過去――静かな終焉
時が流れ、紗良がコアとして稼働し始めてから幾星霜。
かつて希望の拠点として降り立ったバステオン・アークは、いまでは静寂に包まれていた。
バステオン・アークの中枢にあるコアルーム。
艦内のあらゆる情報が流れ込み、彼女の意識に重なっていく。
紗良は目を閉じ、その情報の波を受け止めながらも、遠い過去に思いを馳せていた。
紗良は元々この世界の住人ではなかった。
別の星、別の文化圏で生まれ育った彼女が、この地に立っているのは「コア化」という選択をしたからだ。
「コア化――艦そのものと一体化し、艦のマスターユニットとして戦場の中枢を担う存在。艦の生存率を飛躍的に向上させる、最終手段ともいえる技術です」
恒星防衛軍の説明を聞いた時、紗良は直感的にそれがどれほど重要な役割かを理解した。
だが、その代償もまた、決して小さくはなかった。
「あなたの記憶や人格はそのままですが、戦艦の運用に必要な知識と命令系統は上書きされます」
そう説明を受けた瞬間、紗良の胸中には重い迷いが生まれた。
目の前には、恒星防衛軍の指揮官たちが緊張した表情で座っている。
彼らが持ち出してきたのは、コア化技術――人を艦の心臓部にするという極めて非人道的ともいえる提案だった。
指揮官の一人が端的に現状を説明する。
「私たちの星々は、未知の侵略者によって次々と占拠されています。コロニーが陥落し、惑星間航路が寸断されました。恒星防衛軍の力は及ばず、多くの生命が失われています」
巨大なホログラムに映し出されるのは、侵略によって荒廃した惑星や壊滅状態の防衛艦隊。
「我々は全力を尽くしていますが、敵の技術や戦術に対抗できる手段が不足しています。唯一の突破口となるのが、あなた方のような“魔石を持たない存在”によるコア技術です」
この言葉に、紗良の視線は下を向く。
地球とは違うこの世界で、彼女は自分が特異な存在であることを知った。
紗良の心にふと浮かんだのは、自分がこの世界に来る前の記憶だった。
あの日、紗良は街の横断歩道でトラックに轢かれそうな子どもを助けようと身を投げ出した。
だが、自分の力ではその子を押しのけることができず、衝突の瞬間の衝撃を最後に意識が途切れた。
目が覚めた時には、見知らぬ世界にいた。
その時から彼女の中には、あの子を救えなかった後悔と、次こそ誰かを救いたいという強い思いが残っていた。
指揮官の説明は続く。
「コア化した存在をマスターユニットとして配備した艦は、敵の攻撃を凌ぎ、味方艦隊を指揮し、戦局を覆す可能性があります。あなたの選択によって、数え切れない命を救うことができるのです」
紗良の胸は激しく高鳴った。
「私の選択で……命を救える?」
前世で果たせなかった想いが、彼女の心を揺さぶる。
助けることができなかったあの子。
その後悔を埋めるように、彼女は自分に問いかけた。
「もし、私がこの技術で戦場に立つことで、誰かの家族や仲間が生き延びることができるなら……私は……」
やがて紗良は顔を上げた。
「分かりました。私を“コア化”してください。」
そして、彼女は「コア化」を選んだ。
それは無理強いではなく、彼女自身が承諾してのことだった。
それは紗良にとって、過去と未来を繋ぐ大きな決断だった。
自分が救えなかった命の記憶と、これから救える命の可能性を胸に、彼女は一歩を踏み出した。
コア化が施されると、紗良の身体は戦艦の運用に最適化された。
見た目は人間の形を保っていたが、その内部は完全に改造されていた。
そしてバステオン・アークの「マスターユニット」となった紗良は、艦の全機能を統括し、有機的に運用するための存在となった。
この技術によって、恒星防衛軍は戦場で多くの戦果を上げた。
彼女のようなマスターユニットが搭載された戦艦は、通常の艦よりも生存率、撃破率ともに大幅に向上していた。
しかし、この技術は絶対数が限られていた。
コア化できる人間の数が限られているため、マスターユニットを搭載している戦艦は極わずかだった。
前回の戦闘で生き残ったのは、紗良を搭載する「バステオン・アーク」を含め、たったの4隻。
これらの艦は、すべてマスターユニットを搭載していた艦だった。
紗良はその事実を複雑な感情で受け止めていた。
彼女たちマスターユニットがいなければ、その戦闘で生存できなかった艦があったのも事実だ。
しかし、その代償として、彼女たちが担った犠牲の重さを無視することもできなかった。
紗良はコアルームで独り言のように呟いた。
「私は、これが正しい選択だったのか……まだ分からない」
紗良の瞳には、かつての艦長や乗組員たちの笑顔が思い浮かんでいた。
彼女の中には今も、人としての感情が生き続けていた。
それでも、彼女の決意は揺るがない。
今もなお、惑星の上で艦の運用を続けるのは、彼女の使命だったからだ。
しかし、戦争が終わったのか、敵が別の宙域に向かったのかは分からない。
今も本部との通信は途絶えたまま。
補給も支援もなく、長い孤独の日々が続いていた。
「でも……、そろそろ……、かな」
紗良は穏やかに呟いた。
彼女のコアシステムはすでに限界に達していた。
艦内の支援ホログラムや支援用機動兵器も、紗良が稼働を維持するための電力を節約する目的で停止させていた。
いつでも緊急起動できるよう最低限の設定だけを残し、現在バステオン・アークを管理しているのは彼女一人だった。
それでも、日々のルーティン――艦の保守点検や衛星データの確認、内部ログの整理――をこなし続けることで、彼女は自分を保っていた。
しかし、もはや限界は明らかだった。
コアの表面には細かな亀裂が走り、発光していたエネルギーが弱まっていく。
関節の動きも鈍くなり、コンソールに手を伸ばすだけでも激痛が走るようになっていた。
紗良は静かに最後の行動を決めた。
彼女は衛星のデータを再び閲覧する。
モニターに映し出されたのは、今や繁栄する惑星の様子だった。
バステオン・アークが到着した当初は、数万人に過ぎなかった住民。
それが恒星防衛軍の技術の流出と発展によって、数億を超える人口を抱えるまでに成長していた。
画面の中では、広場で笑い合う家族の姿があった。
市場で商品を買い求める人々や、手をつなぐ子どもたちの様子も見える。
「みんな……幸せそう」
紗良は穏やかな表情で微笑む。
彼女がコア化を選んだ理由、そしてこの世界に降り立った理由が、この画面の中に凝縮されているように感じた。
「もう……私がいなくてもいいんだね」
その言葉は誰に向けたものでもなく、ただ自分自身に語りかけるように紡がれた。
紗良は椅子に深く座り、コンソールに伏せるように体を預けた。
その瞳は徐々に輝きを失っていく。
彼女の心の中に浮かぶのは、前の世界での自分――子どもを救おうとしたあの日の記憶。
そして、この世界に来てからのコアとしての自分。
「これで……よかったんだよね」
そう思った瞬間、コアシステムが完全に停止した。
艦内のモニターがすべて消灯し、静寂が戻る。
紗良の体は徐々に砂のように崩れ、椅子の上で消えていった。
その姿は、まるで一陣の風に吹かれて消える幻影のようだった。
静まり返ったバステオン・アークには、紗良が長年見守り続けた記憶と希望が残され、外では紗良が愛した人々の笑顔が溢れている。
そして、誰も知らない静かな英雄として、紗良は眠りについた。




