第8話「進路は唐突に折れ曲がる」
「という訳で、感動出来る話を語り合うぞ!」
「どういう訳だ」
最後のテスト週間の金曜日。生徒会執行部室は何も変わらない人間が集まって、何も変わらない始まり方をした。
いつもならゲームをして日頃の鬱憤を晴らしているが、テストが終わるまで詩織に没収されてしまい、テストが終わった今日、ようやく俺の手元に帰ってくる。本当は早く帰りたいが、天川がどうしてもと言うので仕方なくここに居る。
それは皆も同様なのだろう。その証拠に、不満そうな顔が立ち並んでいる。
「何でテスト終わった直後に集まらないといけないんですか! せっかくの晴れ晴れしい気分が台無しですよ!」
二ノ宮は机を弱々しく叩きながら憤慨し、
「ホントだぜ! オレ弁当持ってきてねえよ! 腹減って死んじまったらどうすんだよこの野郎!」
恵は頭の後ろで腕を組んで悪態をつき、
「お腹空いた」
廣瀬は珍しく机に顔を伏せていた。
一方、天川は「まあまあ」と手を振る。
「図書委員から要望が来てるんだ。しかも急ぎのな」
「それは?」
俺が訊くと、天川は資料を一枚取り出し「ほい」と俺に渡す。何だかいつの間にか俺が読む役になったらしい。
「えー……。〝私達図書委員はこの時期になると、ノンフィクションの出来事を小説にして生徒に配布するんですが、今年はグッと来るネタがないんです。出来れば感動出来る話がいいんですが、図書委員の中ではイマイチな内容しか出てきません。そこで執行部の皆さんの中で、何か感動出来る話を知ってる方は居ませんか? 前述通り、ノンフィクションでお願いします。勿論、プライバシーは守ります。ですが、あまりに個人が特定されてしまうような話は遠慮願います。また、この要望の件は公表しない事を望みます。私達を泣かせるような話をお待ちしています。〟だと」
そういえば去年、〝図書便り〟というプリントが配られて、お勧めの本と軽い小説が掲載されていたような。おまけ程度なら、無理に作らなくてもいいと思うんだが。
「去年の今頃には既に配られてましたからね。だから急ぎなんですか」
しかも〆切りを過ぎているときた。だったら尚更止めればいいのに。
「そういう訳だ! とにかく皆で感動話を発表し合って、その中の一番を図書委員に提供するぞ! ――じゃ、まずはメグからな」
「何で当たり前のようにオレからなんだよ!」
「当たり前だからな」
理不尽な理由で、メグが最初に指名された。
メグは「何だそりゃ……」と呆れながらも、心当たりを脳内検索し始める。
「んー……。急にそんな事を訊かれてもなあ。簡単に思い付かねえよ」
「言っとくけど、ノンフィクションだからね? 作るんじゃないからね? ……ていうか、ノンフィクションの意味解る?」
「そんくらい解るわ! 実際の出来事とか、実体験の事だろ?」
「まぁそんなところだな」
メグは「うーん」と、腕を組んで考え込む。どうやらその手の経験は浅いようだ。
「頭を努めてた時の話なら、ねえ事もねえけど」
そうでもなかったらしい。
だが天川は首を振る。
「それは駄目だ。すぐに本人を特定されちまう」
「オレは別にいいぜ。今更隠すような事じゃねえしな」
「いいや、駄目だ。これは図書委員の意向だし、責任問題になるからな。メグが良くても、図書委員は間違いなく却下するだろう」
「そうか。ならねえや」
メグは考えるのをやめて、背もたれに身体を寄せる。
「じゃあ、春と夕は飛ばして、龍は?」
「そうだな……。ん?」
今、何かおかしくなかったか? 何故二ノ宮と廣瀬を飛ばす?
「おいおい、何でそうなる。ちゃんと順番通り訊くべきだろう」
順番なんてあるのかは知らないが。
「……ん、龍、空気読め」
「久しぶりに聞いたなその言葉。というか空気も何もないだろ――」
二人の顔を見てみると、何故か沈んだ表情をしていた。
「おい二人共。ツッコミはどうした? どう考えてもツッコミ所だろ」
「え? いや……。別にいいじゃないですか」
二ノ宮に続き、突っ伏してる廣瀬までも頷いた。
「何がいいんだ。スルーされてるのに、それはないだろ」
「龍、マジKY」
「恐ろしく死語に近い言葉が聞こえたな。一体どこがKYなんだか――」
不意に隣の恵が、肘を俺に当てて、「いいから、言う通りにしとけ」と言ってきた。
いいや解せない! 俺なんか悪い事したか? したならそれを教えて欲しいんだが……。教えてくれる空気ではないな。
「はぁ、解ったよ。感動出来る話ね」
仕方なく俺はこの流れに乗る事にした。
「うん、あるぞ。とびっきりの感動話がな」
「でかした龍! その心は!?」
「ジョナサンの話だ」
「……お前の好きで止まないあれか、龍」
天川は額に手を当てて首を振る。他も短く嘆息していた。心外だな、まるで俺の意見は聞くまでもないと言わんばかりじゃないか。
「何でそんな顔をする。ジョナサンの話は感動話ばかりなんだぞ。――いや、正確にはテスタロッサの話かな?」
「なんか前に聞いたような気がするワードだな……。まあいいや、とりあえず言うだけ言ってみてくれよ。採用するかしないかは、聞いてからにしよう」
「任せろ。そして期待を胸に膨らませながら聞くが良い。これは、第三章の話だ――」
ゴルバチョフに監禁されていたジョナサンは、持てる力を駆使してなんとか脱出に成功。街に身を潜めながら、ゴルバチョフの野望を阻止するため、弟の仇を討つために、仲間を集めていた。そんな時に出会ったのが、火を操る〝アーシェン・ヴェイン〟一族の末裔、テスタロッサだった。
彼女は、最初は自分の目的の為にジョナサンを利用しようとして近付いた。案の定、ジョナサンはそれに気付かずに、テスタロッサによって瀕死状態になってしまう。
その直後、ジョナサンを追っていたゴルバチョフが現れ、今度はテスタロッサが死の境地に立たされる。ジョナサンには他にも仲間がいたんだが、その仲間達は当然テスタロッサを助けようとはしなかった。ゴルバチョフが止めを刺そうと手を挙げようと、仲間は冷酷な目でその様子を見ていた。
しかし、ジョナサンはテスタロッサを庇った。何故庇ったと問われたら、「正義の誇りが叫んでやまなかった」と言い遺して、絶命した。
遺体の頬に涙を零したテスタロッサは立ち上がり、仲間と力を合わせて、なんとかゴルバチョフを振り切った。そしてテスタロッサは、「罪を償う」と言って、自らの命を捧げて冥界から魂を呼び戻すという、一族に伝わる秘術を用いて、ジョナサンを生き返らせた。テスタロッサの命と引き換えに。
これが、第三章の話。次の四章ははしょって、五章の話だ。
着実に力を蓄えていたジョナサン達の前に、再びゴルバチョフが現れる。「新たな召喚魔法の肩慣らしだ」と言って、魔法を唱えると、空から幾つもの光粒が降り注ぎ、それらは黒い人の形になった。
それは冥界から魂を召喚し、操る魔法だった。こんな魔法は今までには存在しなかったもので、ジョナサン達は苦戦を強いられた。最後に止め要員として召喚されたのは、なんとテスタロッサだった。
ジョナサン達はテスタロッサに呼び掛けるが、応えずにゴルバチョフの一つの命令を実行しようと動く。
〝奴らを殺せ〟
単純且つ明確で、非道を極める命令を。
今のテスタロッサは召喚獣として地上に居る。召喚獣にとって、召喚主の命令は絶対。逆らう事は許されない。これは逆転し得ないこの世界の理。
彼女の猛攻を受け続けるジョナサンにも、いよいよ限界が近付きつつあった。仕方なくジョナサンは、微弱にも反撃を始める。殺さない程度にテスタロッサを弱めていく。
彼女が息を荒げ始めた時、一瞬自我を取り戻した テスタロッサは、「私を殺して」と叫ぶ。しかしジョナサンはそれを頑なに拒否する。それを見かねたゴルバチョフは、自らの魔法でジョナサンに止めを刺そうとした時、今度はテスタロッサがジョナサンを庇って、再び死亡した。
その瞬間、消え行くテスタロッサを抱えて叫ぶジョナサンのシーンはパッケージにも描かれている、言うまでもない名シーンだ。「二度死ぬヒロイン」このキャッチコピーが、プレイヤーの涙を誘ったのだ。
「――という話だ! どうだ、泣ける話だろう!」
一息で語り終えた龍は胸を張ったが、俺達はしっくり来なかった。それは無理もない。ここには龍以外のゲーマーは居ないし、それどころかゲームに触れない。夕ですらゲームは範疇外だ。そういうファンタジーな話に共感を持てる奴は誰も居ない。
「どうした? あまりに感動しすぎて、言葉も出ないか?」
ゲームを語る龍はとことんポジティブ思考だな。どうやったらこの空気をそう読めるのやら。もしかして、ガチでKYなんじゃないか?
誰も反応してないので、仕方なく俺が反応してあげる事にする。
「まあ、確かに泣ける部類の話だけどな――」
「だろう!? 俺はこれ程までに涙腺が崩壊した事はなかった!」
「うん、良かったね。でもな――」
「これはクロスレビュー四十点満点に間違いないな! そうじゃなかったら会社に乗り込んで社長をぶっ飛ばしてやる!」
「それは勝手にしてくれ、どうなっても知らないけど。んでね――」
「あぁ~、話してたら無性にやりたくなってきた! うずうずしてきた! もう帰る! 早く帰って、続きをやるんだ!」
「待てぇ! 何勘違いしているんだ? まだ俺のバトルフェイズは終了してないぜ! ていうか始まってもいないぜ!」
「残念、一番上のカードはマジックカードだ! だから俺はゴルバチョフを倒しに行く!」
「行かせねぇぞ! まだツッコむべきところツッコんでないんだ!」
「そんなところはない!」
「大有りだよ!」
俺のツッコミに龍は「むっ」として、椅子に座り直す。
「なら、十文字以内で頼む」
「無理だね! まず、その世界観! 現実と掛け離れすぎ! 次にその設定! アーシェンなんたらやらジョナサンやら訳解らん! 後死に際の状態! 実際には起き得ない故に共感が持てない! 寧ろ意味不明!」
「なっ、なんという駄目出し……! だが、ジョナサンを侮辱するなら許さんぞ!」
「別に侮辱はしてねぇよ! それ以前に興味ないしね! ――そして最後に、一番重大な事!」
「なんだ! 言ってみろ!」
これは致命的な事だが、俺もさっきまで気付いてなかった!
「ノンフィクションじゃない!」
シーン……。
部屋は静まり返り、皆の視線は龍に注がれる。
その龍はというと、「コホン」と軽く咳払いして、頷く。
「うん、確かにそうだな、うん」
「解ってくれたか」
「仕方ない、今日はこの辺で勘弁してやろう」
「何で上から目線なのかさっぱりだが、まぁいいや」
俺は「ふぅ」と息を吐き、額に手を当てる。
「やっぱこれしかないのかぁ……」
「何だよ! 用意してあんのかよ!」
俺の呟きに、メグを先頭に非難の嵐が巻き起こる。
「また私達は暇潰し要員ですか! 冗談じゃないですよ! こっちはとっとと帰ってゴロゴロしたいのに!」
「もう許さん、殴る」
「お腹空いた」
「待て待て! 確かに用意……というか知ってはいたけど、これはあまり使いたくないんだ。だから集まって貰ったのは悪ふざけじゃない!」
「納得いかねえ! だったらそれをオレ達に話せよ! それで天川が窒息死か打撲死か決まる!」
「どの道死ぬのか俺! いや、これを話すのは手厳しいっていうか……」
「なるほど、この状況でそんな戯言を言えるのか。素直に尊敬しよう、俺には出来ない」
遂にメグと龍が立ち上がり、拳を鳴らし始めた。やばい、この鬼気迫る様子はヤバイ。
「二人とも鬼の形相で俺に歩いてくるな! マジで怖い! 何でもするから許して!」
「じゃあ私達が納得出来るようにして下さいよ!」
「ぐっ……しかしっ!」
「お腹空いた」
「よし、まずは購買に行ってくる!」
五分後。俺は購買で全員分のメロンパンを買ってきて、机の上に置いた。くそ、無駄な出費をしてしまった。最近どんどん厳しくなっていってるな……。
ビニール袋には一応、俺の分のメロンパンも入ってたんだが、夕に分捕られてしまった。これ以上抵抗したら酷い目に遭いそうだから、何も言わないでおくけど。
皆はメロンパンを手に取り、「いただきまーす」と声を合わせて頬張り始める。
「ふぅ……。とりあえず、後は俺がやっとくから、食い終わったら帰っていいよ」
「はひひっへふんへふは? はんほははひへふははひほ」
「物を口に入れながら喋るんじゃない、行儀悪い。出来るなら誰か訳してくれ」
「何言ってるんですか? ちゃんと話して下さいよ。と言ってるぞ」
「よく解るな龍! ――いや、もう奢ったんだからいいだろ」
「はへへふほ! はっほふひひはへん!」
「駄目ですよ! 納得行きません! って言ってる」
「そんな事を言われてもなぁ」
「どうせ皆に知り渡る話ならいいじゃねえか。無理に言えとは言わねえけどよ」
「むっー」
そうは言ってもなぁ。俺自身の話って訳じゃないから、勝手に暴露するのも気が引けるんだよなぁ……。
「俺は没でも意見を公表したんだ。聴く権利はある」
「そりゃそうだけどさ」
「お腹いっぱい」
「もう食い終わったのかよ!? 早っ!」
夕はタヌキのようにお腹を叩き、笑顔で満足そうだった。……おぉ、何か純粋に可愛いと思ってしまった。
「ひひははほひへへふははひほ!」
「いいから教えて下さいよ! とさ」
「んー……」
このまま無理矢理終わらせてもいいけど、それだと後味悪いし……。
やっぱり、皆と決めるのが流儀だよな。
「解った。生徒会執行部として意見を出すんだからな。皆に吟味して貰う必要もあるよな」
「ほふへふほ!」
「春はいい加減飲み込め!」
にしても、何でここまで興味津々なんだろうか。別に楽しい話でも、腹が膨れる話でも無いんだけどなぁ。
「んじゃあ解った、話そう。これはある男子生徒の――」
コンコン。
俺が話そうとした時、偶然にもドアがノックされた。
こりゃ良い、絶好のタイミングだ。これを利用して、今回の話は揉み消そう。
「龍、出て」
「何故俺なんだ……」
いや、何となく。メグは立ちそうにないし。
龍は渋々立ち上がり、ドアを開ける。
「んっ。岡村じゃないか」
するとそこには、ピンクの髪の小柄で大人しそうな岡村さんが居た。
「……その節ではお世話になりました」
ご丁寧なお辞儀に、俺達も頭を下げる。
「どうしたんだ? まさか、また恐喝を受けたんじゃないだろうな?」
「えっ、と……」
岡村さんは言い淀む。
ああこりゃあ、どう見ても厄介事だな。
「とりあえず岡村さん、座って」
「はい……。失礼します」
「そこは俺の席――。……まぁいいか」
岡村さんが座ったところで、早速事情を伺うとする。
「それで、岡村さん。今日はどうしたんですか?」
「あの、また厚かましいお願いになるかもしれないんですけど……」
「大丈夫ですよ。気にせず、話してみてください」
「……はい」
岡村さんは、苦虫を噛んだような表情をしながら話し始める。
「昨日、私が犬……ペチと散歩をしていたら、ペチが人の足を噛んでしまったんです。私は必死で謝ったんですけど、相手が治療費と慰謝料を払えって凄い剣幕で言ってきて……」
なんてこった。苦虫ではなく、まさか人様の足を噛んでいたとは。
とりあえず、話の大筋は見えた。
「それで岡村さんはそれを了承した、と?」
「……そういう事です」
まぁそうせざるを得ないだろうな、当然の事ながら。
しかしそれはそれで、こちらとしては困るものがあるぞ。
「いくら何でも岡村、それをここに相談するのはお門違いというものではないのか? 法律相談は専門外だぞ」
俺が言おうとした正論を、龍が代わりに言った。
確かにここは生徒の要望を司る機関ではあるけど、ここまで個人的な事を相談されても困る。せめて学校に関係する事なら、こっちもそれなりの対処は出来るんだが。
「それは解ってるんだけど……一応、言った方が良いかなと思って」
「どうして?」
「その相手が……大高生だから」
おぉふ……。こんなところまで出てきますか、大高。
龍は納得したように頷き、推察する。
「なるほどな……。素直に金を渡すだけで済む話だとは思えない。もう一添え盛ってきそうだ」
龍の言う通りだ。下手をすると、強姦事件にもなり得る。何だか知らないけど、宣戦布告された直後でもあるし。出来れば大高生との接触は避けたい。
けど今回ばかりは、完全に岡村さんに非がある。どう頑張っても、謝罪する道は避けられない。そうなると、確実に大高生と接触する事になる。
「これは困ったな……」
龍も同じ考えをしているようだ。
メグか龍を護衛につかせるというのが安易な策ではあるのだが、また変な騒ぎに発展し兼ねない。願わくばより穏便な解決を望みたいのだが……。
「? どうしてそんなに考え込んでいるのですか?」
怪しい雲行きの中で、ただ一人春はキョトンとしていた。どうにも、事の複雑さが理解出来てないようだ。
「春……。お前はどこまで能天気なんだ」
「その言い方は心外です! 私は常にお金の事を考えていますよ!」
「余計悪いよ。――いいか、春。今回はお前の思ってる以上に面倒なんだよ。相手が一般人ならまだしも――」
「いえ、それは解っていますよ。相手が大高生だから、皆さん考えあぐねてるんですよね?」
「何だ、解ってるのか。だったら何だ、何か劇的な解決策でもあるってのか? 春がそんな画期的で大胆な意見を言えるはずがないだろう、春なんだし」
「どうして私はそこまで悉く酷い言われようなんですか! 私だってたまには素晴らしアイデアを出しますよ!」
「んじゃあ言ってみろよ、春の意見(笑)を」
「いちいちむかつきます、その言い方!」
春は興奮気味に憤慨していたが、やがて落ち着き、自分の考えを言った。
「ですから、素直に謝罪すれば良いじゃないですか」
単純至極、しかし何の解決にも繋がらない愚策を。
「だからそれが出来ないんだって。相手は大高だぞ? 何の警戒もなしに近付いたりしたら、何かされるに決まってる。しかもそれがか弱い乙女なら尚更だろ?」
「ですから、そういう考え方がもう筋違いなのですよ」
「ん、どういう事?」
「怪我をさせたのはあくまでこちらなんです。誰がどう考えてもこちらが悪いじゃないですか。なのに相手側の非を探るなんておこがましいですよ。大体、皆さんは大高というワードに過敏すぎです。もしかしたらその人は、大高でも善良な生徒かもしれないじゃないですか。少なくともまともな要求をしていますし。それに大高生全員が、乱痴気騒ぎを起こす輩とは限らない訳ですし」
「むっ。春にしては随分とまともな意見だな」
「ですから、素直に謝罪するのが一番ですよ」
「しかし、あちらが何もしないという保障は無いだろう」
それでも龍は、春に噛み付く。
「お前の正論が千歩譲って妥当だと譲歩しよう。だがそれで馬鹿正直に謝罪に行って、その結果身体を貪られましたと来たら、お前は責任が取れるのか?」
「うーん……。ちょっと残酷な言い方かもしれないですけど、それはもう自業自得なんじゃないですか? 先に怪我させたのはこっちなんですし、報いを受けるのは仕方の無い事だと思います」
「極論だぞ、それは。何の為に謝罪すると思っているんだ。わざわざ相手の条件を呑んでいるのに無駄な叱責を受けては堪ったものじゃない」
「あの……結局、私はどうすれば……」
岡村さんは不安げな表情を崩さない。何だか今までの話は、岡村さんの不安を煽っているだけのような気がしてきた。
「ていうか春よ。そこまで豪語するという事は、当然何か決定的な要因があっての事なんだろうな?」
「岡村さん、要求された金額はいくらなのですか?」
え、無視?
「全部で、二十万円です……」
うむぅ……。犬に噛まれたんだ、何か菌が移ったりするかもしれない。しかも相当痛いだろう。更には飼い主の躾の度合いが問われる問題だ。そういうのを考えていくと、割りと妥当な金額と言えるかもしれない。
「おい岡村。そんなに払えるのか?」
「結構厳しいかな……。けど、親戚に事情を話せば貸して貰えると思うから、何とかなると思う」
「そうか……」
こればかりは、カバーしようがないな。けどそれだと後々面倒な事になりそうだが……。
ますます雰囲気が重くなる。何せ岡村さんは、貧乏が故に前科を踏んだんだ。これじゃあまるで報われないじゃないか。折角一つの問題を解決出来たってのに、またこんな仕打ちじゃあ……。
「大丈夫です! 任せて下さい、岡村さん!」
「え?」
立ち込めた暗雲を吹き払うように、春はドンと胸を叩き、立ち上がる。
「そのお金は、私が工面します!」
「えっ……。ほ、本当ですか!?」
「工面も何も、お前ならもう手元にありそうだがな」
龍が吐き捨てるように言ったのを聞いて、春は金色の財布の中を確認する。
「いえ、今は百万円しかありません!」
「五倍かよ! せいぜい二倍を考えていたが、やはり格が違うな、二ノ宮財閥!」
「岡村さん、支払い日時はいつですか?」
「えっと、二日後の昼時、駅前の喫茶店です」
つまり日曜の十二時、あのお洒落な喫茶店でって事か。
驚いたな、また工場とか路地裏とか、人目のつかない場所を指定するかと思った。大高にしてはおかしなチョイスだ。
「では、その日に現地集合しましょう!」
「でも……本当に良いんですか?」
「大丈夫ですよ! 私に任せて下さい!」
「やれやれ、どうだか。どうせ二ノ宮には猿知恵しか無いだろうに……」
「むっ! そう言う龍さんには、ゲームで培った感動話(爆)しか無いじゃないですか! 二次元に溺れた哀れな男子高校生ですよ!」
「何だとぉ!?」
「何ですかぁ!?」
バチバチと火花を散らす二人。面白そうだから誰も止めに入らないが、岡村さんはヒヤヒヤしている。
にしても、やけに張り切る春に、何だか違和感を覚えた。けどまぁ気のせいだろうとすぐに無くなった。金銭問題なら春が全て解決出来る。この事象が初めてだから妙な感じだったんだろう。
しかし後日。春の思惑は何だったのかを知った時、俺は度肝を抜かれる事になった。
日曜の十二時前。駅前の喫茶店、〝フラテッロ〟は、お洒落な外見と内装が人気で、特にこの時間帯は人が大変賑わっている。待つ人が列を成すほどに、この店は信用が高い。
俺は天川に命じられ、二人を影ながら見守る事となった。正直二ノ宮なんかを見守るのはかなり抵抗があるのだが仕方ない。二ノ宮はともかく、岡村はか弱い。暴力には屈してしまう。その時は、俺が身を挺するしかないのだ。
さて、四人テーブルに座る二人は当然の如く私服姿。岡村は俺と同じような、地味で控え目な服装だ。肌も露出していない、大人しい印象を放つ容姿。
しかし二ノ宮の私服は、とんでもない成金のような姿だ。
高価そうな毛皮のコートに金箔が塗られた上下。純白のマフラーを首に巻き、金色の中折れ帽を被ったその姿は、明らかに周囲から浮き、異質の存在感を放ち続けている。
小柄な女子高生が一変。全てを金で掌握しているかのような、華やかで傲慢そうな富豪に成り果てている。
俺はと言うと、声と様子が覗ける程度の距離の席に座り、コーヒーを飲みながら辺りを観察している。顔が割れているので、一応サングラスを掛けてきた。普段と違う服装だから、バレる事はないだろう。
しかしまぁ、随分と人が多い事だ。これじゃあ相手がやって来ても、待ち時間のせいで余計に時間が掛かるな。休日はこんなに人が多いとは、知らなかった。
「よぉ、待たせたな」
噂をすれば何とやら、か。
そう思っていると、二人の下に、如何にもチャラい格好の若者が二人やって来た。どうやらこれが相手のようだが、一人余計なのがついている。やはり何か善からぬ事を考えているのかもしれない。
岡村は会釈し、二ノ宮もそれに倣う。
「何だよこの成金女、お前の友達?」
「え、えっと……」
「はい。たまたま会ったので、お話してたところです」
「ふーん。悪いけどさ、俺達大事な話するんだよ。だからちょっとどいてくんねぇかな」
「いえ、実は私もそれに関わっているのですよ」
「は? どういう事?」
「まぁ立ち話もなんですから、まずは座ってはどうですか?」
二ノ宮がそう促すと、二人はとりあえず座り、店員に水を注文した。同じ執行部だから顔は割れているはずなのだが、普段と掛け離れているからか、まったくそうだと気付いていない。流石に声までは把握してないようだな。
「で、あんたはどう関わってんの? 俺が噛まれたのはこいつの犬なんだけど」
「はい。……実は、その犬は私の犬なんです。私が旅行中に家を留守にするからと、彼女に預けたんです。聞けば、何とあなたの足に噛み付いたと言うではありませんか。完全に私の躾不足です。なので、彼女の払う代金は、全て私が払います」
完全なでっち上げだが、相手からすれば納得してしまう程に自然な理由だろう。どうやら、何の考えもなしに来ていた訳でもないようだ。
「はぁん、そういう事ね。いやまいったよ、ホント。すっげぇ痛かったからね、マジで。ホントどうかしてんじゃねぇの、お宅の犬っころ」
「すみませんでした、お金は支払うので」
「当たり前だっつの。……あー、この後、空いてるよね?」
「? どういう意味ですか?」
「折角二対二なんだからさ、これからダブルデートでもしようや。それで少しは勘弁してやるから」
そう言って、口元をやらしくニヤつかせる二人。
やはり愚劣な事を考えていたか。そんなの応じる意味は無いぞ、二ノ宮。お前には数多の財産があるんだからな。それで話はつくんだ。
「勘弁も何も、あなたの提示する金額は全て用意しました。これで謝罪は終了するはずなんですけど」
その通り。こんな男達に費やす時間など、あるはずがない。
「おい、あんま調子にノんじゃねェぞ、成金女」
先程までの調子の良い声とは打って変わり、低くドスの利いた声で脅すように男は言う。
「こん中には俺の仲間も居るからな、逃げようなんて出来やしねぇよ。大体よぉ、被害者はこっちなんだぜ? 言う事はきっちり聞いて貰わねぇとなぁ」
下卑た笑みを浮かべながら、チロチロと舌を覗かせる大高生。
まさか、この人だかりの中にこいつらの仲間が――?
「…………」
確かに、似たような格好をして、妙にあのテーブルを注視している連中が居る。数にして四人。それぞれが二人に別れ、別々のところから監視しているようだ。いざ逃げようってんなら捕まえて、無理矢理にでも拘束するつもりなのだろう。
あっちも何の考えもなかった訳ではない、という事か。さて、どうやってこいつらを片付けようか。困ったものだな……。
「何を馬鹿な事を言ってるんですか?」
「……ぁ?」
「謝罪は、この場にておしまいなのですよ」
「ぁんだと、えぇ?」
何を挑発的な発言をしているんだ! 相手を怒らせてどうする! 俺一人じゃ、対処しようがないんだぞ。
「ですから、謝罪はこの場でおしまいだって……」
二ノ宮はゆっくりと、右手を頭上を挙げていく。何だ、その挙動には一体何の意味が――。
「言ってんだよ、下種野郎」
棘のある言葉と共に、パチンと指の鳴らす音が響いた、その瞬間。
店内の喧騒が、一斉にピタリと鳴り止んだ。
「……? 何……?」
次には、店内の人が一斉に立ち上がり、二ノ宮の居るテーブルに視線を向け始める。
「は……?」
いよいよ、大高生の二人は訳が解らなくなったようだ。別所で待機している仲間も動揺を隠せずに居る。かく言う俺もなのだが。
「ここはあたしのテリトリー。生意気かます事は許さないっつってんだよ」
まるで別人のような口調と仕草で、二ノ宮は相手を威嚇する。最早、慇懃なんて言葉は二ノ宮には無い。無礼の一言に尽きる態度だ。
「あんたらは金が欲しいんだろ? だったらくれてやるから、二度とそのグロテスクな面を見せんな。気持ち悪くて吐き気がすんだよ」
「なっ……。何だとテメェ、ゴラァ!」
相手も負けじと精一杯の威嚇をするが、二ノ宮はまったく動じない。
「ギャーギャー五月蝿いんだよ、ボンクラ。まさかあんたら、自分達が優位だとでも思った訳? だったら残念でしたー。この店は、あたしが買い取っちゃったから」
「はっ……?」
さらっと言われた衝撃の事実に凍り付く大高生達と俺。
「しかも今ここに居る人は、全員二ノ宮財閥の関係者でーす。アウェーなのは、あんたらだけだから。間抜けも大概にしろってーの」
「二ノ宮!? テメェ、生徒会執行部の……!」
「ぶっ! まさか今気付いたの? 馬鹿にも程があるでしょお!」
面白おかしく「キャハハ」と笑う二ノ宮に、俺も岡村も、大高生も言葉が出ない。果たしてこんな姿の二ノ宮を、普段から想像出来るだろうか。いいや出来ない。もし演技だとすれば、とんだ名演技だが……。そうであると願いたい。
「で……。あぁ、そうだ。金、金」
二ノ宮が左手で手招きすると、一人の店員がアタッシュケースを持ってきた。それを机に置き、その場に留まる。
「はい、そん中に入ってるから、一応確認しといてね。間違ってないとは思うけど」
「……ちゃんと二十万、入ってるんだろうな?」
大高生の言葉に、二ノ宮は間の抜けた声を上げる。
「え? ……やっべ、間違えちゃったぁ」
「はぁ!? テメェ、ここまで話持ち上げといてふざけんじゃねぇぞ!」
「あー……。まぁいいや。それ、全部持ってっちゃって良いよ」
「何言ってやがるテメ――」
大高生がアタッシュケースで二ノ宮を殴ろうと持った瞬間――その動きが、重力に従うように止まった。
「……おい。こん中、いくら入ってんだよ……?」
「えーっと……。いくらだっけ?」
二ノ宮が店員に訊ねると、何食わぬ顔で答える。
「現金、二千万円でございます」
「二千――!?」
その金額に、大高生達は度肝を抜かれたようだ。俺はこんな事でもあるだろうと思って、あまり驚いてはいないが。
「念の為、ご確認下さいませ」
「…………」
大高生は恐る恐るケースを開け、その中を見る。
「……おい。お、おい!」
すると、大高生は突然気を動転させ始める。
「何? しっかり入ってんでしょ?」
「お、お前これ……これ……!」
大高生はケースを回し、二ノ宮にも見えるようにしてから言う。
「これ、ドル札じゃねぇか!」
…………。
言葉を失ってしまう。確かにその中には、ドル札が詰まっている。言葉通りならば二千ドル。つまり日本円にして約百倍の価値……二十億円もの大金が詰まっているのだ。
百倍どころの騒ぎではない。まさかの、まさかの万倍。想像もつかないくらいの大金。宝くじで一等賞を取っても貰えやしない、夢の夢のそのまた夢の超大金。それが、目の前にある。
嬉しいどころか、逆に恐ろしい。触れることすらも恐れ多い。唐突な一攫千金に、大高生は興奮気味にも恐怖を覚えているようだ。
一方の二ノ宮は、冷静にその札束の塊を見つめ、
「あっ。ホントだ」
実にのほほんとした感じを崩さない。
「もー、何やってんのよー。面目丸つぶれじゃない」
「申し訳ございません」
「まぁいいや。それ、全部持ってって良いから」
「はっ、はっ……はぁっ!? お前、金を何だと思って……!」
「何言っちゃってんの。金要求したのあんたじゃん。あんたこそ金を何だと思ってんの? ちゃんと責任持って、受け取りなさいよ」
「お、俺が要求したのは二十万だぞ! こんなに、要らねぇよ!」
「二十万も二十億も、単位が変わるだけで特に何でもないじゃん。それに犬に噛まれたんだから、狂犬病にでもなっちゃったら困るじゃん。それで死んだら遺産とかにも困るでしょ? 謝罪する側としては、ちゃんと受け取って貰わないとね」
「ふっ……ふざけんなって! こんな大金、どうしろってんだよ!」
「とりあえず、マイホームでも買えば?」
「で、出来るかんな事! とにかく、こんなに要らねぇんだよ! イカれた成金女の金なんか信用出来るか!」
「……あんたさ、自分の置かれてる立場、理解してる?」
二ノ宮が低い声で言うと、大高生は肩をびくりと震わせた。
「こっちゃ精一杯贖罪しようとしてんのにさ、それを蔑ろにするとかないでしょ。何様のつもりなの? ――いっその事、あんたらの存在、元から無かった事にしても良いんだよ? あんたらみたいな虫けら、居ても居なくても世界にとっちゃ何も関係無いんだからさ」
二人には、一体どう見えているのだろうか。
二ノ宮だけじゃない。店内に居る人間のほとんどは、一体どんな目をして、二人を追い詰めているのか。……想像したくもない。きっと、無数の目玉が放っているんだ、権力という名の眼光を。
そして二ノ宮は、先程の脅しとは比べ物にならない、本当の脅し文句を、二人――いや、六人に投げ掛ける。
「二ノ宮財閥、なめんなよ」
「いやー、何事も無く終わって良かったです!」
事が治まった喫茶店内。大高生は金を手に逃げ去り、今は穏和な空気が店内を漂っている。
そんな中で二ノ宮は、一仕事終えたと言わんばかりにミルクを飲み干す。俺は二人と合流し、同じテーブルで後談をしているところだ。
「あの、二ノ宮さん。本当にありがとうございました」
岡村が礼儀正しく頭を下げると、二ノ宮は首を振る。
「いいんです! この程度の事、何て事はありませんから!」
「でも……私の為に、何億も……」
「大丈夫です! あの程度のお金、大した事はありませんから!」
先程のキツイ口調と態度の二ノ宮とは変わり、もういつもの二ノ宮に戻ったようだ。正直あの姿を見てからだと、見る目が変わる。
「だが二ノ宮。いくらなんでもあんなチンピラに二十億も無償で渡すなんて、無茶苦茶すぎるだろう。これではあっちが得をするだけじゃないか。……いや、確かに被害者はあっちだが……」
「いえ、それはないと思いますよ」
俺の推論を、二ノ宮は否定する。
「あの人達は、あのお金を手にした時、凄く怖い顔をしていました。当然ですけどね、もう一生分以上のお金を突然手に入れたんですから。逆を言えば、もうあの人達に生きる意味は無いのですよ。人生はお金を稼ぐ為に生きるようなものなのですから」
「まぁ……そうかもな」
「ケースには私んちの住所を入れておきました。きっとあの人達は、お金を返しに来ると思いますよ。あの人達には、あれ程のお金を支配するだけの力はないでしょうし」
金を支配する……か。
今の人類は、金に支配されているのかもしれない。だからこそ金に固執し、金を求め、金を得る。流通の原理だとしても、人間が生み出した最大の病原菌。それが金というものなのかもしれない。
「お金は……人を変えます」
急に二ノ宮が、暗い表情で呟き始める。
「お金に支配されたら、最後なのです。人はお金の亡者になって、人を喰らいます。そして人を乗っ取るのです。お金を得る為に……。人を殺すのは、人ではなく、お金なのですよ……。お金こそが、一番憎むべき宿敵なのです」
物憂げな顔で、二ノ宮は声を震わせながらそんな事を言った。
金曜日に、何故天川が二ノ宮に話を言及しなかったのか。今それが、何となく解った気がする。
二ノ宮にも何か、心に憑いて離れない、深く忌々しい記憶があるのだろう。
あの時の二ノ宮はその権化なのか、あるいは逃避行の姿なのか。
俺には皆目、見当がつかない。