旧シナリオ倉庫群
世界の裏側へと足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
音が、重い。色彩が、浅い。息をするだけで、何かに喉を掴まれる感覚があった。
「……ここが、旧シナリオ倉庫群か」
ヴァルの言葉に、俺たちは無言で頷いた。
「ここには、ボツになった物語が収められている。異世界転生候補者たちが演じるはずだった、数えきれない分岐ルート。設定だけのNPC。プロローグで終わった大冒険……全部、ここに詰め込まれている」
捨てられた物語たちの墓場。
「おい、あれ……」
マコトが指差す先、地面の割れ目から、ヒトの形をしたナニカが這い出してきた。
「……エコーだな」
「エコー?」
「かつて誰かに、なりたかった存在の残滓。自分の役割を果たせないまま、記録もされずに削除された、影のようなものだ」
影の群れは、ゆっくりと、だが確実にこちらへ向かってくる。
「――選ばれたかったって、顔してる」
ミサトが、小さく呟いた。
その声が引き金だった。
次の瞬間、エコーたちが一斉に襲いかかってくる。
「来るぞッ!」
ヴァルが槍を構えると同時に、俺たちも武器を手に取った。
ミサトはブレード状の記述ナイフ。マコトは中距離対応の修正ボルト。俺は、ヴァルから預かったスカウト残滓ナックル。
「自己評価値、ぶち抜いてやる……!」
一体、また一体。倒しても倒しても、エコーは湧いてくる。
「きりがねぇ……!」
「こいつら、成仏できてない台詞で動いてるんだ」
「台詞……?」
「自分が言えなかったセリフ、自分がなれなかった役。それが呪いとなって、延々と再生されてる。倒すには――」
「言わせてやれってことか……!」
俺は一歩踏み出し、目の前のエコーに向かって叫んだ。
「――お前は、主人公になりたかったんだな!」
瞬間、影がぶれる。
その隙をついて、ミサトがナイフを滑り込ませる。
「じゃあ、その夢、私たちが引き継ぐ!」
刹那、影が霧散した。
「……効くのか、それ……!」
「わかんないけど、これしかない!」
戦い方が変わった。
単に力でねじ伏せるのではない。彼らの言いたかったことを、代弁する。
マコトも叫ぶ。
「お前、俺には何の取り柄もないって思ってたんだろ! ……でもな、それで終わりじゃない!」
「俺も同じだった……! 誰にも期待されなかった。でも、それでも――俺は、選ばれたい!」
叫ぶたび、影が消えていく。
でも、それでも、まだ最後の一体が残っていた。
それは、群れとは違う。明らかに格が違う濃度を持っていた。
「……あれが管理ユニット・アーカイブだな」
「ユニット?」
「この倉庫群に溜まった未使用者データを、自律整理する存在。つまり……ボツにされた物語の責任者だ」
「……じゃあ、あいつに消されたってことか。俺たち」
ヴァルは頷いた。
「奴に打ち勝てば、この場所の記録改竄権限を一時的に奪える。お前たちの名前を、未選定から仮登録に戻すことが可能だ」
「やるしかねぇってわけか……!」
アーカイブは、静かに口を開いた。
「選定基準外。感情優先型。リーダー資質低。構成不安定。物語の核として不適合」
「うるせえッ!!」
マコトが叫び、ミサトが駆け出す。
「そんなの、アンタが決めることじゃない!」
「私は物語の余白に、意味を見出す!」
俺も、全力で拳を振り上げる。
「お前の定義じゃ測れないものが、俺たちにはある!」
戦いは熾烈だった。
だが、三人の心は、どこまでも研ぎ澄まされていた。
そしてついに――
ヴァルの一撃が、アーカイブの中央核を貫いた。
「選定権限、上書き完了。再登録、承認」
無機質な声が最後に響き、空間が静かに崩れていく。
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崩壊する旧倉庫群の最奥。
微かな光が差す部屋で、ヴァルは言った。
「お前たちの仮登録は完了した。だが、まだ本登録には遠い」
「知ってる。でも――」
俺は、静かに答えた。
「ようやくスタートラインに立てたんだ。ここからだよ、俺の物語は」
マコトが笑い、ミサトが頷く。
かつて、ボツにされた者たちが、もう一度、物語へと手を伸ばし始めた。