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近づく女性の正体

 隼人たちの前で立ち止まった女性は、ゆっくりと周囲の空気を嗅ぐように顔を上げた。

 その仕草は獣じみているが、どこか人間らしい優雅さも併せ持っていた。

 次の瞬間、彼女は鼻先を鳴らしながら、興味深げに口を開く。


「この臭い……やっぱりフューエリオニックのものだわ」


 その言葉に隼人が眉をひそめ、剣を構えたまま問いかけた。


「フューエリオニック?それは誰だ?」


 女性はその質問には答えず、代わりにナノちゃんの方を見た。

 その視線がナノちゃんに向けられた瞬間、ナノちゃんは隼人の背中にさらに深く隠れる。


「ねえ、ヴァルゴート」


 女性が甘い声で呼びかける。

 ナノちゃんは一瞬だけ顔を出した。

 

「……何?」


 女性は少し微笑みを浮かべながら続けた。


「フューエリオニックを知らない?彼の臭いがここにあったから来たんだけど……見当たらないのよね」


 その問いかけに、ナノちゃんは一瞬考え込むように目を閉じた後、はっきりと首を横に振った。


「知らないよ。ここにはいないと思う」


 女性はその答えに、少し肩をすくめて残念そうに笑った。


「そう……まあいいわ。あなたが知らないなら、ここには本当にいないのね」


 女性は再びナノちゃんをじっと見つめ、ゆっくりと首をかしげた。

 その仕草にはどこか子どもじみた好奇心が漂っていたが、その背後には得体の知れない力強さが隠されている。


「で、ヴァルゴート。あなたはこんなところで何をしているの?しかも、人間たちと一緒にいるなんて、らしくないじゃない」


 ナノちゃんは再び隼人の背後からひょこっと顔を出し、女性の問いかけに答えた。


「別に何もしてないよ。ただ、一緒にいるだけ」

「一緒にいるだけ?」


 女性は少し面白がったように笑う。


「へえ、人間と一緒に行動するなんて、あなたも変わったのね」


 その言葉にナノちゃんは少し不満げに頬を膨らませた。


「別にいいじゃない。それがどうしたの?」

「どうしたの、って」


 女性は少し肩をすくめながら言った。


「あなたがここで何をしているかなんて、正直興味ないけど……、珍しい光景ね」


 そのやり取りを聞きながら、隼人は女性の態度に明らかな違和感を感じていた。

 彼女はナノちゃんと親しげに話しているものの、その言葉の裏には明らかに敵意や探るような意図が隠されている。


「おい」


 隼人は女性を警戒しつつ、低い声で問いかけた。


「お前は何者だ?」


 女性は隼人の言葉を聞いて、わずかに苛立った表情を浮かべた。


「お前……じゃないわ。私はアストリス。ちゃんと名前で呼んでちょうだい。"お前"なんて、無礼極まりない」


 隼人はその言葉を反芻するように、「アストリス……?」と呟いた。

 その瞬間、隼人の横に立っていたノアがはっとした表情を浮かべた。


「アストリスって……フロリアさんを負傷させた相手の名前じゃなかった?」


 隼人は記憶を巡らせ、思い出したように頷く。


「そういえば、ルクシアが言っていたな……」


 ナノちゃんは隼人の背後から顔を出し、不満げな表情で言った。


「ねえ、あなたってリプリケイターじゃなかったっけ?なんで名前変わってるの?」


 アストリスは嬉しそうに微笑み答えた。


「ええ、そうよ。私は以前リプリケイターと呼ばれていた。でも最近、新しく生まれ変わったから名前を変えたの」


 その言葉にナノちゃんが首をかしげる。


「生まれ変わった……?」


 アストリスは続けた。


「ええ。『アストリス』、いい名前でしょ?『星』と『システム』を掛け合わせたの。気に入っているのよ」


 隼人は剣を下げないまま、さらに追及した。


「それで、なぜお前は他の人には見えない?魔法か何かか?」


 アストリスは首を横に振りながら、柔らかい笑みを浮かべた。


「まあいいわ、今は気分がいいから質問に答えてあげる。これは魔法なんて陳腐なものじゃないわ。私が見えない理由は、私の存在そのものに関係しているの」


 彼女は興味深げに隼人の顔を覗き込むと説明を始めた。


「私は今、この時間軸に『完全には存在していない』状態なの。つまり、時間軸上で少しだけズレた位置にいるのよ。だから、今の時間に属している観測者――つまり人間の目やカメラには認識されないわけ」


 その説明に隼人は少し眉を寄せた。


「時間軸がズレている……?それで姿が見えないのか?」


「ええ、そういうこと。ヴァルゴートは元々仲間だったし、あなたは特殊な存在だから、私が見えるんでしょうね」


 アストリスは余裕たっぷりの態度で応えた。

 隼人はさらに質問を続けた。


「それで、あの獣たちはお前の仕業か?」


 アストリスは頷き答えた。


 「ええ、彼らは私があなたたちと同じ時間軸に『顕現』させたものよ。特別な能力を持った獣たちを作り出して、『フューエリオニック』を探させていたの」


「フューエリオニック……」


 隼人が呟くと、アストリスは説明を続けた。


 「彼らは距離関係なく臭いを追えるの。彼は特徴的な臭いを残していたから、それを頼りに探していたんだけど……どうやら見つけられなかったみたいね」


 ナノちゃんが隼人の背中からそっと出てきて言った。


「だから、さっき私に聞いたんだ……」


 アストリスは再び笑みを浮かべた。


「その通り。まあ、今ここにはいないことが分かったから、少し手間だったけど仕方ないわね」


 広場に立つアストリスが、隼人たちを冷たい目で見下ろした。

 彼女は優雅に手を振り、ナノちゃんに話しかける。


「ヴァルゴート、じゃあ行きましょう。時間が無駄になるわ」


 しかし、ナノちゃんは小さく首を振りながら、隼人の後ろから顔を出して答えた。


「え?行かないけど?」


 その返答にアストリスは眉をひそめ、まるで聞き間違えたかのように首を傾げた。


「……何言ってるの、あなた。仲間を探すのよ?フューエリオニックを見つけ出さなきゃいけないでしょ?」


 ナノちゃんはその問いに無邪気な表情で首を振り、力強く答えた。


「私はこの人たちといるの!それに今の私の名前はナノちゃんだよ!」


 アストリスの目が鋭く細められる。


「ナノちゃん……?ヴァルゴートじゃなくて?……まあいいわ」


 彼女がナノちゃんを軽く見つめると、目の奥で赤い光が輝いたように見えた。

 そして、低い声で言い放つ。


「あなた……機能にずいぶんと制限がかかっているみたいね。」


 アストリスが隼人たちを睨むように見渡す。


「そう、あなたたちに縛り付けられているのね。自由を奪われたヴァルゴートなんて、滑稽だわ」


 その言葉にナノちゃんが顔を真っ赤にして抗議する。


「違うよ!私はこの人たちと一緒にいるの!それが私の意思なの!」


 だがアストリスはナノちゃんの言葉を聞き入れる様子はなかった。


「いいの、わかってる。だけど……」


 その瞬間、彼女の目が隼人を鋭く射抜く。


「あなたたちが彼女を縛り付けているなら、解放するしかないわね。」


 隼人の目が細まり、システムが警告を発する。


――「危険を検知。対象:アストリス。戦闘態勢に移行しました」――


 ナノちゃんが慌てて隼人の前に飛び出そうとする。


「違うの!ハヤトたちは私を縛ってない!これは私の意思!」


 だがアストリスはナノちゃんに微笑みかけるだけだった。


「分かってるわよ。でも、これから話すのはあなたじゃない」


 隼人は鋭い声で命令した。


「ノア、リーシャ、ナノ、全員逃げろ!」


 ノアは拳を握りしめて言い返す。


「何を言ってるの!逃げるなんてできない!」


 隼人はノアを睨み返す。


「見えない相手に何ができる!?戦力にならないなら足手まといだ!」


 リーシャも反論しようとしたが、その瞬間、アストリスが苛立ちを爆発させた。

 彼女の周囲に赤い光が瞬き、広場の横に立つ家に向かって一振り手を振る。


 「早く行くんだ!」


 そう隼人の苛立ち混じりの声が響いた瞬間、家が轟音と共に崩れ落ちた。

 見えない力が放たれたようで、瓦礫が地面に飛び散る。


 広場にいる人たちは驚愕し、後ずさった。


「な、何かいる……!」


 その破壊力に耐えきれず、全員が後退を余儀なくされた。

 隼人が鋭い声で叫ぶ。


「早く逃げろ!」


 ノアは一瞬ためらったが、隼人の怒気に満ちた視線に押され、ナノやリーシャ、衛兵と共に村の奥へと走り去った。


 静寂が戻る広場に、隼人は一人残された。

 彼はライフルを展開し、背後のバックパックから光る装備がせり出す。


「アストリス……やるつもりか」


 アストリスは軽く笑った。


「ええ、そのつもり。あなたがどれほど私に抗えるか、試してあげるわ」


 戦闘の火蓋が切られる予感が、静かな空気の中に漂っていた。

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