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第9話「涙は過去から滴り続ける」

 曇天が見下すと、そこには荒れ狂う海があった。

 まるで豪雨と踊るかのように不規則なリズムで波が立ち、激しく壊れて轟音を辺りに響かせる。たった今、悲鳴と共に一つの漁船が呑まれて消えて行ったところだ。

 陸からその海を泳いで渡り、身体が疲れ果てて気が遠くなり、自分はもう死んだんじゃないかと錯覚する程になると、それは見えてくる。

 雲を突き抜ける、黒く捩れて聳える塔。所々に四角い窓があるが、真っ暗でその中を確認する事は出来ない。悪魔のように高い波が壁を削り取らんと激突するが、塔はビクともしない。寧ろ軽い水浴びをしているようだった。

 高さ的にちょうど中間辺りの鉄越し窓の向こうは部屋――というより牢屋だった。光は窓から漏れたそれしか受けれず、しかも晴れの日は皆無に等しいので、光は無く、暗黒の極みで何も見えない。ここはどこなのか。どこに壁があるのか。どこに自分が居るのか。全てが解らなくなってしまう。

 そんな中で、金属が合わさって発される音がした。更に、硬い石に当たった時の音がして、引き摺る音も聞こえる。もっと耳を澄ませれば、人間の呼吸も聞こえてくる。

 瞬間――足音が聞こえた。部屋の中からでは無い。外から一定の合間を保ちながら、音は徐々に近く、大きくなっていく。足音と心臓の鼓動が、面白いように同調していた。

 最後の足音が内部全体を廻り終えると同時に重い扉が軋みながら開き、部屋に光が射した。久しぶりの眩しさに目が眩んだが、すぐに慣れ、自分に差す者を見上げる。

「……ゴルバチョフ」

 初めて聞こえた声は、若い男性の声だった。

 黒いローブを羽織った人間が、裸で短い金髪の人間を見下ろしていた。裸の人間は、後ろで両手を手錠のような金属の拘束具で固められ、横たわっていた。

「随分と、長い放置プレイをありがとよ。やっと構ってくれる気になったか?」

「下らん事だけは変わらず達者だな、ジョナサン」

 帰って来た声はさっきの声より渋く、低い声だった。

「老けたな。何かどでかい魔法でも唱えたのか? それとも、もう寿命? オールド・ゴルバチョフってか?」

 ゴルバチョフと呼ばれた人間がジョナサンと呼んだ人間の股間を蹴り上げると、言葉の無い悲鳴を上げ、俯きながらプルプルと身体が震え始めた。

「テメェ……」

「ノヴァを起動してきた」

「!」

 ジョナサンは再びゴルバチョフを見上げた。

「お前の弟に邪魔されたよ。兄の仇だと、事実無根の事象を抱えながら、無謀にもこの私に剣を向けて来た。――まったく、愚かだ、実に愚かだ。愚者の血縁も、所詮は愚者か。言葉に振り惑わされた挙句、無様に絶命する道を選ぶとは」

「テメェ! まさか、アルを!」

「安心しろ。骨の欠片も残らぬよう、木っ端微塵に帰した。まぁ、いらぬ買い物をしたが……」

「この野郎ォッ!」

 怒りに身を任せ飛び掛ろうとしたが――身体の中から抑制の力が働いた為、動けなかった。

『馬鹿。今動いてどうする。自棄になるなよ。怒りで我を忘れるんじゃねぇ。それに元々、この事態は覚悟してた事だろうが。弟の犠牲、無駄にするなよ』

「…………」

 頭に響く声をしかめっ面で聞いて、野良猫のように息を吐き続け、やがて冷静になった。怒りの籠もった瞳をゴルバチョフに向ける。

「このクズ野郎!」

「今日はお前に、訊きたい事があって来た」

 無視かよ、とジョナサンは思った。

「何だ何だ。私は全知全能だとか、神に選ばれし者だとかぬかしてたのが何だ? 愚者に頼るとは、お前こそ真の愚か者だな!」

「……今度は蹴り飛ばしてやろうか?」

「冗談だ。ちゃんと答えるから、もう蹴らないで」

 そう弱々しく言って、股で股間を押さえた。ふんと鼻を鳴らしたゴルバチョフは、用件を切り出す。

「ノヴァが発動しないのだ」

「あぁ? ついさっき起動してきたとか言ってただろうが」

「言葉の通りだ。起動は出来た。大地が揺れ、大気がうねった。――しかしそれだけだ。それらが一時的に発生しただけ」

「そういう魔法なんじゃ?」

「違う!」

 ゴルバチョフは声を荒げた。

「神の遺書によれば、天神地祇が降臨し、天地開闢の鐘が鳴り響く! その事実は、何一つ起こらなかった! つまり失敗したのだ! 何かが欠けていた! それは何だ、ジョナサン!」

「知るか! 残念ながら俺は全知全能じゃないんでね! どっかのRPGみたく都合よく答えを持ってると思ったら大間違いだ! それに――」

 余韻を残しながら、ジョナサンは足だけで立ち上がった。

「……それに?」

 ゴルバチョフが訊くと、ジョナサンはニヤリと笑い、

「もうこのシチュエーションは、おしまいなんだよ!」

 刹那――古びた拘束具が音を立てて千切れ、ジョナサンは自由になった。

「貴様――ッ!」

 ゴルバチョフが身構えるのと、ジョナサンが指を鳴らすのが同時だった。

 甲高い音と共に、両者を突然地面から噴き出た轟炎が隔てた。ゴルバチョフは思わず後退りし、右袖で口を覆う。

(仕込み魔法か……!)

 ジョナサンは直ぐさま後ろに振り向き、右腕を横に伸ばす。

「ヴァイス!」

 言うと、右腕から白く巨大な腕がスゥッと浮き出た。そして大きく振りかぶって、黒い壁に正拳突きを放った。凄まじい音と共に壁は砕け崩れ、未だに荒れ狂う海が見える。

「うおぅ……。大丈夫かよ、これ」

「ブラスト」

「ん?」

 唱読と同時に、先程の音とは比べ物にならない轟音が周辺に響いた。その牢屋の断片らが宙を舞い、やがて法則に従って海に強く落ちる。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 ジョナサンの雄叫びがしばらく続いていたが、やがて途絶えた。

 ゴルバチョフはその様子を見ていた。風がローブを靡かせる。

『良いのか?』

 唐突に、声が辺りに広がったが、ほとんどが海によって打ち消された。

「ああ」

 短く答えて、ローブを後ろに下げる。

「どうせ、また会う事になる」

 そう言って、踵を返した。

「りゅーにぃ! りゅーにぃ!」

 何処からとも無く、声が聞こえた。幼い女の子の声だった。

「あさだよ! おきるんだよ!」

 バフバフと、布団を叩く音も一緒に聞こえる。

 ――……嫌だ、起きたくない。俺はまだ、睡眠を貪り尽くしていない……。

「おきるの―――――――――――――――――――――!」



「んー……」

 重い瞼を開けてみると、広がっていたのは真っ白な天井だった。勉強机にテレビにゲーム……。紛う事ない俺の部屋の光景があった。

 あれ、おかしいな。ついさっきまで、ジョナサンとゴルバチョフが激しい戦いを繰り広げていたはずなんだが……。

「苺……。ジョナサンはどうなった?」

「しらないよ! いいからはやくおきるの! ちこくしちゃうよ!」

 そう言うと苺は、下の居間まで駆け降りて行ってしまった。

 ……あぁ、そうか。夢か。俺は夢を見ていたのか。

 内容的に、先日発売したジョナサン最新作の序章だ。つい昨日そこをやったばかりだから鮮明に記憶に残り、それが夢の中にまで投影されてしまったのだろう。つまりそれ程面白かったという事だ。流石は密林ランキング一位の作品! 夢にまで出てくるゲームと、新たなキャッチコピーが出来たな!

 冷静に振り返ると、即ち俺は寝ていたという事だ。なるほど、未だに身体がダルく、視界が狭くなっている理由が解る。まだ眠いんだ。そりゃあ深夜二時まで起きてればこうもなる。

 仕方ない、もう一度眠って、睡眠を取ろう。

 俺は再び身体を寝かせ、布団を被る。途端に睡魔が襲ってきて、俺を夢の世界に誘う――。

「おきるの―――――――――――――――――――――!」

 と思いきや、それは苺によって阻まれた。

 無慈悲な苺は布団を放り上げ、無理矢理俺を起こし、居間に連行する。階段の段差に揺らされて気持ち悪い。

「やめてくれ、苺。俺はまだ寝足りないんだ……」

「よるおそくまでおきてるからいけないんだよ! まいにちくじにねてるいちごをみならいなさい!」

「小学二年生にもなって、まだ一文字も漢字を覚えてないお子様を見習えと?」

「! い、いいんだよ! いちごはさんすうできるもん! しょうらいは、しおねぇみたいにすうじたくさんやるんだもん!」

「高校の数学なんてな、使い道はないんだぞ」

「そんなことないもん!」

 苺に現実を教えてる内に、光に満ちたリビングに着いた。テーブルには既にパンの乗せられた皿が二人分並べられている。

「龍、おはよう」

 キッチンからブラウスにエプロンを重ねた姿で詩織が、黒い長髪を揺らしながら出てきて挨拶をした。俺は目を擦りながら座って、更に欠伸をする。

「おはよう。そしてお休み」

「何言ってるの。今日は学校でしょ。早くパン食べてよ」

 そう言って、さっさと上へ上って行ってしまった。おそらく俺の部屋の布団を干しに行ったのだろう。毎度の事ながら、頭が上がらない。詩織様々である。

「ふぅ……」

 ふと目を瞑ったら、自然と睡魔が襲ってきた。……いかん、このままではまた本当に眠ってしまう。駄目だ、寝ちゃ駄目だ。ここで寝たらまた怒られる。

 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だぁ……ぁぁぁ……。

「……まぁいいかぁ」



 私が龍の布団をベランダに干し終えて居間に戻って見ると、なんと龍は机を枕にすやすやととても心地良さそうに眠っていた。一方の苺はもう食べ終えて、食器を台所で水に漬けていた。流石は私の妹。一度教わった事は絶対に忘れない。なんて有能なのかしら!

 それに比べて兄と来たら。折角のパンが冷めちゃってるじゃない。愛情を込めて焼いたっていうのに。本当ならこの可愛い姿を愛でたいけれど、今は朝。学生の朝は規則正しくなくてはならない。

 私は心を鬼にして、テーブルのティッシュ箱を手に取り、龍の頭をそれで叩く。苺なら間違いなく泣いてる強さだろうけど、龍はやはりこの程度じゃ起きない。往復ビンタを何回も叩いてると、

「んー……」

 龍が唸った。私は龍の頭を右手で持ち上げ、パンを口の中に放り込む。

「んーっ!」

「んーじゃないの! 毎日言ってるでしょ? 朝はシャキッと起きてって! 龍のせいで、いっつもギリギリの電車なんだからね! ほら、噛み噛みごっくん!」

 何でこんな事を高校二年生に言わなきゃいけないの! 毎回こう言わないと飲み込んでくれないから困っちゃうんだよなぁ。けどそれが可愛くていいんだけれど!

「はい、次は歯磨き! ちょっと苺、龍の分も片付けておいて!」

「はーい」

 龍を洗面所に連れて行き、ブラシに歯磨き粉を付け、磨かせる。うとうとしながらゆっくり龍が歯磨きしてる間に、私は龍の髪の手入れをする。今のままで外に出るなんて、とてもじゃないけど無理。

 大爆発してる髪にブラシを通し、ワックスでいつもの髪型に矯正し終えると同時に、龍も歯磨きを終えたので、私が口臭をしっかりチェックして、部屋で制服に着替えさせる。残念ながら、ここにまで立ち入る段階には進展していない。以前脱がせようとしたら、あの状態でも拒否されちゃったし。

 そうね、まだ龍は心の準備が出来てないのよね。大丈夫、私はもう出来てるから!

 部屋から出てきたところで、未だに首を揺らしている龍を外に連れ、苺も外に出たら玄関の鍵を閉めて出発。

 八百屋さんや銀行等が立ち並ぶ街を通り抜け、駅で苺と別れたら、急いで改札に向かう。何故ならこの時間だと電車はもう止まっていて、今まさに乗客の入れ替えの最中だから。これを逃すと二人とも確実に遅刻なので、なんとしてもこれには乗らなくてはならない。

 どうしても起きようとしない龍を右手で引っ張って、ドアが閉まる直前に無理に突っ込み閉まるのを阻止。ふぅ、今日もなんとか電車に乗れた……。

 ドアが閉まると、

「駆け込み乗車は大変危険ですのでおやめ下さい」

 と駅でアナウンスが掛かっていた。毎度の事だから、駅員も呆れてる事だろう。

 この時間のこの車両は常に席の空きはないので、必然的に立つ事になる。私の位置にはちょうど手摺りがあるが、龍には掴める場所がなく、更に頭はガクンと下がっている為、電車が揺れると一緒に揺れていてとても危ない。私が龍の手を掴もうとしたその時、電車が大きく揺れ、龍もそれに釣られる。そして――

「――んぁッ!?」

 私の豊満な胸に、龍の顔が埋もれて来た。いけない、私、胸の感度が強いから思わず嫌らしい声を上げてしまった。あぁっ、私としてはこのシチュエーションはドンと来いなんだけど、場所が悪いわ。周りの人がチラチラとこちらを見てるのが解る。やっぱりこういうのは、家の中じゃないと駄目ね。TPOは重んじるべきだわ。

「ちょっと龍、頭どけて――、んっ!」

 また電車が揺れて、龍も揺れて、なんと今度は龍の右手がダイレクトに胸を鷲掴みにしてきた。きっと寝惚けて手摺りだと思ったんだろうけど、このままじゃこの時間中ずっと感じちゃう……!

「違うわ、龍。それは手摺りじゃ――、んんっ」

 私は必死に龍の背中を叩き続けるが、一向に反応が無い。もしかして、寝入っちゃってるのかしら。私の胸で。そ、それはそれでいいかも……。

 いや駄目よ! このままじゃ、龍が痴漢だと思われちゃうかもしれない! もう思われてるかもしれないけど、最悪のケース……即ち警察のお世話になるって事だけは避けないと!

「龍! いい加減にしなさい! この続きは家でたっぷりと――、んあぁっ……」

 も、もう駄目かも。身体が熱くなってきちゃって……!

「はぁ、龍、落ち着いて――、んっ! まずは、その手を離して――、ぁっ! ちょっと、左手も触っちゃってどうする――、んぁっ。解った、解ったわ。家で好きなだけ触らせてあげるから、ここではもうやめて――、ぁあっ! はぁっ、龍、私、もう……!」



「……はっ」

 周りのガヤガヤとした雑音に気付き、俺は目を開けた。

 場所は見慣れた教室で、夏色の生徒達が教材を持って移動したり、角でプロレスを始めたりと、動き回っている。今は休み時間のようだ。

 しかし、俺は今まで何をしていたんだ? 定例通りなら、電車の中で寝入ってしまって、終点に着いたら意識が朦朧としつつもなんとか電車を乗り継ぎ、時々倒れながらもなんとか学校に入って、教室の席に座った瞬間に再び寝た。こういう事か。

 時計を見ると、十時四十分を針が過ぎた。つまり授業二時間分も寝ていたのか。ちゃんと出席扱いにされてるのか不安だな。窓際の一番前は気持ち良すぎて寝やすいから困る。

「おう、やっと起きたか」

 不意に肩が叩かれたと思った方向を見ると、男子生徒が居て、すぐ右隣の席に座った。そこは彼の席では無い為、本来の座席主が煙たがる。

「おいザキ、あたしん席座んなよー。汚れるー」

「あぁん? てめーの身体を俺のカルピスで染めてやろうか?」

「うぇっ! 死ね!」

 女子生徒が舌を出しながら退散すると、山崎は「かかか」と愉快そうに笑った。

「いやぁ、ツンが多いねぇ、この学校は!」

 山崎将(やまざきまさし)。女子が羨ましがってしまう程サラサラした黒髪は肩まで伸びていて、前髪で右目は覆われている。顔には火傷が痛々しく残っているが、本人はあまり気にしていない様子。主に下ネタを連呼する為、一部の女子からは軽蔑されている。今のが良い例だ。あだ名は「ザキ」。決して成功確立の低い即死魔法ではない。が、その意を込めてそう呼ぶ女子も中には居るだろう。

「にしても、二時間ぶっ通しで寝るなんか普通ありえねーだろ。昨日どんだけ起きてたんだよ?」

「あぁ。深夜二時までゲームしてたから、仕方ない。ちょうど今日はその夢を見たんだ」

「……それ、結構な中毒なんじゃねーの?」

 表情が引き攣ってる。別に疚しい事は何も無いんだが。

「そういうお前は、昨日何してたんだ?」

「俺か?」

 すると、山崎は右手でガッツポーズをして高らかに言う。

「勿論、エロ画像を集めてたに決まってんだろ!」

「なるほど、つまりお前に俺を貶す資格は無かったという事だ」

「あっ、ちなみに昨日は二次元の方な」

「訊いてない」

「昨日見つけた中でベストなのは……これだな!」

「寝起きに変な物を見せるな! 目が腐る!」

「おいおいその言い方はねーだろ。世界中のロリコンに殺されるぜ?」

 ロリコンって、幼女や少女に欲情してけしからん事をする奴らの事だよな。それだと苺は間違いなくターゲットに入ってしまうな。ぬぬっ、今すぐロリコン絶滅条例を制定しろ。ロリコンは死ぬべきだ。

「だいたいさぁ~、皆大量にエロ画像持ってる俺を軽蔑するけど、男子なら絶対ケータイん中に一枚はエロ画像あるから! シークレット設定にして隠してるから! そうだろ議長ぉ!?」

 山崎は後ろでケータイをいじってる男子生徒に急に訊く。本人はビクッとした後戸惑って「えっと……」と言葉を詰まらせている。

 渡辺周平(わたなべしゅうへい)。平均的に見ると低い身長に、もっさりしているアフロがクラス、いや学校で一番目立つ。アフロの中には日常具が詰まっているという噂がある。しかしその頭とは対照的に、引っ込み思案で泣き虫。今年の生徒総会で議長を務めた事から、あだ名は「議長」。間違えやすいが、決して某特戦隊ではない。また、それでの失敗が原因で、普段より余計に引っ込み思案になっている。

「それは……どうかなぁ」

「いーやそうだね! 議長なんか特に持ってそうだね! そのアフロの中とか!」

「し、失礼な! この中には普通にハンカチとティッシュしか入ってないよ!」

 それはポケットに入れるだろう、普通。

「どーだかねぇ。明らかに議長からはむっつり臭がするぜ」

「そ、そんな事ないよ!」

 渡辺は立ち上がって抗議するが、山崎は汚く笑いながらあしらっている。散々ないちゃもんをつけられた渡辺は今にも泣きそうだ。しかしそれを見て面白そうに山崎は笑っている。

 そんな山﨑に、人影が差し掛かる。

「こーら! ザキはまた修平をいじめて!」

「うぉっ、姫か」

 唐突に高い声が聞こえた方向には、長身の女子生徒が居た。渡辺に近寄ると、もさもさの頭をぽんぽんと撫でるように優しく叩く。

「よしよし、泣かない泣かない」

「うぅ、やっぱり僕は駄目な子なんだぁ」

 そう言って渡辺も、姫川に身を寄せて頭をグリグリ動かす。傍から見れば明らかに姉弟である。

 姫川理紗(ひめかわりさ)。茶色い髪を後ろで左右に団子結びしている。女子にしては背が高いのが特徴で、百八十を超えている。また、才色兼備かつ文武両道で、妬みの対象になってるかと思えば、その性格が幸いして、彼女を敵視する生徒はとても少ない。何でも中学では、大量のアプローチがあったとか。しかしそれは蹴ったのか、この通り渡辺と親密な関係にあるようだ。あだ名は「姫」。決して黄昏の姫君ではない。

「で、何でこうなったの?」

 鋭い声で問い詰められた山崎は「うっ」と身体を反らした。

「いやいや。いじめる気は無かったんだって。ちょっとした出来心でだな――」

「ザキの秘密、ばらしちゃお」

「僕が悪かったです。お許し下さい、姫君」

 瞬時に土下座して許しを請う。何やら、山崎は秘密を握られているらしい。その姿に姫川は「あはは」と笑って、

「冗談。でも、泣かせちゃ駄目だよ?」

「へーい。てゆーかお前もメソメソ泣くなよな。議長だろ」

「それは関係ないよぉ」

 渡辺が涙を拭って席に座ると同時に、チャイムが学校内に鳴り響いた。

「次は……。ゲッ、英語かよ。なぁ龍、ノート見せて。順番的に俺当たるからさぁ」

「言うのが遅すぎだ。それに、俺が予習やってると思うか?」

「思わねー。くそっ、使えねーなー!」

 悪態をつきながら立ち上がり、次は渡辺、今度は姫川と、虱潰しあたっていくが、全て断られていた。性格の悪さがここで災いしている。挙句の果てには、先生が入室した途端に頭を抱える始末。

 えっと、こういう場合はなんて言うんだっけな? 前に廣瀬に教えて貰ったんだが……。あぁ、思い出した。

「ざまあー」

 戒めの意を込めて、誰にも聞こえないように呟いておいた。



「要するにだなぁ~、パンツってのは見せ付けるもんじゃねーんだよ。チラッて見えて初めてグッと来るもんなんだよ!」

 昼休み。やはり五月蝿い教室で、俺の席の周りにいつもの四人が集まって、弁当や購買のパンを食しながら雑談をしている。今は山崎のターンで、「女子のパンツの有用性」について中心で語っている。場違いな話題のおかげで、女子陣は若干引きながら黙々と箸を進めていた。

「俺としてビンと来る場面ってのは、大人しそうな女子のパンツが見えた時だな! 普段は縮こまってる女子の中身を見れた瞬間は至福の時だ! なっ、岡村!」

「や、やっぱり私なんだ……」

 俺の右隣で小さな弁当箱を開いていた岡村が苦笑いした。

 岡村あゆみ(おかむらあゆみ)。ウェーブの掛かったピンクの長髪が、綺麗な顔を包みように伸びている。以前はメガネを掛けていたが、コンタクトにしたらしい。小柄な身体の服装は皺一つなく、スカートは膝丈より長く履いている。あだ名は「あゆ」。決して魚ではない。

「きっと岡村は白かピンク辺りが妥当だと思うんだけど……。どーよ?」

「どーよって、僕に訊かれても」

 山崎の隣でパンを食べてる渡辺は苦笑しながら首を傾げる。

「いーや、あゆは意外と派手な下着だと思うな」

 姫川が右手の人差し指をピンと立たせながら推測した。

「そうか? 確かにそういうパターンもあるっちゃあるが、岡村はそれに当てはまらないと思うぜ。まったく想像がつかん」

「甘いな、ザキは。あゆってね、普段は大人しくしてるけど、やる時はやるんだから。大胆な一面も結構あるんだよ」

 それは俺が一番経験している。何せ被害者だからな。金の欲しさが故に、盗みをするくらいだ。それにはどうしようもない理由があったから、今はもう気にしてはいないが。

 山崎は「ほぉ~」と鼻の下を伸ばし、

「なるほど。…………」

 しばらく黙った後、いきなり山崎は地面に顔を付け、岡村のスカートを覗こうと試みた。

 が、察知していた岡村が股を閉じてそれを防いだようだ。

「チッ!」

「チッ! じゃないよ! 女子のスカート覗くなんて最低だよ!」

 渡辺が正論を言って、全員頷く。

「最低なのは百も承知さ。でも岡村ってスカート長いんだもん。神風吹いても見えねーんだもん! だったら覗きたくなるのも仕方ねーよ!」

「そりゃあ、見えないように履いてるからね?」

「いやいやいや。岡村はスカートの意味を解ってねーよ。いいか? そもそも何で制服がスカートだと思う? 可愛いからだよ。何で可愛いと思う? フリフリしてるからだよ。何でフリフリすると思う? パンツが見えるようにする為さ!」

「違うでしょ」

 姫川が呆れ気味にツッコんだ。

「いや違わないね! 昔の偉い人がそう言ったんだよ! 昔の人もエロかったんだよ!」

「エロとかは関係無いと思うよ」

 渡辺も首を振った。

「もうね! いっその事スカート捲りを日常茶飯事にしちゃえばいいんだよ! そうすりゃあ現代の性欲不足も解消されるはずだ!」

「それはありえないよ……」

 岡村も嘆息して否定した。

「じゃあもういいよ! スカート廃止しちまえよ! 女子は全員パンツで登校すりゃいいんだよ! これで万事解決だよ! よし、要望送っとくから考えてくれよ、執行部!」

「やめろ、紙の無駄だ」

 そういえば以前、「水着コンテストならぬ下着コンテストをしよう!」とかいう要望書があったが、こいつか。問答無用で恵に破り捨てられていたが。

「じゃあさ、皆でパンツの魅力について語り合おうぜ」

「一人でやってろ」

「ん? 龍はもしかしてティーバック派?」

「どこにそんな伏線があった? とにかく、パンツの話題はもういい」

「はは~。解ったぜ、龍はおっぱい派か」

「何でそうなる? とりあえず、お前はもう喋るな」

「大丈夫だって。俺はDくらいがいいかな」

「一体どう大丈夫なんだ? というか、話を進めるな」

「巨乳もいいけど、やっぱバランスだよな。ロリで巨乳とかは、絶対に認めないね」

「おい、誰かこいつを止めろ」

『無理無理』

「そういやロリも捨て難いよな~。一度でいいから抱いてみたい!」

「頼むから、飯を食わせろ」

「確か龍の妹って小学生だよな……。今度会わせてくれ!」

「兄として全力で阻止する!」



 帰り道。今日は天川の意向で執行部は無しなので、駅から街の通りを歩く。にしても、結局山崎は止まらなかったな。いつもの事だが、いい加減度が過ぎる。執行部としてどうにかした方が良いのかもしれないな。「下ネタ禁止法」というのを作った方がいいかもしれない。

 久々に五時前に玄関の前に辿り着いた。よぉし、これなら夕飯までずっとゲームが出来るぞ! 

 俺は気分上々で玄関を潜ると、居間から苺が駆けてくる。

「りゅーにぃ! たいへんだよー!」

「ん? どうした、苺?」

「しおねぇがたおれたの!」

「な、何!?」

「はぁはぁいってる!」

「それは大変だ!」

 まさか、働きすぎで風邪を引いたのか!? 俺が、家事をろくに手伝わずにゲームばっかりしていたせいで……?

 俺は苺を除け、鞄を放り、無心で駆け出す。

 いや。無心ではない。心の底から、後悔の渦が巻き上がっていた。

 俺がいけないんだ。ゲームなんかやってる余裕は、本当は無いのに。詩織は学校もあるのに、自分の自由時間を全て切り捨てて、家事に汗水流してくれているのに。当の俺はと言えば何だ? 毎日毎日ゲームばかりやって……。随分前に恵に言われた事だが、正にその通りだ。電気泥棒以外の何者でも無い。

 ならば、ここで清算しよう。全てが、という訳ではないが、せめて充分な介抱をしないと。

 詰まる想いが一瞬で爆発して、気付けば俺は居間のドアを開けていた。すると、ソファーには顔を紅くして横たわっている詩織がいた。

「詩織!」

 近寄って膝を折り、すぐさま額に手を当て、自分のそれと比較する。

「……?」

 もう一度、しっかりと手を当て、体感する。

「熱ないじゃないか」

 だとしたら、この症状は一体……。

「! まさか、未知の病気!?」

 思わず俺は声を上げ、虚ろな目をしてる詩織の身体を揺らす。

「おい、詩織! どうしたんだ? どこが痛いんだ!?」

「うー……ん……。龍……? おかえり」

「あぁ、ただいま。――じゃない! どこか痛いところは無いか!?」

「え? ……あぁ、そういえば今日はずっと、ここが痛いわね。――誰かさんのせいで」

 身体を起こして、両手で胸部を持ち上げた。

「胸が痛いのか? ……そんな! まさか心臓の病じゃっ……!」

「さっきから何言ってるの? 痛いだとか、病だとか」

「は? いやだって、苺が倒れたって……」

 俺は後ろで立ってる苺を見て、「な?」と確認すると、大きく頷いた。

「しおねぇ、はぁはぁいってたもん!」

「そんな事――。あぁ、そういう事ね」

 詩織は一人で納得して、「うんうん」と首を振る。

「? どういう事だ?」

「苺が勘違いしたのよ。確かに、私は帰ってすぐにここで寝たけど、別にそれは具合が悪いからって訳じゃないわ。ちょっと眠かったから、仮眠を取ろうとしただけよ」

「だったら、何でそんな声を……」

「夢を見てたのよ。ちょっと過激な」

「な、なんだ……。そうだったのか」

 俺は一先ず安堵する(正直言って、過激な夢を見る時点で脳内に問題があるのかとも危惧するが、詩織に限ってそれはないだろう、いつもそんな感じだし)が、先程の言葉を思い出す。

「じゃあ、さっきの胸が痛いっていうのは? もしかしたら、病気かもしれないぞ!」

「……ひょっとして、覚えてないの? 朝の事」

「朝? 起きて、テーブルに座って……。教室で目を覚まして……」

「覚えてないのね」

 詩織は深く嘆息して、もう一度自身の胸を持ち上げる。

「あんだけ揉みしだいといて、白々と……」

「何?」

「酷い羞恥プレイだったわ……。電車の中で、あんな事を!」

 急に天井を見上げて吼える詩織。

「な、何を言ってるんだ?」

「しおねぇ、まさか!」

「そのまさかよ、苺」

 赤面した詩織が答えると、苺は「むーっ」と頬を膨らませ、俺に向き直り、

「さいてー!」

「はあ?」

 突然の非難に、驚く他無かった。

「これだけで意思疎通が出来るなんて……流石は私の妹ね! それに比べて……」

 今度は詩織が鋭い目付きで俺を睨む。

「この変態!」

「なっ――」

 衝撃の一言!

「家の中でなら許せたけど、電車の中でするだなんて! 公共の場よ? 何を考えてたの!? 度し難いにも程があるわ! 陵辱よ! 正しく陵辱だわ! 私はね、美少女ゲームのキャラクターじゃないの! お門違いよ!」

「は、はあぁ?」

 何で俺は怒られてるんだ? こっちは心配していたというのに! それこそお門違いだ! さっきまでの俺の後悔はどうなる? まったく無駄な感情だったじゃないか!

 とでも言ってやりたいが、鬼の形相をしてるお姉様にそんなことは言える訳がない。

「さいてー! ありえないー!」

 妹様まで大変ご立腹のようで。

「今日という今日は、たっぷり説教だからね!」

「…………」

 いつの間にか俺は正座して、仁王立ちの詩織とそれを真似てる苺にガミガミ一方的に罵倒される始末になった。時々反論を試みるが、「お黙り!」とハモられ失敗する。

 折角ゲームが出来ると思ったのに……。この調子じゃ無理だな……。



 ――どこにでもある日常。

 ――それは、穏やかな波に揺らされ、一定の周波数を発している。

 ――しかしそれは時に、不穏な波紋によって打ち砕かれる。

 ――それこそが、日常なのだ。



 翌日の朝。前夜にこってり絞られたせいで、不本意にも瞼はばっちり開いている。

 結局あれから三時間みっちり扱かれた後、夕飯と風呂を挟んでそこから更に三時間だからな。ゲームなんかやる気が起きなかった。ついさっきも電車の中で愚痴を絶え間なく言われたし。もう何がなんだか、理解不能だ。

 昇降口で靴を履き替え廊下に出てみると、異様な光景が広がっていた。

 掲示板の前に人だかりが出来ていた。主に男子生徒がケータイを手に背伸びしたり、言葉を交わしながら騒いでいた。ああいう五月蝿い場所は嫌いだから、いつもなら横目にするだけなんだが、最前に腕を組んだ山崎が居たので、声を掛けてみる。

「おい、山崎。何だこの騒ぎは?」

「おぉ、龍。いやな、掲示板に貼り物がされてるんだよ」

「そりゃそうだろう」

「見りゃ解る」

 俺は背伸びして確認しようとするが、前の生徒の頭が邪魔で見えない。だがたまに掲示物がチラッと見える。写真か? 大きく現像されていて、何枚も重ねて貼り出されている。その内容は……。

「これは……」

 女子生徒のスカートの中身がはっきりと晒されている類の写真。即ち、盗撮写真だ。それが様々なアングルから撮影されていて、大量に貼り出されていた。制服を見る限り、うちの生徒だ。顔は写されてないが……。

「何だこれは」

「盗撮写真だろ。ま、もしかしたら合意を得た上での写真かもしれないけどさ。写ってるのは間違いなく山高の女子生徒だな」

「それは解る。解らないのは、何故わざわざ掲示板に貼るかだ。個人的な願望で撮ったのなら、それを羞恥に晒す理由が解らない。自分だけで楽しめばいいだろう」

 だとしても、許される事では無いが。

「愉快犯だろ。どうしてやろうと思ったかは知らねーけど、こうやって男子が喚くのを見て、ほくそ笑んでるんじゃねーの?」

 やけに浮かれない表情をしてる山崎を見て、俺は思わず笑ってしまった。

「なるほどな。つまり、お前が一番の観察体ということか」

「……いや。わりーけど、それは違うな」

「どうして? 普段はあんなに下ネタを連発して、仕舞いにはスカートを覗き見ようとするくせに」

「あぁ。そりゃ見てーからな。自分の見てー物は全力を尽くして見るさ」

 その〝全力〟に問題があるんだがな。

「けどな、これはちげーんだ。仮にこれが盗撮だとしたら、今ここで彼女達の望まない形で、自分の恥部が嘗めくり回されてる。とんでもなく非道だと思わねーか?」

「お前が言えた口か?」

「俺は正々堂々と勝負してるんだ! 陰気な奴と違ってな! 寧ろ褒めて欲しいもんだ」

 言ってる事とやってることが食い違いすぎだ。何様だ、こいつ。

 ……だがよく振り返ってみると、岡村や姫川は山崎のこの行為を批判し嫌がってはいるが、今の関係を崩そうとはしていない。そのアイデンティティを認め、友人として付き合い続けている。いや続けたいと思っているのかもしれない。山崎はその部分を抜けばムードメーカーのようなもので、クラス内の笑いの半分は山崎が作っているといっても過言では無い。

 だからって訳じゃないが、多少の無理も通る事が多い。割と中心人物だという事実には間違い無いだろう。

 いやだからって卑猥な行為が許される訳でもないが。

「気持ち悪いんだよ」

 突然の鋭く大きな声が廊下に響いて、静寂が訪れた。山崎の表情を見てみると、今までに見たことの無い表情、怒りがひしひしと伝わってくるものだ。

「盗撮してる奴も。それを見て喚いてる奴も。その写真も。全部醜い。吐き気がするっつーの」

 山崎は一歩前に出て、「いいかてめーら!」と声を張ると、塊が震えた。

自分(てめー)の見てーもんはな……てめーの目で! てめー自身で! てめーの身体で見やがれ! 紙っぺら越しなんかで見るもんは偽物だ! 実物を! 肌で感じやがれ! そんなんで精力使ってんじゃねーよ! それでもてめーら男かぁ!」

 山崎の熱弁が終えると、静寂が徐々に打ち砕かれて、生徒達は列を成して教室に向かって行った。耳打ちする生徒が多々見える。

「ははは! ねぇ龍聞いた? 今の俺の! あいつらのハートを見事に貫いたぜ!」

 高笑いしながら悦に浸っているが、きっと生徒達はそんなんじゃなくて、単に引いただけだと思うが……。まぁ、追い払ったのは上出来だから何も言わないでおこう。本来なら、それは俺の役目だったんだから、感謝したいくらいだ。それは屈辱だから、言葉には表さないが。

「あれ? ザキにジョー、何してるの?」

 後ろから、ちょうど登校してきた姫川が「やっ」と挨拶してきた。俺達は簡単な会釈で返す。ちなみに、ジョーというのは俺の事。苗字の城古から取ったらしい。決してなんとかのジョーではない。

「って、何これ!?」

 姫川は掲示板の物を見て、口を手で覆って驚く。

「うちの生徒の盗撮写真だよ。どんな手を使ったかは知らねーけど、こんなに撮られて、貼り出されてる」

 山崎が説明すると、姫川が身体を震わせる。

「どうしてこんな事を……。信じられない!」

 普段温厚な姫川でさえ憤怒している。やはり、女子のスカートには秘密が詰まっているようだ。

 そう思った途端――不意に山﨑が声を上げる。

「あぁっ!」

 すると山崎は、いきなり目をやらなかった盗撮写真を一枚ずつ真剣に見始めた。まるで何かを探すように。

「ちょ、ちょっとザキ! まさかザキまでこんな物を!? ザキはそんな奴じゃないって、信じてたのに!」

 何故信じられるんだ!? どうやったら信じられるんだ!?

「違う!」

 頭を振って、目を凝らして漁る様に見続ける。

「もしかしたらこの中に、姫川のがあるかもしれねーじゃねーか!」

 …………。

 姫川同様、思わず息が漏れる。もう呆れる他無かった。

「山崎。さっきの熱弁はどうした?」

「あぁん? 知るか、んなもん! 俺はな、今晩のオカズ探しで必死なんだよ!」

 それは親に任せておけ!

「ザキ……そんなに、私のここが見たいの?」

 姫川の声が小さく聞こえると、本人はスカートの端を摘み上げていた。中身はまだ見えてないが、山崎は不意を突かれた様に硬直し、口をぽかんと開けている。それは俺も同じだが。

「だったら、見せてあげる」

「……マ、マママ、んマママママジでええェ!?」

 高速で這いずって拝むように膝を突く。姫川は顔を紅くしながら、徐々にスカートをたくし上げていく。

 ……いやいや何だこれは。何故こうなった。いくら姫川がお人好しだからといってもこれはおかしい。

「おい、何をやって――」

 俺が言いかけると、姫川がウィンクしてきた。いや意味が解らない。まさか、俺も見ろって合図じゃないだろうな? 

 俺は首を振ると、軽く笑って妖艶な微笑みを浮かべ、山崎を見下ろす。あれ、変だな。姫川ってこんなキャラだったっけ……。設定ミスか?

 山崎が鼻の下を極限まで伸ばし切り、今か今かと待ち侘びてる最中、姫川が突如吹き出し、「あはは」と笑った後、スカートを思いっきり上げた。

「……はぁ?」

 中身を見た山崎は間の抜けた声を上げて、しばらく呆然としていた。やがて我に返って立ち上がる。

「て……てめー!」

「ザキったら真剣に見てるんだもん! 馬鹿っでー!」

「このやろー! 男心弄びやがって!」

 姫川が逃げ出すと、山崎はそれを汚い言葉を吐きながら追いかける。あの速度差だと、追いつけることはないだろうが。ていうか結局、あの行動の意味は何だったんだ……? あの様子だと、本当にパンツを見せた訳じゃなさそうだし……ッ!

「ま、まさかっ……!」

 最悪の光景が脳裏を過ぎり、反射的に頭を抱える。

「廃れてるっ……! 圧倒的にっ……! 性がっ……!」

 今日の議題は決まったな……。



 その日の放課後、執行部内でこの問題について話し合ったが、特に成果を挙げられる事は出来なかった。

 犯人を特定するにも、時間帯が時間帯で、断定する事が出来ない。一括りで夜と言っても、それがどの深さの夜なのか。それに、動機すら検討も付かない。ただの悪戯にしては度が過ぎるが、それ以外と言われても何の想像も出来ない。

 犯人像は、内容的に男子ということは推測出来るが、この学校の生徒なのかどうかも確定的では無い。こんな匠な盗撮技術を持つ者が学生とは思えないからだ。

 かと言って大人だとしたら、必然的に教師を疑わなければならない。更に、この学校に出入りする人間を洗い出し、その中からも候補を絞り出す。

 無理かつ果て無き話だ。我らが誇る優秀な情報アナリストである廣瀬ですら、これにはお手上げなのだから。

 なら、対策? それも難しい。

 実際、掲示板には時折重要な知らせが貼り出されることがあるし、それを制限されると困る人間がたくさん居る。〝写真だけを貼らせない掲示板〟なんて、都合の良い物が作れる訳でもない。

 解決するにも、一日では不可能な事の為、天川が作戦を練り直して明日もう一度この問題に当たる事になった。

 これは俺の考えだが……。はっきり言って、犯人を特定なんて出来ないと思う。

 犯人だって、こんな大胆な事をやるからにはそれなりの策略があるはずだし、事実証拠も発見出来ていない。あんな盗撮写真を本当に撮ってる奴なら尚更だ。また生徒集会を開いて注意を呼び掛ける程度で終わってしまう問題だ。

 それに極端な話、正直どうでもいい。今回のは全然怒りが湧いて来ない。意欲が掻き出されない。最早やる気の問題にまで至る。俺個人としては、女子の下着には興味無いし、それが晒されていようと何も関係の無い事だ。寧ろ性欲が尽きない男子に物を提供してるから悪い話ではないんじゃないか? なんて考えてしまう。

 とりあえず今日はもう寝て、天川の〝作戦〟とやらに期待しよう。



 次の朝。昇降口で靴を履き替えて見ると、また掲示板で人がうじゃうじゃ沸いていた。今回は女子も多く混じってるようだ。

 まさか、また掲示板に何か貼り出されてるのか? 流行ってるのか、この方法?

 今回は興味本位でその中に混ざってみる。

「酷いよねー。何これ」

 近くの女子が囁いてる声が聞こえた。

「うわぁ……。最悪だろこれ……」

 所々から声が聞こえ、それらは全て批判の類だった。どうやら今回は、昨日のような物では無いようだが、良い物では無いようだ。何だかなぁ……。

「!」

 俺は掲示物の一つを視界に捉え、それが真がどうかよく目を凝らす。

「あぁっ……」

 遮る頭が無くなって、その全貌が頭の中に一気に入り込んでくる。数ある写真。散乱している写真。それらに写し出されているもの。全ての情報が脳内で処理され、結論が出る。

 一人の山高生だった。茶色い髪を後ろで左右に団子結びしているキュートなヘアースタイルが特徴で、背が高く端麗な顔立ちで、誰にもでも接し、優しい人格を持ち、才色兼備かつ文武両道に長ける、人間として充分過ぎる素質を身に宿した、姫君。

 一枚は、着替えの瞬間。一枚は、乳頭が露になっている様。一枚は、排泄行為を正に行っている姿……。

「……うっ!」

 喉の底から吐き気がして、直前まで迫ったので、右手で口を覆って必死に押し戻す。噴き出し掛けたパンの残骸を再び飲み込み、大きく深呼吸する。顔を上げると、見たくも無い物が何も掛からず堂々と映っていた。

 流石にこれらを見て、わいわい騒ぐ奴は居なかった。皆俺と同じ感情のようだ。しかし、排除しようとはしない。珍しい物は気の済むまで見ておきたいという利己心が正義心を邪魔するのだろう。

 ……もう、限界だ!

「どけ!」

 俺が言おうとしたら、左から用意した台詞が荒々しく飛んできた。生徒達が道を作るように割れていく。

「山崎……」

 そこには、昨日とは比べ物にならない程怒りが表面に出てる山崎がいた。歯軋りを鳴らしながら掲示板に近付き、写真を乱暴に剥がしていく。

「……龍」

「俺も手伝う」

 俺は剥がした一枚を見た途端、怒りが込み上げて来て、思い切り写真を握り潰す。

「あっ! これを、姫川は……?」

 俺が訊くと、山崎は表情を暗くして、脱力しながら首を振った。

「……今は?」

「屋上で、議長と居る」

「解った」

 俺が背を向けると同時に、山崎が掲示板を叩いた音が聞こえ、振り返る。

「糞がっ! 姫が何をしたってんだ! あいつは、自分なりに! 前向きに生きようとしてるだけなのに! 何でこんな仕打ちを受けなきゃなんねーんだ! あぁ!?」

「山﨑……」

 あんな風に苛立ち、怒る山崎を見るのは初めてだ。それ程までに姫川が山﨑にとって大切な人物であるという事は明確だが、それは俺にとっても言える事なのか……。

 後悔が、滲み出る。



 こんな事になるのなら、昨日もっと尽力するべきだった!

 どうでもいい。

 この感情が、こんな惨事を導くなんて!

 くそっ! くそっ!

 だが、こんな俺の懺悔は関係無い。

 既に、俺も同罪なのだから。



 屋上に着くと、そこにはフェンスに体育座りで顔を埋めてる渡辺だけが風に当たっていた。

「渡辺、姫川は?」

「気分悪いから、保健室に行くって……」

「そうか……」

 俺は渡辺の隣に座る。

「ねぇ、龍」

「……ん?」

「どうして、理沙なのかな……」

「……さぁな……」

「理沙ってね、昔は泣き虫だったんだ」

 渡辺が顔を上げる。見ると、泣いた後が残っていた。

「……へぇ。それは意外だ。今の姫川からは想像出来ないな」

「でしょ? でも本当なんだよ。小学生の頃、理沙はよく一人で居る事が多かったんだ。人見知りで、本を読むのが好きな、目立たない陰気な女の子だったんだよ。それが原因で、よくからかわれたり、時にはいじめられたりしてたんだ」

「ますます想像し難いな」

「そんな理沙を慰めてたのが、僕なんだ」

 という事は、つまり……。

「幼馴染、なのか?」

「うん。今とは、真逆の立場だけどね」

 笑いながら言った。

「じゃあ、付き合ってるっていうのは?」

「そんなんじゃないよ。けど、最近は少し気になったりしてるけど……」

 若干頬を紅葉させていた。

「それで?」

「理沙は中学校に入ってから、今みたいになっていったんだ。なるべく明るくして、他人には優しく接して、友達を多く作っていった。正直驚いたよ。あの理沙がって感じでさ。んで、僕と言えば全然友達が出来ずに、日頃でも失敗続きで……。それからかな、泣き虫癖がついたのは。その頃から今度は理沙に励まされるようになって、今みたいになってるんだ」

 そんな秘話があったとは……。山崎が言ってたのはこの事か。

「だからね、理沙がこんな目に遭う理由は、無いんだよ」

「……そうだな」

「だからね、理沙が泣く必要は無いんだよ」

「あぁ」

「泣くのは、僕だけでいいんだ」

「…………」

 涙が、煌きながら零れ落ちた。

「だから……うっ」

 涙の雨が、降り出した。

「その涙は、俺が清算しよう」

「……え?」

 俺は立ち上がって、よどんだ雲を見る。今にも泣き出しそうな雲だが。まだ零してはいない。

「姫の涙が、伝わらない内にな」

 まだ、堪えていてくれ。

 清算が終わるその時まで。

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