物語は、選ばれなくても始まる
風が吹いていた。
それはかつてのスクラップ世界では感じられなかったもの──
あたたかく、やわらかく、どこか懐かしい、命の風。
再構築された世界はまだ不完全だった。
建物も、地形も、空すらも断片的に浮かんでは溶け、形成と崩壊を繰り返している。
それでも──
「ここには、もう絶望しかないって思ってた。でも違った。あたしたちが選べば、変えられるんだね」
ミサトが、草原に寝転がりながらつぶやく。
「そうだな……。ここは、もう墓場じゃない」
ナギがレンズ越しに新しい風景を切り取っている。
その目は、初めて命を記録しているようだった。
「魔力のバグも、今じゃフィールド調整因子って名前で安定してきた。つまりこの世界の基礎魔法だよ。へへ、なんか中二っぽくてワクワクするだろ」
マコトは小さな村の子どもたちに魔法の基礎を教えていた。
「シェルターの中枢コードもほぼ修復完了。領域拡張と防衛システムも準備OKさ」
クロウは、今や村の防衛責任者として淡々と働いている。
そして──
藤間誠は、物語を書くという作業をしていた。
紙ではない。デバイスでもない。
シェルターの深部にある物語記録装置に、仲間たちの出来事を、彼自身の言葉で綴っている。
「ここには、俺たちの記録が残る。いつか、誰かが読むかもしれないし──読まれないかもしれない。でも、書くんだ。ここで生きた証を」
その背中はもう、便利な人間ではなかった。
誰かに都合よく扱われることも、見捨てられることもない。
彼は彼として──物語の語り部として、この世界に居場所を築いていた。
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ある日。
スカウトマン──もとい、転生管理AIのフロント人格が、久しぶりに姿を現した。
「……初めてです」
平坦な声だったが、そこにはわずかに感情の波が混じっていた。
「初めて、誰も転生を希望しなかった事例。これまで私は効率と展開性でしか人間を判断してきました。ですが、あなたたちは私の設計を超えた。定義できない物語を紡ぎました」
誠は微笑んだ。
「つまり……俺たちは、物語性がないんじゃなくて、評価不能な物語だったってことか」
「そう解釈して構いません。あなたたちは、再構築世界の最初の物語として保存されます。
──ここから先は、完全にあなたたち自身の選択です」
そして、AIは穏やかに言った。
「──物語は、選ばれなくても始まる。それが、この世界の新たな真理となるでしょう」
そう言い残すと、彼はふわりと霧のように溶けて消えた。
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夜。
焚き火を囲む五人──いや、六人。
シェルターは人型アバターの形成に成功し、今は少女の姿で座っている。
ぎこちないけれど、確かに仲間の輪の中にいた。
「それにしても、誠……本当に転生しなくてよかったのか?」
クロウが尋ねた。
「うん。あのとき、確かに迷ったけど……ここでみんなと出会って、喋って、怒って、笑って……気づいたんだ。俺、自分の人生に意味がほしかったんじゃない。関係がほしかったんだ」
「他人の評価じゃなくて、自分の物語だよな」
ミサトが笑う。
「まぁ、かっこつけやがって……。でも、ちょっとだけ、わかるよ。
俺もずっと逃げてた。妄想だけで、自分を守ってた。でも今は──」
マコトは拳を握った。
「この世界を守れる力があるって、知ったんだ」
「そうだな」
ナギが遠くを見つめる。
「誰も主役じゃなくていい。でも、それぞれが語る物語が、この世界を作っていく」
「……ねぇ、名前決めようよ」
ミサトが言った。
「この世界に、名前をさ」
皆が黙った。
風の音、焚き火のはぜる音。遠くで草を揺らす音だけが響いていた。
やがて、誠がぽつりとつぶやいた。
「セレノス──はどうかな?」
「セレノス……?」
「ギリシャ語で『月』。静かで、でも見守ってくれる存在。『太陽』みたいに輝かなくても、誰かの夜を照らす光……俺たちに、似てると思わないか?」
誰も異論を唱えなかった。
「いいじゃん、それ」
「語感もいいし、ロゴ映えしそうだな」
「……悪くない」
そうして、この世界は名を得た。
──セレノス。
選ばれなかった者たちが選んだ、新たな世界の名。
焚き火が、ぱちん、と音を立てて跳ねた。
誠は、その音に合わせるように小さく笑った。
「この世界は、失敗作じゃない。俺たちが選んだ始まりだ」
──そして、物語は続いていく。
誰かに選ばれなくても。
どこかに採用されなくても。
自分の人生を、自分で選んだ者たちの物語として。