お葬式
小さい頃の夢を見ていた。
多分、私たちが六歳くらいの頃の夢だ。
聖堂の裏にあるレムスの家の食卓で、私たちはレムスのお母さんが作ってくれた苺のパイを頬張っている。
サクサクのパイ生地の上には、たっぷりと苺が乗っていて、一口食べるだけで甘酸っぱさが美味しくて、幼馴染みんなで目をキラキラさせていた。
「苺のパイ、とっても美味しい! レムスのお母さん、お料理上手だよね」
「母さん、特に苺が好きなんだ。畑を借りて作ってるけど、苺のジャムもとっても美味しいよ」
「いいなー、レムス。うちなんて『パンにはとりあえず干し肉挟んどけ!』って、ジャムなんて永遠に出てこないぜ」
レムスとティーカーと私、子供たち三人で笑いながら机を囲んでいた。
苺のパイは何切れ食べても飽きがこないくらい、とっても美味しかった。
お腹いっぱいになったら、紅茶を飲んで一休み。
カップも紅茶もなんだかおしゃれで、レムスのお家はいつも素敵だなーなんて、子供心に憧れていた。
食べ終わったら、お片付けした。
レムスのお母さんは台所の机で静かに書き物をしていたけど、食器を運んだら私たちから受け取ってくれた。
「レムスのお母さん、ごちそうさまでした! 苺のパイ、とってもおいしかったです!」
「ごちそーさまでしたー!」
レムスのお母さんは物静かで、あんまり私たちと関わる人じゃなかった。
だけどお礼の言葉にふんわり、穏やかに笑ってくれる人だった。
レムスがお母さんに「行ってきます」って言うと、優しい声で「行ってらっしゃい」って送り出してたのを覚えてる。
黒髪を背中にまとめた綺麗な人が台所で洗い物する姿を見て、レムスはお母さんとも仲が良くて、お手伝いもよくしてるって聞いたのを、なんとなくいいな、って思い出してた。
おやつに美味しい苺のパイを食べた以外には、お父さんの訓練を受けて帰る普通の日だった。
そんな、翌日だった。
「レムスのお母さんが亡くなったから、今日はお葬式に出るぞ。
フルルも参列するからな。後で行こう」
朝食の席に座ると、お父さんがそう言い出した。
お母さんも受け入れて話してるけど、私は何を言われてるのか分からなかった。
「……え? レムスのお母さん、昨日会ったけど元気……だったよ?」
だって昨日、レムスのお母さん手作りの苺のパイを食べたばかりだった。
レムスのお母さんは穏やかに笑って、レムスにも「行ってらっしゃい」っていつもみたいに送り出していた。
朝になったら亡くなってるなんて、もう会えないなんて、六歳の私にはわからなかった。
すぐにレムスのところに行こうとして、家を飛び出した。
でも、お父さんに捕まった。
暴れる私が引き戻されると、お母さんも首を横に振った。
「今は神官様もレムスも忙しいから、家に行くのはご迷惑になるのよ。だから行っちゃいけません。
あとでフルルもお葬式に参列しに行くから、そのつもりで家にいてね」
「……っ、いやだっ……レムスに会えないなら、じゃあティーカーならいいでしょ?
ティーカーも驚いてるはずだよ……だって私たちは昨日、レムスのお母さんのパイを食べたんだもん! レムスのお母さん、元気だったもんっ」
両親は困って目を見合わせたけど、必死にお願いして、私は道具屋に向かった。
でも急だったから、道具屋のおじさんもおばさんも忙しくてバタバタしてる。
お店の中にいるはずのティーカーを探してたら、おばさんが私に気付いた。
「フルルちゃん、ティーカーなら家の裏で手伝いしてるよ。
悪いけど私たちは忙しくてさ、代わりにあの子をかまってやっとくれ」
「うんっ、ティーカーのおばさん、ありがとう!」
居場所を教えてもらえたから、言われた通り道具屋の裏手に向かった。
金髪に青の瞳の幼馴染は地面に座って、一人でお花の長さを切り揃えていた。
でも……ティーカーはハサミを使ってても心ここに在らずで、いつもよりずっとしょんぼりしてた。
私もおばさんからハサミを借りてきて、一緒にお花の茎を切った。お供え用の白いお花がいっぱいだった。
「……レムスのお母さん、昨日、元気だったのにな。
朝、部屋で亡くなってたって……神官様が親父のところに来たんだ」
お葬式の品物の手配があるから、ティーカーは私よりも先に聞いたのかもしれない。
……ハサミを動かしながら、私も、ずっとレムスのことを考えてた。
レムスは今、どうしてるのかな。
お母さんにお祈りを捧げてるのかな。
苦しい気持ちは誰かを苦しくさせちゃうって、レムス優しいからほとんど弱音言わないのに……抱え込んでないかな。
――お花は二人でやればすぐに切り終わったから、ティーカーがまとめて花束を作り始める。
私も手伝ったら、それもすぐに終わった。
……やっぱり私、こんなことしてる場合じゃない。
全部終わった今だって、ティーカーの手を掴んで引っ張った。
「ねえティーカー、レムスのところに行こう。
レムス、きっと寂しがってるよ」
「そんなの、俺も行きたいに決まってるだろ。
でも葬式の準備で忙しいから行くなって言われたんだ。
レムスもお母さんとのお別れがしたいと思うから、そっとしておいてやりなって言われたら……行けないだろ……」
レムスにとって、大好きなお母さんだった。
今はレムスも突然のお別れで、最後のお別れをしてるはずだって私にも分かってる。
「でも、私はレムスから『こないで』って聞いてないもん!」
優しいレムスを思い浮かべるたび、お母さんが大好きだったレムスを思うたびに……黒髪に若草色の瞳の幼馴染は今、神官様みたいに悲しみを耐えなきゃってしてる姿が浮かんでた。
静かに抱え込んで、苦しくて辛い気持ちも一人で飲み込もうとしてる気がして、たまらずにティーカーの腕を引っ張ってた。
「大人の神官様が一番、お葬式の準備で忙しいよ。
その間に、レムスが一人になってたら?
レムスが泣いてたらやだから、私は行く! ティーカーも行こうよ!」
おせっかいでいいから、ちょっとでもお話しなきゃって思ってた。
……本当は、ティーカーもずっと行きたかったんだ。
「あっ、ずるい!」
だから、私よりも先に走り出してた。
ティーカーと二人で、私たちは聖堂に向かった。
神官様の家は、もう村の人でいっぱいだった。
私たちは見つからないよう、開いてる窓からこっそり入った。
レムスのお部屋の扉を、叩く。
お返事がないけど、ノブを持って押し開けた。
……レムスは、お部屋にいた。
まだよくわかってないみたいにぼうっとして、一人で立っていた。
……机の上にある、遺髪を見てたんだ。
黒の長い髪が白のリボンで一房束ねられてて、残されてて、レムスはそれを眺めてた。
「レムス」
声をかけて近寄って、ようやくレムスが振り向いた。
レムスは私たちを見て若草色の瞳を丸くしたけど、遺髪を見て、うつむいて、唇を噛んだ。
「……母さん、病気だったんだって」
レムスがお話ししてくれるのを、私たちで聞いた。
「今朝には、亡くなってて……病気だから、父さんが誰にもうつらないようにって、もう……燃やし終わってた……」
霞んでいく声は、引き結んだ唇は、震えてる。
病気で亡くなった人は、周囲に新しい病が広がらないようにすぐ焼くんだって私たちは知ってた。
勇者だったお父さんたちは冒険の中で、死者から広まった流行病で町一つ消えたのを見たから、亡くなった人のためにもためらっちゃいけないって聞いてた。
だから神官様は大事な奥さんでも、亡くなった村の人と同じく神の光で焼いたんだ。
……だからレムスは、寝る前にお母さんに会ったっきり……最後の姿に会うことは、出来なかったんだ。
たった一房残った黒の綺麗な髪を見たレムスが、言葉もなくうつむいてる。
私は、レムスの前に立った。
同い年でも女の子の方が成長が早いから、私よりもちょっとだけ背丈の小さいレムスをギュッと抱きしめた。
手を握りしめてるレムスは一人で耐えてて……お母さんと同じだった黒の髪を、それでも少しだけ私にくっつけてくれた。
「……ねえ、フルル。なんで母さんを、神様は選んだんだろう……」
震える声を絞り出したのを聞きながら、私も考えてた。
「次の世代のために必要な人だから、神様が急いで転生させたって、父さんは言うんだ。
でも、……僕にだって、大切な……たった一人の母さんなんだよ……っ」
昨日もレムスを見送ってくれた、優しいお母さんだった。
きっと訓練後に帰ってきたのも、お家でご飯を作ったお母さんが、暖かく迎えてくれたんだよね。
突然訪れたお別れに訳がわからずにいたレムスが、私の肩に顔を埋めた。
「神様はどうして、母さんを選んじゃったのかな……っ僕からどうして、とっちゃったのかな……っ」
言葉にしながら、神官見習いの男の子は……少しずつ理解していくんだ。
もうお母さんは、神様のところに行っちゃった。
もう二度と、戻ってこないんだって……歯を食いしばりながら、小さな背中が丸くなっていく。
私たちの生きる世界には理不尽が、いっぱいある。
魔族も魔物もそうだし、なんで、なんで、って思うことはいっぱいある。
私も考えてたけど……神官様以上の答えは見つからないし、どれだけ願ったって神様からのお告げもなかった。
だから私は、勇者にしか出来ない方法を伝えようって、決めた。
「ねえ、レムス。いつか私たちで神様に会ってさ。
どうしてレムスのお母さんを連れていっちゃったのって、直接聞こうよ」
レムスが首を横に振った。
くぐもった声が、押し付けられた黒髪の向こうから聞こえた。
「……無理だよ……僕もずっと祈ってるんだ。
でもお告げすらもらえないのに……教えてくれるわけないよ……っ」
私も夢や慰めを語ってる訳じゃないんだって、小麦色の三つ編みおさげを振った。
「元勇者のお父さんだって「神様に会った」って言ってたんだよ。
私は勇者だから、レムスは私と一緒に冒険してたら、いつか神様にも会えるよ。
だから……レムスのお母さんじゃなきゃいけなかった理由は、神様に直接聞こう。
お告げしてくれなくたって、私たちが目の前にいれば絶対に教えてくれるよ」
静かに唇を噛んで、頭をもっと肩に押し付けるレムスの黒髪を撫でた。
「教えてくれなくたって、私が聞き出すから安心して。
だって私は、勇者だもん。
仲間のお願い事にはちゃんと答えてって、神様に言うよ」
今の私には、それしかできなかった。
答えを今すぐに用意してあげることはできない。
でもレムスの思いを神様に繋げてあげることこそが、勇者の私にしか出来ないことなんだって胸を張った。
「死は新しい生になるって、お父さんも言ってた。
今頃、レムスのお母さんはどこかで生まれ直してる。
病気で辛かったことも忘れて、赤ちゃんになって産声をあげて……レムスを残してでもやらなきゃいけないことのために、今も頑張ってるはずだよ。
だから私は神様に『なんのためにお母さんを連れていったの、今何をしてるの』って、本当のことを聞くよ。
そうしたら……レムスのお母さんは大切な役目のために旅立たなきゃいけなかったんだって、わかるはずだもんね」
もう今は、レムスのお母さんじゃないかもしれない。
でも新しく生まれた場所でレムスのお母さんはまた幸せになれるんだって、私も信じたかった。
……レムスが考えながら、小さくうつむく。
少しずつ、込み上げてくるものを押し殺してる声が……涙の音が、聞こえてきて……私も悲しくなってきて、ギュッとレムスを抱きしめてた。
病で亡くなったから、眠る姿にも会えなかった。
突然のお別れで、納得出来なかったから……気持ちの整理もつけられなかった。
ずっと、レムスはどうしてって考えてたんだ。
答えが出ない苦しい気持ちでいっぱいで、でも誰にも吐き出せなかったんだって、ようやく込み上げてきた感情のままにしゃくりあげてるのを聞きながら、レムスの黒髪をいい子いい子って撫でてた。
震える手が、震える体が、肩に押し付けられた。
レムスが頷いて、私をギュッと抱き返した。
「うん……っ神様に会ったら、聞く。
フルルと一緒に、っ、勇者と一緒に、本当のこと、教えてもらう……っ母さんは、きっとっ、神様の大事なお役目のためにっ、旅立ったんだ……っ今も、どこかで頑張ってるんだ……っ」
あったかい涙が、肩に染み込んでくる。
……私だって、レムスが泣いちゃったら悲しくて、上からボロボロ涙を返しちゃってた。
慰めるのが下手なティーカーはそばにいるだけだったけど、心配してそばにいることは伝わってきて、しばらくして耐えかねた「……もう泣くなよ」の声に、二人で必死になって頷いてた。
私たちは親に見つかって叱られるまで、レムスのそばにいた。
お葬式は夕方には行われた。
レムスは神官様に手を繋がれて、うつむいて、静かに泣きながら……お母さんを見送った。




