episode:1『祖母の家』
「優心ー!アンタ1週間後には学校始まるんだから、あんまダラダラせずにさっさと荷物片付けちゃいなさいよー!」
「ういー」
母からのありがたいお言葉を背に、祖母に付いて行き姉の幸奈と共に自分たちの部屋へと向かう。
一歩ずつ進む度に床の軋む音が鳴る。
一体築何年の建物なんだろうか。
しかし古びた建物とはいえ埃臭さはしないし、目立った汚れも見当たらない。
祖母は一人暮らしのはずだが、まさか1人で完璧に管理してるなんて事があるのだろうか…。
祖母の家は前に住んでいた家から車で4時間超えの距離にあり、年に1回か2回くらいしか訪ねる事ができなかった。
直近では昨年の大晦日に来た以来だが、何度見ても邸宅の広大さには驚愕させられる。
10人家族くらいなら裕に生活できるであろう部屋の数と、母曰く50畳にも及ぶ腰の落ち着かぬ広過ぎる居間。
これを祖母1人で管理するのは流石に無理があるのでは…と思考を巡らせていると、まるでそれを見透かしたかのように前を行く祖母が振り向かずに答えた。
「お手伝いさんが来てくれるのよ。週に2、3回くらい、真宮さんのとこのお孫さんがね。寡黙な人なんだけどものすごい働き者でね。だからこの家には埃一つないのよ」
真宮さん!?
優心の記憶の蓋が猛スピードで開け放たれる。
「真宮さんってあのかりんとうドーナツの真宮さん!?」
「真宮さんは和菓子屋さんでしょ。なんでかりんとうドーナツが代名詞みたいになってんのよ」
すかさず姉がツッコミを入れる。
「いやあそこはかりんとうドーナツのお店だから!他の和菓子も美味しいけど、あれだけは別格!もういっそかりんとうドーナツ特化型のお店としてリニューアルして欲しいくらい」
「それ別にアンタが得なだけじゃない…」
「何か問題でも?」
「はいはい。ありませんよー」
隣を歩く幸奈が「やれやれ」と言った様子で肩を落とすのが視界の端で見えた。
何もわかっちゃいねえなこの女。
優心は心の中で真宮和菓子店マウントを取った。
祖母がケタケタと笑いこちらを振り返った。
「荷物置いて落ち着いたら優ちゃんイチオシのかりんとうドーナツでも買いに行こっか」
脊髄反射で敬礼する。
「異論なしであります!お婆ちゃん隊長!」
「あ、アタシの分も買って来といて」
「はい?自分の食いぶちが欲しいなら姉ちゃんも来なよ」
「やだよ。だって疲れたもん」
「ハイィ!?何その理由!?そんな理由で僕をパシろうっての!?」
「可愛い可愛いお姉様のためならば愚かな弟は喜んで労働に勤しむべし。これ、日本の憲法だから」
「いや聞いたことねえよ!!!てか誰が愚かな弟だ!」
「やかましいわね!こちとらロングドライブで体がカチコチなのよ!乙女の体をもっと労りなさいよね!!!」
「自分で運転したみたいに言うな!僕も姉ちゃんも乗ってただけじゃんか!」
「車という狭い閉鎖空間に朝の6時から4時間以上も閉じ込められてりゃ何もしてなくても疲れるに決まってるでしょ!バカなのアンタ!?」
「バカなのは姉ちゃんの方だろ!てかこんな高圧的でどこが乙女!?むしろゴリ…」
刹那、脳天をカチ割られたのかと錯覚する程の打撃に目の前が真っ暗になり、思わず膝をついた。
お星様が目の前を行ったり来たり。
あぁ、なんてキレイなお星さまなんでしょ〜…。
次に意識がハッキリした時には幸奈は祖母に連れられ自分の部屋へと入室していた。
まさか気絶させられていたのか…?
自分の姉は間違いなくゴリラの遺伝子を組み込まれた混合生物だと確信した。
祖母が優心の元へと戻ってくる。
「大丈夫かい?優ちゃん」
「お婆ちゃん…僕の脳みそ見えてる…?」
「ん?んー…大丈夫!少しだけしか見えてないよ!」
「少しは見えてんのかい!!!」
気を取り直して優心の部屋へと向かう2人。
すると階段の手前で祖母が立ち止まった。
「優ちゃん」
「ん?」
「前から何度も言ってると思うけど…」
「あぁ、2階には上がっちゃいけないんでしょ?わかってるよ」
「あら、覚えててくれてたのね。ありがとう」
「まぁね。小さい頃、2階に上がろうとした時にお爺ちゃんに怒鳴り散らされてから、忘れたくても忘れられなくなったよ」
「あの人はほんと頭に血が昇るとすぐ声を荒げるからねえ…。でもそれのおかげで優ちゃんの意識にそれが留まり続けてくれるのなら結果オーライというやつだね」
「2階に何があるのか…それも聞いちゃいけないんだっけ?」
「……」
答えるか否かを考えている間なのか、祖母は少しだけ口を紡いだ。
7秒ほどの間の後、優心を見てイタズラっぽく笑って言った。
「まぁ…知らぬが仏ってやつだね」
困ったことに優心は知的好奇心が人の5倍ある。
こんな形で誤魔化されたら、例え死んだ祖父が墓から骸骨のまま蘇り、再び檄を飛ばして来ようとも2階に上がらざるを得ない。
でないと『知りたい欲』に蝕まれて優心は呆気なく過呼吸に陥り、そして…ポクポクチーンだ。
…とはいえ、これからここで生活させてもらうのだ。
家のルールに従うのは礼儀。
優心は腹に力を込め、自身の知的好奇心を封殺せんと格闘した。
胸の内で暴れる『知りたい欲』と格闘していると、どうやら部屋に辿り着いたらしい。
戸を開けると目の前には大きな窓が設置されており、遠く向こうの山々と眼下に広がる田園風景が見えた。
小高い丘に家があるとこんなにも清々しい光景と日々を共にできるのかと優心は感心した。
「今日からここは優ちゃんの部屋だからね。自由に使ってちょうだい」
「うん。ありがとう、お婆ちゃん」
「それじゃ私は居間で陽香さんと一緒に荷物の整理をしてるから、何かあったらいつでも呼んでね」
「うん。ありがとう……お婆ちゃん」
「ん?」
「これからよろしくお願いします」
優心は深々と頭を下げた。
それに倣うように祖母も頭を下げた。
「こちらこそどうぞよろしくお願い致します」
肩にかけていたボストンバッグを部屋の隅に置き、畳の香り豊かな部屋の中心で大の字になった。
ここに来て、ようやく心と体が落ち着けた気がする。
まだまだこれからやる事はたくさんあるが、一旦はこれにて区切りがついた。
少しだけ目を閉じる。
『居場所を持つ人になれ———』
目をパチリと開け、ポケットからスマホを取り出す。
『居場所』の意味を検索にかける。
『居場所』とは『単に物理的にいる場所でなく、「自分はここにいていい」「安心できる」「受け入れられている」と感じられる心理的な空間や関係性を指す言葉』らしい。
優心の存在が誰かにとっての安心できる場所になれるように、そんな人間になれ。
父はそう言おうとしたのだろうか。
答え合わせはできない。
「せめてどういう意味なのか説明していって欲しかったよ…父さん…」
再び目を閉じると、思い出されるのはやはり釣りをしたあの日の光景。
葬式の日の記憶はもうすでに曖昧で、記憶が呼び起こされる事はなかった。
しんみりするのは好きではない。
優心は気合を入れ直して居間へ向かった。
居間では祖母と陽香が協力して荷解きをしており、お昼ご飯を何にするかの相談をしていた。
「気分転換にちょっと散歩して来る」
陽香が優心に気付き作業の手を止める。
「真宮さんのとこに行くの?場所わかる?」
「年に1、2回しか行かないとはいえさすがにわかるよ」
「そっか。じゃあこれ」
陽香は財布から3000円を取り出し優心に手渡した。
「お姉ちゃんの分も買って来てあげて」
「仕方ない。出不精な姉の為に労働してやりますよ」
「ありがとね」
家の奥から「誰がデブだってー!?」という声が聞こえたが無視して玄関へと向かう。
陽香は居間の入り口から上半身だけ乗り出して玄関口の優心にヒラヒラと手を振った。
「真宮さんによろしく伝えておいて!」
「はいよ」
「気をつけて行ってらっしゃい」
「うん。行って来ます」
庭園を抜け、まるで武家屋敷の厳重かつ荘厳な門をくぐると、眼前には煌めく緑と、透き通る青が上下に重なり遠くの方へ突き抜けていた。
生まれも育ちも便利で退屈な郊外の街に住んでいた優心はこの景色に包まれている陰陽町が大好きだった。
地元の友達との別れは何より辛かったが、心機一転、ここで新たな友達作りに励もうとゆっくりと深呼吸した。
空気が美味しい。
優心は大好物が待つお店へと足を向けた。




