第-4話:その笑顔には償いを捧げて
◎某オンラインゲームでのチャットログ
・ユウさんが会話に参加しました。
ユウ「こんー」※「こんにちは」または「こんばんは」の略。
全員『こんー』
ユウ「帰り道歩いてたら黒猫が前を横切った件」
たこ「死亡フラグktkr」※キタコレの略。
ミヤビ「関東大震災が来るぞ!」
かめ「突然強盗が来たりしてなw」※(笑)の略。
ユウ「おいやめろw 本当に来たらどうするw」
モリゾー「潔く氏ねw」※訳:死ね。
ユウ「ひでえwww」
syou「黒猫に罪は無いんだぜ」
ユウ「そうだけど、やっぱ不吉じゃん。ガン見されたよw」
アゲハ「リア充は死ねばいい」※リアルが充実している者。
ユウ「充実してねーよw 楽しいのは今だけだよw」
サキ「大丈夫だって、解ってるから」
ユウ「うわ、悲しいw」
ムシメガネ「俺らってそういうやつだけだもんなー」
ウッド「なあ、お前らのリア充の基準って何よ?もしかしたら、俺リア充かもしれん」
アゲハ「死ね」
ウッド「はえーよw まだ決まった訳じゃないって」
アゲハ「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
ウッド「やめとけw 規制されんぞw」※中傷発言を繰り返すと、チャットを規制されるシステム。
・アゲハさんは会話から追放されました。
ウッド「ほら見ろw」
サキ「ざまあーw」※ざまあみろの意。
ミヤビ「じゃあ、俺がリア充判定をしてやろう。万年引き篭もりの俺がな!」
ウッド「嘆かわしいこと言うなよw まだ中二だろ?」
ミヤビ「人生、悟ったら最後なんだぜ? 小五からネトゲに走った俺は確実に死に組みさ」
ユウ「もはや負け組みでもないというね……」
syou「泣けること言うなよ。俺達がいるだろ!」
全員『いるだろ!』
ミヤビ「thx。ま、お前達がいても現実は変わらないけどな!」※ありがとうの略。
全員『確かにw』
ミヤビ「じゃあウッド、診断してやるぜ。高一だっけ?」
ウッド「おう。かかって来いや」
ミヤビ「ずばり、彼女はいますか?」
ウッド「うん、いる。最近告白されたぜ☆」
ミヤビ「リア充以外の何者でもねぇよ氏ね」
ウッド「マジで? これだけでリア充なの?」
syou「リアフレすらいない俺涙目」※リアルフレンドの略。つまり現実の友達。
モリゾー「さすがにそれはねーだろ……。かわいそすぎる」
ユウ「いや、俺もリアフレいないわ」
ムシメガネ「俺は妹いるけど、リアフレはいねえなあ」
たこ「話し掛けられないもん」
かめ「ですよねー」
モリゾー「お前らから話し掛けろよ……」
ミヤビ「ご覧の通りだぜ、ウッド。どうせリアフレもうじゃうじゃいるんだろ?」
ウッド「うじゃうじゃってw まあいるけどさ」
ミヤビ「もう普通にリア充じゃん。むかつくわ」
ウッド「フヒヒw サーセンw」※すいませんの意。
syou「よし、半年ROMろうか?」※Read Only Memberの略。書き込みをしない人の事。
ウッド「待て待て。例えお前らがリア充だと思っても、俺はそうは思ってない」
ユウ「何……だと……?」
ムシメガネ「彼女いるくせにリア充じゃないとかwww」
たこ「ワロスwwwww」※訳:笑える。
かめ「殴っていいよね? よね?」
モリゾー「リアフレはいるけど、彼女はいないんだ。お前の彼女よこせ、食ってやる」
syou「喧嘩売ってんのか? ああん?」
ウッド「まあまあ。そもそも本当にリア充なら、ネトゲなんてやらないさ」
サキ「た、確かに……ッ!」
ミヤビ「そんなこと言っても、この中では一番IN率低いけどな」※ログインする率。
ウッド「部活が大変なんだよw バレーやってみ? 練習超キツイから」
ムシメガネ「手芸部の俺に死角はなかった」
ユウ「いや、帰宅部は最強」
ミヤビ「おい、自宅警備員なめんなよ」
ユウ&ムシメガネ『負けた……』
syou「軌道修正希望」
ウッド「だから、俺はお前らと話してる方が楽しいんだよ。ドューユーアンダスタン?」※訳:理解しましたか?
たこ「俺カッコイイ発言キター」
かめ「きめえええええええwww」
ウッド「そんなんじゃねーからw」
・アゲハさんが会話に参加しました。
サキ「お?」
アゲハ「死ねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
・アゲハさんは会話から追放されました。
ムシメガネ「バカスwww」※訳:馬鹿だ。
モリゾー「元荒らしなだけあって、粘着力はすごいなw」※ネットにおいて、他人を中傷したり、好ましくない行為をする者。※しつこく追い掛け回すと同義。
ウッド「これは嫉妬だよな? 本気だったら泣くんだけど」
サキ「そんなことある訳ねーだろ」
syou「ちょっとむかついたけどな。さっきの発言で許す」
ミヤビ「別にウッドが悪い訳じゃないしな」
ユウ「寧ろ良いことじゃん」
ムシメガネ「デブからすれば羨ましい限りだわ」
たこ「応援してるよ!」
かめ「彼女のことは、これから詳細頼むぜ!」
ウッド「お前ら……!」
モリゾー「って言ってみるテスト」
ウッド「ちょw」
ムシメガネ「単純すぎワロタ」※訳:単純すぎて笑った。
ウッド「くっ」
サキ「でも、悪く思ってないのは本当だよ」
ウッド「だよな! やっぱお前らはいいやつだ!」
syou「って言ってみるry」※略の略。
ウッド「……」
たこ「って言ってry」
かめ「ってry」
ミヤビ「ry」
ウッド「略しすぎだろw」
ユウ「www あー、今日はもう落ちるわ」※オンラインゲームの接続を終える。
サキ「今日は早いな」
ユウ「ちょっとやることがあるんだよ。んじゃノシ」※その場から立ち去るときのバイバイの意。
全員『乙』※お疲れ様の略。
・ユウさんが会話から離脱しました。
自らの現実から逃れる者、暇を潰す為に利用する者、妄想が肥大化し治まりようのない者……。様々な者達が様々な理由で様々な談話をする場。所謂チャット。
気付けばこれが、彼女の日常と化していた。
学校の中で色の無い彼女は、ここで初めてそれが宿る。
何の意味も無く下らない会話をパソコンを通してする事が、彼女にとって唯一の安らぎであり、生き甲斐であった。
彼女の住む場所は、アパートの一部屋。家賃四万円で、必要最低限の物が揃っている。四畳半の真ん中のテーブル上に自慢の高性能ノートパソコンを広げ、彼女は猫のように背中を丸めていた。安物のメガネを掛け、皺のついた制服を身につけ、安座で潰れた座布団の上に、母の遺産である華やかな美貌を纏う身体の体重を掛けている。
彼女に両親は無い。
中学三年生での味の無い修学旅行の最中、自宅に強盗が押し入り、金目の物を全て強奪された上に、両親が惨殺されたのである。犯人は未だに、指名手配されているにも関わらず逮捕されていない。
学校では、常に纏わり付いてくる嗤いの視線・条理を外れた悦びと戦い――負け続けていた彼女にとって、唯一の身の寄り所だった両親を失った彼女は、もう見える人間は信用出来なくなっていた。
更に襲い掛かるは、収入源の消失。両親の遺産を頼りにするのも時間の問題。いずれは枯渇してしまう。何とかして、己の生計を立てなければならない。
そんな彼女の手元には、父の遺産である、高性能を極めに極めた至高のパソコン。
情報屋を営んでいた父は、あらゆる情報を手にする為に様々な手段を講じていた。その中でハッキングなどは序の序、言わば呼吸に等しい行い。
幸いか不幸か、彼女にもその才能が潜んでいた。
そしてそれは、何の滞りもなく開花した。
オークション詐欺、ワンクリック詐欺、スパムメール等、代表的なネット犯罪を容易に行い、巧みに証拠を残さず、金だけを他人から毟り取る。彼女はその技術に長けていた。
ターゲットは中学時代、自分を見下していた生徒達。中学、高校の時期はネットを扱う事は出来ても、犯罪に対する認識は疎い。増してや、究極的に擬装された彼女の罠を見抜ける訳がなかった。
仕返しだったその行為は、やがて彼女にとって必要不可欠になってしまった。 関係の無い人を巻き込み、その人が不幸になる。他者の幸福を貪る非道の行い。人々から忌み嫌われる害虫のような存在へと、彼女は昇華し続ける。
しかしそれでも、彼女は何も罪悪感は感じていなかった。
生きる為だから、致し方ない。
そう自分を言い聞かせ――今この時もまた、人を堕とす。
「――天川君!」
「…………」
「あーまーかーわー君!」
「おぉっ?」
放課後の生徒会室にて、副会長である小渕稲座に顔を覗き込まれながら、話し掛けられた。鼻の先が触れるのではないかと思うくらいに顔が近い。
「無視ですか! 悉く無視なんですか! 私の方が年上なのに、ぷんぷんですよ!」
「年上……ねぇ」
俺は会長の身体情報を顧みる。
彼女は成績こそ優秀なんだが、身体に関して色々と残念な傾向にある。チビっ娘だし、ぺったんこだし、腕は短いし。結構不便な身体なのである。
しかしその容姿が幸いしてか、男生徒からはなかなか支持されているところがある。顔は美形……というか可愛い系で、そのオレンジ色のツインテールがグッド。目を引くところは多々ある。一見美少女と呼んでも差し支えはないように思える。
だがそれでも、
「背とか胸とかは標準以下なんですけどねぇ……」
「らっ、来年には伸びますよ!」
彼女にとってこのステータスは、煩わしい限りのようだ。
「どうですかねぇ……。大人しく、女性ホルモンを注入した方がいいんじゃないんですか?」
「そんな事しなくても大丈夫ですよ! ……きっと」
「人間、素直が一番ですよ。……ププッ」
「笑うんじゃありません! いい加減にしないと怒りますよ!」
「すいませんすいません。ちょっと、考え事してたんですよ」
「考え事? 何ですか、それ?」
「とりあえず、顔引っ込めて下さい。息臭いんですよね」
「えっ――!」
クルッと後ろを向いて、何度も自分の息を嗅ぐ副会長。そんな必死になんなくてもいいのに。でもそれが面白いんだよなぁ。
「冗談ですよ。副会長の息は何の味もしない、リアクションに困るくらい普通ですから」
「女の子にそんなデリカシーのない冗談を言うんじゃありません! 本気でそう思っちゃうでしょ!」
「はははー、やだなー、副会長だから言ったに決まってるじゃないですかー」
「どういう意味ですかーッ!」
副会長の叫び声に近い大声に、役員五人全員が反射で耳を塞ぐ。
「ブッチー。気持ちは解るけど、その声は想像以上に迷惑よ」
白く頑丈で綺麗な長机の頂点に座っている、会長の三年生である喜多美咲さんが注意する。
美咲さんは何と言っても、その美貌が特徴だ。
すらりと長い背に、締まったウエスト。弾けたバストを裏付ける軽やかなヒップ。そして極め付けは、やはりそのサラっとした金の長髪。〝金髪は人気が出る法則〟を創り出したと言っても過言ではない。
おまけに、授業の時は目の悪さが幸いして、眼鏡を掛けるのだ! 眼鏡好きも飛び付くという訳だ! 俺はどれも好物だけどな!
あ、ちなみにブッチーっていうのは、副会長のニックネーム。小渕だから、ブッチー。
「それに、天川君も言葉を選ぶ。解った?」
「はーい……」
「天川君、何? ジロジロ見て」
「いやぁ、やっぱり美咲さんは美しいなぁと思いまして」
「ふふふ。その言葉はもう、聞き飽きたわね」
「それに比べて……」
俺の目の前にちょこんと座っている副会長を見る。
「はぁ」
「何ですかその短いため息! 絶対会長と比べたでしょ!」
「やだなぁ。学校一の華と副会長を比べる訳ないじゃないですかー。比べる意味ないですもん」
「むうううううううううううううう!」
「冗談ですよ。……と言っておくか」
「聞こえてますよ!」
先程俺に注意した美咲さんは、もうそれは諦めて、俺達の会話に笑みを浮かべていた。結局こうなってしまうのが悪いところだ。いや、良いところか?
「で、考え事って何なんだぜ」
「何なんだぜって! そんな無理にその語尾を使わなくても!」
「天川のせいだぜ。責任取れぜ」
「もう滅茶苦茶じゃねぇか……」
副会長の隣に座っている、天然パーマでクルクル頭の大島隼が俺に訊ねた。ネクタイが瘤結びになっているのが特徴。曰く、うまく結べないらしい。そんなんじゃ将来が不安だ。
隼が言ってる俺のせいと言うのは、つい昨日「俺って個性が無い気がするんだよね。どうすればいいと思う?」と、訳の解らない事を訊かれたから、適当に「語尾に〝ぜ〟でも付ければいいんじゃね?」と言ったら、本当にそれをやっているのだ。慣れない事をするからか、今のように無茶な付け方をする。流石にそこまで俺のせいにされても困るんだが。
「役員の考え事は生徒会全体の考え事だぜ。潔く公表するがいいぜ」
「いや、そこまでする必要は無いというか、個人的というか」
「副会長が偉そうにするんじゃないぜ。書記の命令だぜ?」
「別に副会長と書記にそこまで差はないと思うよ! それどころか同学年だしね!?」
「何言ってんだぜ。ここまで個性の差が出てるんだぜ? 早急に負けを認める事をお勧めするぜ」
「昨日まで散々自分を無個性だと嘆いてたくせに! てか、その語尾気に入ったの?」
「気に入ったんだぜ。取っちゃやだぜ」
「取らねーよ! そもそもそれ考えたの俺だから!」
「という訳で、教えろぜ」
「どういう訳だ! 教えねーよ!」
「やれやれだぜ……」
隼は首を振って、腕を組んで黙る。何かに似てるのは気のせいか?
「でもよぉ、そこまで仄めかされたら気になるって。教えろよ、なぁ?」
俺の左隣にいる、この季節にそぐわないワイシャツ姿の、角刈りの男らしい顔付きの小林大輝が俺の肩を叩いて強く訊く。
大輝の特徴は、隼と比べると大分多い。
まず、その座り方。足の爪先だけで身体を支えている状態。一番落ち着く座り方らしい。次に、首にぶら下げている黒縁のゴーグル。亡き友人の形見だと言っていた。最後に、スポーツ万能。特にバスケにおいては、人並み外れた異常なセンスを持つ。普通、片手でハーフラインからシュート決められるか? 少なくとも、俺には出来ない。
「気にすんなって。大した事じゃないから」
「気にするなって言われたら余計気になるんだよ! いいから教えろよ、おい!」
「ああ解った! 解ったから肩を揺するな!」
こいつに肩を揺らされると、頭がぐわんぐわん言うだよ! 気持ち悪くなる!
「でも、本当に大した事ないって」
「いいから。天川君、教えて?」
「勿論ですよ美咲さん」
「おいテメェ! 何で会長には簡単に教えるんだよ、あぁ!?」
「納得いかないぜ」
「お前達のような野郎共と違って、美咲さんには誘惑のオーラがあるのさ。彼女に近付いてしまった者は、たちまち自我を失うであろう……。どこかの誰かさんと違って」
「どこの誰の事ですか、それ!」
「やめてあげて、天川君。ブッチーもそれなりに悩んでるのよ、小さいながらも」
「あなた達のせいで相当悩んでますよ! それに会長、悪ノリはいけないですよ!」
「あらブッチー、嫉妬?」
「違いますよぉ!」
こうやって、たまに美咲さんも副会長いじりを楽しむ。ついつい癖になる、副会長いじり。こりゃあアトラクション化も近いな。
「さあ、そろそろ観念しろぜ」
「……解ったよ。言うよ、言う言う」
俺が前置きすると、生徒会室は静寂に包まれる。ここら辺はきっちりしているんだよなぁ。逆に言いづらい。
「えっと、うーんと……」
「早く言えよ、おい!」
大輝が背中を叩いて急かす。こいつにとっては軽いスキンシップかもしれんが、めっちゃ痛い。
「じゃあ、単刀直入に。――今不登校の奴を、どうすれば改心させられるか考えてたんです」
「またそれ? 天川君」
美咲さんが呆れ気味に首を振る。
「前もそんな事を言って、しばらく業務サボってたでしょ。全員で声が枯れるくらい叱ったのに、まだ懲りないの?」
「ホントだぜ。あの時は辛かったぜ」
「球技大会のしおり作りはマジで地獄だったな……」
「電灯の取り替えが本当に大変だったんですよ! 手が届かなくて!」
副会長が勝手に自爆しているのはさて置き。
「でも、成果は上げたんだからいいじゃないですか。関野恵、登校するようになったでしょ?」
「まあ、そうなんだけどもね……」
揺ぎ無い事実に、俺以外の全員が表情を重くする。
実は、俺が不登校の奴らを何とかすると言い出したら、全員が反対した。
「登校を嫌ってる生徒を無理に説得するのは良くない」
「来たくない人は来なければいい」
「人には人の事情がある」
「余計拒否られるだけだ」
と。
全学年を含めると、不登校の人数は二十を超えていたから、流石にそれは無理があったかもしれない。だからまずは、同じ学年と、二学年の一人だけを対象にする事にした。
一人は、先述した関野恵。学校一の不良娘で、県一番の不良高の頭と張り合っていたが、何とか説得に成功。まだ注意すべきところはたくさんあるが、今は良い方向に向かっていると考えて間違いは無い。
次に、二ノ宮春香。飛び級だが、それが災いして不登校になっている。クラスの中から「生意気」だとか言われているようだ。典型的ないじめ被害の結果だ。
最後は、廣瀬夕菜。特に目立った事もせず、大人しい性格だと思われていたが、実はネットに関してずば抜けた中毒を持ち、インドアな趣味の持ち主。悪く言えばオタク。それが理由で、一部の生徒から忌み嫌われている。
この三人を、生徒達は良く思ってないのだ。
「正直、関野には来て欲しくないぜ。また殴られるのはヤだぜ」
隼は以前、何の前触れも無く殴られた事がある為、恵を恐れている。本人に訊いてみたところ「むしゃくしゃしていたから殴った。反省する」との事。
「二ノ宮は外見こそはそこそこだけど、言葉遣いが最悪なんだよ……。それに、態度でけぇし。はっきり言って、ウザイわ」
二ノ宮と同じクラスの大輝も、この様子。
「廣瀬さんは、いつも休み時間図書室で自分のパソコンをいじってるんですよ。ちょっと覗いてみたら、アニメの関する事がたくさん……。私、ああいうのは苦手です」
副会長なんか、ちょっと見ただけでこれだ。
「天川君。あなたの生徒への心遣いは良い事よ? でも、正直意味ないと思うの。その人を嫌ってる人も居るだろうし、本人だって本当は来たくないのかもしれない。学校全体の事を考えたら、この問題は触れない方が賢明だと思うわ」
美咲さんが、持論を淡々と述べる。
「さすが会長だぜ。その通りだぜ」
「天川の気持ちは解るけどよ、触らぬ神に祟り無しって言うしな、うん」
「いくらこの機関でも、出来ない事はありますよ。それよりも、やらなきゃいけない仕事はあるんですから」
「ブッチーの言う通りよ。今度は、冬季山高祭についてのプランを決めなきゃいけないんだから。今はこっちを優先して。解った?」
――彼女らは、概ね正しい。
――学校の為、生徒の為、自分達の出来ることを全力で行い、尽くす。生徒会の文字のままに。
――故に、生徒達にとって障害となる存在は、容赦なく排除する。
――例えそれが、守るべき生徒であっても。
「ここって、生徒の為の機関ですよね?」
俺は俯きながら訊く。
「ええ、勿論。今更何を言っているの?」
美咲さんは笑顔で答える。
「だったら、何であんな事したんでしょうね」
俺の低い声に、副会長は嘆息して言う。
「仕方ないですよ。生徒からの願望が、あまりにも多かったんですから」
「そうだぜ。ま、関野の方は自分から来てなかったから、手間は省けたけどぜ」
「二ノ宮は、クラスじゃかなり嫌がられてたからなぁ。実際俺も嫌だったし、清々したわ」
「噂じゃあ、廣瀬さんはネットを利用して変な事をしてるとか……。そんな不純な生徒は、山高には必要ありません!」
「善良な生徒の為を考えれば、あれしきの事、生徒会として当然の行為だわ」
今の不登校の生徒の原因は、他でも無い、生徒会である。
通常なら扱わないその手の要望書が異常に多かった為、対処せざるを得なかった。
その方法は、不登校にする事。
〝嫌われている生徒は学校に来るべきではない〟
これが、生徒会の出した結論だった。
と言っても、世間的にそれは確実に非合法的な考え。俺がどうにかすると言ったら、反対はするが止める事は出来ない。俺の考えの方が合法的だから。邪魔立てする道理は無いのだ。
それでも生徒会は、その結論を貫いている。
「やっぱり間違ってますよ。こんな事、生徒会がする事じゃない」
いつもの結論に俺は辿り着く。
「はぁ……。天川君には、正常な脳みそは詰まっているのかしら?」
「本当だぜ。いい加減理解しろぜ」
「何度も聞いたぞ、それ。他に何か言えねーのかよ、えぇ?」
「私達のおかげで、生徒達は楽しく過ごせるのです! それに仇名す者は消えるべきです!」
いつもの反論群が俺に返ってくる。
「それに、不登校の廣瀬さん」
副会長の言葉に、俺の心臓は過剰に反応する。
「手を掛けたのは、天川君じゃないですか」
◎それよりちょっと後のチャットログ
ミヤビ「そういえば、ユウは何で不登校になったの?」
ユウ「そんなこと聞いてどうするの?」
syou「質問を質問で返すな」
ユウ「サーセンw」
ムシメガネ「ここの皆はほとんどいじめが原因だけど、ユウも同じ?」
ユウ「んー……。それとは違うかな。俺は空気だったから、逆にいじめられたりはしなかった。まあ、陰で悪口叩かれたりはしてたかもしれないけど」
アゲハ「空気だったから?」
ユウ「それも違う。寧ろ空気の方が良かったし。リアルで話すの苦手なんだよね」
モリゾー「じゃあ何で?」
ユウ「むー。ちょっと変な話になるけど、それでもいい?」
全員『kwsk』※「もっと詳しく教えて欲しい」の意。
ユウ「おk。そんなたいしたことじゃないけどね。生徒会に頼まれたんだよ」※OKの意。
たこ「生徒会?」
ユウ「うん。もう学校には来ないでくれって」
かめ「は?」
モリゾー「訳ワカメ」※訳:訳が解らない。
ムシメガネ「☆意☆味☆不☆明☆」
syou「生徒会がそんなこと言う訳ないだろwww」
ユウ「生徒会に、そういう要望がたくさん来たらしい。『この生徒がウザイんでどうにかして下さい』みたいな」
ミヤビ「だからってそれを叶えるのは、生徒会としておかしくね?」
ユウ「だからたくさん来たんだって。生徒会も已む無く対処したらしいよ」
アゲハ「最低だな、その生徒会」
ユウ「そうでもないよ。それ以外の仕事は完璧と言えるくらいこなしてるし、教師陣からの信頼も厚い。だからこそ、生徒の要望も生徒会に集まる訳。その期待を裏切らない為にも、生徒会は実行せざるを得なかったんじゃないかな」
ムシメガネ「なんと言う深読みッ!」
たこ「で、ユウはそれを受け入れたと?」
ユウ「まあね。正直学校はつまんなかったし、別にいいかなと思って」
かめ「それじゃあ生徒会の思う壺じゃないか。生徒達も笑ってるぞ」
ユウ「そうかもね。でもそれでいいよ」
モリゾー「どうして?」
ユウ「これで皆がいい気分になるなら、それでもいいかなって」
全員『…………』
ユウ「来客。ROM~」
全員『いてら』※いってらっしゃいの略。
明るさが足りない部屋に、インターホンが鳴り響いた。
主は立ち上がり、チェーンの付いたドアを少し開け、隙間から来客を確認する。
「オッス」
その人物は、現在の原因となった人間だった。
「……何の用」
少しだけ口を動かして、手短に訊いた。人間は頭を掻きながら言う。
「あー……。あのさ……。もう一回、学校に来てくれないか?」
少し前、同じ人間から、真逆の事を言われたので、少し驚いた。
しかし、心には何も響かない。
「嫌」
今の自分の気持ちを、素直に、とても短く言った。
「そうか……。そうだよな、俺のせいだもんな……」
「…………」
「じゃあさ、どうしたら来てくれる?」
もう、行く気は無い。
このままでも、生きていける自信はあるし、金ならたくさんある。困る事なんか無い。学校に行く理由なんか無い。
主のこの考えは非常に強固で、そう簡単には崩れない。
「もう行かないから」
ドアを閉めようとしたが、彼の足がそれを阻止した。
「謝る! 何でもする! だから、来てくれっ!」
「……どうして」
人間は必死に熱弁する。
「生徒の為だからって、生徒を切り捨てるなんて、間違いだって気付いたんだ! お前は何も悪くないのに、あんな事を言って悪かった! 頼むから、学校に来てくれよ!」
訳が解らなかった。
自分が学校に行ってしまえば、生徒会の信頼がなくなるし、生徒の妨げになる。学校にメリットは無いはずなのに、この男はその逆の行いをしている。
そう考えると、ますます不気味に思えてくる。
「何を、考えているの……? 学校に戻らせて、何をさせる気……?」
「そんなつもりは無い! ただ、学校生活を失って欲しくないだけなんだ!」
人間の熱弁は続く。
「そんなの要らない。孤独には慣れてる」
「そんなの悲しいだろ! 知ってるか? 人と話すっていうのは、すっごく楽しい事なんだ! 顔を合わせて口を動かすってだけのことが、どれだけ楽しいか!」
「要らない」
「なぁ、俺が楽しくしてみせる! 陰口叩く奴は俺が何とかする!」
「信じられない」
「ならどうしたら信じてくれる!? 教えてくれ!」
「知らない」
最早、自分は人を信じられない。信じる根拠も無い。
「もう、来ないで」
足をどかし、ドアを固く閉ざした。
「待ってるから!」
翻した身体が止まる。
「待ってるから、少し考えてくれ」
「…………」
身体が、再び動く。
あぁっ、くそっ。
ネットでは簡単に信用されるのに。
何故、現実では信用されないんだろう。
今の俺には、何が足りないんだろう――。
ユウ「解除」※ROM状態解除ということ。
ミヤビ「誰だった?」
ユウ「生徒会の奴だったwww」
全員『kwsk』
ユウ「何か知らないけど、また学校に来てくれとか言われた」
モリゾー「臭う、臭うぜ! それは罠だと俺の第六感が叫んでるぅ!」
ユウ「解ってるよ。それに、学校に行く必要なんてないし。どうせ、また来ないで下さいって言われるのがオチなんですね、わかります」
ウッド「それはちょっと違うんじゃね?」
ユウ「ウッドいたんだ。部活は?」
ウッド「今日は休み。それより、その話。さっき皆から聞いたけど、その生徒会のやつは、本当に来て欲しいと思ってるのかもしれないよ」
ユウ「いや、それはないって。生徒会って、生徒のことを考えてるようで、一番に考えてるのは自分達のことなんだよ。自分達の信用、知名度が一番大事。それを利用して、私事も有利に運用出来るんだから。特に会長なんか、もうやりたい放題だし」
ウッド「だったら、ユウを学校に誘うなんておかしくね? 自殺行為じゃん」
ユウ「そう。だから、逆に怪しい。戻ったところで、何を言われるか解らない。生徒会にとってメリットは無いけど、俺にもメリットは無い。だから、応じる必要は無い訳」
ウッド「メリットとか、そういう問題じゃないんじゃない?」
ユウ「どういうこと?」
ウッド「その役員は、生徒会の中では良いやつなのかもしれないじゃん」
ユウ「根拠が無いって」
ウッド「まあ、部外者の俺からは何も言えないけどさ。一回くらい、学校に行ってもいいんじゃない? 本格的に不登校になるかは、それからでも決められるし」
ユウ「確かにそうだけど……」
ウッド「リア充らしい俺が言うけど、実際学校には行っといた方がいいよ。ぶっちゃけ、ここでただしゃべってるより、得られるものはたくさんある。何より、学歴は重要だしね」
アゲハ「年中荒らしてても、得られるのは虚無感だけだった」
syou「叩いても叩いても、結局は自己満足なんだぜ」
ムシメガネ「ここで話すのは楽しいけど、手に取れるものは何もないよなぁ」
モリゾー「友達作れよ。そうすれば、見る世界も変わるって」
ミヤビ「俺みたいにはなるなよ、絶対、絶対にな」
たこ「学生でいられるのは今の内だし」
かめ「学校は意外と楽しいかもよ?」
ユウ「…………」
ウッド「最後に決めるのは、ユウだけどね」
ユウ「ろむ」
彼女は再度立ち上がり、チェーンを外して、ドアを半分開ける。
目の前には、冷たい風が吹く中、ワイシャツ一枚で震えながら座っている、先程の人間が居た。待っているという言葉に偽りは無かった。
視線に気付いたのか、彼は今にも死にそうな表情で、声だけで訊ねてくる。
「考えて、くれたか?」
「…………」
とても、とても――。それはもうとても躊躇したが、ドアを大きく開けて、
「入って」
勇気を、出した。
俺が入ると、廣瀬は慌てて奥に走っていった。ああ、やっぱり客を入れるっていうのは初めてなんだな。これは、部屋は散らかっていると覚悟した方がいいだろう。
俺はドアを閉め、靴を脱いでお邪魔する。――あ~、暖かい。この寒さの中、ワイシャツ一枚は死ねる。助かったぜ。
そもそもの原因は、予想以上に寒かったからと、大輝が俺のブレザーをぶん取ったのがいけないんだ。暴力反対!
廣瀬が入った部屋に入ると、意外にも片付いていて、散らかってはいなかった。そこには木製机の上に折り畳まれたピンク色のノートパソコンが一台と、座布団が一つ。廣瀬がもう一つ座布団を持ってきて、対極側に敷いてくれた。
「サンキュ」
俺は遠慮なく、座布団に座らせて貰う。廣瀬も向かい合うように座った。
「前の事は謝るよ。お前の事を何も知らないくせに、解った様な口利いて、本当に悪かった」
「……もう、いい」
廣瀬は顔を上げずに答えた。
「ハハッ」
「……?」
思わず、笑ってしまった。
「何で制服なんだ? 学校行ってないのに。私服を着ればいいのに。皺だらけじゃないか」
「!」
廣瀬は自分の姿を顧みて、一気に縮んだ。家の中で自分の姿を他人に見られるなんて、思っても見なかった様子。制服は皺だらけだが、顔は綺麗な顔付きで、制服の上からでも解る位、ナイスバディだ。美咲さんと引きを取らないぞ、これは!
「うーむ……」
「……ジロジロ見ないで」
「むっ。すまん」
美人を見つけると、ついつい見入ってしまう癖があるんだよな。でもこれは男の本能! 恥ずかしさ故にチラチラ見る奴より、堂々としてていいじゃないか!
さて、そろそろ本題に戻ろうか。
「学校、来てくれないか?」
さっきとまったく同じ質問をぶつける。
「……正直に話すから」
「ん?」
顔を上げて、初めて俺と向かい合う。
「正直に、話して」
廣瀬は淡々と、過去の悲劇、現在の愚行を語った。もう本当、警察って無能だな。
でもこれで、廣瀬が人と触れ合わない理由が解った。そんな出来事があったら、無理も無い。廣瀬は悲劇の産物と言っても過言ではない。それに何より、
「ありがとう。話してくれて」
人を信用しなくなったはずの廣瀬が、こうして話してくれた事が一番嬉しかった。
「でも、だからと言って、ネット犯罪に手を染めるのは駄目だ。それは、犯人と同じ事をしてるって事なんだぞ? お前のように、悲しむ人が生まれてしまう。今すぐに、その手段はやめるんだ。いいか?」
廣瀬はコクンと頷いた。よし、
「……話して」
「ん?」
「正直に、話して」
「正直も何も、俺は初めから正直に話してるよ。俺はお前にまた学校に来て欲しいんだ。今しか味わえない高校生活を失って欲しくないからさ。─―今の生徒会はおかしい。あんなの、俺が入りたかった生徒会じゃない」
「登校させて、何をさせる気」
「何もさせる気はないさ! お前のやりたいようにやればいい。俺はお前を利用して何かしようとか考えてる訳じゃない! 俺はもう生徒会は辞めるつもりなんだ! 信じてくれ!」
「信じられない」
「ぐっ」
やはり、一発でそんなすぐにとはいかないか……。
「じゃあ、明日俺が迎えに行く! 休み時間は、ずっと俺がお前の傍にいる! お前を嫌う奴は、誰も近付かせない! 何もさせない! 絶対守るから!」
「……何で、そこまでするの」
顔を俯かせ、低く訊いた。
「これが俺の、償いだからさ」
と言っても、これくらいじゃまだ全部は償えない。まだ、足りない。
「…………」
しばらくの静寂の後。
廣瀬は一度だけ――しかしはっきりと、頷いた。
翌日。アイロンで直された制服を着て、彼女は待っていた。
本当に来るのだろうか。
期待と不安が彼女に満ちていた。既に鞄に必要な物は詰めた。
久々に、髪にブラシを通した。朝シャワーを浴びた。下着をいつもと違うものに変えてみた。眼鏡を拭いた。弁当を作った。シャーペンに芯を入るだけ入れた。
あれ、おかしいな。朝がこんなに楽しいなんて。
いつもは眠いだけの朝が、太陽の光が煩わしいはずの朝が――笑顔でいたはずのない朝に、笑顔があった。
ピンポーン。
昨日聞いたばかりの、インターホンが鳴ると、彼女は跳ね上がり、最初からチェーンが外れていたドアを躊躇なく開ける。
「オーッス。……おお、昨日より更に綺麗になってるな」
そこにはやはり、昨日とまったく同じ服装の、思った通りの人間が立っていた。彼女は磨いたばかりの靴を履き、ドアを閉める。
「おいおい、会ったら言う事あるだろ?」
「……?」
そこで初めて、思い出す。
「……おはよう」
気が遠くなるくらい久しぶりの、挨拶を交わした。
電車に乗る時も、学校までの道のりも、休み時間も、昼休みも、帰り道も、ずっと彼女の傍には彼がいた。それを陰で罵る人は少なくなかった。
しかし、二人は気にする事は無かった。それらをBGMに、たくさんの会話をした。好きな物、嫌いな物、将来の事……。
急激な変化で戸惑った彼女だが、徐々に彼を信用するようになった。自分の話を全て聴いてくれ、返答してくれる。顔が見える人間で、それをしてくれるのは両親だけだった彼女にとって、彼はそれに近い存在に近付いていた。
そして間違いなく、彼女は今までで――人生で最もと言っても過言ではないほどに、一番の笑顔を作っていた。
駅のホーム。二人は並んで立っていた。いつもより若干人が多い中、彼は取り返したブレザーを着る。
「じゃあ、俺帰りはあっちだから」
「……うん」
「今日は、どうだったよ?」
「……楽しかった」
俺は満足し、頷く。
「そうか、良かった」
「……ありがとう」
「気にすんなって。――んじゃ、また明日な」
彼はそう言って、階段に歩いて行く。
〝また明日〟
この言葉が何度も、頭の中でリピートされる度に、顔が笑う。
こんな楽しい日は無かった。学校があんなに輝いて見えたことは無かった。学校で笑顔になれることは無かった。
いっぱいの土産話を胸に詰め、彼女は電車を待っていた。
『二番ホームに、電車が参ります』
アナウンスが鳴り響く。集団の一番前に立っていた彼女は、早く帰ってパソコンを開きたい気持ちが昂っていた。一体どんな反応をされるだろうか、嫉妬されるか。想像するだけで、心が躍る。
『危険ですから、黄色い線の内側まで、下がって、お待ち下さい』
彼女は自分の立ち位置を確認する。足が少し、黄色い線から出ていた為、身体を下げる。
――瞬間、風を増して感じた。
一体どうしたんだろう。
そう思った時には、何故か身体が浮いていた。
そして、前から落ちた。
「……え?」
そして、前から何かが迫っていた。
「ん?」
今何かがドサっと落ちる音がしなかったか? お爺さんかお婆さんが荷物を落としたのかな?
俺は階段昇りを中断し、振り返る。
「……あぁ!?」
廣瀬が、線路に落ちてる!? まさか、足滑らせたのか!?
俺は荷物を放り、慌てて階段を降りる。
「!」
ちょっと遠くに、その場からさっさと離れていく人間が居た。その後ろ姿は、何となくよく見慣れている気がする。それに、何故か笑いを堪えている様子。携帯で面白画像でも見てるのか?
っておい! 今はそれどころじゃないだろ! 廣瀬を助けないと!
俺は急いで階段を駆け降りるが、途中で悟る。
無理だ。間に合わない。
それでも、足を早く動かす。
しかし既に――残酷な警笛が、鳴っていた。
彼女の時は止まった。
どうしてこうなった?
何か悪い事をしたか?
久しぶりに、楽しかったのに。
久しぶりに、笑えたのに。
そこで彼女は、己に秘められた枷を悟る。
罪─―。
これが、償い?
「……嫌……」
彼女の時は動き出した。
「廣瀬ぇ────────────────────!」
空しい叫びが聞こえると同時に、彼女は目を閉じた。
電車が悲鳴を上げる。
〝俺だって、こんな事は言いたくないんだけどさ……。廣瀬をさ、嫌がる人が多いんだよな、実際。民主主義的に考えたら、多数派を支持するべきだろ? だからその……。居なくなってくれないかな〟
「嫌……」
鞄と共に追憶を抱きしめ――遺言を呟いた。
暗闇の中で、何か風を感じた。
すると勝手に、身体が持ち上げられる感覚がした。
抗う術も無く彼女の身体は、再び宙に浮き上がる。
「うっ」
尻から落ちた彼女は、目を開ける。
「!」
その線路には――絶対に忘れない顔が居た。
私は大罪を犯してしまった。
己の欲望に駆り立てられ、自我を葬り去り、気付くと、一つの家族を地獄に堕としていた。
私は何をした?
この血は何だ? この死体は何だ? これは何だ?
問い掛けても、答えるものは無かった。
自首しても良かった。償えるものなら、何が何でも償おうと思った。
しかし、それで彼女は満たされるのか? 孤独を癒す事は出来るのか? いいや、出来ない。
ならばせめて、陰から彼女を守ろうと誓った。
そして今日、やっとその役割が回ってきた。
これで全てが償える訳では無い。
私一人の命で、彼女の傷が埋まるはずがない。
――これは償いでは無い。
だが、これは私の、人間としての、
最期の、生き様─―。
笑顔の大罪者の血が、線路の一角を染め上げていく。
自分を染め上げていくのは、虚無感に等しい絶望感。
「廣瀬! 大丈夫か!?」
俺は震えている廣瀬を抱き抱える。
「なんてこった……」
廣瀬を庇って、自分が代わりになるなんて……。
正直、俺じゃ考えられない暴挙だ。車ならまだしも、電車に轢かれるなんて考えるだけで寒気がする。そんな事をしたら、こんな事になるって事だ。絶対に行動には移せない。
それをこの人は、何の躊躇いもなしにやってのけた。英雄と称えられるべき勇気ある行動だ。少なくとも俺は、あなたを英雄だと断言する。その誇りを胸に、どうか安らかに眠って下さい。
「…………」
それに比べて、何だ、こいつらは?
何だよ、その顔。まるでがっかりしてるみたいじゃないか。
いつまで突っ立てるんだ? 手くらい差し延べろよ。死の崖っぷちから生還したんだぞ? しかも、犠牲者を出してまで。お前らには人並みの人情がないのかよ。
……こんな事を思っていても仕方が無い。
「とりあえず、駅員のところに行こう。立てるか?」
俺は頷いた廣瀬を立たせ、ゆっくりもう一度階段に向かう。
「どうして落ちたんだ? 足を滑らせたのか?」
廣瀬は首を激しく振って否定する。
「じゃあ、どうして?」
「押された」
「何?」
「誰かに、押された……」
俺は止まる。
さっきのは、誰だ?
どんな奴だ?
何だ?
光景の全てが直結し、脳裏に一つの答えが浮かび上がる。
俺は振り返る。視界の端で、そいつは開いた電車のドアの前にいた。
こっちを見て、笑った。
「……どうしたの」
俺は言葉を失っていた。
電車に吸い込まれた、グロい笑みを浮かべていたあいつは……!
~三日後~
・ユウさんが会話に参加しました。
全員『キタ―――――――――――――――――――――!!』
モリゾー「三日も待たせるんじゃねーよ!」
ミヤビ「待ちくたびれたぜ!」
アゲハ「激しく詳細を希望」
syou「kwsk」
ムシメガネ「報告よろ」
たこ「wktk」※ワクワクテカテカの略。期待しているという意。
かめ「<<頼むぜ>>」
ユウ「落ち着けお前ら。順を追ってレポする」※報告するという意。
ウッド「おk」
ユウ「まず、生徒会のやつは、良いやつだった。すごく、すっごく、良いやつだった」
ウッド「やはり俺の勘は正しかったという訳だ」
ユウ「そうだね。楽しかったよ。ずっと一人でいた俺に歩み寄ってくれたのはそいつだけだったし、話を聴いてくれたのはそいつだけだった。どんなに陰口叩かれても何も気にしないし。まだこんなやつがいるんだなって見直したよ」
モリゾー「良いやつだな」
ユウ「そう言ったよな」
アゲハ「でもそいつ、生徒会なんでしょ?」
ユウ「うん。だけど、もう辞めるんだってさ。こんな生徒会は、俺が入りたかった生徒会じゃないって」
syou「なんかどっかの漫画の主人公みたいなやつだな」
ユウ「それでさ、そいつは新たに別の機関を発足させるって言ってるんだ」
ムシメガネ「何それ」
ユウ「生徒会執行部だって」
ミヤビ「被ってね?」
ユウ「曰く、どんな生徒の力になる機関になるって。活動方針的には、お助け部みたいな感じらしい」
たこ「色んな意味で被ってるね」
かめ「気にしたら負けですね、わかります」
ユウ「俺はその役員にならないかって、誘われた」
ウッド「やるしかあるまい!」
アゲハ「そいつといれば、もっといいことあるよ」
syou「羨ましいぜ、畜生!」
モリゾー「いくとこまでいこうぜ」
ミヤビ「まさに救世主」
ムシメガネ「そいつなら、大丈夫な気がしてきた」
たこ「くっそ、俺もそっちに行きたい!」
かめ「バーロー、これはユウの勇気が成した奇跡だぞ。良かったな、ユウ」
ユウ「お前らありがとう。─―でも、やめとくよ」
全員『は?』
アゲハ「何で? 何で??」
ユウ「その理由を話すとなると、今のテンションを維持するのは難しくなるし、雰囲気も悪くなるかもしれない。それでもいいなら」
全員『kwsk』
ユウ「おk。簡潔に言うと、殺されかけた」
syou「簡潔すぎて激しく意味不明なんだが」
ユウ「今日駅のホームに立ってたら、電車が来る直前に、誰かに押された。明らかに、故意的に」
たこ「事故じゃないの?」
ユウ「じゃない。タイミングが良すぎるし、周りの人がまったく動かなかったところを見ると、計画的な犯行だった」
かめ「じゃあお前はユウじゃない?」
ユウ「いや、助けられた。――最も憎い人に助けられた」
ムシメガネ「誰それ?」
ユウ「それは、禁則事項」
ムシメガネ「すまん」
ミヤビ「犯人誰だよ。許さん、殺す」
ユウ「だいたいの目星はついてる」
ウッド「よし、警察へGO!」
ユウ「いや、証拠もないし、仮に逮捕出来ても、証拠不足で不起訴になるのがオチ。だから通報はしないよ。無駄無駄無駄無駄無駄ァ! って感じ」
アゲハ「それでいいのかよ」
ユウ「結局、俺が悪かったんだよ。嫌われてるやつは、素直に殻に篭ってるのがお似合いってこと。他の人もそれで良い気分になれる」
モリゾー「そんなことねーだろ」
ユウ「もしクラス中が欝陶しいと思ってるやつがいてさ、そいつが調子乗ってたらイライラするのと同じ。そんなやつ、いなくなった方が清々するだろ?」
たこ「一概にも、それは否定出来ないかもしれない」
ユウ「そう、俺は拒まれたんだ。拒まれたら、受け入れられることはない」
かめ「そんなことないって」
ユウ「いいよ。元々望んでなかったし。─―俺はこの部屋に篭って、お前らと話してた方が幸せだ」
誰も喜べない幸せを、彼女は幸せだと謳う。
サキ「本当に幸せなのか?」
ユウ「勿論。学校行ったって、ずっと下向いて時間が過ぎるのを待つだけ。充足は得られない」
サキ「三日前は、楽しかったんじゃなかったのか?」
ユウ「俺が楽しくても駄目なんだよ。周りは楽しくない。寧ろ不愉快。ここなら誰も嫌な気持ちにはならない」
サキ「ユウは、他人の事を考えすぎだよ。自分が楽しければいいじゃないか」
ユウ「良くないよ。――俺は悲劇を理由に他人を苦しませてきた。だから今度は、他人を助けるようなことをしたい。喜劇を際立てる役に立ちたい。俺が不幸せでも、他人が幸せなら、それでいい」
彼女は心を入れ替えた。
優しさ。
故の、哀しさ。
「廣瀬さんが再び不登校になりましたね! 喜ばしい限りです!」
いつもの生徒会室。副会長が満足そうな笑みを浮かべていた。
「彼女には悪いけど、今の彼女はこの学校に悪影響しか与えないからね。家でパソコンを広げて貰ってた方が都合がいいわ」
美咲さんは肘をつき、顎を左手の甲に乗せて言った。相変わらず色っぽい。
「にしても、苦情が凄かったぜ。処理するのが大変だったぜ……」
隼が嘆息しながら振り返る。
「それもこれも、全部お前のせいだぞ天川、あぁ!?」
大輝がバンッと強く机を叩いて、俺を睨む。すごい威力のメンチビームが俺に注がれる。
「さて、天川君。どうしてこんな非行に走ったのか、説明して貰おうかしら?」
非行って……。美咲さんは戦闘体制に入ったようだ。何だか怖い目付きだ。
「まったく! あなたには学習能力がないんですか? 本当に高校生なんですか? ぷんぷんですよ!」
腰に両手を当てて、憤慨する副会長。残念ながら、まったく怖くない。
「いい加減自重して欲しいぜ……。生徒会の信頼が薄まっていくぜ」
隼が未来の生徒会を思い浮かべる。
「黙ってないで何とか言えよ天川、えぇ!?」
大輝がもう一度机を叩いて急かす。
俺は息を吐き出し、今日初めて口を動かす。
「何度も言いますが、俺はこんなやり方は間違ってると思うんです」
「何度も言うけど、これが生徒の希望なの。生徒の為に全身全霊を捧げるのが生徒会としての務め。違う?」
「それは間違ってないですよ。でも、方法が悪いと思うんです。もっと別の方法があるはずです」
「例えば?」
「…………。それはまだ解りませんけど」
「そんなんじゃあ、思い付く前に私は現役を引退しちゃうわね」
不敵な笑みを浮かべる美咲さん。畜生。
「はい、天川君の負け~」
「会長に口勝負で勝てる訳ないんだぜ」
「スポーツなら負けねぇんだけどな、くそ」
他の役員の賛美に美咲さんはふっと笑う。
「ま、そんな考えはとっとと捨てて、生徒会の職務に没頭することね」
美咲さんが呆れ気味に言って、その場を立とうとする。その瞬間、
『!』
美咲さんだけじゃなく、他全員が俺の繰り出した音に驚き、動きを止める。おぉ……右手痛ぇ……。
俺はジンジンと来る痛みを堪え、美咲さんを見る。
「まだ話は終わってないですよ、美咲さん」
生徒を切り捨てる生徒会。
そんなの、生徒の会じゃない。増してや、生徒会の長が実行すべき行動じゃない。
こんな奴が卒業式の時、卒業生の言葉を言うんだぞ?
そんなの許せねぇな、ああ、許せねぇ。
好き勝手暴れた挙句、言う事を言ったらとっとと卒業。
ありえないな、ああ、ありえない。
俺は美咲さんに近付き、ブレザーの左ポケットに忍ばせておいた封筒を机に置く。
「……何を考えているの?」
「見ての通りです」
俺は一瞬笑って、はっきり言う。
「本日を以って、俺は生徒会を辞めます」
もう無理だ。あんたには付いていけない。
この生徒会じゃ駄目だ。彼女達は幸せにならない。
だから、俺は闘う。例え無駄でも、四肢がもがれるまで抗ってみせる。
俺の生徒会を、執行してやる。