第10話「告白は人生を黒く濁す」
「八」
緊張が空気を支配している、部室(と言うべきなのかは解らないが)の中。天川が一つの数字を宣言した。だからと言って、俺は「どういう訳だ」などとツッコミをしたりはしない。そんなのはあまりにもナンセンスすぎるし、筋が通らないだろう。
六月に入り、学校は衣替えの移行期間。俺と天川は長袖のワイシャツだが、まだ他はブレザーを着用している。まだ暑くはないが、次第に暑くなってくる時期だ。幸いにも、この部屋にはまだ熱気は無い。
そんな中、天川は金色の手札から二枚を選び、机の中心に出す。次に二ノ宮が一枚を頭上に突き出し、
「九です!」
高らかに宣言し、重ねるように出した。
それに異を唱える者は誰も居ない。
……ふむ、皆慎重だな。いや、チキンと言うべきか。一体いつになったら言うつもりなんだろうか? この場に勇気のある奴は居ないのか。
「…………」
廣瀬は何も言わずに二枚を出した。順番的には十だ。だが廣瀬は固く口を閉ざしたままで札を捨てた。つまり、何も言わないという事は、嘘の証拠に違いない!
─―と馬鹿な奴は思うだろう。
しかしそれは違う。問題は出したのが廣瀬という事だ。無口という設定が故に何も言わないだけで、嘘か本当かどうかはそれだけじゃ判断する事は出来ない。よって、この場は沈黙に徹するのが定石だ。
「十一」
恵はパラっと一枚を被せた。当然とでも言いたいのか、これに反発する者は居ない。
机の中心には、金色に輝くカードが六枚積まれている。俺はその塊に最低でも一枚、十二を出さなければならないのだが……。
「…………」
無い。十二が一枚も無い。どうやらクイーンには好かれてないらしい。よって、必然的に嘘を吐かなければならないという事だが……、なぁに、そんな簡単に嘘だとバレるはずがない。いつも通り、普通にカードを提示すればいい。
俺は右端のエースを手に取り、ゆっくりと手を伸ばし、たっぷり時間を掛け、置いてから宣言。
「十二」
『ダウトぉ!』
「!」
廣瀬以外がハモり、俺を指差す。いや廣瀬も指差しているから、全員俺が嘘を吐いていると思っているようだ。しかもその自信満々の顔! 何なんだそれは!
ダウトされた以上、札を公開せざるを得ない。俺は静寂を以って札を裏返す。
「おい見ろよ七だってよ!」
「ラッキーセブンですか! ラッキーセブンのつもりなんですか!」
「(馬)」
「弱えなー龍!」
「くっ……」
四人(厳密には三人だが)の笑い声の中、俺は渋々七枚を手札に加える。
――ていうかなんだこれ! 全員嘘つきじゃないか! そのおかげ(という訳でもないが)で、手札が十六枚になってしまったじゃないか! なんて白状な奴らなんだ!
「ふふふ」
一方、俺の次の天川は三枚。二枚残りで上がりらしいので、俺は絶対に二枚を出さなければならない(三枚からダウトが可能な為)。しかも、俺の出す札次第で天川が上がってしまう。これはとても責任重大な状況だ。一体何を出せば……。
「龍さん、解ってますよね?」
「あぁ、解ってるから黙ってろ」
二ノ宮に忠告されてしまうとは、何たる屈辱! その生意気な顔を捻り千切ってやろうか!
「……ふぅ」
まあ、落ち着け、俺。今は天川を上がらせない事を考えるんだ。他の邪念を全て捨て去り、蹴落とすことだけを考えろ! 周りの嫌な視線はシャットダウンするんだ!
そして冷静になれ。今の状況を顧みて見ろ。一見すれば、俺はとても不利で弱いと思われるだろう。
だが手札が多い分、持ち得る情報が他より多いという事だ。これはダウトに置いてとても重要。つまり見方によっては、俺は有利な状況という事だ。手札を見ろ。必ず、可能性はあるはずだ!
「……!」
ほら見てみろ! 俺の手中には、キングが三枚収まっているじゃないか! クイーンは振り向かないが、キングには好かれているらしい。残念ながら、四枚全てを掌握してるものはないが(ジョーカーなしの為、これで事は足りたんだが)。
もうこれで行くしかない。この四人の内一人がキングを持っているが、それが天川という可能性は非常に低い! しかしそれと同時に、天川という可能性も否めない。
確立の勝負。四分の一の駆け引き。俺は先程貰ったハートの二と三をセットし、
「十二!」
因縁の数字を宣言!
部屋全体に、不穏な空気が漂う。火花は切って落とされた。さぁ天川、出してみろ! キングなら――
「キングなら、俺が三枚持っている」
「!」
俺の考えている事を、天川が代弁した……?
「――と、お前は思っている」
ドクンッ。
と、心臓が高い音を鳴らしたのがよく解った。
「まさか、天川、お前……!」
俺が零した瞬間、ニヤリと笑った天川は一枚をバンと叩き付け、
「絶対王者」
不敵に言った。二ノ宮が「丁寧に扱って下さい!」とかほざいていたが、そんなのは雑音に過ぎない。周りのざわついてる擬音を背後に、ダウトを言うまでもなく、その札に手を伸ばす。一度目を瞑った後、見開いて真実を見極める!
「――馬鹿な……ッ!」
俺の手から、一枚がヒラヒラと舞い落ちる。表で落ちたそれを皆が確認して、一斉に嘆息。
「イエーイ! 俺の勝ちー!」
右手でガッツポーズを掲げながら、天川は喜びに浸る。
「くっ!」
「おい龍! 何やってんだよ!」
「俺なりに努力はしたんだが……」
「は~! これだからゲームオタクは!」
「黙れ二ノ宮ァ!」
「……はっ」
「すいませんでした」
廣瀬に鼻で笑われると、結構来るものがあるな……。
全員トランプを机に放り捨てると「だから丁寧に扱って下さいよ!」と二ノ宮が言ってた気がするが、多分幻聴だろう。
「けどやられっぱなしは好きじゃねえな。もう一回やろうぜ!」
恵が意気揚々に再戦を持ち掛けるが、天川が手を振る。
「いや。今日遊んでる暇はもうない。やる事がある」
「はあ? 勝ち逃げかよ!」
「そんなつもりはないさ。大体、このメンバーに負ける要素がないしな」
「何ですって!」
二ノ宮までもが、机を弱々しく叩いて憤慨する。
「おい、調子乗んなよ天川! 今のは龍が馬鹿やらかしただけだ!」
「そうですよ! 私ならもっとマシな選択をします!」
何か反論したいところだが、生憎その立場じゃない。でも最善の策だったと思うんだがなぁ。結局、ダウトなんて運勝負だし。
「頭の出来が違うんだって。諦めろ、お前らじゃ無理だ。そもそも会長に勝る役員なんて、今時ウケないんだよ」
「何ですかその根拠の無い憶測! こんな会長こそ今時ウケないですよ!」
「ホントだぜ! 男の会長なんかむさ苦しいだけなんだよ!」
「むっ。お前ら言わせておけば言いたい放題言いやがって! 一体誰のおかげで執行部が発足したと思ってるんだ、ええ!?」
何か親子喧嘩みたいな光景が広がっている中、廣瀬はパソコンを開いてキーボードを打ち始めた。「何してるんだ?」と俺が訊くと、「ブログ」と答えた。
「やっぱりこのご時世、女の子じゃないと今の時代じゃ生き残れないのですよ! ピッチピチで脂の乗った若くて新鮮な女子が一番です!」
俺が「もう更新するのか、早くないか?」と訊くと、「第7話参照」と答えた。
「いいや! それがそもそも間違ってる! 美少女を出しとけば売れるのがおかしいんだ! どう考えても内容は薄っぺらいのに、美少女がたくさん出てれば売れるなんて変だろ! 極端な話、今の時代ではエロければ何でも売れてしまうんだからな! まったく度し難い!」
「確かにそうだぜ! もっと熱くなるべきだ!」
何だか論点がずれてないか? それに内容が薄っぺらいというのは、これにも当てはまると思うが……。
「少なくとも、お前達じゃ世の中の〝美少女〟にははまらないだろ! 夕は除いて。つまり、お前達にはもっと美少女っぽくなってもらわないとこっちが困る! メグは一歩譲るとしても、春なんか駄目だよな! 色っぽさが何一つないんだもん!」
「女の子にそんなデリカシーの無い事を言うなんて最低です! それでも会長なんですか! そもそも何で勝手な都合で――」
「もうその辺でいいだろう。それより天川、やる事があるはずだ」
俺が仲裁に入った後、天川は「あっ、そうだった」と思い出したように声を上げ、机を強く叩いて視線を集めた。
「こんな戯言を延々とぬかしてる場合じゃない! 俺達には今すぐに解決しなければならない問題があるんだぞ! 解ってるのかお前ら!」
ダウトの主催者が何を言うか。
「あー、今日のあれか……」
恵が腕を組んで深刻そうに言うと、他の皆も難しい表情になった。
それもそのはず。俺達には、真摯に対処しなければならない難題が手元にあるからだ。
ある一人の女子生徒を執拗に狙った盗撮。更に、それを掲示板に何枚も貼り出された事件。その女子生徒にそんな事をされる理由は一切無いが故に、犯人の動機すら検討が付かない。内容だけを見れば男子によるものだろうが、私怨によるものだったらそうとも限らない。
どころか、大人の可能性だって出て来る。あれだけ巧みな手を使っているのが、高校生だとは言い難い。更衣室やトイレを隈なく調べたが、カメラの類は発見出来なかった。相当なやり手だと思われる。
しかし! 我らが天川がそれを打ち破る作戦を考案してきているはずだ! 自らの頭脳を執拗に自慢するくらいだ、犯人を見つけるなどお手の物! これなら犯人もお手上げのはず!
「そういえば、作戦を練り直すとか言ってましたよね。ちゃんと考えてきたんですか?」
「すまん。すっかり忘れてた」
「それでも会長ですか!」
期待した俺が馬鹿だった。なら何故ダウトなんかやったんだ……。
「けど、今回のこれで解った事が一つだけあるぞ」
「一つだけかよ」
メグが吐き捨てると、「まぁ聞け」と天川が促す。
「昨日の意味不明な盗撮写真の貼り出し。あれは、今日のこれの為にやってたんだ」
「? どういう事ですか?」
「相乗効果を狙ったんだろう。それの方が、より多くの目に効果を与えられるからな。どうやら犯人は、よっぽどあの子の写真を見て欲しかったらしい。えっと……」
「姫川理沙」
俺が言うと指を鳴らして、
「あぁ、そうだ! にしても、ナイスバディだよなぁ……ジュルリ」
「天川。まさか会長たる者が、あの写真を見てニヤついていた訳じゃあるまいよな……?」
「HAHAHA! そ、そんな事ある訳がないじゃないか!」
なんて典型的な反応。まぁ男である以上、興味がそそられるのは仕方の無い事だろうが……。
「で、犯人はどう捕まえる?」
俺が訊くと、天川が腕を組んで「うーん」と首を捻る。
「あの写真、一階だけじゃなくて、全部の階の掲示板に貼られてたぜ。しかも全部同じ内容。ご苦労なこったな」
恵が呆れ気味に言って、二ノ宮が頷いて賛同する。
「まったくです! 他にやる事が無いんですかね! これだから暇人は!」
お前にその台詞を吐く資格は無い。
「暇人の犯行にしては、随分と巧妙なんだがな」
俺は感心を含んだ息を吐きながら首を振る。
「うーむ……。現場を押さえられれば事は済むんだがなー……」
天川が呟くと、恵が「それだ!」と身を乗り出して賛同した。
「どうせ今日も犯人は性懲りも無く写真を貼りに来るだろ! それを待ち伏せしてとっ捕まえりゃいいんだ!」
これまた古典的な作戦を思い付いたものだ。それが出来れば誰も苦労はしない。そう言わんばかりに、天川が意見に駄目押しをする。
「その〝どうせ〟ってのに信憑性が無いだろ? 所詮俺達に犯人の心理なんか理解出来ないんだから。本当にまた貼りに来るか解らない。今回のこれで身を隠すかもしれないじゃないか。――第一、それがどんなリスクあるか解ってんのか? 夜の学校だぞ? 学校の怪談だぞ!? 幽霊が出たらどうすんだよ……」
そこなのか! 着眼点が明らかに俺達とは別だった。意外だな、天川なら自ら喜んで心霊スポットにも行きそうだが。
「そりゃそうだけどよ、可能性はゼロじゃねえだろ?」
「まぁな。でもそれ言い出したら全部の意見通るからね? どの想定も可能性あるって事だからね? そいつはあまりにも粗末な話だぜ」
恵が軽く舌打ちして引き下がると、今度は二ノ宮が元気よく「はい!」と声を出して挙手した。
「はい、二ノ宮さんは元気、と……」
「はい! ――って違いますよ! 私も意見を考えたんですよ!」
「そうですかー。よく出来ましたねー。という訳で、他に意見がある人?」
「どういう訳ですか! いいんですか? この私の意見を、貴重な意見を無視しちゃっていいんですか!? 革命的だと言うのに!」
「最近暑いだろ? だから華麗にスルーな」
「理由がまったく理解不能です! 食い下がりませんよ、私は!」
「あっ! 暑い……熱い……カレー! 華麗! やば、俺うま!」
「何がですか! この下らない応酬の時間が無駄なんです! MOTTAINAIですよ!」
「必死すぎワロリッシュ」
「ワロリッシュ!? 何ですかその笑い!」
「……はぁ~、解ったよ。聞くよ、聞く聞く。だから解りやすく三行で頼む」
「不遇すぎです! いい加減にしないと怒りますよ!」
「さーいえっさー」
やる気の無い返事をした天川を尻目に、二ノ宮は「コホン」と咳払いして、その革命的とやらの意見を高々と発表する。
「私のボディーガードを総動員させて、学校に二十四時間体制で配備させます! そして何も知らずに貼りに来た犯人を確実に捕らえるのです! どうです? 番町なんかより遥かにまともな意見でしょう?」
恵が額に手をやり「まだそれ言うかよ……」と赤面しながら言っていた。天川はと言えば、深くため息を吐いて首を振る。
「原理的にはメグと変わんねーだろ! それにそんながっちり防衛されてるとこにわざわざ踏み込むやつ居るか!? 居ないだろ!」
「だからこその、二十四時間体制なのです! これなら犯人はもう二度と犯行に及べません!」
「……あぁ、そういう面で言えばいい策かもしれんが、今俺達は犯人を捕まえたいんだ。防止じゃなくてな」
「うーん、捕まえたい気持ちは解りますけど、無理にそうしようとして自爆したらどうするんですか? そもそも、どうしてそんなに捕まえたいんですか? それは警察の役目だと思います!」
「それは龍に訊いてくれ」
天川が手を振って俺を見る。二ノ宮は「いや、別にいいですけどね」と引き下がった。
二ノ宮の意見は概ね正しい。その策ならば、今回の問題だけでなく、別の細かな問題も解決出来るだろう。とても治安の良い学校になる事は間違い無い。
だが、今回はそれでは意味が無い。
「清算すると、約束したからな……」
俺は天井を見上げながら言った。まだ雨は降っていない。別のところの雨はまだ止んでないだろうが、その雨粒を、俺が犯人に付き付けてやる。
「まっ、捕まえるに越した事は無いさ。それが一番の再犯防止なんだからな。っつー訳で夕、何とかなりそう?」
「…………」
しばらくパソコンを睨んだ廣瀬は、首を振った。
「そうかぁ……。早速詰んだなぁ」
部屋全体が沈黙する。元々答えが出ていた事だし、想定し得る状況だ。これが必然の有様。
しかし、諦める訳にはいかない。何としても捕まえる。もうあんな姫川は見たくない。
かと言って、何かアイデアがあるのかと訊かれれば困る。いっその事、嘘探知機を全員に掛ければ済む話なんじゃないか……? いや、それだと郊外の可能性を探索出来ない。うーむ……。
「ん?」
突然恵が、ドアを見ながら声を上げた事で、全員が視線を恵に向ける。
「どうした?」
代表して俺が尋ねると、ドアを指差しながら言う。
「今誰かが、ドアの前で何かしてたぜ」
「意見箱ですかね?」
「龍、ゴー」
何で俺なんだと思いつつ、天川の指示で俺は立ち上がり、ドアを開けて廊下を確認する。長い廊下には、誰一人として居なかった。見間違いなんじゃないか? 一応、意見箱と貼り紙されてる小さなダンボール箱を揺らしてみる。
カサカサと、紙の音がした。挿入口のある蓋を開け、中にある一枚の紙を確認する。白紙の紙に三行だけ綴られていた。
「……!」
その内容に、俺は驚いた。部屋に戻って、机に紙を突き付ける。
「どれどれ」
皆が覗き込んで見る前に、天川が手に取って読み上げる。
「今回の事件について、話したい事があります。屋上で待ってます。……?」
天川は怪訝な顔で紙を机に置く。
「何だこれ……?」
「よし、屋上に行く」
俺が回れ右して部屋を出ようとすると、「待て」と天川から止めが掛かった。
「何だ」
「都合が良すぎないか? 俺達が手詰まった時にこんな紙。言い過ぎかもしれないが、罠な感じがする」
「何であろうがいいだろう。実際これで有力な情報が得られればそれはそれでいいだろう! 他に何かあるなら、それはそれで適した対処をするだけだ!」
「むー……。まあいいや。とりあえず、俺も付いてく」
「オレも!」「私も!」
「お前らは留守番」
天川が命令すると、二人は悪態をつきながら渋々従った。
「さぁ、行こ行こ」
こうして俺は天川に押されながら、執行部を後にした。
どんよりとした雲が空を支配している下にあるコンクリートで固められた屋上。冷たい風が小さな音を立て、その場にいる人間の体温を奪う。初夏とは思えない気温だ。
一人の男子生徒が、見えない太陽の方向に身体を向けていた。後ろ姿から察するに、背は平均的より少し低めで、短い黒髪をしている。
「お前が、意見箱に投書した生徒か?」
龍が問い掛けると、その生徒は身体を回転させ、前身をこちらに向ける。生徒は小さな顔に丸い眼鏡を掛けていた。一見すると、地味で目立たなさそうな印象。
俺達は生徒に近付き、早速龍が話を切り出す。
「今回の事件について話したい事があると書いてあったが?」
「君が、城古我龍君」
初めて聞こえた声は、男子のものとは思えない程にか細い声だった。
「あぁ。執行部の投の内容を確認に来た」
「君はよく知ってるよ。この前の全校集会で凄い事、言ってたもんね。他にも、大高との乱闘とか。あの傷はただじゃ済まないと思ったけど、もう大丈夫なの?」
「余計な心配はしなくていい。さっさと情報を教えろ」
「情報……ね」
生徒は視線を外し、俯く。短い髪が風に揺らされる。
……いかんな、また変な考えが浮かんだ。もしこの通りなら、この事件は即時解決なんだが、これはあまりに短絡的過ぎる。無い。そんな手抜き漫画のような展開は無いはず。無いと信じたい。信じたいが……。
「もしかして……」
俺は思わず口走る。もう止まらない。
「お前が、犯人?」
「何っ!? 貴様ッ――」
「だー、待て待て! ただの憶測だ! 悪いな変な事言って! 癖なんだよ、許してくれ、はははっ」
「ううん」
生徒は首を振って、顔を上げる。
「……は?」
思わず喉から間の抜けた声が発された。
「その通り。僕が、犯人だよ」
…………。
一瞬、俺と龍は呆気に取られた。龍だって、本当にその通りだとは思わなかっただろう。それは言った俺も同じだ。ただの思い付きだったんだから。
しばらく硬直していた龍だが、次第に表情を強がらせ、生徒の胸倉に掴み掛かる。
「よくも白々と、貴様ッ――」
「そんな……」
不意に、入り口から女子の高い声が聞こえてきた。
振り向いて見ると、そこには事件の被害者である姫川理沙がいた。写真の通りの端麗な格好だが、心なしかげっそりとやせこけた表情をしているように見える。これまでに、身体の中の物を大量に吐き出したに違いない。
「姫川、どうして?」
龍が訊ねる。
「保健室に手紙が来たの。屋上に来てって。それで来てみたら……」
バッチグーなタイミングでご来場って訳か。
「それより、今のは本当なの、兵藤君……?」
どうやら知り合いらしい。兵藤と呼ばれた生徒は龍の手を振り払い、姫川に身体を向け、しかし依然として下を見ながら口を動かす。
「そうだよ。僕が、あの写真を撮ったんだ。最初のも、今日のも。全部、僕が、一人で。……一人で」
「……そっか」
特別怒る気配も無く、姫川は兵藤に歩み寄り――。
何を思ったのか、兵藤を思い切りに抱き締めた。
『!?』
突飛な行動に俺と龍は思わず口を開いた。巨の付きそうなバストに顔が埋もれた兵藤はもがいて顔を上げる。
「な、何を――」
「犯人にそう言えって脅されたんでしょ? 可哀想に……」
「そ、そんなんじゃ――」
「姫川、それは一体どういう?」
「兵藤君とはね、中学校から一緒なんだけど、とても内気なの。修平といい勝負なくらいに。だから、いじめられる事が多かったんだ。その時よく、悪戯の代行役にされてたから。今回のもそうなんでしょ?」
「ち、違う! 僕は、自分の意思で!」
「そんなはずないよ。兵藤君はそんな事する人じゃないもん。他に悪い人が居るんだよね?」
「僕は、一人で……!」
「そういう事なの! 兵藤君は悪くないから、怒らないであげて!」
「うむ……。確かに、盗撮なんて出来るようには見えない。もし他に犯人が居るなら、それこそ許すまじき事態だ」
龍が顎に手をやり推考する。
その意見には俺も賛同だな。大体、仮に兵藤が犯人でも、俺達を呼び出してわざわざ自首する理由が解らない。それこそ不透明だ。別の犯人が居るならなるほど、納得が行く。目に浮かぶ、兵藤君に罪を着せて、事件を解決させようとするあくどい魂胆が。
下劣な奴だな……。許さんっ!
「また、そうやって……」
「ん?」
姫川が笑顔で首を傾げると、
「またそうやって、信じない!」
対照的な兵藤が怒鳴って、姫川を押し退けて身を離す。あぁっ、なんて勿体無い事を……!
「君はそうやっていっつも僕を信じなかった! 僕がどんなに言ったって笑って信じようとしなかった!」
「兵藤君……?」
「姫川さん、覚えてる? 中学三年生の頃、卒業式の日。僕が中庭に呼び出した時の事」
「え? そういえば、そんな事もあったような……」
「ッ! その時姫川さん、何て言ったか覚えてる?」
「ごめん、覚えてない」
少しは考える素振りしろよ……。
「……姫川さんはね、最初『卒業おめでとう』って言ったんだよ」
「へぇ~」
「立て続けに、『また同じ学校だね』って言ったんだよ」
「そうだっけ……」
「その後も、『また一緒に話出来るね』とか『眼鏡変えないの?』云々……。マシンガンの如くしゃべってたんだ」
「あぁ~……」
姫川が察したように、顔に手を被せる。俺も大体の筋は読めた。兵藤のこの様子に、卒業式当日に男女で話すような事。思い出話の類じゃなければ、もう一つしか無い。
「こくは――」
「告白したかったのか」
俺の言葉を遮って、龍が言った。兵藤は一瞬頬を赤らめた。
「そうだよ。僕は、姫川さんに告白しようと思ってたんだ。でも……」
今度こそっ。
「つまり――」
「つまり私が、その機会を潰しちゃったんだ……」
うおぉっ! 悉く俺の台詞が奪われて行く! 何だこの流れは!
「君にはまったくその意識が無かっただろうね。当然さ。その前だって、僕が言った事はさらっと流すんだから。そりゃそうだよね。僕はクラスじゃいじめ大将の格好の餌食さ。付き合いたくないのも解るよ」
「そ、そんなんじゃないよ!」
「あるよ! 所詮君は猫のふりをした狼さ。自分の評判を気にして、一緒に居る人を選ぶんだからね。とんでもない魔性の女だよ」
「それは偏見だ。姫川は渡辺を何度も慰めたりしてる。決してそんな奴じゃない。渡辺だってお前と同じような境遇なんだろう?」
龍が仲介に入ると、兵藤君は鋭い目付きで龍を睨む。
「君に何が解るのさ? この件では部外者だろ!」
「…………」
何か言いたそうだったが、ここは大人しく引き下がった。まぁ確かに、龍には兵藤の過去に介入する道理は無いからな。
「確かに、渡辺君も僕と同じような雰囲気だったよ。クラスからもからかいを受けていた。――でも、渡辺君のそれは〝笑い〟を生むんだよ。僕のは〝嗤い〟さ。消しゴムのカスを投げるのと、黒板消しを投げるのが違うのは解るでしょ?」
そいつはえらい違いだ。前者は痛くなくても、後者は痛い。
「あの時、僕は思ったのさ。高校で、もう一度告白しようって。――忘れられない形でね」
皮肉った言い方をすると、龍は再び胸倉を掴む。
「そうだからってこんな悪質な方法を選んだのか!? 馬鹿げてる!」
「君に何が解るのさ! 僕の気持ちなんか解らないだろ? 強者の君に、虐げられる弱者の気持ちなんかさぁ!」
「そんなのは関係無い! お前がやった事はお前を虐げた奴らと同等の事――」
「ジョー待って! 離してあげて!」
姫川が言うと、龍は不満そうに兵藤を突き離す。――てか何、龍ってジョーって呼ばれてるの? センスねぇなぁ……。
「私の写真ならまだいい。でも、他の女子の写真を撮ったのはどうして? そんな事しなくても、目的は遂行出来たでしょ?」
「相乗効果だよ。食事する時、前菜があると主食が進むでしょ? それと同じだよ」
「だからって、そんな事を――」
「痛かったでしょ?」
「……え?」
兵藤は声を薄らげて、魂が抜けたような表情で続ける。
「凄く痛かったと思うんだ。心に、強く突き刺さったと思うんだ。そして今もそれは、癒されてないと思うんだ。どう?」
「それは……」
姫川は苦しそうに胸を押さえる。
「僕もだよ。あの時、僕も同じくらい痛かった。苦しかったよ。〝どうして? どうして?〟って、何度も叫んだよ。僕の思ってた姫川理沙は、こんな人だったのかって」
「だからって、何故そんな酷い事を……」
龍が零すと、兵藤君は鉛色の空を見ながら言う。
「〝人を罰するには、痛みが必要です。何故なら人は、痛みに初めて目を覚まし、己の罪を認識するからです。人を赦したいなら、与えるのです、痛みを。その痛みこそがあなたの痛み。痛みを分かち合う事で、人は生まれ変われるのです〟」
宗教の教えなのか、どっかの受け売りなのか。感情のこもってない言の葉で羅列した後、姫川を指差す。
「君は罪人だ。罰せられるべきなんだ。僕に。だからやった。僕が執行人だ。――でもこれくらいで赦されると思わないでよ。僕の今まで受けた痛みは、この程度じゃないんだからね」
「おい! 中学校でのいじめと姫川を摩り替えてないか! それはあまりに横暴だぞ! 勿論、お前の気持ちをちゃんと聞こうとしなかった姫川にも若干の非はある。だがそれだけだ! お前は今までの苦しみをその理由で姫川にぶつけようとしてる! それは痛みを分かち合う事でも何でもない! ただの非行だ!」
「五月蝿いなぁッ!」
兵藤君は唾が吐き出されるくらい大きく怒鳴った。
「さっきっから口出ししないでよ! 僕はね! 姫川さんが赦せないんだよ! 心の底から憎悪が湧き出してくる! 止まらないんだよ! だから僕は――」
熱弁の刹那、時が遅くなった感覚に囚われた。
雨と共に涙を流してる姫川が再び兵藤君を強く抱き締めたからだ。
「……え?」
兵藤君の震えた声が細く響いた。
「ごめんねっ。私が悪いんだよねっ。兵藤君の気持ち、ちっとも気付かなかったっ。本当にっ、本当にごめんねっ……!」
「……!」
虫唾が走ったように兵藤君は姫川を押し退ける。姫川が尻餅つく。
「これだから嫌なんだっ……。君は優しすぎるっ! 全て自分で背負おうとする! 全てに赦されようとしてるっ! 欲張りなんだよ、君はっ! いいかい? 僕は何があっても、この先どんな事があったとしても、君を赦さない! 君を好きにならない! ――嫌いだ! 僕は君が大っ嫌いだ! 例え全人類が君を愛したとしても、僕は絶対に愛さない! 一秒たりともそうは思わない! 僕はっ、君をっ、恨み続けるッ!!」
一気にしゃべって息を切らしてる兵藤君の肩に、龍の右手が乗った。
「もう、いいだろう」
兵藤君は野良猫が威嚇するような感じで倒れてる姫川を睨んだ後、ぷいと背く。
「天川、頼む」
ここで俺に持ってくるのかよ。嫌な役ばっかだな、俺。けどそれが仕事だから仕方ない。俺は兵藤君を手招きして、ドアへ導く。
「最後に訊きたいんだけど」
「何?」
「これだけなら、姫川一人を呼べば良かったはずだ。何で俺達まで呼んだ?」
「……傍聴人が欲しかったんだよ。この裁判のね」
「裁判……ねぇ」
俺が裁判長なら、姫川は無罪にするところだが。
俺は肩を叩いてやって、宣告する。
「なら今度は、お前の有罪裁判だ」
次はお前が被告だぜ、執行人。
重い空から、誰かの雨が滴って来る。とても弱く、儚く、冷たい。俺の身体を濡らし、コンクリートに吸収される。
「……あはは……」
体育座りして膝の間に顔を埋めて、姫川が小さく笑った。こう見ると、渡辺とそっくりだ。
「告白されちゃった……。嫌われちゃったな……。どうしよ……」
「姫川……」
俺は膝を付いて屈み込む。
「頑張ってたのにな……。私なりに、努力したつもりだったのにな……」
「聞いたよ、渡辺から」
「……修平、そんな事言ったんだ……。余計な事、言わなくて良かったのに。……ねぇ、私、どうするべきかな……」
「どうって……」
「嫌われてるんだもん、私。このまま普通に生きてていいのかな……」
「いいさ、いいに決まってる。姫川は、姫川らしく生きればいいんだ。さっきの事は気にするな。誰だって、嫌な時はある。それを乗り越えて行くのが、生きて行くという事だろう。めげるな」
「……ふふっ。ありがとっ」
姫川はぴょんと立ち上がり、目を擦る。
「兵藤君には、赦して貰えるように頑張る。皆にも認めて貰えるように頑張る。我が儘かもしれないけど、それが私だから」
「……いいんじゃないか」
俺も立ち上がり、肩を叩く。
「応援してるよ」
「へへっ、ありがとっ!」
我が儘でいいさ。
それこそ、姫の生き様だ。
~その日の深夜~
街灯が照らす一筋の道があります。それを挟む建物は全て灯りが消されていて、誰も起きていない事を意味します。
そんな街中に一つの車が止まっていて、そこで三人の黒服の人間が怪しく物々交換をしていました。一方の鞄の中には白い粉が。一方の鞄の中には札束が詰まっています。俗に言う、薬物売買の実態でした。
その傍を、一人の青年が通り過ぎました。
それを見逃さなかった一人が「おい!」と声を掛けました。人間は止まり、顔だけで振り向きました。
「兄ちゃん、見ちまったな」
スキンヘッドの男が言って、
「あぁ、これはいけねぇ」
モヒカンの男が頷きながら繋いで、
「こんな時間に歩き回るたぁ、どこの悪餓鬼だ? あー?」
ドレッドロックスの男が顔を近付けながら言いました。
すると、青年は如何にも気分を害したような表情をし、言い放ちます。
「汚い顔を近付けるな。臭いだろ」
「ぁんだとこの餓鬼ぃ!!」
ドレッドロックスの男が殴り掛かると青年は素早く下がって避け、目にも留まらない速度で男を蹴り上げました。少量の唾を吐いた男は地面にうつ伏せで崩れました。
それを見ていたモヒカンの男が口笛を吹いて称賛します。
「やるねぇ! 今の蹴りは素晴らしいねぇ! ――でも残念だったなぁ、俺達はその辺のヤンキーとは訳が違うのよぉ」
そう言うと、胸ポケットからサバイバルナイフを取り出し、構えます。
「ほぉ」
青年は短く感嘆しましたが、表情に色は乗っていません。
「俺達は人を殺す事は慣れてんのよ。それが本業だからなぁ。今なら許してやるぜ? 素直に財布とケータイを置いてけよ」
「お前らに渡す物は無い。悪いが、粉を吸う趣味は無いんでね」
「……この糞餓鬼が。高石組を敵に回した事を後悔しな!」
男はナイフを青年の腹に向かって突き放ちましたが、青年は軽やかにサイドステップしてそれを避け、右手で頭を掴み、思い切り地面に叩き付けました。男の頭からは多少の血が流れ出て、やがて気絶しました。
その様子を見ていたスキンヘッドの男は、表情を引き攣らせます。
「なっ、何だてめぇっ……。――くっ、これを見ろっ!」
スキンヘッドの男はコートに隠すように吊るしていた自動式拳銃を引き抜き、青年に向けました。
「玩具だと思うなよ? 本物だぞ? 撃ったらお前の身体に風穴開くぞ!」
「高石組、ねぇ」
青年はユラリユラリと身体を揺らしながら、スキンヘッドの男に近付きます。
「な、何だ!」
「まだその名を名乗ってたのか」
「……はぁ?」
「親父が死んでから、衰退したと聞いたんだがな」
「お、親父っ……? ――あ、あ、ぁ……。まっ、まさかっ、あぁっ、あんた――」
男が驚いてる間に青年は懐に入り込み、腹に一発の拳を放ちました。男は小さな悲鳴と一緒に血を吐き出し、意識を失って後ろに倒れました。
「脆いな」
青年が呟いたその背後には――ドレッドロックスの男が両手を合わせて振り被っていました。力を思い切り溜め込み――青年の後頭部を砕かんと振り下ろします。
しかし、青年はそれを背を向けたままで、いとも簡単に左手で受け止めました。
「ぐっ!?」
「俺が餓鬼の頃は、まだ手応えはあっただろう」
残念そうに言って、右手を加えて力を入れて、背負い投げました。後頭部から落ちた男は嗚咽を漏らす暇すらなく一瞬で気を失い、その場に埋もれました。
「……話にならないな」
青年は動かない三人向かって言葉を吐き捨て、その場を悠然と立ち去りました。
「生徒会執行部……。お前達は、これより手応えがあるのか……?」
期待と失望を混ぜ込んだ、不穏な余韻を残しながら。