過去
十歳の頃、私は起きるのが苦手だった。
「フルル、フルル、起きて。
今日は一緒にカルバ山に登って、薬草摘みに行く約束だよ」
穏やかで心優しいレムスが、一生懸命声を掛けて肩を叩いてくれる。
「おお勇者フルル、ねぼすけなんて情けない。
なーんてな。俺たちだけで先に行っちまうぞー」
豪胆で恐れ知らずなティーカーが、まだ目も開けられない私を茶化して笑うのが聞こえた。
幼馴染二人がかりで起こしてもらってようやく目が覚めるくらい、私は朝が苦手だった。
魔王を倒す使命を持つ勇者フルルには、生まれた頃から仲間がいる。
同い年で訓練も一緒にする、神官見習いのレムスと、剣士のティーカー。
私たちは村のおばあさんが腰を痛めたから、魔物も出る山へ薬草を取りに行く……って、夢現に思い出した。
目を開ければ、聖剣が腕の中でいつも通り抱き枕になってる。
顔を上げれば黒髪を太陽に煌めかせたレムスが、若草色の瞳を細めて笑ってた。
「フルルは起きてないんじゃないかって、ティーカーが言った通りだったね」
隣にいる金髪で青い瞳のティーカーも、得意げに鼻を高くしている。
「だろ? 見てみろよ、鞄もまだ詰める途中だぜ。
おお勇者フルルよ、途中で投げ出してしまうとは情けない。
……ほら、待っててやるからさ。フルル、早く起きろって」
「うーん……あれ? お母さん、おかーさーん。私の荷物、詰めてくれなかったの?」
「自分で荷造りしなさいって言ったでしょう? はい、お弁当。
レムス、ティーカー、ごめんなさいね。勇者のために、あと少しだけ待ってあげてね」
「「はーい」」
早速大ピンチだ。
机に用意されたままの鞄に、魔力を回復出来るティコの実三つと、傷を治すポーションを五つ入れなきゃならない。
すぐに起き上がって挑戦したけれど……お母さんのお弁当の上にアイテムを入れたり、出したり、うまくいかない。
同じことを繰り返してるから、混乱の状態異常までついて目が回ってきちゃった。
「えー、どうしよ……ねーレムス、手伝って。
中身ぐちゃぐちゃになって、すぐに出てこなくなっちゃう……」
「いいよ。いつもみたいにティコの実三つと、ポーション五つでいい?」
「フルル。レムスに手伝ってもらってたら、おじさんにまた『落ちこぼれ勇者』って叱られるぞー」
神官様の息子で優しいレムスが、荷物の入れ方を何度だって教えてくれる。
道具屋の息子なのに私と同じで荷造りが苦手なティーカーは、そばで私の聖剣を振って待ってたから膨れちゃった。
私のお父さんは、二人の両親と一緒に旅をしていた元勇者。
年齢を理由に引退しようと思ってたら、娘の私が勇者の資格を受け継いだんだって。
聖剣を抱いて生まれてきたから自分が勇者じゃなくなったことに気づいたって、起きる頃には必ず手元に戻ってくる相棒のことも教えてくれた。
荷物をカバンに納め終わったら、私も急いで寝巻きから子供用の装備に着替えた。
長い小麦色の髪が邪魔にならないように、三つ編みおさげを二つ結って鏡に向かい合う。
焦茶の瞳相手に「よしっ」て気合いを入れたら、着替えの間は外で待ってくれる仲間に声をかけた。
「それじゃ、出発しよっ」
勇者の声に、三人集まって拳を突き出す。
私たちには合図がある。
今日も元気に握り拳を合わせて、金髪に青の瞳のティーカーと、黒髪に若草色の瞳のレムスと目を合わせた。
「誓い、その一つ! 勇者の名に恥じぬ行いをしよう!」
「「「えい、えい、おー!」」」
合図に合わせて、空に向かって三人とも勢いよく拳を掲げた。
これで、旅の準備は終わりだ。
洗濯物をしてるお母さんに行き先を伝えてから、私たちは薬草取りに出かけた。
カルバ山は中級者以上の冒険者が登る山だって、お父さんが教えてくれた。
頂上には通常の薬草よりも回復する上薬草が生えている。腰への特効薬らしい。
私たちは図鑑を手に、緑あふれる山をぐんぐん登った。
道中には、魔王が放った魔物も飛び出してきた。
でも私には聖剣があるし、お父さんと修練もしてる。
三人で戦えばレッサーウルフに追いかけ回されたって、群れで現れたスパイダーキャットに鋭い爪で襲い掛かられたって、平気だった。
「勝利!」
魔物は、倒せば灰になる。
腰に聖剣を付け直しながら消え去ったのを見送ると、一緒に剣を振って戦ったティーカーと笑顔で拳を合わせた。
「へへ、今日もいい感じだねっ。もう村の周りに敵なし? 旅に出られる日も近いかもっ」
「おじさんにまた『慢心するな落ちこぼれ勇者め』って叱られるぞー。
やっぱり聖剣強いよな。最初から最強装備つけてりゃ、俺だって最強だし」
「えー、昨日なんて寝る前に『気絶するまで全力疾走しよう』って、お父さんといっしょに村の周り何周も走らされたんだよ。私の強さは、日々の努力のおかげだもん」
「お父さんと墓地の清掃してたら、フルルが泣きながら走ってるの聞こえちゃった……諦めなかったのがえらいね、さすが勇者フルル。
あ、でも顔に傷がついてるよ。……ヒール!」
優しいレムスが、少しの傷でも私の頬に回復魔法をかけてくれた。
暖かな光魔法を使うレムスの腕には、今日も私の作った腕輪が嵌められてる。
誕生日用にクラフトしてプレゼントしたけど、神官様の杖を授かるまで媒介に使うんだって、すごく喜んでくれたのを思い出しちゃった。
温かいレムスの回復魔法があればすぐに傷なんて治って、もう痛くも痒くもなくなった。
「レムスはフルルに甘いよなー。傷くらい唾つけとけば治るって」
「ティーカーこそ、さりげなくフルルの支援に入ったのが見えたよ。怪我させたくない気持ちは、僕たち一緒だね」
「俺は同じ前衛で戦ってるから当然だっての。
ほら、治ったらさっさと行くぞ、日が暮れる」
私よりも勇者らしく引っ張ってくれるティーカーがいれば、笑顔の優しいレムスがいれば、どこに行ったって私たちは無敵だった。
上薬草は、予定通り手に入った。
おばあさんのためにみんなで協力してすりつぶして、丸めた背中に塗り込んであげた。
すぐに効いてきたらしくて、おばあさんは嬉しそうに笑ってくれた。
「私のために、わざわざ山登りなんて……優しい勇者さんたちだね。ありがとうよ」
任務成功だ。
夕焼けの中、三人で「よかったね」「喜んでもらえたな」なんて笑い合った。
……そんな毎日が、続くと思ってた。
夜。
魔王軍が現れて、村の何もかもを燃やし尽くした。
「この村に勇者がいるはずだ、探せ!」
「出てこい、勇者! 人間を狩り尽くすぞ!」
戦おうとしたけど、お母さんは私たちを連れて逃げた。
お父さんは、元勇者として戦いに出た。
レムスとティーカーも家から連れ出されて、一緒に暗い森の中を走った。
「お母さん、勇者なら私が戦わないと」
「敵うような相手じゃないの、いいから急いで!」
魔王の四将の一人が来たんだって、後になってわかった。
駆け抜けた先、森の一角には、神聖力で隠された小屋があった。
中に造られた隠し扉に、私たちは三人で押し込まれた。
お母さんが優しく私たちの頬にキスしてくれたのを、最後に見た顔を、ずっと覚えてる。
「フルル、レムス、ティーカー、あなたたちこそが魔王への対抗策……みんなの希望なのよ。
生きて、平和な世界を作ってね。約束よ」
お母さんは手を伸ばす私を押し込めて、扉を閉めた。
小屋から離れて、もう戻って来ることはなかった。
喧騒は森の周りでも続いていて、隠されているはずの小屋にも近づいてきたって分かった。
「どうしよう、レムス、ティーカー、ここも見つかっちゃうかな」
三人でぎゅうぎゅうになって隠れてるけど、やり過ごせるかなんて誰にも分からない。
相手はお母さんが、元勇者のお父さんが戦って、敵わないかもしれない相手だ。
不安になりながらも待っていると、どんどん音が近づいてきて……そのうち、ティーカーが暗闇の中で聖剣を握りしめた。
「俺が勇者だって言って、戦ってくる」
「駄目だよ、お母さんが隠れなさいって言ってたでしょ!」
「このまま三人ともやられたら、それこそ負けなんだ。
俺が剣を習ってきたのも、きっと……フルルの代わりに戦うためだった」
聖剣は私のところに戻ってくるだけで、私以外が使えないわけじゃない。
だから、ティーカーは普段から聖剣を使ってた。
それが今日のためだなんて違うって、必死にティーカーから聖剣を取ろうとした。
なのにレムスも私の手を包んで、首を横に振った。
「僕も行くよ、ティーカー。一人よりも二人の方が、きっと敵は信じてくれる」
「レムスまで、どうして。一緒に隠れていた方が良いよ、お母さんと約束したでしょ」
私よりずっと勇者らしいティーカーが、ついに扉を開けて足を踏み出した。
止めようとするのに、私を振り返ったレムスが先に出て、優しく微笑んだ。
……暗い小屋の中で、窓から注ぐかすかな月明かりにレムスが照らされてた。
柔らかな黒髪の下で綺麗な若草色の瞳を細めて、神官様みたいに優しい笑顔を浮かべた姿が……レムスと言葉を交わした最後になった。
「僕は、フルルを勇者だって信じてるから。生きて」
「……嫌だ……嫌だ、私も行く。待って、待ってよ、レムス、ティーカー」
レムスが魔法を唱えてる。
扉の外に出ようとするのに、ティーカーが私をまた隠し部屋に押し込んだ。
金の髪に青の瞳の勇敢なティーカーはレムスの隣にいて、いつもみたいに笑ってた。
「勇者の前に露払いしてきてやるよ。真打登場はもっと後だ」
それでもティーカーの指が震えてたのも、知ってた。
怖いのに勇者を守るために、私を守るために行くんだって、同い年なのに、私と背丈同じなのに、飛び出そうとする私をティーカーは押さえて、決して外に出そうとしなかった。
「スリープ!」
ティーカーと揉み合う間に、レムスに眠りの魔法をかけられた。
あっという間に力が抜けて、目の前が真っ暗になっていく。
「待ってよ、私、も……レムス……ティー、カー……」
……意識を保とうとしたって、気づいたら隠し扉の中に倒れていた。
閉められた扉の前にはあっという間に物が積まれて、二人が出ていく音が聞こえた。
……やがて、あたりが静かになった頃に目が覚めた。
隠し扉の中にいるんだって、床から天井を見上げて思い出した。
聖剣が、私の腕の中に戻ってきている。
外は何も音がしなくなってたから、物が積まれて開かない扉を切って壊した。
暗い小屋の中から、森に出た。
村に向かって、必死に走った。
……村にはもう、煙が立ち込めていた。
家は全部焼かれて、どこもかしこも黒と赤に染まっていた。
人の声も、魔族の声も、木が燃えて弾ける以外の音は何もしなかった。
「お父さん、お母さん、……っ」
村には誰もいないし、誰かだった痕跡ばかりが残されていた。
……魔物は人間も食べるって、お父さんに聞いていた。
村の住人だった人たちの亡骸を見ながら、それでも生きている誰かがいないか声を張って必死に探した。
地面がいくつも抉れた場所で、壊れた腕輪を見つけた。
……私があげた、レムスの腕輪だ。
真っ赤に染まって割れた腕輪を震える手で拾ったけれど、近くに二人がいるかもしれない。
「レムス……ティーカー……っ」
たどり着いたのは、何もかも壊れた村の片隅だった。
金髪に、青の瞳の子供が一人だけ残されていた。
膝をついて、ティーカーは、ただうつむいていた。
「ティーカー!」
必死に駆け寄って、幼馴染を揺らした。
頬を叩いて、ようやくティーカーが私を見てくれた。
「ティーカー、レムスは? 一緒にいたんじゃないの!?」
「レムス……」
「村は全部焼け落ちてた。でもティーカーが戦って残ってくれたなら、レムスだって」
「全員、殺された……レムスも、もう……いない……」
いつも大事にしてくれていた腕輪が、赤に濡れて転がっていた。
ティーカーの言葉でようやく、信じたくなかったことも理解した。
何も出来なかった勇者の慟哭が、何も無くなった村に響いた。
『落ちこぼれ勇者』っていつも言いながら、厳しく、優しく指導してくれたお父さんも。
最後まで無事を願って、私たちを隠してくれたお母さんも。
穏やかで、でも勇敢だったレムスも。村のみんなも。
この日、みんな、みんな、勇者を探しにきた魔王の軍勢に平らげられた。




