お母さんの思い出
魔王オルディアを産んだクラレイアは、魔王城で実験を受けながら管理されていた。
体には二十八って数字が刻印されていたらしい。攫われた人間の二十八人目だったみたい。
「僕は体に、同じ数字を彫られた女性を知っているんだ」
ティーカーと二人でベッドに座りながら、息を呑んだ。
絨毯に膝をついたオルディアの深緑の瞳は、悲しそうに翳っている。
「幼かった頃、母さんの体に、二十八と数字が刻まれているのを見た」
……母さん?
『母さんって……オルディアがそう呼ぶってことは……神官様の奥さん、ってことか?』
「そうだ。……僕が幼い頃、一緒に風呂に入っていた母さんの背中には、二十八なんて意味のわからない数字が刻まれていた。
僕が尋ねると、背中に手を触れた母さんが『大切な思い出』だと話したのを覚えている」
魔王城で管理されたクラレイアと、刻まれた数字が一致してる?
でも、おかしい。
「僕は拾い子だと幼い頃に聞いた。
それでも親として愛していると、父さんも母さんも教えてくれた」
もし生みの親のクラレイアと、レムスのお母さんが同一人物なら……オルディアは拾い子として育てられたって言ってたのに、本当はお母さんがそばにいたことになる。
言葉も出ない私たちの前で、オルディアは自嘲気味に口元を歪めている。
「母さんは愛する魔王の子供を産んだ。
でも、自分では育てられないと思ったから……父さんに授けたんだ。
母さんが元々住んでいた村は、攫われた時に滅んだ。
どこにも行き場がないから、拾ってくれた父さんのところにいた。
……僕の本当の母親ではないふりをしながら……それでもそばにいたんだ」
悲しく細められた深緑の瞳を見ていたら、お母さんなのに名乗り出てもらえなかったことは事実なんだって、私たちにも分かった。
「そもそも子供が得意な人ではなかった。神だから半神半魔なんて子供の育て方もわからなかったんだろう。
それに……母さんには……いずれ僕を置いてでも戻りたい場所があったんだ」
クラレイアは、やがて魔王城に戻った。
あれは、十二年前の日付だった。
「僕が六歳の時、母さんは病気で亡くなった。
魔王の日記に『クラレイアが戻ってきた』と書かれていた日付は……母さんの命日の、翌日だったんだ」
ベッドの下に膝をつくオルディアに抱きついて、顔を包みこんでいた。
私の肩に少しだけ銀の髪をつけた幼馴染は自分の手を握りしめているから、わずかでも強張りが解けるように、震える手でも背中を撫でた。
「ある日突然病気で亡くなって村から出て行っても、子供達以外は疑問に思わなかった。
僕も今回のことがなければ、母さんは死んだと思い込んでいた。
でも、生きていて……村を滅ぼす情報を与えて、今もフルルに呪いを刻んだ。
ずっと善良な人だと思っていたけれど……本当は、あの人こそが僕たちの敵だったんだ……」
お母さんを責めるオルディアの言葉が悲しくて、首を横に振っていた。
「背中に刻まれた数字……背中に刻まれた数字は、別の理由で一致してるだけかもしれないよ?
南の大陸には、一族を管理するために、生まれた順番を刻む民族もいたんだ。
レムスのお母さんは、一族の二十八番目の子供だったのかもしれないよ」
「……そうなら、よかったのにな」
諦めたような吐息が私の肩に、少しだけ滲んだ。
「管理していた魔族が生き残っていたから、クラレイアの特徴を覚えていないか尋ねたんだ。
左目の下に泣きぼくろがあって、人間界では悲運を象徴するはずだって、魔王によく揶揄われていたらしい。
母さんも、左目の下にほくろがあった。黒髪で、目の色も一致した。
背中の番号も合っているのに……同一人物ではないと、僕には言い切れない」
否定したいのに、言葉が出てこない。
オルディアは震える私に頭を預けたまま、目を閉じた。
「……父さんは時折、エルフェリスに一緒に祈ろうって誘う時があったんだ」
家に戻った後のレムスは、神官様と二人でお祈りしたり、お墓掃除をしていた。
「僕も父さんの大事にする神に、日々の感謝や出来事を伝えた。
エルフェリスは会ったことのある神だって言って……でも特別扱いしてることは二人だけの秘密だって……父さんは、ずっと大事にしていた。
その祈りも……母さんがいなくなってから始まったんだ」
エルフェリスの名前を調べてほしいって言った時にはもう、小さい頃そばにいたお母さんこそが黒い神じゃないかって、オルディアは気づいてたんだ。
「初めて祈りを捧げた日を、覚えている。
父さんは寂しがる僕を祭壇の前に呼んで……素直な気持ちを伝えていい、それでも許してくれる優しい神だからって、エルフェリスの名前を教えてくれた。
……父さんは……母さんが僕たちを置いていったことをわかっていたんだ。
それでも声だけは届けようって、エルフェリスに祈らせてくれた。
僕のことを大切にしてくれていたから、母さんの神としての名前を教えて、寂しがっていることも伝えさせてくれたんだ」
失った大切なお父さんを思い出すオルディアの声は、震えていた。
――ずっと、大好きなお母さんだった。
亡くなった後も、次の生で幸せになることを祈ったはずの人だった。
オルディアは銀の髪をうつむけて、顔を床へ向けている。
村にあった聖堂の中で、毎日祈りを捧げていたように……私たちに、懺悔するように。
「母さんは僕がいると分かりながら、フルルの情報をもたらして、魔王軍を寄越したことで村を滅ぼした。
勇者が子供だってわかっていたのも……村の場所も……住んでいたから、知っていたんだ」
霞む声に、オルディアの頭を抱きしめてあげることしかできない。
丸められた背中を必死に撫でた。
気持ちが伝わりますようにって、少しでも体を寄せた。
「親の悪行なんて気にするなって、フルルもティーカーも言ってくれたけど……僕の母親は何もかも嘘つきの、裏切り者なんだ……」
オルディアの苦しそうな吐息が聞こえて、砕けそうなほど力の入ってる指に気づいて、手を伸ばして握りしめた。
「レムスのお母さんは、違う……悪い人じゃないよ」
否定する私に、オルディアはすぐに銀の髪を横に揺らした。
「フルルも見たはずだ。……日記はすべて、あの人が自分勝手な悪神だと示していた。
家族を演じて、自分が過ごしやすいように装っていただけで……僕のことも父さんのことも、村のことも……全部捨てたのが事実なんだ」
クラレイアが本当は近くにいたなんて、私たちの誰も思っていなかった。
ティーカーも何も言えないままベッドに座っているし、私もうまく言葉に出来ないけど……傷ついて苦しそうなオルディアに少しでも気持ちを伝えなきゃって、両頬を包んで顔を上げさせた。
気弱に細められた瞳も、少し肌が青ざめて見えるのも、魔王として出会ってから一度もなかった。
……オルディアは今、幼い頃の思い出すら傷つけられて、苦しんでるんだ。
「っ」
そんなの駄目だって、真っ直ぐに見つめて……気分も変えてやるって、唇を奪った。
驚いた魔王の綺麗な顔と改めて見つめ合うと、精一杯、笑って見せた。
「大切なお母さんの思い出まで、嫌いにならなくていいよ。
レムスのお母さんは、子供だった私たちを優しく見守ってくれた。
レムスのことも、お母さんだってわかる温かい目で見てた。
そうやって小さい頃のレムスがお母さんと一緒に過ごしてきた思い出は『本物』だし、あったかい家族だったことだって、全部本当のことなんじゃないかな」
「フルル……」
「無理に否定しなくていいよ。今がどうあったって、小さい頃に感じた優しい気持ちまで全部違うことにはならない。
苺のパイ、私たちとも食べたよね。お母さんのご飯はなんでも美味しいって、レムス嬉しそうにしてた。
一緒にご飯を食べて、お風呂に入って……お母さんが大好きだってレムスが思ったくらいの優しい気持ちが、そこにはあったはずじゃないかな」
自分たちは本当の両親じゃないって言われても、幼いレムスが受け入れられるくらいの愛情を、ちゃんとクラレイアは向けていたはずだ。
安心してそばにいられる家族だったから、両親の深い愛情に包み込まれていたから……レムスは私たちに悲しい宣告を気付かせずに、いつも通りでいられたんだ。
「お母さんと過ごした大切な思い出も、お母さんが死んじゃって悲しかったことも。
血縁関係だけじゃない……クラレイアがレムスと『本当の家族』だったから生まれた絆だとしか、私には思えないよ」
膝をついたオルディアと私の背丈は同じくらいになってるから、少しでも心が楽になりますようにって、オルディアの頭を胸の中に収めてぎゅっと抱きしめた。
「調べてくれた通り、レムスのお母さんとクラレイアは同一人物かもしれない。
でもね、お母さんの気持ちは全部が全部、日記に書かれてるわけじゃなかったよね」
私たちはクラレイアが魔神だから、勇者の居場所も何もかも見通して、魔王に情報を渡したと思ってた。
黒い神は未知の恐ろしい敵だと思ってた。
でもレムスのお母さんならどうするかなって考え直して……どうか届きますようにって、抱えこんだオルディアに言葉を吹き込んだ。
「もしお母さんが、私たちの情報を伝えてしまったとしたら。
『勇者はまだ子供だから殺されない、またどこかで聖剣を持って生まれるんだから、伝えたって監視されるだけだ』って思ってたかもしれないよね」
新しい可能性に、オルディアの深緑の瞳が丸くなったのが見えた。
「だって……私が覚えてるレムスのお母さんは、私にも優しくしてくれた。子供が苦手だったとしても、避けたりせずにちゃんと接してくれた。
クラレイアは姿を隠して、黒い神としか分からないようにしてたよね。
きっと私がレムスのお母さんだって気づいたら、声をかけたら、仇討ちのはずなのに気持ちが弱っちゃうから、正体を知られたくなかったんだよ。
……もう殺す気の私相手なのに、姿も現したくなかったなんて、それくらいしか考えられないかな」
少しずつ力が抜けていく体を、昔みたいに遠慮なく抱きしめる。
「神官様もエルフェリスを『優しい神様だ』って言ってたんでしょ?
母親だと名乗ってもらえなくて置いて行かれたレムスを分かりながら、それでも『優しい』って言えたのは、きっと……神官様はクラレイアの事情も、心も、何もかもを知ってたんだよ」
胸の中に抱えてるオルディアが歯噛みして、何かを耐えるみたいに指を握りしめる。
私の体に押し付けられる銀の髪に、頬擦りして……大切に幼馴染の頭を抱えながら、想いを言葉に変えた。
「情報と引き換えに村ごと滅ぶなんて思ってるような悪い神様なら、神官様が『優しい神様だ』って言うはずないよ。
お母さんはレムスのことも、魔王に息子だって伝えてる。魔族でも我が子なら寛大に扱ってもらえるはずだって、思ってたかもしれない。
……だって魔王の日記に書かれたことなんて、お母さんの行動のほんの一部だけだった。
お母さんの本当の気持ちなんて、誰にも分からないんだから……オルディアも私と一緒にお母さんのこと、信じようよ。ね?」
私の肩に額を押し付けてうつむくオルディアはきっと、お母さんを嫌いにならなきゃって思ってるんだ。
何もかも私たちから奪った犯人、クラレイアがお母さんだったことを許せなくて……私たちへの説明も謝罪から始まった。
銀の髪を撫でながら、考えた。
一人で調べるの、辛かっただろうな。
昔から苦しい気持ちも飲み込んで隠しちゃうから、情報共有がなければきっと隠して、大切にしていたお母さんとの思い出も、全部嘘だったことになってたのかな。
「思い出の中のお母さんのことまで嫌いにならなくていいよ、オルディア」
……想像してるだけで胸が痛くて、小さい時みたいに涙が溢れて、落ちる。
オルディアが驚いて顔を上げたけど、込み上げてくるものが止まらなくて、必死にしゃくり上げてた。
「大好きだったお母さんが悪人だって考えるの、辛かったよね……。捨てられたって思うのも、苦しかったよね……。
でもきっと違うよ。悪いことばかり重なっちゃっただけで、神官様が言ってた通りエルフェリスはいい神様で……お母さんは今も生きてるなら、本当のことだって、これから確かめられるよ」
私たちが離れた間、ずっと抱えて悩んでいたオルディアが歯を食いしばって、額を私の肩に擦り付けた。
顔を隠していたって、堪えていた吐息がじんわり、肩に滲む。
背中に震える手が伸びて、ぎゅっとしがみついてくれるのを、私も抱きしめた。
「大切にしてた村の思い出まで疑わなくていいよ。
私の呪いは必ず解くし、お母さんにも真相を聞こうよ。
……小さい頃にさ。レムスと約束したの、覚えてる?」
六歳なんて小さな、本当に小さな頃の思い出だけど。
レムスと私は、約束したんだ。
「神様に、私は勇者として聞くよ。
『どうしてお母さんを連れていっちゃったの、今何をしてるの』って」
瞬きのたび、オルディアに水滴が伝う。
でも勇者らしく天を見上げて、胸を張った。
「……もう答えづらいかもしれないね。
だけど教えてくれなくたって、絶対に真相を聞き出すよ。
だって、私は勇者なんだから。
仲間のためにも答えてって、聖神エルフェリスにだって聞いてみせるよ。……ね、だから安心して?」
肩に預けられた頭が、小さく頷いた。
オルディアが震える指を、私の背中に触れさせてくれる。
……本当はオルディアだって、お母さんのことを信じたかったんだ。
思い出の中のお母さんと食い違ってるからわからなくなって、何もかもが嘘だったって思い込もうとしてたんだ。
苦しそうな吐息と一緒に、溜め込んでいた熱い吐息が溢れていく。
ぽたぽた、いくつも涙の雫が落ちる音がする。
それだけで声にならない気持ちがいっぱい伝わってくる気がして、私も必死にオルディアの銀の髪を撫でた。
私に顔を埋めて抱きしめるオルディアの熱い吐息も、服に染み込むあったかい気持ちも、ちゃんと伝わったんだって分かる。
だから……そばにいられてよかった、一人で悩まなくてよかったって、改めて大好きな幼馴染を抱きしめてた。
しばらく二人で声もなく抱き合ってたけど、ゴソゴソ音がして、そばにきたティーカーが困り顔でハンカチを渡してくれた。
『なんだかお前らがそうしてるの懐かしいな。
ほら、もう泣くなよ。泣いてたって呪いは解けないんだからさ。解いてから泣こうぜ。
俺が昔から慰めるの苦手だって知ってるだろ? ……頼むから、もう泣くなって』
バツの悪そうなティーカーに、昔みたいに二人で頷いてハンカチを受け取った。
本当に慰めるの下手なんだよね、でもハンカチを差し出せるなんて大人になったなぁ……なんて涙を拭って……体よりも大きなハンカチをティーカーが持ってることがおかしいって気づいた。
「あれ、このハンカチどこから出てきたの?」
『俺の布団。カバンの中からお昼寝用持ってきた』
こんな時なのに、手渡されたのが使用済みの愛用品だったから吹き出して笑っちゃった。
オルディアも聞いてて笑いを堪えてる。金髪に青い目の幼馴染は、なのに自信満々に胸を張った。
『へへっ、笑え笑え。笑ったら気が楽になったろ?
……一応、俺も思ってること伝えるけどさ。前にも言った通り、何があろうとオルディアはオルディアなんだ。
親がどうこうなんて気にしなくていいし、フルルの呪いを解いたら、ちゃんとおばさんとも話し合おうぜ。
正体が分かった今なら、剣向けるだけじゃなくて声もかけられるよなっ』
明るくて、私よりも勇者らしいティーカーの言葉にオルディアが頷いてくれた。
「……そうだな。黒い神には逃げられたから、何も話せていなかった……次は逃さずにおこう」
元気が出たみたいで背中を握りしめてた指が離れたから、私も体を離した。
髪を濡らしちゃった涙をティーカーのお布団だけど拭いてあげたら、思い出した魔王がまた笑ってる。私も一緒になって笑っちゃった。
『うわ、顔も服もビッショビショだぞ、フルル。オルディアも。
せっかくだから風呂にでも入るか? 気分転換になるだろ』
「うん……そうだね、作戦会議はお風呂上がりにしようか。綺麗にしてくる」
オルディアが腫れぼったい顔に触ったと思ったら、回復してくれたみたいで腫れが引いていく。
穏やかに微笑む顔が素敵で、潤んでる瞳がキラキラ綺麗で……ちょっと見惚れちゃったら唇が重なったから、真っ赤になっちゃった。
「ありがとう、フルル。気が楽になった」
「えへへ、よかったっ。
じゃあ早くお風呂入ってくるね。私たちの結果も、これから報告しなきゃだからねっ」
順番にお風呂に入ろうって話をして、私が最初に脱衣所に向かった。
服を脱いで、一応胸に変化がないか見下ろした。
真ん中の太陽の数が、一つ、二つ、三つ……あれ?
刻印の数なんてわかりやすいのに、思わず指折り何度も数え直してた。
「待って呪いの期限十日じゃなかったかもっ!」
上半身裸のまま胸だけ押さえて慌てて戻ったけど、真ん中に描かれてる太陽の数が、すでに四つ減っていた。
勇者の命を奪う呪いの期限は、残り八日のはずが、なぜか六個に変わっている。




