厨房
お風呂を上がったら小麦色の三つ編みおさげを編み直して、脱衣所に用意された新品の服を手にした。
今日は村娘の服が用意されたみたいで、肌の露出も低かった。
毒針とかは残ってなさそうだし、早速袖を通したけど……魔族の仕立てた人間の服なのに、裾の広がった布のワンピースは可愛くて動きやすい。皮のブーツも仕立てが良いのか、足が軽くすら感じた。
試しに剣を振ったけど、スカートのはずなのに布地が邪魔にもならない。
私用の服を魔王城のお針子に作らせてるって聞いてたけど、手が込んだ作りについ感心しちゃった。……魔族にも腕のいい職人がいるのかもしれない。
着替え終わって魔王と一緒に部屋を出ると、二人で廊下を歩いた。
程なくして食堂に着いたけれど、昨日ひたすら戦ったことでお腹が空いているから、今日も豪華な朝食をいつも以上に大食らいしてしまった。
……でも、安心して食べられるのは野菜だけ。
だから血肉になるものが少なく感じて、満たされない。
肉や魚をつい目で追って考えてしまうけれど、何が材料かわからない今は必死に目を逸らした。
食材が分かってから、口にすればいいんだ。
正体不明の恐ろしいものじゃなくて、とにかく野菜や果物とか、素材のわかりやすいものをお腹いっぱいまで詰め込んだ。
魔王に見られているのが不愉快で、それでも食い気のままに出されたものは全部食べ切った。
「そろそろ行くか。下働きには制服があるから、更衣室での着替えが必要だ。
着替えた後は厨房に行って、料理長の指示に従え」
食後のお茶を啜り終えると、説明を受けながら更衣室まで魔王に連れて行かれた。
おとなしくお仕着せに着替え直したけれど、白の清潔なシャツと黒のスカートが魔王城の制服らしい。
服の上にはエプロンをつけた。
三つ編みのおさげはカチューシャで押さえれば、確かに魔王城の女中たちと同じ格好になった。
腰に聖剣だけはいつも通り携えたけれど、更衣室から出ると廊下には誰もいないから、言われた通り厨房に向かう。
踏み入れたのは魔族だらけの、賑やかで広大な厨房だった。
目の前には早速コックコートを着た狼男が出てきて、手に持った巨大な包丁を光らせながら睨みつけてきた。
「おう、いらっしゃい。お前が勇者だってな。俺が料理長のサルフーンだ。
忙しいからまずは肉の解体を任せたいが、出来るか」
「……肉の、解体……」
早速、本題がきた。
以前出会った魔族なら「お前がその肉だ」とか言いながら襲いかかってきたっけ。
油断しないよう聖剣に手をかけて、殺気すら放ちながら料理長を睨みつけていたけれど……狼男が引っ張った縄の先からは、とれたての猪が出てきた。
「血抜きはしてあるから、早めにな。臭みが出ちまう」
「猪……?」
「他に何に見えるって? 勇者の目には、猪も魔物に見えるのか。
正真正銘、魔王城お抱えの牧場で生産された猪なんだがな……これが証拠になるか」
証明書が横腹に付けられていたのを狼男の料理長に見せられたけれど、猪の血統や生産地などが事細かに書かれていた。
料金も合わせて書かれていたけれど、一頭分だと結構な値段が書いてあった。
猪なら田畑を荒らす害獣として捕獲や討伐依頼も出される動物だから、私も旅の道中で何度も捕まえたし、解体して塩漬け肉も作ったことはあるけれど、それより断然高いなんて、うらやまし……いや違う。
目の前に横たわっているのが本当に猪なのかは、まず触って確かめた。
魔力も流して確認したけれど、人間が魔法で姿を変えられているわけじゃなく、どう見ても一般的な野生動物だった。
訳がわからなくなって料理長を振り返ったら、狼男は忙しいと言っていた通り、自分はすでに包丁で細かく野菜を刻み始めてた。
「料理長。魔族は人を日常的に食べているはずじゃないの?
勇者に見せるために、今だけ食料を猪に変えている……ってこと?」
「いいや。昔の魔族には人食ってたやつが多いな。人なんて勝手に増えるから、里に降りりゃたらふく食える時代もあった。
だが今の魔王様は人間と同じ食材を好む。牧畜や漁業にも力を入れてるし、最近はそっちの方がうまいって魔族も多い。今更人間なんて食わねえよ」
……猪は生産牧場の手によって、すでに血抜き処理まで済まされたことが紙には書かれてる。生産担当者の名前まであった。
どうしよう。このまま放置してたら、美味しいうちに調理されずに悪くなっちゃうよね……。
魔王城に届けられた猪のためにも、命をいただくことを神と猪に感謝してから、手早く部位ごとに切り分けた。
「お、やるな勇者。まだまだ反発するかと思ってたぜ」
「鮮度が落ちたら匂いが出ちゃうんだから、しないよ。
……分けたけど、一頭全部使うの?」
「今日使う分と、明日使う分の半々にしてくれ。明日の分は雪女の氷室に入れる。
今日使うのは背中と肩を……」
指示された部位は、大型のボウルに入れた。
味をつけて揉み込んで、香辛料の匂いを移すのにも時間をかけるらしい。私も分量を教えられて、必死に肉に擦り揉み込んだ。
終わったら、雪女のいる氷室に入れた。
雪女にはすっごく見られたけど、私を怖がって端に寄ったまま小さくなってるから可哀想になっちゃって、用が終わったらすぐに出た。
今度はソース作りをしてる料理長を見つけたから、コックコートの背中を引いた。
「お願い、料理長。真面目に働いてるご褒美に教えて。
私の前に出された食物の中に、人の肉はなかったの?」
「ねえっつってんだろ。そもそも魔王様から『人間を襲うな』って禁止令が出てるんだ。
今や人肉なんて、わざわざ人間界にまで取りに行く価値すらねえ。
俺らが生産した動物を食うほうがうめえんだ。魔王様のお怒りを買ってまで喰うかよ」
料理長は厨房の全てを牛耳っているはず。
でも大きな包丁を自由に扱う狼男は人肉じゃなくて、近隣で獲れた食材こそ誇って自慢してきた。
氷室に入って戻ってきたけど、私が切り分けた猪肉を目の前に出された。
「もう一度見ろよ、この猪の艶やかな肉質と上質な脂身を。
薄く切って鍋にすれば、誰もが飛び上がって食うほど美味いんだ。
魔王様に捧げるために、飼育農家もしのぎを削ってる。魔族の中で一等美味い肉を生産するのは誰かって、毎年競技会も開かれてるぜ」
人間を魔王城で出したら信頼を失って打首だし、差し出した農家一族は魔王城に二度と納めることは出来ないんだって。かなり審査も厳しいらしい。だから生産者の書類も付けられてるって教えてもらえた。
料理長の自信満々の顔を見ていたら、信じてない私のほうが悪い気がするくらい真実味があるから、……魔王の食卓はもしかしたら本当に普通のご飯だったのかなって、一般的な食材ばかりの厨房を見渡してた。
魚も、ちょっと変わってるけどアジモドキとか、サバッポイとか、魔物じゃないやつばかりだった。
そもそも魔物は倒すと灰になって崩れるから、食べられないって料理長に説明された。確かに船上で何度も水棲魔物と戦ったけど、全部灰になった気がする。魔界でも例外はないんだ。
……その後も料理補助として、下準備をひたすら手伝った。
山盛りの調理器具を、とにかく洗った。
下働きを共にする魔族から味付けを習って、大量のサラダを櫂みたいな棒を突っ込んでマリネした。
昼食の時間になったら給仕の一人として作法を習って、魔王に食事を提供しに向かった。
支配者として椅子に座る銀の髪の魔王はお仕着せ姿の私を見て、深緑の瞳を面白そうに緩めている。
「今日のおすすめはなんだ、勇者フルル。
給仕に出た以上、説明を料理人に習ったのではないか」
「っく……い……猪のソテーと、サラダを一緒にお召し上がりください。
酢であえてあるので、あまり肉が得意でない魔王様でも、さっぱり食べられると思います」
「ではそうしよう。ご苦労だった」
勇者なのに魔王の下で働いているのが悔しいぃ。
でも説明や、食事の出し方を教えてくれた魔族たちは悪くないから、今は従業員扱いも耐えた。
魔王が食事を終えたら、今度は城内で働いてる魔族向けの食堂が稼働するって言われて慌ただしくなった。
手が付けられなかった料理を全部移動させたら、すぐに昼食の配膳が始まる。
食欲旺盛な魔族たちの食事が終わると皿洗いを必死でやって、ようやく下働きの皆でも昼食をとれた。
休憩室には大量の椅子と大机があるけれど、大勢との食事はすなわち、情報収集の場でもある。
街の酒場同様に気兼ねなく話も出来たけれど、魔王城の内情を教えてもらえた。
……私たち勇者一行が魔王城に乗り込んだ日、戦いに出たのは一部の好戦的な一派だけで、料理人たちは非戦闘員として別の場所に隔離されていたらしい。
プチオークの若い女中レミンは、思い出話に可愛らしい笑顔を咲かせて、両手の蹄をポンと合わせた。
「魔王様、お優しいんですよ。『戦わなくていいから、明日の食事をまた頼む』って言ってくださって……翌日も、何もなかったかのように、また働きに出られました。魔王城に勤めていて良かったと思いました」
ゴブリンのヤンチャそうな若者ゴブローも、口にしていた豆を飲み込んで私をフォークで示した。
「勇者って怖えと思ってたんだけど、フルルはこう……普通だよな。
勇者は鬼族よりも強くて、聖剣振って魔族を焼き殺すんだって言われて、『一緒の厨房仕事なんて確実に殺される』って震え上がってたのに……うん、普通」
大きな目のコカトリスは、パチパチと瞬きをしながら隣に座る素朴なゴブリンを見ている。
「あんれ、そいえばモサクは爺さんが勇者にやられたって言ってなかったけ」
「じっちゃは人間の村に呪いかけて遊んでたべなぁ。バチが当たっただ」
私にはモサクのお爺さんが何歳かも、何年前の話なのかも聞けなかった。
でも自分が目の前の魔族の仇になってる可能性があるんだって、少し心臓が跳ねた。
……モサクは私が一緒に食事していても平気に見えるし、腰に聖剣を携えていても気にせず食事している。
……私なら、家族の仇が目の前にいたら許せないのにな。
でも丸っこい瞳をキラキラさせて、夢中で好物のカツレツにかぶりついているモサクは、私に敵意すら向けなかった。
「モサクは、お爺さんが……私に焼き殺されていたとしても、バチが当たったと思えるの? 私を憎もうとは思わないの?」
「んだ。人間だからってだけで、いじめていい理由なんてないべな。
悪ぃことしたのはじっちゃなのに、恨む方がおかしいっちゃ。そったら古い考えじゃ、魔王様にも見放されっど」
少しほっとしていると、仲良しらしいコカトリスが、モサクの口の端についたパン粉を拭ってあげていた。
「魔王様が王子様だった頃に、おらの村はオルディア様の領地に併合されただ。
『勇者は神さんが選ぶ天災だ』って教わっちゃなぁ。自然災害に文句なんて言えねな」
どうやら新魔王に変わってから、魔族には人間擁護の風潮が出来たらしい。
魔族は力こそが全てだって聞いていた。
でも最強の魔王は、人間界なんてただの餌箱だと思っていた前魔王を配下に従えて黙らせ、新魔王として人間を食わないよう魔族に命じ、代わりに国を改革して豊かにしているらしい。
人ではなく畜肉を口にして、農場を整備して生産拡大させて、残虐性の高い魔物が人間界に降りても勇者が斬り倒す、それは仕方ない……魔族の彼らは、現状をそう認識していた。
「でも種族として、魔族には破壊衝動が湧くって聞いたよ。
人間にうまく化けてた魔族も、夜になったら洞窟で人を襲ってた。種族としての特性なのに、抑えきれないことはないの?」
一番ヤンチャそうで、怒ったら手も早そうなゴブリンに振り向いた。
でも見た目に反して穏やかなゴブローは、お茶を啜りながら首を傾げていた。
「人間だって同じじゃね? イライラしたら長風呂して気分変えたり、他にやることがあるから、あんま気にしないなー」
プチオークの女中レミンはつぶらな目をキラキラさせて、外を示した。
「どうしても我慢出来なかったら、掘る専用の鉱山とかもあるんですよ。
私もお仕事で嫌なことがあったんですけど、夢中で掘ってみたら綺麗な水晶が出てきて、感動しちゃいました」
魔族は、全員残虐で非道な相手ばかりだと思っていた。
でも目の前にいる給仕たちは、料理人たちは、仕事に意欲を持って働き、人間社会を守るべきだと考えている。
自分たちの特性を理解する知恵もある。
……知らずに戦っていたら、私は彼らに聖剣を向けて、驚く間もなく灰に変えていたんだろうな。
魔族たちはそれでも自然災害に遭ったと納得出来るなんて、勇者と食事しても和気藹々としていた。
「昨日は中庭で襲われたって噂があったけ?
古臭い魔族のせいで、勇者も大変だべなぁ。ま、ゆっくり飯食ってけろ」
「本当は、魔王様が大丈夫だって言ってくださったんですけど……私もちょっとだけ、ご一緒するのは怖かったんです。
でもフルルさんって、怖くないんですね。安心しちゃいました」
私を怖いと恐れていた魔族もいて、声をかければ笑顔を返してくれる魔族もいる。
無闇矢鱈に斬るなって、魔王には言われたけど……厨房のみんなを手にかけることがなくて良かったって、相手が魔族でも人間のように思えてくるから不思議だった。
「おーい勇者。勇者は夜までの仕事だろ? そろそろ休憩終わりだってさ」
「あ、はーいっ。……あ、えっと、みんな、話してくれてありがとう。またねっ」
食事を共に囲んだから、なんだか仲間になった気すらして……手を振ってくれる魔族たちに、ぎこちなくても笑い返しちゃってた。




