってなかったっ。
仕方なく俺は胡坐の体制に直る。
「そうだよ」
二ノ宮は短く言って、顔を上げた。
目が細く据わり、禍々しく黒い瞳が俺を捉える。
常人の目? 否。この目は、イカれた奴の目だ。こんな目を幾つも俺は見てきたから解る。常軌を逸した目。狂気の沙汰の目。
「あたしが殺した。殺した。殺してやった。殺してやったよ。フフフっ……」
さっきまでのギャル混じりの声とはまったく別物の声だった。低く、暗く、どす黒い。少なくとも、十四歳の少女のそれとは思えない。
「それは知ってんだよ。俺はどうして殺したかを訊いてるんだ。お母さんから聞いたが、素晴らしい姉じゃないか。本来誇りである姉を、どうして――」
「誇り!? 誇りって何!? 埃の間違いじゃないの!?」
「意味としては雲泥の差だな。そこまで感じる出来事でもあったのか?」
「うぅわっ! マゾに加えて変態かよっ、最悪じゃん!」
「何か致命的な勘違いしてるよな。別に性的な意味じゃねぇよ。ていうか、今の流れで何でそうなる? いつもならこんな会話は大歓迎なんだが、今はそんな気分じゃないんだ。質問に答えてくれよ」
「チッ」
どうやら話題を逸らそうとしたらしい。しかし、残念ながらそうはいかない。まずは二ノ宮の心境を確かめないことには始まらないからな。
俺の真剣な表情に圧されたのか、二ノ宮は話し始める。
「あんたは、あいつの事、どんな風に聞かされた?」
あいつとは、夏美さんを指すのだろう。俺は天井を見て、秋奈さんの言葉を思い出す。
「んーと、〝大変素晴らしい子でした。私達の言う事に全て従って、勉学にも努めて、難関校にも合格して。正しく才色兼備をその身で示していました。将来は、夫の会社を継いで、より多くのお金を稼いで、私達を養ってくれると思っていました。〟って聞いてるけど」
我ながら感服するぜ、この記憶力! 言っとくけど、コピペではない。断じて。
「やっぱり。そんなこったろうと思った」
「ん? 違うのか?」
「いや、表向きは合ってるよ。で、あたしは?」
「えっと、〝怠惰の象徴と言っても過言ではありません。夏美と違って、私達の言う事は聞かないし、勉学は放り出すし、口答えはするし。だから、私達はあれに構うのはやめました。〟って言ってたな」
「はっ。思った通りだ。ふざけんなよ……」
「やっぱ、違うのか?」
「…………」
再び沈黙。これが何の意を示してるかは解らないが、どうも嫌な匂いがする。
「あいつは、優秀だったよ」
さっきの低い声で言の葉を紡ぐ。
「何でも言う事聞いて、何でもやって、何でもやった。全部うまくやってた。完璧だよ。ババァがそう言うのも、無理はない」
「それでもってあの容姿だ。自慢するのも解るぜ」
もしあの人が見合い相手だったら、光の速度で結婚するだろうな、俺なら。
「確かに、あいつは賢かったさ。その才能が、喉から手が出るくらい欲しかった。もういっその事、奪ってやりたいと思ったくらい。でも、そんなの出来ない。だからあたしは努力した。あたしなりに、全身全霊で努力したつもり。……それでも、あいつには届かなかった」
何となく、話の筋が見えてきた。
机の上に置いてある木彫りの小鳥。夏美さんの部屋にあったのと同じものだ。形はまったく違うが、こちらのは血の滲む努力の跡が窺える。あちらに比べれば芸術品には程遠いが、より良い物を作ろうとした熱意は伝わる。
「あたしは認められようと必死だった。言われた事には何でも従ったし、何でもやった。――でも足りなかった。あいつと見比べると劣ってたんだ。完璧主義者の……守銭奴のババァには、見えるところがなかった」
「ふむ……」
「段々とさ、どうでもよくなってきたんだ。ババァには見向きされないけど、あいつはあたしを見てくれてた。優しく接してくれた。こんなになったあたしでも、変わらずに」
「なら、どうして?」
「偽善だったんだよ、全部!」
豹の目が俺を睨む。
「ある日、家に帰ったらリビングでババァとあいつが話してた。話題は、妹の価値について。酷い言われようだったさ。出来損ないだの屑だの。ババァだけならまだしも、あいつまでそれに乗っかってたからショックだった。そんな風に思われてるなら、死んでやる。初めはそう思った」
その瞬間、俺の背筋が凍った。
「……まさか、お前は幽霊かっ!?」
思わず身体が仰け反る。
「ばーか。ただ死ぬだけじゃつまらないじゃん。いっその事、二ノ宮の名を汚すつもりで、今回の件を思い付いた。だから事件が事故で済まされたのには驚いたよ。……ちっ、逮捕された方が面白かったのに」
あぁ良かった。呪い殺されるかと思った。
……いや良くねぇか。
「つまり、夏美さんがお前の事を罵ってたから殺したって事か?」
「それだけじゃない。あいつさえ居なければ、あたしは愛を感じる事が出来た。本来平等に与えられるはずのそれを、あいつは根こそぎあたしから奪ったんだ! 〝金の成る木〟はあいつだったんだよ! ……解るかよ、この気持ち! 誰からも愛されずに生きてきたこの気持ちが!」
「解るよ」
「!」
二ノ宮は俺の言葉に驚き、表情を固めた。
「俺も、本来なら誰にも必要とされなかった人間……いや〝モノ〟さ。たまたま出来た過程品。愛なんて、以ての外だった」
「……そうやって、同情する振りしてるだけだろ! あたしは騙されねぇぞ!」
「別に信じたくなきゃ信じなくていいよ。俺も信じて欲しいとは思ってないしな。――俺がここに来た理由は一つ。伝えに来ただけだ」
「伝え、に?」
俺は鞄の中から一冊の黄色いノートを取り出し、二ノ宮に差し出す。
「……これは?」
「夏美さんの日記だ。ちゃんと全部読んどけよ。号泣必至だ」
「日記……?」
二ノ宮は恐る恐る受け取って、最初のページを開く。
「……!」
その見開かれた瞳には、ぐちゃぐちゃに捻り曲がった歪な言葉の群れが映っているだろう。
「さっきお前は、夏美さんが出来損ないだの屑だの罵ってたと言ってたけど、それは心からの声じゃない。夏美さんもまた苦しんでた。秋奈さんからの過度な期待、重すぎる労働。その時だって、合わせないと自分の身が危ないと思ったんじゃないか? あの人なら、本気でバイオレンスに成りかねないからな」
「…………」
二ノ宮はページを凝視していて、聞く耳を持ってないようだ。
それも解る。俺だって初めに見た時は心底驚いた。
果たしてこの家族に、幸せな人間は居たのだろうか。
読み終えた時には、そんな自問が浮かんだくらいだ。
「――自殺するつもりだったみたいだな、夏美さん」
「はぁッ!?」
「おっと、ネタバレ自重ってか」
俺はおどけて、鞄から純白のマフラーを取り出し、二ノ宮に放った。
「これは……?」
「お前へのプレゼントさ。フロム夏美さん」
「ぷ、プレゼント……?」
呆気に取られた二ノ宮は、信じられない様子でマフラーを嘗め回すように見ている。ちなみにそれは手製なのだが、まぁ刺繍されてる〝春香〟って文字を見れば解るだろう。
「ま、俺が伝えたかったのはこれだけ。どう受け止めるかはお前次第だ。真実として取るか、虚実と取るかは」
「…………」
と言っても、筆跡から夏美さんだって事は、二ノ宮も解ってるだろうが。
――さて、そろそろお暇しなければならないようだ。俺の腹が叫ぶ。
「んじゃ、腹減ったからもう帰るわ。また来るから、その時はよろしく」
正直な気持ちを述べて、俺は鞄を右手に立ち上がる。
「ちょ、待てよ!」
「おやおや」
俺は嫌らしい顔(だと思う)で振り向き、ニタニタ笑う。
「もしかして、デレか? 俺、ツンデレをとうとう攻略しちゃったのか?」
「ふざけんな! 説明が足りなすぎんだよ! 何であんたがあいつの日記を持ってて、このマフラーを持ってんの!? まさか勝手に入ったんじゃねーだろーな!?」
「ちゃんと秋奈さんに断ったよ。理由は単純、好奇心だ」
「……面白くねぇよ。何にも面白くねぇ。あんた、何が目的でこんな事しに来たんだよ。うぜぇっつーの……」
「面白いかなんて関係ねぇよ。これは見せ物じゃねぇんだ。面白くある意味も、必然性もないんだよ」
「偽善だろ、あんたのやってる事は! どうせあんたも、最後にはあたしを裏切るんだ……ッ!」
「じゃあ約束しよう。俺は絶対に、お前を裏切らない。――これで、お前は絶対に俺に裏切られる事はないさ」
「これ? これって何だよ! 高が口約束でそんな保障ねぇだろ! どうせ反故にする癖に! いっちょ前にカッコつけてんじゃねぇよ!」
「約束は破らない」
二ノ宮が声を荒げたのをお構いなしに、俺は出口のドアノブに手を掛ける。
「それが俺の生徒会だ」
「……信じねぇかんな。あんたの事なんか……絶対にッ!」
「俺は信じなくても良い。――でも、夏美さんは信じろよ。その日記に綴られている全てが、夏美さんの肉声そのものだ。……金の成る木は、カラスに一生たかられる運命だったんだよ」
「あたしは……あいつの事なんか……!」
「もしも信じる気になったら、自分と向き合ってみたらどうだ? 自分の出来る事を、すれば良い」
「あたしに出来る事……? そんなの、あいつが全部……っ!」
「お前にしか出来ない事、あるはずだぜ。自分を信じろよ」
「あたしに、しか……?」
「じゃあな」
頭を抱える二ノ宮を尻目に、俺は部屋を出る。
彼女は自分から罪を被った。だけど結局、その罰からは逃げ続けた。
だったらもう――するべき事は、解ってるはずなんだ。
後は彼女を信じるしかない。
彼女達を、信じるしか。
クリスマスの朝。山ノ下高校は、それはもうとても寒い空気に包まれていました。
冷気で凍える一方の教室では、生徒が溢れ返っていました。入り口で懸垂をする生徒、机の周りに屯って談話する生徒、静かに読書をする生徒と、行動は様々です。
規定の時刻に、朝のSHRの始まりを告げるチャイムが学校中に響き渡り、生徒達は各々の教室に散って行きます。
教室に担当の男性教師が入室すると、時間ギリギリまで話をしていた生徒が自分の席に着きました。教卓に教師が出席簿を置いて、「号令」と若々しい声で言い放ちます。
それを合図に、冬の季節にそぐわない長袖のワイシャツ姿の男子生徒が「起立」と声を掛けました。生徒全員がその場で起立し、「礼」で全員が着席しました。「相変わらず挨拶がないな」と教師は嘆き、出席簿を開きます。
「今日の欠席は……。珍しい、居ないのか」
「何言ってんすか。いつも通り二ノ宮が居ないっすよ、先生」
先程号令を掛けた生徒が、腕を組んだ体制で言いました。
「あぁ、二ノ宮なら登校して来ている。今は廊下に居るんだ」
「……ぁ?」
その一言を切っ掛けに、教室で言葉が飛び交います。
「は? 何で、どういう事?」「あいつもう登校して来ないんじゃないのかよ」「どうして来ちゃうのー? ありえなーい」「あの顔見るだけでむかつくんだけど」「一生お屋敷の中に閉じこもってろっての」「死ねばいいのに」
「静かにっ!」
教師の一喝で、教室は静まり返りました。
「どうやら私の知らない間、クラス内で一悶着あったようだな。それで二ノ宮も責任を感じて登校しなくなったと言うじゃないか。……やっぱり、これも生徒会の圧力なのか、小林?」
小林と呼ばれた生徒――先程号令を掛けた生徒は、そっぽを向いて知らん顔をしました。教師は嘆息し、続けます。
「まぁいい。二ノ宮はその事について、話がしたいそうだ。同じクラスの一員として、ちゃんと耳を傾けて聞くように」
教師がそう言ったところで、生徒の大半は呆れ顔をして笑いました。とても話を聞くような態度ではない姿勢が多くを占めている現状に、教師はまたも嘆息しましたが、言っても無駄だと悟り、閉まってる入り口に顔を向けます。
「二ノ宮、入れ!」
それを合図に、引き戸がゆっくりと開かれました。その奥から、一人の女子生徒が行儀良くお辞儀をしてから入室し、引き戸を戻し、教師がどいた教卓に立ちます。
生徒達が彼女を見た瞬間――。大勢の絶句と唖然が混ざり合った顔が、一瞬で出来上がりました。
とても長かった髪は首筋までショートヘアーに切り揃えられ、以前はだらしなかった制服は綺麗に整えられ、全てを敵視するかのようなその瞳は、柔らかく穏やかな瞳になっていて――生徒達の知る彼女とは、まるで次元を超えた別人でした。
静寂に包まれた教室の中で、生徒達は徐々に我に返り、驚嘆の声が四方八方から飛び跳ねます。
「はっ……誰?」「言ってたじゃん、二ノ宮だよ」「嘘でしょー? 転校生かと思ったし」「ドリルが無くなってる……」「幽霊に取り付かれたんじゃね?」「馬鹿、自縛霊だろ」「どっちも同じじゃん」「悪魔だ、悪魔に魅入られちまったんだ」
「みっ……皆さんっ!」
二ノ宮と呼ばれた生徒が張り詰めた声を上げると、それらの声は止まり、皆が沈黙して次の言葉を待ちました。
「……ッ!」
二ノ宮は過去と現在を照らし合わせ、一瞬躊躇しましたが――。
次の瞬間、思いっきり頭を下げました。
ゴツンと額が悲鳴を上げ、反射して「イタッ!」と顔を上げて額を両手で押さえます。
『…………』
二ノ宮が目尻に涙を浮かべながら額を撫でてる様子を、生徒一同と教師はまじまじと見ていました。今までの二ノ宮からはどう頑張っても見れない光景だったので、興味が底から本能的に動いた結果でした。
その視線に気付いた二ノ宮ははっとし、その場から一歩横にずれて、再び頭を深く下げました。
「今までご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした!」
やっと言えた一言を切り口に、頭を下げたまま、用意してきた台詞を吐き出します。
「私は自分勝手でした! 他人の迷惑も顧みずに、生意気な事ばかり言って、皆さんに不快な思いをさせてきてしまいました! 許して貰おうとは思ってないです! これからも皆さんに迷惑を掛けない様、登校は自粛するつもりです! でも、どうしても一言謝っておきたくて、この場にお邪魔した次第です! 本当に、ごめんなさい!」
最後にもう一度頭を下げて、秒針が三つ数えたところで頭を上げて、無言の教室を出ようと引き戸に手を掛けたその時、
パチッ。パチッ。
等間隔の拍手が聞こえ、その方向を見ると、小林がそっぽを向きながら、ただ拍手をしていました。
否――。ただ、合掌する動作を繰り返していました。
何の意味を込めての行為なのか、二ノ宮も教師も他の生徒も理解し兼ねました。十数回叩いたところで、両手を合わせたまま、
「いいんじゃねーの?」
不敵な笑みを浮かべました。
「こうして頭を下げて謝ったんだからよ、全部チャラって事で。並じゃビビってお家にお篭りなところでここまで勇気を出したんだ、称賛してやろーじゃねーか。……なぁ、皆?」
生徒達は互いに顔を合わせ、未だに意図が掴めずに怪訝な表情を隠しきれずにいます。
「で、でもっ!」
二ノ宮は逆接の語を用いて言います。
「私はっ、小林君にっ、酷い事を……」
「あーあーあー、うるせーうるせー。んなこたぁもう気にしてねぇよ。だからウジウジすんな。前のお前はどこ行っちまったんだよ、おい」
「……でもっ!」
「あーうっぜぇな! 俺がいいって言ってんだからいーんだよ! ぜーんぶおしまいだ! それでいいだろ、えぇ?」
小林が立ち上がって教室を見渡して言うと、「小林がそう言うなら……」や「別にいいけど」と所々から聞こえてきました。
「まっ、あたしは元から嫌いじゃなかったけどねー」「しかし、ツンデレ好きとしては複雑な心境だなぁ」「よく見ると可愛いよな、二ノ宮って」「それに良い匂いもするし」「流石はお嬢様だよね」「しかも貴重な貧乳だしな」「それおかしくね?」
「……え?」
罵詈雑言の嵐を予想していた二ノ宮は、驚きのあまりきょとんと立ち尽くしていました。先程廊下で聞こえた非難の荒波は何だったのかと己の中で問いましたが、当然のように答えは出ませんでした。
「そういう事だ。良かったじゃないか二ノ宮。蟠りは解消しただろう?」
窓際で場の流れを眺めていた教師が教卓に戻り、一つの席を示しました。
「あそこはお前の席だ。そろそろ一時間目が始まるから、早く席に着いて、授業の準備をしなさい。――と、その前に……」
俯いてる二ノ宮を見て、軽く――微笑ましく息を吐いて、
「まずは、顔を洗わないとな」
優しく、顔を覗きながら言いました。
夕刻――太陽が落ちようとしてる頃。
人気の無い商店街を一人、二ノ宮は歩いていました。挟む店はどれもシャッターが閉まっていて、表面はどこかの誰かがスプレー缶で書いた、芸術的で思わず感心してしまうような落書きが支配していました。
「こんなに綺麗な落書きが書けるなら、もっと別のことに活かせばいいのに……」
二ノ宮がそれらを見ながら呟きました。
この日、二ノ宮は教室で皆の注目の的でした。今まで訊けなかった事をたくさん訊かれたり、他愛の無い談話をしたり、鞄を持ってきてなかったので初めて人から物を借りたり。友達が誰一人居なかった二ノ宮にとって、とても刺激のある一日でした。
ただ一つ、懸念してる事がありました。
つい先程まで自分を拒否していたのに、何故こうも簡単に自分を受け入れてくれたのか。
もしかしたら、それは見掛けだけで、明日には手の平を返されるのではないか。その時は嬉しさのあまり涙腺が崩壊してしまい、考える間もありませんでしたが、今冷静にこうやって考えると、偽善にも思えました。
「……偽善……」
過去の経験が脳裏をよぎり、不安が胸に募ります。
――今度は、どっち?
心の中で問うても、答えは出ません。
「……んっ!」
突如、自分の頭が何か柔らかい物に当たったのを感じて、顔を上げます。
当たった物とは、人の腹でした。お世辞にも屈強とは言えない腹筋の持ち主は背の高い男で、とても怖い顔で二ノ宮を見下ろしています。
「ご、ごめんなさい!」
二ノ宮は危険を察知して、すぐさま頭を下げて脇を通ろうと思いましたが――。
案の定と言うべきか、その男に肩を掴まれました。
「おい、こいつか?」
「あー、そうじゃね?」
背後から更に二人、柄の悪い男が出てきました。
「白い髪のチビっ娘……。山高の制服だし、間違いないっすね」
「そか。――お嬢ちゃん、痛い目遭いたくなけりゃ、大人しく付いて来なよ」
「……!」
〝知らない人にはついて行くな〟
遠い昔、母親に言いつけられた言葉を思い出し、二ノ宮は首を振ります。
「い、嫌です! 放して下さい!」
二ノ宮は掛かっている手を振り払い、逃げようと身を翻しましたが――。
「おぉっとぉ」
別の男に退路を塞がれ、結果三人に取り囲まれてしまいました。
「あっ……」
「いやさ、俺もこんな事はしたくねーんだけどさ……お金の為なのよ」
「好き放題やった上に金を貰えるなんてな。お宅の生徒会は太っ腹だねぇ」
一人が二ノ宮の腕と口を瞬時に押さえると、二ノ宮は軽い悲鳴を上げました。
「んんっ!」
「おい、お前ってロリコンだろ? 最初はお前に譲ってやるよ」
「おっ、マジっすかぁ? へへへ、申し訳ないっす」
「あ、でも処女は俺が貰うかな」
「ちょっとちょっと、俺にもやらせて下さいよ?」
男達の慈愛の無い会話を聞いた二ノ宮は、この先自分が何をされるのか想像し――。身体が震え始めました。
「嫌……やめて……!」
やっと発した言葉はあまりにか弱く、男達の卑しい笑みを誘うだけでした。
そして再び口は押さえられ、とうとう一人が局部に手を伸ばしていきます。
――どうして?
――どうして生徒会は、こんな酷い事をするの……?
――折角、皆に謝れたのに……話が出来たのに……。
〝てめぇなんかな、誰にも必要とされてねぇんだよ。愛されてもいねぇんだよ。ただ存在がうぜぇだけなんだよ。だからもうその面見せんじゃねぇ。吐き気がすんだよ、成金ビッチが〟
――あぁ、そうか。
――結局は、そういう事なんだ。
奇妙な納得感と、不穏な緊張感。
この二つに蝕まれながら二ノ宮は、目を閉じてその時を待つしかありませんでした。
自らの罰が下される、その時を――。
しかしそれは、思わぬ障害に阻まれる事となりました。
「――ッ!」
男の頭に何かがぶつかり、その衝撃に脳を揺らします。
「あぁ……?」
落ちていたのは、別段変わりの無いスクールバッグでした。
男はこれが自分に投げつけられた物だと悟ると、ワナワナと身を震わせ、
「何だぁ!?」
怒号と共に、後ろに振り返りました。
するとそこには、ワイシャツ姿で角刈り頭の高校生が一人、何食わぬ顔で立っていました。
「おい、こいつはテメェのかぁ!?」
「わりぃ、砲丸投げの練習してたら当たっちまった、うん」
「なめてんのかテメェゴラァ!」
二ノ宮を拘束していた男が、吠えながら走って殴ろうと振り被りましたが――それはあっさりと回避され、
「がぁっ!」
返しのブローを顎に食らって倒れてしまいました。
「――!」
その光景を見ていた二人は、即座に理解しました。
――こいつは、相手しない方が良い。
「あんちゃん、悪い事は言わねぇ」
リーダー格の男が、和解を求めるかのように手を広げて近付きます。
「砲丸投げの練習たぁ熱心だな、感心するぜ。何、それで当たっちまったんなら仕方ねぇ。寛容の精神って奴で許してやろうじゃねぇか。――どうだい、あんちゃんも結構なワルだろ? 今からこの女を一発ヤってやろうと思うんだが、あんちゃんも一緒に――」
「うるせぇよ、馬鹿」
最後の言葉の直前に、男の股間は振り上げられた脚によって潰されました。
「ぬっ! ぐっ、おぉっ……!」
男は痛さのあまりにその場に座り込み、股間を押さえ悶えます。
「残念、もうてめぇのキンタマは役に立たねぇな。そいつでどうやってヤんだよ、えぇ?」
「この野郎!」
倒れていた男はナイフを取り出し、高校生の向かって突進します。刺されれば確実の致命傷。下手をすれば死んでしまうかもしれません。
しかし彼は至って冷静に男を捉え続け、直前のところで身体をよじり、鮮やかに回避。お返しに、肛門に鋭い蹴りを贈りました。
「ぅあぁっ!」
男はナイフを捨て、苦悶の表情で自らの肛門を押さえるという、みっとも無い姿を晒しながらその場で飛び跳ねました。
「もっと掘られたい奴は? 遠慮はいらねぇぜ、おい?」
高校生が微笑みながら訊ねると、男達は「覚えてやがれ!」と捨て台詞を残し、退散していきました。
「けっ。根性のねぇ意気地なし共が。一生ケツの穴守って生きてろ、クズが」
高校生は汚い言葉を吐くと、その場にぺたんと座り込んでる二ノ宮に近寄って声を掛けます。
「おい、大丈夫か?」
「あっ……。小林君……? どうして、ここに……?」
二ノ宮が訊くと、小林と呼ばれた高校生は首筋を掻いてそっぽを向きました。
「たまたま通り掛っただけだ。――変な勘違いするなよ。別に助けたくて助けた訳じゃねぇからな。やばそうだったから仕方なく、だからな。ほんっと、しかたなーくだからな! 解ったな、えぇ?」
「……うん」
「まっ、怪我はねぇみたいだからいいけどよ。んじゃ、気をつけて帰りな」
小林が踵を返し、その場から立ち去ろうとすると――。
二ノ宮が、ズボンを掴んで引き止めました。
「何だよ?」
見下しながら訊くと、二ノ宮は恥ずかしそうに視線を逸らして、
「……腰が抜けちゃって……」
「…………」
気付けば、太陽は既に沈んでいました。
「――ったく、何で俺がこんな……」
人気の無い商店街を越えた先の街路。様々な形の家が左右に立ち並ぶ道を街灯が照らしていて、中央を車が行き交います。少し奥には、青の信号が見えます。
悪態をついた小林の背中には、小さく丸まった二ノ宮がおんぶされていました。小林の両手が二ノ宮の太腿を支え、二ノ宮の両手が小林の首を巻いています。
傍から見れば、それはまるで恋人のようです。「あらやだ」とレジ袋を左手に下げたおばさんが言いますが、本人達にそんな気は一切ありません。
元々基礎体力の高い小林にとっては大した労働ではない為、平然と二ノ宮の帰路を歩いて辿って行きます。時々意味も無く「はぁ」と息を吐きながら。
「どうして……」
「あぁ?」
「どうして、許してくれたんですか?」
「くどいなお前。俺がいいって言ったんだからいいんだよ。それ以外に理由がいるか? それとも、また俺を怒らせたいのか? いい度胸してるぜ」
「そんなんじゃないです。だって、どう考えてもおかしいじゃないですか。ついさっきまで私を罵って非難してた連中が、何の片鱗も見せずに簡単に私を受け入れるなんて。私を許してくれたのなら、それはそれで嬉しいですけど、それ以上に不気味です」
「……俺の圧力だよ」
「圧力?」
小林は若干表情を濁しながら言います。
「もう身に染みてるとは思うが、俺はお前がとことん嫌いだった。入学当初、お前からキツイ一言を貰って以降。ここまで女が嫌いになったのは初めてだ」
〝何その頭? 汗臭いスポーツ男って見てるだけで鬱陶しいから、黙って無駄な努力でもしてれば? どーせオリンピックなんか出れやしないんだし? なのに馬鹿みたいに熱中しちゃってさー、馬鹿みたい。あー、暑っ苦しい。マジ勘弁してよね、ほんっと〟
「あの時は……。小林君から声を掛けてくれたのに、ごめんなさい……」
「けっ。――九月の中旬、生徒会は一つのシステムを施行した。〝登校拒否システム〟だ。一定数の票が集まった生徒を対象として、その生徒の登校を学校側が拒否する。ただしこれは本人の意思に関係なく、強制的に登校する権利を剥奪される。もし何の許可無く登校したりしたら――。解るだろ?」
二ノ宮は先程の出来事を思い出し、震えながら頷きました。
「俺はそれに乗っかって、お前を登校させないようにしようと思った。票数が必要にはなるが、あの性格だから嫌ってる奴はたくさん居るだろうと思って、難しい問題じゃないと思ってた」
小林がため息を吐くと同時に、信号が赤に変わりました。行き交う車を見ながら、小林は続けます。
「だが意外にも、そうはいかなかった。〝あのツン具合が逆にいい!〟とか〝可愛いから許す〟とか、お前のステータスを皆受け入れてた。つんでれ、っつーの? なんかそんな感じで、欠点は声は掛けにくいってだけだったらしい。まぁともかく、これじゃあ正攻法は無理。だから俺は、クラスを脅した。お前ら全員留年させるぞって言ってな」
「そんな事、本当に出来るんですか?」
「出来るさ。あの会長なら、簡単にやっちまうだろうな」
「……怖いですね、会長さん」
「まったくだ」
信号が青に変わり、人々が動き始めました。小林もそれに倣います。
「十月の中旬くらいに、皆が顔色変えてお前と接してたろ? それはその為さ。結果として、票数を確保した俺はシステムに従ってお前に追放の意を伝えた。あの時のお前の顔は忘れられないねぇ」
「……最悪です」
「お互い様だ」
その後しばらく沈黙し、吹っ切れたように二人は同時に笑いました。
「なら、何で?」
「……一番の動機は、今の生徒会への謀反心だ。どう考えても、あの生徒会はおかしい。どうかしてる。天川にそれを気付かされたぜ、不覚にも」
「天川……」
以前、訪問してきた人間を思い出しました。
「あいつは馬鹿だよ。はっきり言って、喜多美咲は狂人だ。膨大すぎる支配欲に取り付かれちまってる。する事やる事が悪魔染みてる。あんなのを敵に回す奴は、正真正銘の馬鹿だ」
「そうなんですか」
「そうさ。――だから、俺も馬鹿だ」
「そうですね」
小林は軽く笑い、歩を止めました。
「?」
二ノ宮が不思議がってると、小林がもごもごと口を動かして何かを言っていましたが、二ノ宮に聞こえませんでした。
「え、何ですか?」
「いや、その……。悪かったな。俺のせいで、嫌な思いをしただろ。許してくれとは言わねぇよ。けど一言、謝っておこうと思ってな。本当に、その……。ごめん……な」
「元々、酷い事を言ったのは私です。だから、小林君が謝る必要はないです。私の方こそ、ごめんなさい」
「……けっ」
面白くなさそうに悪態をついた小林は、再び脚を動かし始めました。
「やり辛いったらありゃしねぇ……。前の毒舌だった頃の方がずっとマシだ……。敬語なんか使いやがってよぉ。似合わねぇんだよ」
「……あの……」
二ノ宮が頬を赤まらせて、恥ずかしそうに言いました。
「何だよ、あぁ?」
「手が、お尻に……」
小林の手は、いつの間にか二ノ宮のお尻を鷲掴みしていました。
「あっ……。わりぃ」
小林は謝ると、手を太腿の位置に戻しました。
「そこは太腿です」
「知ってんよ」
「……最悪です」
「あぁ!? じゃあどこでおんぶれってんだよ!」
「靴底でお願いします」
「どこでお願いしてんだお前! こうやってるだけでもありがたいと思いやがれ! ふざけてんじゃねぇぞ、おい!」
「解りました。なら、セクハラで訴えます」
「おー!? やれるもんならやってみな! ぜってぇ勝つからな! おい、俺の知り合いなめんじゃねぇぞ! 何てったって〝氷の弁護士〟って言われてるくらいなんだからな! どんな野郎が相手だろうと――」
「……ふふっ」
「っ……」
ここで、小林は自分が遊ばれていた事に気付き、
「けっ!」
つまらないと言わんばかりに、今日何度目かの悪態をつきました。
「小林君は……」
「あぁ!?」
「友達に、なってくれますか……?」
「あっ……?」
怒鳴る気満々だった小林は拍子抜けし、鼻で笑いました。
そして、半分呆れ――半分笑みを含めて、あくまでもぶっきら棒に。
「今更言わせんなよ、恥ずかしい」
「…………」
瞬間、小林の背中が冷えました。背中を襲った冷感にぶるっと身体を震わせた小林は、後ろを見ずに注意します。
「鼻水垂らすんじゃねぇよ、つめてぇ」
「ちっ、違いますよ! 涙ですよ、これは!」
「……どっちも変わんねぇよ」
「あれ、おかしいな……。止まらない……」
いくら手で拭き取っても零れ落ちて、背中がその度濡れました。
「止まらない……。止まらないよぉ……」
「……止まらなくてもいいんだよ。止まるまで、泣いとけ。泣き疲れるまで、泣きまくれ。その代わり、明日からは笑ってろよ、馬鹿みてぇによ」
「うぅっ……」
二ノ宮は、小林の広い背中に顔を埋めました。
「おーい、ここだろ、お前ん家」
その時にはもう、二ノ宮の豪勢な家に到着していました。
しかし二ノ宮は離れる気が無いように、小林に縋って泣いていました。
その泣き声が起因してか――小林はある事を思い出しました。
「……げっ、鞄忘れた」
小林は溜め息を吐いて、全てを見ていた丸い月を見上げました。
「偉そうに見下しやがって……クソが」
届きもしない言葉を吐いて、背中を見ました。
そして、軽く笑いました。
「……こんな日も悪くねぇ、か……」
小さい泣き声が、その場で響いていました。
丸い月が、雲に覆い隠される時までずっと。
~同時刻・とある豪邸での座談会~
「うわぁ、すげぇ……。美味そうな食い物ばっかりだ……」
「うむ。シェフに極上の料理を出すよう言ったからな。味は保障するよ。――さぁ、遠慮せずに食べたまえよ、天川君」
「いやっほう! いただきまーす!」
「食べながらでいいから聞いて欲しい。今から話す事は、君に知っておいて貰いたいのだ。今日、君を招待したのもその為だ」
「うっわー、何これ、超美味い! この蟹も海老も半端なく美味い! 肉も柔らかいしジューシーだし……。こりゃデザートが楽しみだなぁ!」
「……天川君」
「あんれすは?」
「食事を楽しんでくれるのは大いに結構。しかし、残念ながら今日は食事会ではないのだ。是非とも、私の話に耳を傾けて――」
「うわぁー! キャビアだこれ! すげー! 生で見れる日が来るなんて感激だ! しかもこれはフォアグラ!? 三大珍味が俺の目の前にいぃッ!? くうぅ! 夢のようだぜぇ!」
「安城君、早急に皿を片付けたまえ」
「すいませんでした。ちゃんと聞くので、夢を見させて下さい」
「私としてもそれが望ましい。――さて。君は我が娘、春香に接触し、再教育して下さったのだとか。秋奈から聞いたよ。なんとも複雑な表情だったが」
「再教育だなんてとんでもない。俺は言いたかった事を言っただけです。それと渡し物を。そしたら学校に行ったらしいですね。良かったですよ」
「むっ。君は、今日は学校には行っていないのかね?」
「他にも弾かれた生徒が居るので。まずは、全員の自宅を回らないといけないんです。学校に行くのは、その後です」
「そうか……。事情は察せ無いが、君も苦労しているようだね」
「それで、お話というのは? あなたは……冬人さんは、仕事がとても忙しくて、滅多に帰宅されないんですよね? わざわざそうして、更に俺を招待するって事は、余程大事な話だと推測しますが」
「名前を覚えてくれて光栄だ。いかにも。君は、夏美の部屋を調べたようだね」
「人聞きが悪いですね。俺は好奇心に揺らされて、物色しただけですよ」
「……その時、もしや君は、〝事件〟についても調べたのではないかね?」
「えぇ。認識があったとは驚きです。――あぁ、あなたが隠蔽したんですか」
「頭の回りが速い子だ。その通り。私が県警に交渉をつけた。人間というのは弱いものだよ。こんな紙っぺら数百枚で、簡単に道理を捨ててしまうのだからね。……君にも必要かな?」
「いいえ、別にどうこうするつもりはないですよ。俺に得は何一つないですから」
「それは助かる。我が社の信頼が揺らぐ事は、金輪際あってはならないのでね」
「さいですか。――しかし凄いですね。確かに二ノ宮は、名を汚すつもりでやったと言って、逮捕されようとしていました。それを察知して防ぐとは……。賢いというか、悪知恵が働くというか。親子なんだな、と実感しますよ」
「……そうか。春香は、そんな事を……」
「え、知らなかったんですか?」
「あぁ。何せ、家にもろくに帰ってなかったから、春香に顔を合わせる事もあまりなかったのだよ。帰る頃にはもう眠っているものでね。前に会ったのは、もう三ヶ月も前になるか」
「大変ですねぇ。……だったら、何で隠蔽なんか? 県警に賄賂しなくても、放送局にやった方が軽い出費で収まったんじゃないんですか?」
「何を言うかね君は! 愛する娘が逮捕されるのを黙って見てる訳にはいかないだろう! どんな手を使ってでもそれを防ぐ! 親として当然の行いだと思わないかね!?」
「そ、そうですね。軽率でした、すみません(俺としては、罪を償わせるのが当然だと思うけどなぁ)」
「……失礼。声を荒げてしまった。無礼を許して欲しい」
「いえ。あなたの春香さんへの愛情が伝わりましたよ。――にしても意外ですねぇ」
「意外とは、どういう意味だね?」
「怖い顔しないで下さいよ。あの妻にしてこの夫ありって奴です。誰でもそう思うと思いますよ?」
「うむ……。秋奈は、夏美を溺愛しすぎだったのだ。その一方で春香には厳しく当たり、挙句の果てには放り捨てる始末。大きな声では言えないが、母親の自覚がまるでない。それが悩みの種だった」
「本当、大変ですね」
「あぁ。私は娘を、春香と夏美を平等に愛していたというのに、それを形として春香に示す事が出来なかった。私が春香に愛情を見える形で示していたら、こんな事にはならなかったと懺悔しているよ」
「過去をいくら悔やんでも、現在は何も変わりませんよ」
「解っているとも……。それでも尚、悔やまずにはいられないのだ……」
「……初めに言っていた、知っておいて貰いたい事とは?」
「……うむ。単刀直入に言うが、春香の友達になってやってはくれないか?」
「はい?」
「春香は友達が居ないのだ。家でのストレスが学校で顕著に現れているのか、友達に恵まれなくてな。今までずっと、友達の温もりを経験していないのだ。だから君に、その役を担って貰いたい」
「はぁ。俺自身は問題ないんですけど、本人がなんて言うか……」
「安心したまえ。私がちゃんと紹介をつけるから、どうとでもなる」
「そんな、お見合いじゃないんだから」
「ははは。――さ、話したかった事は以上だ。忙しいところをすまなかった。君は、君の仕事に戻ってくれたまえ」
「えぇ、そうさせて貰います。――ところで」
「何かね?」
「俺は、あんたを見た事がある」
「私は記憶に無いが」
「二年半前。地下収容施設で行われた、あんたらの馬鹿げた思想を叶える為の〝リサイクル法案〟。あれに俺も、参加してたんだよ。……いや、参加させられていた、かな」
「!」
「二ノ宮……。どっかで聞いた事のある名前だと思ってた。それが今やっと解った。あれの主催者の爺さんの苗字だ。あんたは、その隣に居たな」
「……それはっ……」
「別に咎めてる訳じゃない。寧ろ俺はあの催しに感謝してる。おかげで、俺は生き甲斐を取り戻した。――鬼神さんのおかげで」
「! 鬼神……ッ! あのっ……、あの悪魔かッ!」
「これまた人聞きが悪いですね。あの人は、俺の肉親とも言える存在なんですよ?」
「そんなのは関係ないッ! あの男はっ……私の父上を……ッ!」
「自業自得でしょう。それに結果的には、あの人が殺した訳じゃあない」
「……これ以上、この場でこんな事を言っていても不毛だ。君も、あの男に関わるのはやめなさい。奴は〝全てを知る者〟だ。これ以上関われば、確実に人生を狂わされるぞ」
「俺の人生は、初めから狂っているんですよ。だから、とことん狂えば良い。――解ってる。俺があの人の手の平の上で踊っているって事くらい、解っていますよ。けどそれで俺の望みが叶うなら、ピエロにでも何でもなってやる。舞踏会でも何でもやってやるさ」
「……この事は、娘には黙っていて貰えないか。知らなくて良い事は、世の中に溢れている」
「まったくそうだと、俺も思いますよ。勿論、口外はしません。これからお友達になるお嬢様の面汚しは、俺としても好ましくないですから」
「話が早くて助かる。恩に着るよ」
「それはお互い様ですよ。……それじゃ、俺はこれで失礼――」
「ただいま帰りました」
「おっ」
「あっ……」
「げっ!」
「あれ、何で大輝が?」
「畜生、一番見られたくねぇ奴に見られた!」
「春香!」
「あ、お父さん。……お久しぶりです」
「どうした、目が赤いぞ?」
「これは、その……」
「こいつ、大泣きしてたぜ。ビービーってガキみてーによ、ったく」
「あっ! い、言わないで下さいよ! お父さんの前で!」
「……そうか、君が春香を送ってくれたのか。ご迷惑をお掛けした。その侘びと言ってはなんだが、そこにある料理を好きなだけ食べて貰って構わない」
「わりぃけど、俺は金持ちの食卓は嫌いなんだ。貧乏臭くて不味い飯の方が、余計な脂肪をつけなくて済むんだよ」
「うむ……なら、仕方あるまい」
「小林君……ありがとう」
「けっ」
「だ、大輝……!」
「何だよ、あぁ?」
「お前、遂にデレたのか……?」
「あああぁぁぁぁ! だからお前には見られたくなかったんだ! 気持ち悪い事ばかり言いやがる! 畜生めぇ!」
「天川……さん」
「ん? ……おぉ、随分と変わったな。敬語なんて使うようになっちゃって。しゃべり辛いったらありゃしないだろ?」
「あはは……。正直、まだ慣れてないです。でも、その内に気にならなくなると思います。それまでは、我慢です」
「その髪も、可愛くなったもんだな。――夏美さんを意識したのか?」
「はい。――お姉ちゃんは、もう帰って来ないです。だから私が、少しでもお姉ちゃんのようになれるように頑張るんです。お姉ちゃんの為にも、……お母さんの為にも」
「良い心掛けだ。――ところで、話が変わるけど……」
「はい、何ですか?」
「役員にならないか? 執行部の」
「執行部?」
「来年に発足させようと思ってる機関の名前。生徒会執行部だ。今の生徒会とは違う、別の生徒会。俺の生徒会だ。今役員を集めてるんだが、まだ確定してるのが一人なんだよねぇ。どうか、役員に立候補して頂けるとありがたい」
「おい天川、何だよそれ。聞いてねぇぞそんなの、おい」
「デレ期到来の大輝君には興味ありません」
「んだよそれ! てめぇ、いい加減ぶん殴って――」
「それに入ったら……」
「うん?」
「友達たくさん、出来ますか……?」
「あぁ、勿論。よしっ、まずは俺が友達になってやる! 記念すべき第一号って訳だ!」
「はっ! わりぃな天川。第一号は、この俺だ」
「何ぃ!? お前いつの間に! さては寝込みを狙ったな!?」
「こいつのどこにそんな隙があったよ! 素直に俺が友達になってやったんだよ! この俺様がなぁ!」
「おいおい、調子乗るなよ大輝! ちょっとバスケ出来るからっていい気になるのはよくねぇよ。前回のテスト、学年何位だっけー?」
「き、汚ぇぞ! お前だってたいしてよくねぇだろうが、えぇ!?」
「何だとこの野郎! 少なくとも、お前のオツムに比べりゃ遥かにマシだけどな!」
「よぉし、表出やがれ! 男らしく拳で決着つけようじゃあねぇか、おい!」
「いやいや落ち着けって。もっと穏便な解決法がだな――」
「ゴタゴタ言ってねぇで来いや、オラァ!」
「ちょっと待て話せば解る話せば――」
「……お父さん」
「む?」
「私ね、初めて、友達が出来たよ! 面白くて楽しい、友達が!」
「……あぁ。良かったな、春香。本当に、良かった」
「もっともっと友達作って、そしたらお家に呼ぶから! 楽しみにしててね!」
「あぁ、今からそれが楽しみだ。その日が、とても楽しみだ。――あぁ、神様。最高のクリスマスをありがとう。いつまでもこの幸せが、春香にあり続けますように」
――翌日。
――彼女は再び、孤独になった。