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巨砲の彼方

作者: 仲村千夏

 老将・榊原中将は、蒼い海を睨みつけるように見つめていた。

 横須賀軍港の沖合、二隻の巨大な艦が悠然と航行している――赤城、そして天城。かつては巡洋戦艦として生を受けたその船体は、いまや飛行甲板を備えた空母となり、まるで海に浮かぶ鷲のように猛禽の風格を漂わせていた。


「空母が戦艦に取って代わる、か……」

 榊原は誰にともなく呟いた。

 彼はかつて、連合艦隊の要として長門、陸奥、そして八八艦隊を支える信念に生きてきた。巨砲こそが制海の王道――その教えは、日露の記憶とともに海軍に深く刻まれていた。


 今日は、赤城と天城による空母攻撃演習の観閲が行われる。標的艦には旧・安芸型戦艦・敷島。すでに老朽化し除籍された艦ではあるが、装甲は健在で、海軍の技術将校たちが「航空攻撃の威力評価」に好んで用いる相手だった。


「中将、もうすぐ攻撃が始まります」


 声をかけたのは、榊原の副官・大田少佐。若く、航空主兵論に理解を示す逸材である。


「ふん……始めてみるかの。空の艦隊とやらを」


 榊原は重々しく立ち上がり、艦橋の観測窓から双眼鏡を構えた。


 


 演習が始まったのは、正午を少し過ぎたころだった。

 天城の甲板から第一波が発艦する。十二機の九一式艦上爆撃機が一糸乱れぬ編隊で空へと舞い上がる。


 それを見て、榊原の眉が微かに動いた。


「……まるで舞台を踏む踊り子のようだな」


「はい。あの精度は、実戦でも有効と評されています」


「だが……爆弾が戦艦の装甲を貫けるものか」


「貫通力の評価も兼ねています。実弾を搭載し、主甲板部を狙います」


 


 やがて、標的艦・敷島の周囲に爆発の水柱が立ち上る。最初は至近弾が多かったが、第三波が始まる頃には、二発、三発と明らかに甲板を直撃する命中が確認された。


「……これは……」


 榊原は思わず双眼鏡を下ろし、肉眼でその光景を確かめた。

 敷島の煙突から白煙が上がる。艦上に黒い穴がいくつも穿たれているのが、遠目にも分かる。


「主砲が唸る間もなく、やられるとはな……」


 爆撃はなおも続いた。観測艦からの報告によれば、模擬弾を含めた命中率は実に四割超。特に赤城からの艦攻部隊が、船体中央部を集中砲火したことで「機関停止」を再現したという。


 


「これが空母の力です、中将。いかがでしょう?」


「……無力化は見事だ。だが、真の戦争では反撃もある。戦艦が黙って撃たれるとは思えん」


「その反撃を受ける前に叩く。それが空母戦術の要諦です」


 榊原は、重ねて海を見た。かつて彼が人生を捧げて設計に携わった巨艦たち――長門、陸奥――そのすべてが、空からの爆撃という脅威に曝されている現実を、彼は嫌というほど感じ取っていた。


「……それでも、俺たちは艦を作ったんだ」


「はい」


「若き日の俺が、長門の前部砲塔を設計した日。三十六センチ砲を睨んで、どうすれば射線を広く取れるか、そればかり考えていた」


「……」


「そして今は、飛行機の格納庫と射出軌道か。……世代が変わったのだな」


 


 しばしの沈黙のあと、榊原は静かに言った。


「航空主兵が時代を制すかもしれん。だが、戦艦が果たす役割はまだ終わっちゃおらん」


「それは……?」


「戦艦の存在が、敵の動きを縛る。空母にすべてを任せれば、相手は必ずその虚を衝く」


「……つまり、空母と戦艦の連携を?」


「そうだ。どちらか一方では足りん。お前たちの世代が空を制すのなら、俺たちの世代はその背中を護る」


 大田少佐は敬礼した。


「ありがたきお言葉。中将のような方が、空母時代を理解してくださることに、私は救われる思いです」


「ふん……今さら航空服なんぞ着られる歳でもなかろうがな。せめて、海軍の未来を信じる心くらいは……残してやろう」


 


 蒼空を、天城からの帰還機が飛んでゆく。

 その姿を見つめながら、榊原は胸の内に刻まれた巨砲の記憶と、空に生きる新たな武士道の間で、静かに、確かに一歩を踏み出していた。

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