焼き尽くされた過去を乗り越えて
Side 白木巡
俺が自分の力を自覚したのは高校生の頃だった。
"異能"ってもんは大体生まれ持った力がほとんどだが、何らかのきっかけによって異能が目覚めずに一般人として過ごしていることもある。
俺もそうだった。
高校生の時、火事になった民家から老夫婦を救出しようと消防の到着も待たずに駆け込んだ時──"異能"が覚醒し、俺の体は一切の炎を弾き飛ばした。
当初はまァ……ワクワクしたもんだった。
俺も普通に漫画を読んだりアニメを見ていた少年だったわけでな、不思議な力に目覚めて人々を救うなんつー妄想を授業中にしていたこともあったか。
だからこそ、自身が"異能"に目覚めた時、俺は誰よりも強くなって悪を打ち倒して英雄になるんだ──なんて、今思えばクソみたいな夢を見ていた。
「白木くん。卒業後、特異に入りませんか?」
「特異? 何ですかそれは」
「日々起こる異能による犯罪──それを防ぐため、警察組織が秘密裏に作ったものです。あなたの異能《軻遇突智》は途轍もなく強力なものです。それを使って、人々の役に立ちませんか?」
その後、俺は特異──特別異能対策課にスカウトされた。
……後の警視総監、雨垂来栖は俺にそう言って手を差し出した。
警察が俺の力を求めている。
そう判断した俺はその手ににべもなく飛びついた。
公的権力の許可のもと、"異能"などというカッコいい力を存分に振るえるのだから、当時の俺は何も考えずに飛びついた。
☆☆☆
「おぇぇぇ……!!」
そして異能犯罪というものの惨たらしさに、俺は吐き気を催した。
──異能による犯罪は証拠が残らない。
それ故に、どうしても警察組織は後手に回ることが多かった。
……四肢がひしゃげてバラバラになっていたり、身体に幾つもの大穴が空いていたり……人間の尊厳が著しく奪われたような死体だってあった。
「こんなものが許されてたまるかよ……」
俺は酷く憤った。
そして、警察組織の対応の遅さに吐き気がした。
どうして何かが起こってからしか対処できない? 未然に防いでこそ人々を救う英雄だろうが!!
……パトロールくらいじゃ話にならねぇ。
もっと自ら動いて、異能犯罪者を見つけにいかねぇと。
俺は怒りのまま独断専行を始めた。
最初は「仕方ないやつ」とため息を吐かれていたが、徐々に特異の先輩方は捜査を引っ掻き回す俺のことを疎み始め、次第に毒を吐き出した。
「はんっ、何もできてねぇ臆病者が騒いでら」
その捜査が役に立って実を結ぶことなんて少ないだろ。
俺は先輩方を軽蔑した目で見ていた。
ああ、バカだった。当時の俺はひたむきなバカだった。
だがバカなりに俺は成果を出した。
──出してしまった。
──5年で俺は異能犯罪を178件未然に防いだ。
快挙だ。
俺は周りから特異のエースだの英雄だの持て囃された。
別に今や他人の称賛を求めていたわけではないが、助けた人々から涙を浮かべて感謝されることは悪くなかった。
これこそが俺が理想としている警察のある姿だ。
当時の俺はそんな自分に酔っていた。
俺なら誰でも救える。何も動こうとしないダラけた先輩たちなんかとは違うんだ、と。
「……白木。お前の行動を俺は責めやしない。独断専行だろうが何だろうが、お前が人の命を沢山救ってきたことは称賛されるべきだ。……だがな、お前がその命を救ったせいで、多くの人の命が犠牲になっていることを、どうか分かってくれ」
────何を言っているんだコイツは。
俺が命を救ったことで、もっと多くの人の命が犠牲になるって? ……ハッ、バカバカしい。妬みは見苦しいぜ先輩方よぉ。
俺はそう馬鹿にしていた。
意味が分からなかった。
命を救ったのだから良いじゃないか。ハッピーエンドだろ。
「それに……今のお前は見ていて危うい。そんなんじゃいつか、致命的な失敗をしてしまうぞ。俺はそんなヤツを沢山見てきた」
「はいはいはい、忠告ありがとうございます」
ひらひらと手を振って、俺は先輩の言葉を受け流した。
……酷く、悲しげな目をしていた。俺はそれがどうにも気に食わなかった。
☆☆☆
「はっ……はっ、逃げんじゃねぇよクソが!!」
「くそぅ……なんでこんなところに白木巡がいるんだ……!」
連続誘拐殺人事件。
その犯人が異能犯罪者だということを掴んだ俺は、情報を頼りに早速その犯人の根城を突き止めて逮捕しに行った。
ヤツは俺の顔を見るなり逃げやがった。
どうやら異能犯罪者の間でも俺の顔は伝わってるらしい。そりゃあれだけ異能犯罪者を捕まえれば警戒されていてもおかしくはない。
……犯人は何らかの異能を使用しているのか、異常に逃げ足が速く、追い縋ることで精一杯だった。
「はぁっ、はぁっ……あぁ? ここがアイツのアジトかなんかか?」
犯人はとある廃工場に入っていった。
仲間がいるのか、何かの武器があるのか。
どのみちようやく追い詰めた。ヤツは袋の鼠だ。
「チッ……白木巡ぅ! こいつの命が惜しければ大人しくその場から立ち去りやがれ!」
「人質か。いかにも犯罪者が考えそうな浅い手段だな」
「だ、黙れッ!!! ほうら、良いのかぁ? お前のせいで人の命が失われるぞぉ?」
「た、たすけて……」
人質にされているのは高校生くらいの少年だった。
恐怖に怯え、カタカタと震えている少年は、ナイフを突きつけられて脅されていた。
……チッ、人質を見捨てることはできねぇ。
それは俺が求める英雄からは程遠い。だが犯人を諦めることも英雄としてできやしない。
……そうだ何をビビってるんだ俺は。
あの腑抜けた先輩方だったら、大人しく交渉したりビビりながら泣き言を漏らすに違いないが──俺は違う。
俺は特別なんだ。英雄なんだ。
アイツだけに炎を当てて人質を救い出すことなんて容易い。
「《軻遇突智》──【雷火】!!」
ピンポイントで炎を照射する技を俺は放った。
これなら人質を傷つけずに犯人だけを狙い撃ちにすることができる。
ああ、今回も人を救えた。
そう安堵した瞬間、犯人は驚異的な身体能力で人質の少年を盾にして俺の技を防いだ。
「がっ……ど、どうして……」
「は、ははははっ!!! 人質に異能ぶち込むなんざひでぇ警察もいたもんだよ!!! じゃあな人殺し!!」
「……はっ……?」
異能は少年の腹を突き抜け立ち消えた。
そして俺が呆然としている間に犯人は俺を挑発しながら逃げていった。
──守るべき力で、守るべき人を傷つけた。
それは何よりも俺にとって許し難いことだった。
「……そ、そんな……」
目の前が真っ暗になったようだった。
何も考えられない。自分のアイデンティティが死んだみたいだ。
「──白木ィ!! 何してんだお前ェ!! おい、菅、救急車を呼べ」
「はいっ!」
どうやら特異は秘密裏にこの場所を掴んでいたようで、行方不明者の救出のために動いていたようだった。
俺が愕然としている様子を見た先輩は、激怒をあらわにして俺の胸ぐらを掴んで立たせると思いっ切り頬をぶん殴った。
「……っ」
「てめぇの勇み足のバカで捜査が撹乱される!! 俺たちは異能犯罪者を倒す傭兵じゃねぇ!! 異能犯罪によって被害を受けた一般人の保護、救出が目的だ!! てめぇが組織立って動いてる異能犯罪者を片っ端からぶっ倒してるせいで捜査が進まねぇんだよ!! ──てめぇの行動は間違ってねぇよ。小を犠牲に大を救おうとしている俺に、てめぇを罵る資格はねぇよ」
先輩はそして倒れている少年をチラリと一瞥すると、青筋を立ててもう一度俺のことをぶん殴った。
「なんだこの醜態はァ!! てめぇは人を救うんじゃなかったのか!? そうと決めたらやり抜け!! 失敗をするな!! てめぇの失敗の代償は一般人の命だ!!」
もう一度先輩は俺を殴ると、舌打ちをしてその場から立ち去った。
☆☆☆
人質の少年は治療が間に合い無事に助かった。
だが俺の罪が消えるわけではない。
俺は少年が療養している病室に土下座をした。
「すまねぇ……!!! 全て俺のミスだ……!! バカだった、本当にバカだったんだ俺は……!! そのせいで君を傷つけてしまった……消えない傷まで与えてしまって……!!」
「あ、頭を上げてください。あのまま連れて行かれていたら僕はきっと殺されていたでしょうし、あなたが僕を救ってくれたことには変わりありませんから」
少年はそう言ってくれたが、俺は自分を許すことができなかった。
今回の件で俺は先輩が常に未来を見据えて捜査していたことが分かった。それを俺はずっと邪魔をしていたのだ。
小を犠牲に大を救う。
それが合っているとも間違っているとも俺は言えない。
俺が少なくとも人の命を救ってきたことは間違いではないと言える。
だが、こんな独断専行のせいで守るべき人を傷つけてしまうなら……もう、こんなことをやめてしまうべきだ。
俺はそう決断した。
それから俺はしばらく《軻遇突智》を使うことができなかった。
蘇るのだ。少年を傷つけてしまったことを。
また誰かを傷つけてしまうのが怖い。
そう考えると炎を使うことができなくなってしまった。
☆☆☆
──あの時と同じだ。
俺は人質を取られ、どうするか決断を求められている。
「あんたそれでも刑事かしら? 助けられる人を全力をかけて助けるのがあんたたちの仕事でしょ」
……その通りだ。その通りだよ。
でも俺にはできないんだ。
一度取り返しのつかない失敗をしてしまうと、何をするにも"失敗"という言葉がよぎってしまう。
あの時と違うのは、この仮面のお嬢さんがいることだ。
きっと俺が遠距離からヤツを狙撃するのをフォローしてくれるだろう。
だとしても……俺にはできない。
怖い……自身の異能が守るべき一般市民の肌を焼き、倒れ伏すことが。見たくない。顔を背けてしまいたい。
あぁくそ、情けねぇ。
口の端から煙る紫煙が、俺を嘲笑っているように見えた。
「────随分と、情けない顔をしているな」
──バキンッ! と破砕音が聞こえた。
ハッ、と顔を上げるとそこには──ベニヤを蹴り破って竿実の後ろに立つ、例の怪しげなバーのマスターが立っていた。
「……ボス!?」
「なんだお前はァァ!!!」
隣に立っている仮面のお嬢さんがマスターのことをボスと呼んだ。……やはり二人は繋がっていたのか。
マスターの立ち姿は自然で、とてもじゃないが実力者の気配はしない。……ただ者ではないことだけは分かるが……。
……マズイ、な。
竿実の電撃は強力だ。それゆえにあのただ者ではないマスターとはいえ負傷は避けられない。
……特異としてのほんの僅かに残った矜持が、少しばかり俺の心に火をつけた。
「逃げろマスターッ!! ヤツは強力な電撃を操る……!!」
「もう遅い……誰だか知らんが死ねェ!! 《イナヅマ》!」
竿実は後ろ手に雷による波状攻撃を仕掛ける。
当たれば感電は免れない。
しかしマスターはふと、黒い手袋を付けた手をかざすと、片手で雷を受け止め掻き消した。
「なっ……!! なぜ効かない……!!」
驚く竿実を放っておいて、マスターは仮面越しに俺をじっと見つめた。
「──今を見ろ。君なら救える」
「──っっ、今を……」
その言葉はまるで俺の過去を知っているかのようだった。
……その上で俺に今を見ろと言ってきた。
焼き尽くされた記憶の中に眠る過去ではなく、現在を見ろと言うのか。
……そうだな俺は。
言って欲しかっただけなんだ。
俺なら救えると、誰かに信じて欲しかっただけなんだ。
ぽたりと地面に落ちかけたタバコに、"異能"の力を加える。
もうあんな失敗は二度と起こさない。
マスターに意識を奪われている今こそが絶好の機会。
ジュッ……! と音がして、タバコは赤く光輝いた。
それを手に持ち、俺は静かに唱えた。
消したい過去を受け入れ、前へと進むための祝詞を。
「《軻遇突智》──【星火】」
「ぐぁっ…………!!」
高速で放たれたタバコが正確無比に竿実の額に当たり、ヤツは大きく上体を逸らして人質から手を離す。
そして俺が声を掛けるまでもなく、仮面のお嬢さんはすでに刀を抜いていた。
「【花吹雪・余花の慚愧】」
──抜刀一閃。
俺ですら目で追えない神速の一撃が放たれ、竿実は倒れ伏してドシン……と微かな土埃を上げ、もう動くことはなかった。




