闇夜に彷徨う影
Side ???
「由々しき事態だ。あの方の管理下にあった組織が最近軒並み潰されている。その中にはあの方直々に武術を授けた異能者もいたのだが……」
「ただの雇われ傭兵のボクにそんな知らない単語連呼しないでよ。あの方とか言ってるけどボクは会ったこともないんだから」
「…………まあ、要は敵が現れたということだ」
様々な資料が本棚に収められている薄暗い執務室で、手を組みながら椅子に座る中年の男と、毛先をくるくるともて遊ぶ少女が向かい合っていた。
少女の雇い主である男は、雇い主であるのにも関わらず生意気な態度の少女に青筋が立つが、全ての不満と怒りを堪えて簡潔に内容を伝える。
「敵の規模は? 組織名は? どーせボクに潰してこいって言うんでしょ? さっさと潰してくるからお金は弾んでよね」
指でお金マークを作りつつ、呆れたようにそんなことを言う少女に向かって男は数十秒ほど押し黙ると、何とも気まずそうに答えた。
「……分からん」
「え?」
「ありとあらゆる証拠が消されている。おまけにどうやら奴らは特異の連中と手を組んでるようでな……現場の検証も一筋縄ではいかないんだ。……ただ特異とは別に組織立って行動していることは把握している」
男の言葉を聞いた少女は「あのさぁ……」と怒り心頭で腕を組みながら男を睨みつけた。
「ボクは万能じゃないんだけど? 敵組織の規模も名前も把握してない時点でボクを呼び出すとか正気なの? 別にボクは君の味方でも無ければ友達でもない。ただの雇用関係なんだけど? 君より条件の良いところが見つかったら今すぐにでも乗り換えたって──」
「──双葉総合病院」
「……ッ!?!?」
「分かるだろ? 君の妹が入院している病院だ。君は巧妙に隠しているみたいだが、人為的な痕跡を消すことには慣れていないようだな。こっちは非異能者の構成員だって大量に抱えてるんだ。あんまりウチを舐めないことだ」
「お、お前ェ……ッ!!!」
──ボウッ!!
刹那、少女の手からバスケットボールサイズの炎の球が噴出する。ゴウゴウと燃え盛るソレは、たとえどれだけ熟達した練度の傭兵であろうと骨まで残さず焼き尽くすほどの威力を誇っている。
怒りと憎しみ、そして圧倒的なまでの熱気を浴びてもなお、男は自分に分があることを正確に理解していた。
「……俺が死んだ瞬間、お前の妹が生きている保証は無い。こんな世界で長く生きてんだ。俺が命乞いすると思ったら大間違いだぞ」
「く、くそっ……!! ……わかった。お前の言うことには従うから妹にだけは手を出すな。もしもボクの妹……花音に何かあってみろ……世界がぶっ壊れるまで暴れてるやるからな……ッ」
「それはお前の働き次第だ。……そうだな、とりあえず例の組織を追え。情報が入り次第、逐一部下に伝えさせる」
少女は未だ堪えきれぬ怒りを内に抑え込みながら、男の言葉に静かに頷いた。
☆☆☆
「───おや、いらっしゃいませ」
「よう、マスター。邪魔するぜ」
暇すぎてピカピカのグラスを更に磨き上げることに専念していた俺は、不意に扉を開けて入ってきたヤニおっさんこと白木巡に内心驚きながらも雰囲気を壊さぬように冷静に挨拶をする。
このおっさんは刑事役という現代日本の秘密結社ごっこでは欠かせない──謂わば人権キャラみたいな役回りをしてくれる貴重な人材である。
警察組織内で秘密を知りながら見逃してくれるハードボイルドなヤニヤニしいおっさん……本当にシャルミナはどこでこんな良い人材を見つけてきたんだろうか。
厨二病専門のハローワークとかあんのかな?
「先日はどうも。後処理のほう、助かりました」
「……ああ、別に良いぜ。俺たちもお陰で助かった。──というかマスターに畏まれるのは慣れねぇな。普段通りの話し方で構わないが……」
「おや、なんのことでしょうか。ここではただの、しがないバーのマスターに過ぎませんよ」
「ははっ、食えねーヤツ」
ヤニおっさんは苦笑すると、慣れた手つきで懐からタバコを取り出すと、ライターも何も無しにいきなりタバコに火がついた。
うおっ!! 演技に余念がないやつだな!!
もしかたしら紙タバコっぽい電子タバコ的なヤツだったりすんのかな? いきなりタバコの先が赤くなったし……指先から炎出すとかではなかったし。
「そんじゃマスター。キティを頼むよ」
「かしこまりました」
ヤニおっさんがお酒を注文してきた件について。
勿論俺は資格を持っていることもあって、様々なお酒に精通しているという自負がある。
ヤニおっさんの頼んだ酒はキティ……まあ、要は赤玉パンチ的なヤツだな。赤ワインとジンジャーエールを1:1で配合したシンプルかつ飲みやすいお酒で、カクテルとして結構色んな人に愛されている。
俺もたまに自分で作って飲むくらいには好きだったりする。
そこまで度数高くないしな。
俺はパパっとこれまた慣れた手つきでキティを作り上げると、カクテルグラスに綺麗に注ぎ込み、おまけにレモンを乗せてヤニおっさんの前に差し出した。
「こちらキティです」
「あんがとよ。……美味いな。古今東西、仕事の付き合いも含めて色んなバーを回ってきたが……マスターの作る酒はやけに美味い」
「恐縮です」
嬉しいこと言ってくれるじゃねーの、ヤニさん。
20代前半のペーペーが貰う言葉としては過言すぎるような気はするが、きっと演技を含めたお世辞だろうということは流石の俺でも理解できる。
バーテンダーというのは奥の深い職業でな。
同じ量で配合しても、腕の良いバーテンダーと腕の悪いバーテンダーで味に大きな差が生まれるほどに、作り手が重要であり細やかな手先の感覚が重要になってきたりする。
それゆえに、どうしても経験が物を言う世界だ。
俺みたいなバーテンダー歴一ヶ月の素人が、長く生きてきたであろうヤニおっさんの舌を唸らせるほどのお酒を造れるかと言われればそれは否である。
まあ、学んだのは何年も前からだけども……。
いや、なんか俺が色々学んだ師匠的な人って自分で「伝説のバーテンダー」とかイタい肩書名乗ってたけど絶対嘘松だろうしな……。
そんな過去を想起していると、ヤニおっさんはタバコを咥えながら少しばかり真剣な表情で本題を切り出してきた。
「今日はマスターに報告があってな。例の研究員──白取由美が無事に目覚めた。裂傷や打撲は酷かったが、幸い後遺症なく治るとのことだ。異能実験の被害者……ナインも大層喜んでたよ」
「……それは何よりの僥倖です。──辛い別れはたった一度で良い。あの娘は少しばかり、失いすぎている」
「ああ、俺もそう思う。病院内じゃナインは引っ付き虫のように白取さんを追いかけ回しているよ。姉妹みたいで微笑ましいってもっぱらの噂だ」
ふむふむ、それを伝えに来てくれたわけか。
てっきりプライベートで遊びに来てくれた可能性とかもあるのかな? って一瞬思ったけどバリバリに演技だったわ。
そら俺のお酒を褒めまくるわけだ。ちょっと悲しいネ。
にしてもハッピーエンドで良かった良かった。
後味の悪いエンドは俺も求めていない。
ちゃんちゃん、と大団円で終わるのが俺の理想であり、演技を続ける上での信念でもある。
やはりシャルミナが不殺を掲げてくれたのが大きいな。
お陰で何をするにしても人を殺したという負い目が付いて回ることはない。演技だしそんなん一々気にしていられねぇだろ、と思うかもしれないが、後顧の憂いを断つことにデメリットは存在しないからな。
やらなくて良いことは極力やらんくていい。
「……もしかしたらナインはこのまま白取さんと一緒にいるのかもな。マスター的には……どうなんだ?」
「どう、と言われましても……私はあの娘に道を示しただけですよ。それは決して下心あってのことじゃない。あの娘が恩人とともに生きると決めたのであれば、私にその道を歪める権利はないですから」
まあ、メタ的に言うと後で合流する形になると思うぜ!
……メタすぎるか。うん、メタすぎるからこその今の発言なんだけどね。もしかしたら一身上の都合でガチで身を引く可能性もあるからな。
ナレ死ならぬナレフェードアウトも今の状況だったら全然考えられる。
だからこそ俺ができることは待つことのみ。
待ってればええねん。なるようになる。知らんけど。
「……ったく、なんでこんなヤツが裏社会にいるんだかな……こういうヤツこそ警察組織で力を振るってほしいものだが……」
ヤニおっさんはため息を吐きながら何かを呟いた。
うむ、今のは俺にも聞こえたぞ。
「公権力に縛られるのは柄ではないのでね。私は私の信念を持って行動すると決めているのさ。そこに善意も悪意も存在しない──おっと、失礼いたしました。ふふ」
「ははっ、聞こえてたか。まあ、安心しろ。俺にお前たちを逮捕する気はない。警察としてどうなんだ、って思うかもしれねぇけど……そう思うにはお前たちに肩入れしすぎた。手遅れっちゃ手遅れってわけだ」
灰皿にタバコを擦り付け火を消したおっさんは、戯けたように笑みを見せると、ぐびっとグラスに残ったキティを飲み干すと立ち上がる。
「世話になったな。また来る」
またも一万円札をテーブルに置くという気前の良さを見せつけたおっさんに、俺は仮面の下でニヤリと笑いながら応えた。
「ええ──良き隣人として」
「──ッ! ……あぁ、良き隣人として」
ちょっと嬉しそうなおっさんが俺に返事をすると、ぴょんぴょんと跳ねるような軽い足取りで部屋を出ていった。
いくらイケオジでもその足取りはどうなんや……。




