抱擁
──時が来た。
そう言わざるを得ない。
何がって?
そりゃ決まってるだろう。
今日の日付は5月25日。
すなわち──給料日である。
☆☆☆
「うーん……結局シャルミナの給料どうしようかな……」
俺はボンッ、と無造作に机の上に置かれた札束を目の前にして頭を悩ませていた。別にお金が降って湧いたとか、怪しいところから大金を借りた……というわけでもなく、ただ単にシャルミナに支払う給料をどうしようかなと悩んでいただけである。
秘密結社の資金と言えば後ろ暗いものをイメージしがちだが、俺の資産は真っ当に手続きをして得たものだから闇金ではなく光金……でも遺産だから大手を振れるわけでもない……という何とも微妙なお金の出処である。
ええと……シャルミナがウチに入ったのが4月27日……時給3000円で8時間労働の1時間休憩……合計勤務日が18日だから……喫茶店のバイト代だけで言えば378,000円だな。
手計算だから正しいかは後で調べるとして、問題は秘密結社としての給料をどうしようかなぁってところだ。
一旦俺の俺の資産から逆算して破産しないような計算をするか。……なんか夢のない計算だけどまあ仕方ない。
現金だけだと、相続税だとかその他諸々の税金を差し引いて数十億。……そして、爺さんの家にあった何やら高そうな骨董品だとか価値のあるモノを全部売っ払うと、専門家によれば数百億にまで上る可能性がある……だとか。
それってもう日本でも有数な資産家じゃねーか、と俺はツッコミたくなったが、爺さんを知っている税理士の人によれば、マジで日本でも有数な資産家だったらしい。
俺と会ってた時はそんな素振り一切見せてなかったのに……。
爺さんは爺さんで一体何者なんだろうか。
「当初の予定は月400万だったけど……この前の研究施設襲撃任務の規模を考えたらワンチャン足りない可能性がある」
どうやら俺が謎の武術の構えをして遊んでいた裏で、シャルミナたちはかなりドンパチやっていたそうで、後でチョロっと痕跡を見てみたら──なんか知らんけど爆発したみたいな跡とかボロッボロの壁が見えたから、それの修繕費とか……そもそもあの研究施設を借りるお金も含めて相当な出費だったに違いない。
……くっ……億単位で支払うか……?
いや流石にそうなるとメンバーを増やした時に資産が尽きる恐れがあるな……。
何らかの手段で増やす……いやダメだ。
素人が株とか投資に大金を突っ込んで成功する未来が見えねぇ。画面の前で泣き喚いて破産するのがオチだろう。
ちょっと勉強する程度で稼げるなら今頃世界は大金持ちだらけだろうし。
俺は単に大金を継承した一般人に過ぎない。
身の丈に合わない行動は秘密結社ごっこ以外では慎むべきだ。
「よし……一旦今月は500万だ!!! 決めた!!!」
あとは働き次第でまた昇給することにしよう。
うーん、1年で6000万か……あんな規模の研究施設を借りたり演者を雇っているんだからシャルミナにとっては端金かもしれないけれど、少なくともこのお金がシャルミナの懐を少しでも潤してくれると嬉しいと俺は思っている。
☆☆☆
「ねえ、ボス」
「どうした?」
「ボスってどこで料理を学んだの? やけに美味しいのだけれど」
「作り続けていればこの程度の技量を手にすることは容易い。料理は経験だよシャルミナ。君も時間がある時にやってみれば良い」
「……ボスが教えてくれるなら」
「別に構わないよ」
するとシャルミナはどこか機嫌良さげに顔を綻ばせた。……もぐもぐとリスのように俺が作ったハンバーグを頬張りながら。
ナインといいシャルミナといい、俺の作った料理が謎に好評なのは普通に嬉しいから良いとして、ただ単に一人暮らしの経験が今に活きてるだけなんだけどなぁ……。
まあ、一人暮らしの大学生でちゃんと毎日自炊をする人間は今じゃ少数派だから、その点で言えばもしかしたら他の人達より経験を積んでいる可能性は無きにしもあらずだが……別に特別なことはしてない。
「そういえばボスっていつも仮面をしているけれど、ご飯食べる時とかどうしてるのかしら? まさか口の部分だけ着脱式とかでは無いわよね?」
「普通に外して食べているさ」
不意にそんなことを聞いてきたシャルミナは、疑わしそうにじーっと俺の顔を見ると、少し遠慮がちに再び問いかけてきた。
「……その、どうしていつも仮面をしているのか……聞いても良いかしら? も、もちろん何か事情があるなら深くは聞かないわ」
むっ、難しい質問をされたな……。
なんか今更素顔見せるの恥ずかしいからずっと仮面をし続けている……なんて言えないしな……悔しいことにこの仮面が秘密結社のボスっぽい雰囲気を作り上げていると言っても過言ではないし、俺は余程のことが無ければシャルミナ含む秘密結社メンバーに素顔を晒さないようにしようと思っている。
第一俺の素顔を見たいやつなんていねーだろ。
見たところで「あ、フツメンなんだ……」ってガッカリされるオチがあまりにも目に見えすぎている。
俺が秘密結社のボスになろうと決意したその瞬間に、謎に白髪に染めてみようかな……とか一瞬思ったけど、白髪で雰囲気が出るのは顔がイケメンだから、という悔し悲しい真理に気づいちゃったからやめたよね。
さて……それにしてもなんて答えようか……。
目が疼くから……とか言いたいけど、視界確保のために目は露出してるからそういう言い訳も使えない。
まあ無難な設定でも生やしておくか。
「……《《ヤツ》》と対峙した時に深い傷を負ってね。もうすでに治ってはいるが……私は決めたのだ。──ヤツに再び見え、借りを返すまでこの仮面を着けようと。その時ようやく、怨嗟に塗れた目ではなく、希望に満ちた瞳でこの世界を素顔で見ることができるのだと」
「ボス……あなたも……」
頭を高速で回転しながら捻り出した設定はどうやらシャルミナにクリーンヒットしたようで、真剣な表情で瞳を揺らしながら何かを考え込んでいた。
ふっ……これこそが秘密結社ごっこをしている人間にしかできない遊戯──"設定のパス"である。
これをすることで、相手はパスをした相手の設定に順じた回答をする必要性が出現し、脳みそを超高速回転しながら返答しなければならないのだ!!
まあ、シャルミナならパーフェクトコミュニケーションを取ってくるだろうと思うがな。そこは心配してないしする必要もない。
俺が様子を伺っていると、シャルミナは不意に立ち上がって俺の元へと近づいてきて──ぎゅっと優しく俺を抱擁してきた。
えっ………………?
「皆まで言わないわ。絶対に一緒に、ヤツを倒しましょう。──あたしたちは復讐に生きる者だけれど、仲間がいるだけでそれは明確な大義になるから」
そんな赤信号を皆で渡ったら罪じゃないみたいな理論を唱えられても……。
……ハッ、危ない。抱擁された動揺でクソみたいな感想を抱いてしまった。そんなことよりシャルミナの答えをよく聞いて考えるんだ俺。
──シャルミナにとっての復讐。
それは彼女が言うように生きる意味であり意義。
これまでシャルミナは孤独に復讐を追い求めていた。
しかしそこに現れた俺という共通の敵を持った仲間が現れ、シャルミナはただ自身の憎しみと苦しみを晴らすためにしていた"復讐"の意味が個人的な感情によるものではなく、俺と共に叶えるべき"大義"へと変わった……要するに大義名分を得た……という解釈で良いだろうか。
うーん、分からん。
たまに出るシャルミナ語録は俺もあまり理解していない。
闇に生きる者として厨二病の深層心理を理解しようと俺も頑張ってはいるのだが、独自的な解釈を含んだ文章を解読するのは非常に困難と言える。
楽しいから何でも良いんですけどね。
……ふぅ、初めて母親以外の女性に抱き締められた動揺で長文早口になってしまった。全部心の中だから一切喋ってないけど。
勿論俺は秘密結社のボスモードであるため、言動も行動も動揺からヘマを犯すことはないが、それでもお腹付近に当たる柔らかい感触とか、深緑の森にいるような良い匂いが漂ってくる感覚までシャットアウトすることはできない。
「……気を遣わせてしまったかな。私のことは平気だ」
「あたしばっかり甘えているみたいじゃない。ボスはもう少し人に頼ることを覚えた方が良いわよ」
「……いつも戦闘は君頼りだった記憶があるがな」
俺から離れたシャルミナは、頬を膨らませて母親が子どもに叱るような仕草で言った。
「そういうことを言ってるわけじゃないわよっ。精神的な部分の話。……あたしだってたまに過去を夢で見て恐怖することだってあるわ。でもボスという仲間がいるから安心できる。最近は悪夢も見ないようになってきてる。……じゃあボスは一体誰を心の拠り所にできるの?」
えっ、シャルミナだけど……。
俺は心の中で動揺しながら即答した。
場のセッティングと演者の手配……自身を使った極めて緻密な設定と厨二病を完璧に理解したムーブと言動……プラス要素として、美少女エルフとかいう男なら誰でもワクワクドキドキする設定──、
──めちゃくちゃ心の拠り所なんですけど。
とはいえそんなメタすぎる言動はできないので、俺はセクハラで訴えられないことを真に願いながら、シャルミナの頭にポンッと手を置いて優しげな声音を意識して言った。
「私が君の真意を知らなかったように、君も私の真意を知らないようだね。──どれだけ私が、君という存在に助けられているかを」
「…………っっ、うそ……」
「嘘じゃない。この世で最も信頼しているさ」
するとシャルミナはなぜかうっとりしたような表情で俺を見た。
……え、どういう表情……? わ、分からん……。
ビジネスパートナーとして一番信頼してるのは当たり前のようにシャルミナだし……シャルミナにとっても、俺がその信頼の対象に入ってたら良いなぁ……って思いながらの言葉だったんだけど……。
いやそうか……演技か。当たり前の話だ。
秘密結社のボスとして、部下の心の声を聞いて叱咤激励をする……その結果として、部下がボスを更に信頼するようになるというシナリオに何の不備もないはずだ。
きっとシャルミナをそれを表情だけで示したに違いない。
やれやれ……俺もまだまだだな。
でもちょっとその表情は俺の目に毒なので、俺はゴホンと軽く咳払いをしてからずっと温めていた本題を切り出した。
「──と、言うわけでだ。この世で最も信頼している君に、働きに見合った報酬を授けねばいけまい」




