第-3話:その言葉には企てを持たせて
~三ヶ月前・九月終盤のとある日~
「――やぁ、天川君。久しぶりだね。また会えて嬉しいよ」
駅前の喫茶店〝フラテッロ〟。イタリア語で、兄弟という意味がある。
お洒落な外見と内装が人気で、オリジナルのハチミツブレンドが美味しいと、巷じゃ評判の喫茶店だ。丁度おやつの時間だからか、客は意外と多い。主に駄弁ったりしている人が大半だ。俺もその中に入るだろうが。
端っこの席に座っていた俺に、一人の男が恭しく挨拶し、対面の席に座る。
「んっ。天川君、学校帰りか? にしてはちょっと早い気がするけど」
制服姿から、そう思ったのだろう。
「今日は午前授業だったんです。いちいち着替えるのは面倒なので、このまま来ちゃいました」
「ははっ、解るよ。昔は俺もそうだったなぁ」
彼は懐かしそうに笑った後――手を組んで、その上に顎を乗せる。
「それで……一体俺に何の用かな? ただの座談会、という訳じゃないだろ?」
「はい……。鬼神さんに、相談したい事があるんです」
「へぇ、それは興味深いな。俺に出来る事なら、何でもするよ」
厚かましいお願いかと思ったが、鬼神さんは優しい笑顔でそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
「それじゃあ……話を聴こうか」
俺の話を聴いた鬼神さんは、納得したように何度も頷いていた。
「なるほど……。学園内の独裁者をどうにかしたい……そういう事か」
「あの、まったく関係のない鬼神さんにこんな相談はおかしいかなとは思ったんですけど……。俺に身寄りは居ないし、鬼神さんしか頼れる人が居なくて……」
「解ってるよ、天川君。君の事情は、全て理解しているさ。だからこそ、俺は君に全面的に協力するんだ。そう縮こまらなくて良い」
嫌がる素振りを一切せずに、鬼神さんは変わらぬ笑顔を見せてくれた。
「……ありがとうございます」
「とりあえず……、まずは天川君。よくやったと言っておこう」
「はい?」
突然の褒め言葉。何に対しての褒め言葉なのか、理解に苦しむ。
「その状況を、よくおかしいと思ったね」
「いや、そりゃおかしいですよ。いくら嫌われ者だからって、登校するのを学校側が拒否するなんて……。本人ならまだしも、歓迎するべき学び舎にとってはあるまじき事です」
「うん、それはその通りだ。例えばこの店内に居る人々にそれを問えば、大方の答えは天川君と同じだろう。――けどね天川君。君の話に虚飾が無いのなら、その正常な判断が、今の君の学校じゃ難しくなってるって事なんだよ」
「え……?」
鬼神さんはコーヒーを一口飲み、目を閉じながら推考する。
「その生徒会長は、相当なカリスマを誇っている。そんな理不尽な規則を作ってしまえる程にね。そしてそのカリスマは支配力として具現化し、学校全体を抱擁している。まるで生ける掟のような存在と化しているんだ。現に君の同僚は、何も異を唱えてないんだろう?」
「ま、まぁ……」
「凄い事なんだよ、それは。きっと君の会長は、理屈などでは説明出来ない、底知れない強い魔力のようなものでも持っているのだろう。まさしく、魔女とでも呼ぶべき資質の持ち主だ。――そんな誘惑にも屈する事無く、我を突き通した君の精神力は、素直に評価に値するんだよ」
「は、はぁ……」
何か凄く褒められちまった……。俺は当然の心理だと思うんだけどな。
「それで、鬼神さん。この状況を、どうにかする事って出来ますかね……?」
「大丈夫、俺も似たような人物を知っている。だから、対処法も理解してるつもりだよ」
鬼神さんは目を細め、どこか懐かしそうな眼差しをコーヒーに投げ掛ける。
「ホントですか!」
「その人に通じるかは解らないけどね。――ていうか天川君。賢い君なら、本当はもう気付いているんじゃないのか?」
「……え?」
「彼女を救う方法。そんなのは、一つしかないだろう?」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ、鬼神さん。俺の話だけで、彼女の全てが解ったとでも?」
「まぁ、大体はね」
嘯く様子もなく、鬼神さんは淡々としていた。
「そんな馬鹿な……」
「疑いたい気持ちも解る。でもね、これくらいの技量がなければ、〝あの街〟では到底生き残れなかった。だからこそ俺はここに居るのだから」
〝あの街〟。
この言葉が出た瞬間、鬼神さんの表情はどんよりと曇った。
「小田原……ですか」
「あぁ。酷い街だったよ、本当に。世界との境界線を引かれたように、完全にこの辺とは別世界だ。異世界と呼んでも差し支えはないだろうね。――っと、話を戻そうか。天川君、今君の考え得る限りの策を、話してみなよ」
「えぇ? ……そうですね、まずは生徒達の声を聞きます。きっと反対の人も居るはずですから、その人の意見を聞かせて考えを改めさせます。それで――」
「天川君」
鬼神さんの鋭い声に、思わず身体がビクッと震えた。
「俺の前で嘘を吐くとは、相変わらず良い度胸をしている。俺に嘘は通じないのは、知っているだろう?」
「い、いや! 嘘なんか吐いてないですよ!」
「なら君は気付いていないだけだ。君の本当の気持ちに」
「本当の、気持ち……?」
鬼神さんは人差し指を立て、これこそが俺の気持ちだと言わんばかりに語り始める。
「君の考えていた答えはこうだ。――彼女は泥沼に嵌り過ぎた、もう引きずり出す事は出来ない。もしそうしようとすれば、自分さえも呑み込まれてしまう。ならばその泥沼自体を払拭するしか、彼女を救い出す術は無い」
「……ッ」
「もっと端的に言おうか? いいか、天川君。彼女を救う方法はただ一つ。古典的で、しかし最も効果のある一撃必中の方法だ。故に諸刃の剣でもある。――彼女を救うには、彼女を殺すしか無い」
「そんなの、俺には出来ないです!」
「安心しろ、天川君。言ったろ、俺は全面的に君に協力するって。そして幸いな事に、君の学校に俺は興味を持った。俺が心身を削るには、充分な理由だよ」
「手伝ってくれる、と?」
「そうさ。一人じゃあ、とても無理だろう。――彼女を殺すには、一つずつ段階を踏まなきゃならない。その為の第一歩は……。味方を見つける事だな」
「味方……?」
「そうだ。彼女の法案が発動する前に、あたかもその法案を予期していたかのように自ら身を退いた者、または既に存在を否定されていた者。はたまた、学校という箱庭にそぐわない印象をもたらしている者。それが君の味方となり得る者達だ」
「つまり、会長の息が掛かっていない生徒、という事ですか?」
「そう考えてくれて構わない。――味方を作ったら、観客を調達しなければならないな。多ければ多い程良いから、これは君の頑張り次第だ。後は殺す為の道具と、彼女を限界まで育て上げる事だが……」
鬼神さんの話は高次元過ぎて、俺には片鱗しか理解出来ない。
どうしてこの人は、その現場を見てもいないのに、まるで本当にそこに居るかのような感じで居られるんだろう。間違いなくこの人は無関係。俺が話すまでに、こんな裏事情は知る由もないはずだ。
なのに、それでも、鬼神さんは記憶に介入してきたかのように、ズカズカと話に割り込んでくる。
そうでもないと、あの街……小田原では生き残れないって事なのだろうか。俺は実際に入った事は無かったが、あの街の狂気に触れた事はある。俺が奇跡的に生き延びれたのは、鬼神さんのおかげだ。
やはり生き方が違う。死と隣り合わせで生きてきたこの人と俺とでは、何もかもが別次元なんだ。
「――天川君? 聞いていたか?」
「あっ、すいません! 何ですか?」
「一応俺は、彼女と一度会ってみるよ。百聞は一見に如かずだからね。君はまずは仲間を作るんだ。そしてその仲間で、何か組織でも作ると良い」
「組織……ですか?」
「うん。……そうだなぁ、生徒会に対抗する組織……」
鬼神さんはブツブツと呟き、やがて閃いたように両手を合わせる。
「生徒会執行部! 真の生徒会を執行する部! そうだ、これが良い! いいか、天川君。今日から君は、生徒会執行部会長だ!」
そして時間は、現在へと戻る。
寒さが極まりつつある十二月の夜。街はじきに来るクリスマスに向け、装飾に磨きが掛かり、音楽に弾みが乗っている。一足早いサンタが風船を配ったり、ファーストフード店ではそれに因んだサービスが始まっていた。
それらとはまったく関係の無い部屋に、希望色のインターホンが鳴り響く。少し軽くなっていて眼鏡を掛けた主がそれと同時に部屋に明かりを点け、ドアに向けて駆けて行く。
厳重に掛けられたチェーンを慣れた手つきで外し、鍵を開け、ドアを開く。
そこにいた人物は、思った通りだった。
「オッス─―おぉ!?」
茶髪の男前のオールバックの男子高生は紫の癖のあるロングヘアーの女子高生を見て驚き、少し顔を赤くした。
「廣瀬、何だ、その格好……」
「?」
廣瀬と呼ばれた女子高生は首を傾げる。
「あ、あぁ……。家の中では、そうするようにしたんだな。それはいいんだけどさ……」
目のやり場に困っている男子高生を余所に、廣瀬はブルッと寒さに身体を震わせた。その反射で両手で二の腕を掴み――。
「!」
そして、ようやく気が付いた。
廣瀬はドアをバタンと閉め、部屋の奥に逃げていく。
「やれやれ」
男子高生は頭を振って呆れる。しかし今見た光景を思い浮かべて、
「いいものを見たなぁ……」
口元をやらしくニヤつかせた。
ドアが開くと、黒のジーンズに青のTシャツを着た廣瀬がいた。未だに顔を赤らませながら、中に男子高生を招き入れる。
「お邪魔しまーす」
男子高生は丁寧に言って、靴を脱ぐ。
廣瀬は一足早く部屋に入り、パソコンを閉じて座布団を敷いた。男子高生が遠慮なく座ると、廣瀬もそれに倣う。
「悪いなー、夜に。お楽しみを邪魔しちまったかな?」
廣瀬は首を振る。
「なら良かった」
「何の用」
素っ気無い廣瀬の言葉に、男子高生は呆れたように息を吐く。
「いい加減、名前覚えてくんねーかな?」
「……天川」
天川と呼ばれた男子高生は満足気に頷くと、表情を変えて切り出す。
「もう一回、学校に来てくれないか?」
「…………」
楽しかった。確かに、生の充足を得られていた。
故の報復――死の宣告が与えられた彼女は、己の置かれた立場、状況を省みた。それによって、自身の運命を悟った廣瀬は、
「行けない」
〝行かない〟ではなく、〝行けない〟。不可能系の状態に陥っていた。
「あぁ、あの駅での事故を気にしてるんだよな。安心しろよ、もう犯人は解ってる。それを校長に言えばそいつはおしまいだ。その名前は――」
天川は息を一回吸って、忌むべき者の名を口にする。
『喜多美咲』
自分に合わせた廣瀬に、天川は驚いた。
「何だ、知ってたのか。だったら話が早い。被害者が言えば説得力は高いからな。一緒に校長にこの事を報告しよう。何、あの校長は結構行動力は大きいからな。動いてくれるだろ」
「駄目」
「ん? どうして?」
「証拠が無い」
「あー……」
天川はばつが悪そうに頭を掻く。
「あの人は証拠残さないもんなぁ。目撃情報だけじゃ、言い逃れられるのがオチか」
廣瀬は残念そうに頷く。
「だったら尚更、学校に来てくれないかな?」
――だったら?
天川の言葉を理解出来ない廣瀬は、首を振るしかなかった。
「このまま学校に来ないって事は、あいつに降伏したって事だ。それだけは何としても避けたい」
「何でそんな事するの」
「あいつはこのまま私利私欲の命ずるままに独裁し続けるつもりだ。そんなの許せるか? 好き放題暴れて後は何事もなかったかのように卒業してくんだ。大きな爪痕を残してな。俺はそんなの、許せない」
「…………」
天川の気持ちは理解出来る。
しかしそんな独り善がりの考えは、廣瀬の登校するそれに帰結しない。再度否定しようと首を振る直前――。
「それに何より、廣瀬を殺そうとしたんだ。それが一番許せない!」
「!」
その言葉に廣瀬は一瞬揺れた。だが一瞬で本能がそれを抑える。
即ちそれは、無限回廊を意味していた。
自分が登校すれば、再び殺され掛ける。これは犯人が変わらない限り、覆る事の無い理不尽な条理。天川の気持ちに応えてはやりたいが、命には代えられない。
例に倣い――畏れて、首を振った。
「あ、もしかして、何か勘違いしてないか?」
「……?」
「うん、言い方が悪かったな。俺は毎日、学校に来てくれとは言ってねぇよ」
「?」
「廣瀬の場合は、不登校で留年って事はないだろ。そこら辺は校長に頼めばなんとかなる。何、俺って結構校長には好かれてるから大丈夫だ」
自分の為に進言してくれる事はありがたい。しかし一体何の為に、その進言をするのか。彼女は想像も出来ない。
「どういう事」
「ある一日だけ、登校して来て欲しいんだ。一日だけでいい。――まあ本当は毎日来て欲しいけど、それは危険だからな。何をされるか、解ったもんじゃない。だから、一日だけでいい」
「?」
たった一日だけの登校に、どういった魂胆があるのか。何の意味が実るのか。彼女は想像もつかない。
「何をする気」
「簡単な事さ」
天川は背伸びをして、「ふぅ」と息を吐いて、言う。
「俺の生徒会を、執行するだけだ」
生徒会室。
そこは、学校の行事や生徒の要望を司る、学校内でも重要なポジションにある。だからそれに組する者は、日々生徒により良い学校生活を提供する為に、常に粉骨砕身の努力で臨んでいなければならない。
はずなのに……。
「あぁ~、そこそこ、いいわぁ……」
会長が大島君に、色っぽい声を出して指示した。
「はぁ……もう、勘弁して下さい、ぜ」
大島君は息を切らせながら、会長の背中を指で圧す。
「まだマッサージ券は有効でしょ? ほらほら、もっと気合入れて」
「はぁ……っ、ぜ」
会長はブレザーを脱いだブラウス姿で机に俯せて、大島君がせっせとマッサージをしている。おかげで要望書の処理が出来ない。
マッサージ券というのは、以前大島君がへまを犯した際、会長にお詫びの印と言って作ったものだ。本当は一枚しか作ってなかったが、案の定会長はそれをコピーして、大島君を良いようにこき使っている。
私はそんな事どうでもいいけど、仕事を出来ないのは困る。
「あぁん、そこそこぉ」
「はぁ、ふぅっ、ぜっ」
大島君の額から汗が零れ落ちようとして、それを手で拭き取り、休む暇もなく動かし続ける。そんな努力を傘に、会長は実に気持ち良さそうな顔をしている。もしかしたら、大島君にはマッサージの才能があるんじゃ……。
そんな事はどうでもいいか。そろそろどいて欲しい。もう一時間もこれだもん。
「会長、もう十分ですよ。要望書の処理したいんで、どいて下さい」
「いやねぇブッチー、そんなんだから背が低いのよ~」
「絶対関係ないですよ! とにかく、机からどいて下さい! だいたい行儀が悪すぎです!」
「何言ってるの~。会長は私なんだから、私がルールなの。私が模倣なのよ~」
「は~、まったく……」
今の会長には何を言っても聞く耳を持たないだろう。仕方ない、諦めるか……。
とは言っても内容が気になるので、私はパラパラと要望書をめくり見る。
「ふぅ……」
思わず溜め息を吐いてしまう程に、うちの生徒は短絡的だ。
確かに、生徒会はあまりに多かった要望の為、不要な生徒は学校に来させないという、非合法ではあるが学校にとっては合法的な処置を取った。
ただ、それに便乗する生徒が多すぎる。
一目見て「こいつが鬱陶しいからどうにかしろ」だの「鼻息荒くてマジウザい」だの、個人的な理由でそれを申請してくるのだ。そんなの生徒会が知った事じゃないし、それくらいなら注意すれば直るだろ! と言ってしまえるような事ばかりだ。
それに会長も会長だ。この立場――地位を悪用しすぎている。
生徒会室には、会長の要求で空調完備は当たり前。それどころか、会長の趣味であるアクアリウムがあるし、中庭には勝手にガーデニングをしてしまっている。当然異議を唱えた生徒は居たが、後に登校しなくなった。理由は言うまでもないだろう。
今登校している生徒達にとっては、この生徒会を悪いように思ってないかもしれないが、忌み嫌っている生徒も多く居る。不登校生徒は前は二桁だったのに、遂に三桁にまで突入してしまった。このままの体制を続けて行って大丈夫なのだろうか……。不安がしこりとして胸に残る。
「あら、ブッチー」
「はい?」
「天川君が居ないのが、そんなに寂しいのかしら?」
「これっぽっちも考えてませんでしたよ! そういえば居ましたね、そんな人!」
本当に考えてなかったから、私自身も驚き!
「ま、あの子は相変わらず何か暗躍してるみたいだけど、どうでもいいわ。どうせ結果には繋がらないでしょ。もし何かあったらなんとかしといてね、小林君」
「へーい」
彼独特の座り方で漫画雑誌を読んでいる小林君は、目を中身に向けたまま右手で応答した。ていうかワイシャツで寒くないのかな……。見てるこっちの方が寒くなりそう。
天川君か……。
天川君の言う通り、今の生徒会は間違っているのだろうか?
今の山高は、とても住みやすい学校にはなっている。しかしそれは一部の人間だけだ。それから外された人間は、快く思っているのだろうか?
会長は代価を添えて置いたから大丈夫と言っていたが、実際のところはどうなのか。私がもし、そっちの立場だったらどうなのか……。考えているだけで、胸が重苦しくなっていく。
「!?」
いきなり私の頭に何かが飛んできた。床に落ちたのは、丸まったティッシュ……?
私はそれを拾う。一体どこから……。
「?」
ふと小林君を見ると、ドアを指差していた。何をやっているんだろうこの子。
すると雑誌を閉じて机に置いて立ち上がり、更に顎でも方向を示した。小林君に気付いた会長が顔だけ向ける。
「どうしたの、小林君?」
「便所っすよ。頑張れよ大島ー」
「そんな事言うなら手伝えぜ……」
他人事のように言うと、小林君は生徒会室を出た。
さっきのは、表に出ろということ? 何で小林君が私を? 意図は読めないけど、とりあえず従ってみる事にしよう。
「ちょっとトイレに行って来ます」
「ブッチーも? いやねぇ、二人揃って。変な事しちゃ駄目よー」
「会長に言われたくないですよ!」
私は重なった要望書を机に置き、後を追うようにして生徒会室を出る。
廊下に出てみたが、小林君の姿が見えない(それどころか誰も居ない)。自分で誘っておいて待たないなんて、男子としてどうかしてるんじゃないの? 女の子はね、待たされるのが嫌いなの!
「おーい」
声のした方向を見ると、小林君が昇降口に外履きで居た。私は駆け足で下駄箱に向かい、靴に履き替える。小林君が外に出たので、私もそれを追う。小林君は出てすぐの自販機の前で財布を開ける。
「何がいいよ」
「え?」
「奢ってやるよ、何飲む?」
め、珍しい。小林君がこんなことをするだなんて! 実は優しい子だったの……?
「じゃあ、苺カフェオレ」
遠慮なく甘えさせて貰う事に。ガコンと出てきたアルミ缶を私に投げて、私はそれを受け止める。
「あ、ありがとう」
「明日二倍にして返せよ」
やっぱり私の知ってる小林君だった。
小林君が青いベンチに座ったので、私も距離を置いてそれに倣う。貰った物は仕方ないので、私は苺カフェオレを喉に通す。
「……はぁ~」
この美味しさはプライスレスね! やっぱり飲み物はこれに限る! 風呂上りも食後も寝る前も! 百円じゃ到底釣り合わない!
「あ、そういえばこれは?」
先程拾った丸まったティッシュ、というか投げられたティッシュを小林君に見せる。
「あぁ、それは俺の鼻水を吸い込むに吸い込んだ、ばっちぃティッシュ」
「な─―」
私は苺カフェオレを一旦椅子に置き、すぐさまティッシュをゴミ箱にダストシュートし、水道水で両手を入念に洗う。
「最低! 本当に最低! 信じられない!」
「冗談だよ冗談。ホントは大島の鼻水な、うん」
「信じられない!」
小林君だろうと大島君だろうと変わらないでしょ! 馬鹿なのこの子は!? ていうか何で大島君の鼻水ティッシュを小林君が持ってるの!?
私は濡れた手を赤のハンカチで拭きながら、再度椅子に座る。
「まぁ怒るなって。それで許せよ」
「じゃあお金返さないから」
「……あぁ? いくら先輩だからって驕ってんじゃねぇぞ、おい?」
「う……」
言い返せない自分が悔しい。だって小林君の凄み方怖いんだもん……。もういい、こうなったら自棄飲みしてやる!
「おぉ、おぉ。そんな一気に飲まなくても、よぉ」
「ぷはぁ!」
飲み干した苺カフェオレの残骸を、ゴミ箱に向けて放つ。外れた。
「下手糞だなぁ、おい」
小林君が落ちた缶を拾い、確実に捨てる。俺は優しいぞアピールをしてるつもりなんだろうけど、もうそうはいかないから! 私の中の小林君はもう揺らがないから!
「会長、どう思うよ?」
「え?」
座って、私の顔を見る。
「今の会長、今の生徒会。最良だと思うかよ?」
今更だけど、何でこの子はタメ口なの? 私、先輩なんだけど。
「聞いてんのかよ、おい」
「そもそも私って、何で後輩にナメられてるんだろう……。成績は良いはずなのに」
「背が低いからに決まってんだろ。今更何言ってんだ、えぇ?」
「ガァーン!」
やっぱりそうなんだ……チビはそういう運命なんだ……。毎日牛乳飲んでも、頑張って腕立て伏せしても変わらないんだ……。嗚呼、なんて残酷な現実なんだろう!
「話、戻していいですかねぇ」
まあ、いくら呪ったところで意味はないからもう止めておこう。小林君が話したいらしいし、付き合ってあげよう。
「ふぅ、仕方ないわね、話してあげてもいいわよ?」
「会長の真似しても意味ねーよ。いい加減諦めろって」
「ふんだ! いつかスラッとしたナイスバディになってやるんだから!」
「へいへい。んじゃ続きな」
脱線した話がようやく戻る。まったく、誰のせいだか……。
「正直、俺は今の生徒会は嫌いだ。吐き気がする」
「そこまで言っちゃうの?」
「何なら吐いてやろうか、ん?」
「やめて」
この子なら本当にやりかねない。
「嫌いなのは解ったけど、どうしたいの?」
「そう訊かれると困るんだよな。確かに俺は今無性に腹が立ってるけど、具体的に何がしたいかは解らない。けど、今のままじゃ駄目な気がする。なんつーかなぁ……」
小林君は頭をぼりぼりと掻く。伝えたい事がまとまってないのに、何で呼び出したりするんだろうか。本当に無計画な子。
「あんたはどう感じてる? 今のここ」
〝ここ〟とは、生徒会と、学校の事を指しているのだろう。
正直、今のここは機能していない。教育委員会が見たら何て言うのか、だいたいの予想は付く。明らかに学校の印象を悪くしていっている。これじゃあ来年の新入生に期待が持てない。
それでも、
「私は、私達は、正しい事をしてる。そう思う」
「何でだよ、おい」
「だってそうでしょ? 私達は生徒の要望を叶えたんだもの。先生達だって何も言ってこない。暗黙の了解を貫いてる。つまり、今の〝ここ〟が生徒の、先生達の望んだここって事」
「そーかねぇ……」
納得がいかないと言わんばかりにしかめっ面をする。
「文句があるなら会長に言ったら? 天川君みたく」
「いーや。そんな勇気はねぇ」
こんな小林君でも、怖いものはあるらしい。
そう言う私も、会長は怖い。普段は温厚だけど、自分の気に障ると、途端に変貌する。私の右足の傷は、会長によるもの。投げたコップの破片で痛い目に遭った。だから会長には逆らいたくない。しっぺ返しが伴うから。
「それに、今不登校の二ノ宮さん」
私の言葉に、小林君がピクッと震える。
「手を掛けたのは、小林君でしょ?」
「……あーそうさ、俺が追っ払った。ウザかったからな。クラスの皆もそう思ってたし、俺は特にそう感じてた。だから抵抗はなかったよ、けっ」
「なら――」
「けど、なんか駄目だ。今のままじゃ、駄目なんだ」
「はぁ……。一体何が言いたいの? 何がしたいの?」
小林君は「ああっ!」と苛立ちの声を上げ、立ち上がる。
「畜生、俺が何をしたいか、頭の隅っこで解りかけてるのに、また本能がそれを畏れてやがる! 何なんだよ、俺は!」
「それって?」
「それはな!」
小林君は空に向けて吠えた後、私の顔を見て――言ってはならないことをはっきり言った。
言ってしまった。
「ここか」
時刻は夕刻の四時過ぎ。寒い中、ある生徒の自宅の玄関、というか立派な門の前に俺は着いた。目の前の建造物を顧みる。
「……マジかっ」
廣瀬に貰った資料を確認するが、間違いはない。しかしとても受け入れがたい光景だ。
門を通して見えるそれは、金色に輝く超豪邸なのだ。右手には大きな池があり、左手には滑り台やブランコがある。正面には噴水が吹き出ていて、その先に本当の玄関があるようだ。世界は広いと言うが、日本だけでも十分広いんだな。こんなところに高校生が住んでるなんて信じられない。
さて、いつまでも驚いてる訳にもいかない。この豪邸に潜入しない事には始まらないからな。かなり気が引けるが、いよいよインターホンを押すことにする。
門の右端に小さな四角いモニターがあり、その下の赤いボタンを押してみる。多分、これがインターホンだと思うんだが。
「はい、どちら様ですか?」
モニターに……誰かが映る事はなく、声だけがモニターから聞こえた。ハスキーな女性の声だ。お母さんだろうか。
「えと、天川という者です。二ノ宮春香さんにお会いしたいんですが」
「……あれとはお知り合いですか?」
「あー、知り合いという訳ではないんですけど、浅くもなければ深くもない、しかし関係のある者です」
「……? ――少々お待ち下さい」
うーむ、自己紹介をミスった気がする。浅くもなければ深くもないって何だよ。相手からしたら意味不明だろ。間違いではないんだけど。てかモニター壊れてんじゃね?
「どうぞ、お入り下さい」
先程の声が言うと、ひとりでに門が左右に開いた。一瞬怪奇現象かと思って飛び退きそうになった。オートマチックとは、いい時代になったもんだ。
俺は芝生で仕切られた道を辿り、噴水を過ぎて玄関に到着した。ガチャッと錠が外れる音がして、玄関が開く。
お出迎えしてくれたのは、艶やかな白髪を優雅に伸ばしている麗しい女性だった。いかにも高価そうな白のドレスを纏っていて、とても魅力的だ。
「どうぞ、お入りになって?」
「あっ、どうも」
ついつい目が留まってしまう程に美人だ。年齢は四十を超えてるだろうが、それより十歳は若く見える。八方美人のような印象がする。
俺は差し出された赤色のスリッパを履き、橙色に塗られた広い廊下を奥さんに付いていく形で歩く。右を見ても左を見ても必ず何かの写真や肖像画がある。きっとどれもこれも高い絵画なんだろうなぁ。
「むっ」
俺はその内の一枚に身体を止めた。
写真の中には、生まれ継いだ白髪をショートカットに切り揃えている一人の女性が、女神のように微笑んでいる様が鮮明に写っていた。その笑顔に、俺は思わず自由を奪われた。
「どうかしましたか?」
「えっ。あぁ、いやー、この人綺麗だなと思いまして。あ、勿論あなたもですけど」
「それは光栄ですわ。とりあえず、居間でお話しましょう」
奥さんがさっさと歩き出したので、俺も慌ててそれを追う。
大きいドアを開けると、とっても長い茶色のテーブルが一つあって、周りに白い椅子が並べられていた。あれだよ、よく漫画やアニメで見る金持ちの家の中での食事シーン。まさにあれだ。その場面に遭遇することは未来永劫ないと思ってたが、まさかのこれだ。正直、かなり緊張している。
「そちらにどうぞ」
促された一番端っこの席に俺が座ると、奥さんも右手に座る。うわ~、すっげえふっかふか! こんな椅子欲しいなぁ。
「それで、ご用件というのは?」
「あの、今、娘さんは不登校ですよね?」
「ええ、その通りです」
奥さんは何故か嬉しそうに言った。
「娘さんを……春香さんを、説得しに来ました」
「はい?」
「春香さんにもう一度学校に来て欲しくて、お訪ねした次第です」
「……聞くべき事が、ありそうですね」
「はい。話します」
だいたいの筋を話したところで、奥さんが頷いた。
「つまり、あなたは元々生徒会の役員で、今は不登校の生徒を学校に来るように説得していると」
「まあ、そんなところです」
奥さんは吸い込まれそうな笑顔を浮かべ、言う。
「身勝手ですね」
「否定はしないです。出来たら、春香さんに会わせて貰えませんか?」
俺の要求に、奥さんはばつが悪そうな顔で言う。
「あんな出来損ない、放って置いて結構です」
「出来損ない?」
奥さんは「ふぅ」と息を吐く。
「あなたも話しましたからね、私も話す事にしましょう」
「いや、そんな無理には……」
「いいえ。あなたにあれの事を知って貰う良い機会です。是非お話をさせて下さい」
「……そう言うなら」
奥さんは頭を軽く下げ、話を始める。
「私の名前は秋奈、夫は冬人と言います」
「え? あぁ、秋奈さん、ですか」
何で急に自己紹介なんか。俺はさっき名前を言ったからいいよな。
「娘は春香、夏美です」
「夏美? あー、姉妹だったんですか」
「ええ。―─最近までは」
なるほど、春夏秋冬が揃った家族か。面白いな。
「夏美は、大変素晴らしい子でした。私達の言う事に全て従って、勉学にも努めて、難関校にも合格して。正しく才色兼備をその身で示していました。将来は、夫の会社を継いで、より多くのお金を稼いで、私達を養ってくれると思っていました」
……ん? 何でさっきから過去形なんだ?
「でも……うっ」
「!?」
な、何だ? 急に泣き出して。俺なんかしたか? いや聞いてただけだよな……。何て言ってた? 姉妹だったと俺が言って、秋奈さんが肯定して――。
なるほど、把握した。
「ご愁傷様です」
先程の写真は遺影だったのか。だからすぐに居間に行ったんだな。
「本当に、勿体無い子を亡くしました……」
「死因は、何だったんですか?」
「階段からの転落です。頭部を強打して……」
「……辛い事を、すいません」
「いえ、いいんです。夏美が帰らぬ人になって、残ったのはあれだけです。おかげで二ノ宮家の未来は、お先真っ暗になりました」
「どうしてですか? 春香さんって、飛び級するほど優秀なんでしょう?」
「とんでもない。飛び級したのは、夫が校長に口を利いたからですよ。自然豊かな学び舎に、早く通わせてあげたいと言いましてね。――あれは怠惰の象徴と言っても過言ではありません。夏美と違って、私達の言う事は聞かないし、勉学は放り出すし、口答えはするし。だから、私達はあれに構うのはやめました。全ての愛情を夏美に注いだのです。……なのに、あんな事になってしまったのです」
「なら何で─―」
「ああ! 神様は何でこんな残酷な事を!? 私達は一体、どうなってしまうというのですか!」
完全に感情に支配された秋奈さんは、仰々しく天を仰ぐ。それほどまでに夏美さんを愛しているのは解るが、何故二ノ宮は、親にまでこんなに嫌われているんだ?
「……春香さんに、会わせてくれますか?」
「気分を悪くしない自信があるのならどうぞ。右手の階段を上り切ったところにある扉の先が、あれの部屋です」
「どうも」
俺は立ち上がって、言われた通りに歩を進める。辿り着いた扉には、「春香の部屋」と掛け軸が掛かっていた。
ていうか、全然二ノ宮の事わかんねぇ。奥さんが良く思ってない事しかわかんねぇ。名前も呼びたくない程までに嫌われるって事は、相当なじゃじゃ馬なんだろう。大輝曰く、生意気で言葉が汚いらしいが、そんなの慣れっこだ。でも、油断せずに行こう。
コンコンッと二回ノックすると、
「誰?」
ツンとした声が、右耳方面から聞こえた。――うお、ここにもモニターがあったのか。だが門のと同じく、画面には何も映らない。何なんだこの、微妙な欠陥。
「えっと、元生徒会の天川なんだけど……解るか?」
「生徒会?」
「そう。あいや、もう辞めたけど─―」
「帰れ! 今すぐ帰れ! 生徒会なんか会いたくない!」
「いやだから辞めたんだって―─」
「消えろ! 死ね! 氏ねじゃなくて死ね!」
「ちょっと話を―─」
「象の○○○に埋もれて死ね!」
「それ伏せ字になるぞ。いいから少し落ち着け―─」
「無限の彼方に飛んでっちまえ!」
「何?」
「とにかく帰れ! 顔も見たくない!」
ブツッという音がモニターから聞こえた。
「お、おい! おーい!」
ノックしながら呼び掛けるが、応答が無い。どうやら一方的に打ち切られたらしい。むうぅ、今日はもう駄目っぽいな。
仕方ない。今日のところは諦めよう。とりあえずは俺の存在を、しっかりと二ノ宮に植えつけておかなければ。
「また来るからな!」
捨て台詞を残して、俺は階段を下る。
何、一日でどうにかなるなんて思っちゃいない。そんな前例は今までになかったし。粘り強く交渉していこうじゃないか。まだ時間はある事だし。
「如何でした?」
座っていた奥さんが立ち上がり、怪訝そうに訊ねてきた。
「なるほど、と言わざるを得ませんね」
俺が首を振りながら答えると、
「申し訳ありません」
とてもじゃないが、そうは思ってない表情で頭を下げられた。完全に教育を放棄しているようだ。俺がこの立場じゃなかったら、説教してやりたいくらいだ。自分の子供に責任は持てって言いたい。
まぁそれはさて置き。
「明日も来てもよろしいですか?」
「物好きなお方ですね。同じ結果で良いのなら、お好きにどうぞ」
意外にも、あっさり了承された。二ノ宮(春)に関しては本当にどうでもいいらしい。若干の怒りさえも覚える態度だが、ここは抑えて……。
「ありがとうございます。……それと、もう一つお願いがあるんですが」
「何ですか?」
俺が用件を言うと、奥さんは少し驚いた。
「別に構いませんけど……何故ですか?」
「純粋な、好奇心です」
翌日。
「――では、後はお好きにどうぞ。私は部屋にいますが、お帰りの際は何も言わなくて結構です。……最後に一つだけ訊きたいのですが……」
昨日と変わらずの広い居間で、俺は秋奈さんと面向かっていた。広すぎて声がよく響く。
「はい、何ですか?」
「どうして、夏美の事件や部屋を?」
「言ったじゃないですか。純粋な好奇心ですよ」
「……そうですか。ならいいです。しつこく訊ねてごめんなさい。では、ごゆっくり」
俺が笑いながら返答すると、秋奈さんがお辞儀をしたので、俺も軽く頭を下げた。秋奈さんは階段を上がり、あの部屋とは正反対で遠くの部屋に入っていった。
俺はそれを見送り、あの部屋へと歩を進め、すぐに到着する。
思った通りではないが、意外にも俺の手中には大きな武器が手に入った。これを使えば、この重く頑丈な扉を抉じ開ける事が出来るかもしれない。
――いや、開けるんだ。錠前が下ろされなくても、無理矢理にでもそれを壊す。言葉の壁が何だ、心の門が何だ。どんな手を使ってでも、俺はぶち破って見せるぞ。
深呼吸し意を決し、右手で――。
「またあんた?」
「ぅをっ」
インターホンを押す前に声がしたので、俺は身体を仰け反らせて驚いた。
「また来るって言っただろ? 話がしたいんだけど」
「誰があんたと話なんてすると思ってんのよ! あんたなんかブラックホールに呑み込まれちゃえばいいんだから!」
「随分と重い死刑だな」
やはり、頑なに俺との対面を拒否するか。だが俺は昨日の俺じゃない。酷なようだが、これを訊かない訳にはいかない。
「じゃあ、一つだけ教えてくれ」
俺は真っ黒なモニターに向けて人差し指を立たせながら言った、見えてないだろうが。
「何?」
秋奈さんが居間から居なくなっている事を確認し、質問する。
「どうして、殺した?」
「……は?」
「聞こえなかったか? それとも反射的に耳を塞いだのか? よし解った、もう一度だけはっきろと言うから、耳クソをかっぽじってよく聞けよ?」
俺はもう一度、同じ質問を――。いや、より明確に質問する。
「どうして、夏美さんを殺した?」