タイトル未定2026/04/26 07:20
…世の中には、『いい加減』『いい塩梅』『まあ、これくらいで』『このあたりでイイよね』といった、中途半端な状態が気に入らない人がいる。
飽きたら捨てる、使わないなら捨てる、不要になったら捨てる。
汚れたら捨てる、壊れたら捨てる、色褪せたら捨てる。
取っておくなら使える状態にしておかねばならない。
取っておくのであれば他の何かを捨てなければいけない。
まだ着るかもしれないという憶測が許せない。
また好きになるかもしれないという不確かが許せない。
やるならやる、やらないならやらない。
これはいらないもの、これはいるもの。
キッチリ白黒つけたがる、極端な人。
1か0、1か0でいいのに、0か100、100か0。
私を育てた親は、まさにこのタイプの人だった。
私は、反抗するタイプの子ではなかった。
言われた事はやり、従うのが当たり前だった。
おそらく、そうなるような過程があったと思うのだが…そのあたりはぼんやりとしか覚えてはいない。
親の判断のもと、私はいろんなものを捨ててきた。
昔とり憑かれたように描いていた絵は一枚も残っていないし、宝物や思い出の品もほぼ残っていない。
分別がつくようになっても、私は色んなものを捨てた。
親の指示は絶対であり、従う事しか許されていなかったのだ。
親に指示されることが無くなっても、ふとした時にはっと我に返って…何かを捨てた。
私には、とりあえず置いておくという選択をしないルールが身に沁み込んでいたのだ。
……身内に極端な人がいると、物事を0か100かで考えてしまう癖がつきがちだ。
考え方というものは、身近にいる誰かに影響されて身についていくものなのだ。
とはいえ…、100か0、その考え方は、受け継がれるものではないと、思ってはいる。
いくら極端な選択をする人の血を引いているからといって、0か100、100か0の選択をしなければならないことはない…はずだ。
現に、いろいろと理不尽な選択を迫られて育った私は、程よく気を抜くことを学んでいる。
不愉快な出来事を何度も経験したのち、0か100,100か0の選択をしない道があることを知ったのだ。
私は…、私なのだ。
絶対に従わねばならない親の指示は、もう…飛んでは来ないのだ。
自由に、程よく…、残すことも、捨てることも、選択できるのだ。
そう思って、暮らしているのだが。
―――そういうとこ、お母さんにそっくりだね
―――無理だよあんたには、あの家の子だもん
―――なれないに決まってる、だってそういう血だから
―――もうじきああなるよ、だってあの人の子だし
思いがけず、乱暴な言葉に襲われて…立ちすくむことがある。
頑張っても。
努力しても。
忘れていても。
自分は、0か100かの選択しかしない人の血を引いているのだと…、打ちのめされる。
自分は、100か0かの選択しかできないあの人にそっくりなのだと…、愕然とする。
自分は、今、確かに…自分の人生を生きているはずなのに。
自分は、0か100を意識しない毎日を…送っているはずなのに。
ふとした拍子に、0を選んだ場面が頭をよぎる。
ふとした瞬間に、100を選んで口にした言葉が浮かんでくる。
ふとした時に、0を選んで後悔し続けた日々を思い出す。
ふとした言葉に、100を選んだせいでこうなってしまったと苦悩する。
自分らしさの中に、0か100、100か0が潜んでいるのだと、心が…冷えるのだ。
……ところで、私には、物語を書く習慣がある。
ちょっとしたきっかけで文字を綴るようになり、それがもう何年も続いている。
そのうち飽きるだろうと思っていたのに、いつの間にか習慣化していた。
おそらく…、自分の中にある物語を世界に解き放つことにハマってしまったのだろう。
自分の中にある思いを綴り、世界に発表することで…達成感や満足を得ているのだろう。
長く書いているうちに、頭の中に生まれた物語以外のものも発表するようになった。
それは主に、自分の経験談といったものである。
自分の経験をなぞる事で、自分の過去の一瞬のワンシーンを再度確認する。
自分の物語をふり返る事で、自分が手にしていたかもしれない未来を垣間見る。
あの時の自分の判断はこうだったと確認したうえで…、こういう展開もあったのだろうと存在しなかった世界を綴る。
良いとか悪いとか関係なく、あれこれ想像することで…、今いる世界はマシなものなのだと認識して前を向く。
数多の物語を綴る中、何度も、自分の物語に救われた。
……私にとって創作は、自分が選択しなかった世界の可能性を見出すための手段なのだ。
楽しい物語だけを書きたいと…書いていたいと思って、ひたむきに文字を綴った時代は、確かにあった。
けれど、悲惨な主人公を生み出すことで『自分はまだましな方なんだ』とひと息つくような、とても残念な作品も…少なくない。
ああしたい…、こうしたい…、こうなるといいな…。
こんな事がおきたら…、こういう出会いがあったなら…。
だから人間って素晴らしい…、だって人はみな尊い…。
希望に満ちた物語を書くことに、積極的になれない自分が…いるのだ。
―――こんな恥ずかしい話を書くなんて
―――誰でも思いつくやつじゃん
―――つまんないね、読んで損した
―――ここがおかしい、これも変
―――頭悪いね
一度でも、深く突き刺さってしまった言葉というのは、なかなか忘れることはできないらしい。
自分にとって不愉快極まりなかった言葉が、何度も何度も思い出されて…牙をむく。
また嫌な思いをすることになるかもしれない…その憶測が、愉快な場面を曇らせる。
0か100、その考え方が脳内にしぶとく残されている私は、ほんの少しの悪意が100になるのではないかと懸念する。
100か0、その考え方しかできない人が身近だった記憶が、ほんの少しの失敗で0になってしまうに違いないと思い込ませる。
自分が変われば…きっと何かは変わっているはず、そう思っている。
だがしかし、変わる事の出来ない部分は…ある。
記憶をまるっと挿げ替えることはできないし、過去を思い出して奮い立ちトラウマに真っ向から立ち向かい迎え撃つような力強い意識は…私の中には芽生えないのだ。
強気にめっぽう弱い、過去に振り回される貧弱な人、それが…自分だ。
あらゆる因縁のアイテムを処分しても、ふとした瞬間に過去の場面が浮かんで悶絶してしまう人、それが…自分なのだ。
いつ思い出すかわからない危険因子を抱えたまま、前を向くには、向き続けるには…私は気が弱すぎるのだろう。
おそらく…この先も、私は変わる事のない、変えることができない過去のワンシーンを思い出しては、極端な選択をするに違いない。
10の出来事を100にし。
80の出来事を0にし。
のらりくらりと過ごしながら、自分の中に、忌々しい血を感じるのだろう…。
………。
……選択をしようとするその時、誰かがそばにいてくれたら…何かが変わるのかもしれない。
否定するでもなく、肯定するでもなく。
未来を予言するでもなく、過去を責めることもなく。
今のあなたがあなた自身なんだよと、言ってくれる人。
誰かの面影がある私ではなく、ただの私という個人を横に置いてくれる人。
寄り添わなくてもいい。
同調してくれなくていい。
手を取ってくれなくてもいい。
ただ横にいてくれたらいい。
……自分の事を知る人が、誰もいない町に行きたいと思うことがある。
きっとそこには、先入観のない、まっさらな自分を見てくれる人がいるはずだから。
私は…誰かにそっくりだという声を、忘れたいのだ。
私は、誰かありきの自分であることが、とても…不愉快なのだ。
見ず知らずの人しかいない、全くの新天地に落ち立った、その時。
対面した誰かに「あなたは0か100かの考え方をする人なんですね」と言われたら……。
たぶん…、きっと。
「それはどうしようもない血のせいなんですよ」と、声を大にして言い訳するに、違いない。




