木箱の中身とその効果
村長宅に案内された隼人たちは、依頼品である木箱を村長に手渡した。
村長は白髪混じりの髭を撫でながら、木箱を受け取り、感謝の言葉を述べた。
「遠いところ、ご足労いただき感謝します。これで村の安全が保たれますよ」
村長は机の上に置いてあった紙を持ち上げ、サインをして手渡した。
これで正式に依頼は完了だ。
「こちらが受領書です。ギルドに提出してください」
隼人が受け取ると、村長は木箱を慎重に持ち上げ、机の奥に置いた。
一息ついた隼人は、村長に軽く問いかけた。
「村長さん、この中身は一体何なんですか?呪術屋さんが作ったものということで、少し気になりまして」
その質問に村長は目を細め、朗らかに笑った。
「ああ、確かに呪術屋から取り寄せているものですから、怪しいと思うのも無理はないでしょうね。でも、中身自体は特に危険なものではありませんよ」
隼人たちは興味津々で村長の話を待つ。村長は木箱を軽く叩きながら、説明を続けた。
「この木箱の中には、あるモンスターの臭いを模した薬が入っているんです。この薬は弱いモンスターや獣を遠ざける効果があります。村の周辺を守るために定期的に使っているんですよ」
ノアが驚きながら尋ねた。
「モンスターや獣を遠ざける薬……そんなものがあるんですね」
村長は頷き、補足した。
「一定期間で効果が切れるので、こうして定期的に取り寄せているんです。安全を保つためには欠かせない品なんですよ」
隼人たちはホッとした表情を浮かべた。リーシャが村長に向かって少し笑いながら話しかけた。
「そういう普通の効果なら良かったです。呪術屋さんが壊れたら困るとか言ってたので、どんな怖いものかと思っちゃいました」
村長は軽く笑いながら答えた。
「まあ、それは確かに壊れると困りますね。もしこの薬が壊れて中身が飛び散ったら、冒険者の皆さんにとっては大変でしょうから」
「どういうことですか?」
隼人が尋ねると、村長は木箱を指さして説明を続けた。
「この薬はモンスターや獣を遠ざける効果がありますよね?つまり、冒険者の皆さんにその臭いが付いてしまったら、狩りができなくなります。報酬が得られないどころか、仕事自体が成り立たなくなるかもしれませんから」
リーシャは納得したように頷いた。
「なるほど、それで『壊したら困る』って言ってたのね。そういう意味なら確かに納得だわ」
ノアも笑みを浮かべながら口を開いた。
「じゃあ、怖いものじゃなくてよかったね。危ないものを運ぶのかと思ったけど、村の安全を守るための大事なものなんだ」
隼人は一同のやり取りを聞きながら、肩の力を抜いた。
「確かにそうだな。それに、こうして村の人々の役に立てたなら何よりだ」
村長は改めて隼人たちに感謝を述べた後、木箱を大切そうに棚へと仕舞った。
「遠いところをわざわざありがとう。村の皆もこれで安心して過ごせるよ」
「いえ、これが仕事ですので。それでは、また何かあればご依頼ください」
木箱を大切そうに棚にしまった村長が、そこから一本の小瓶を取り出した。
それは今回運ばれた薬品の一部のようだった。
「実は、この薬品をこれから撒きに行くんですが、ご一緒されますか?」
村長が隼人たちに声をかける。
「撒きに行く……って、どうやって使うんですか?」
隼人が少し興味を持ちながら尋ねると、村長は朗らかに笑った。
「百聞は一見に如かず、ですね。一緒に来ていただければ、詳しくお見せしますよ」
「面白そうじゃない!行こう!」
リーシャが真っ先に興味を示し、ノアも隼人に軽く頷いてみせた。
ナノちゃんも嬉しそうに飛び跳ねる。
「わかりました。ぜひ見学させてください」
隼人が答えると、村長は木瓶を手に先導し始めた。
村長に連れられて、隼人たちは村を抜け、畑を横切ってさらに先へと進んだ。
広がる草原の中に、村を取り囲むように細い道が続いている。
「ここが村の端になります。この辺りに薬品を撒いておくと、弱いモンスターや獣が寄りつかなくなるんです」
村長が説明しながら足を止めた。
彼は小瓶の封を開けると、周囲に広がる草むらに向かって薬品を少しずつ撒き始めた。
途端に、独特な臭いが辺りに漂い始める。
「ただ撒いてるだけだよね……。うっ……なんか強烈な臭い」
ノアが鼻を覆いながら顔をしかめた。
「これ……ちょっとキツイわね」
リーシャも同じように反応し、眉をひそめる。
「これが薬品の効果か……」
隼人は臭いに顔をしかめながらも、どこか懐かしさを感じていた。
「ナノちゃん、平気なの?」
ノアが隣で跳ね回るナノちゃんに尋ねると、彼女は首を傾げながら笑った。
「なんかね、これ、昔嗅いだことがある臭いなの!」
「そうなのか?」
隼人がナノちゃんに向き直る。
「うん!昔の仲間の一人が、この臭いのする薬品をよく飲んでたんだよねー」
隼人の眉がわずかに動く。
その瞬間、隼人の脳裏にあるものが浮かび上がった。
この臭い――どこか懐かしい。
まるで、ガソリンのような臭いだ。
(まさか……これ、本当にガソリンなのか?)
隼人は心の中で驚きを隠せなかった。
ガソリンは隼人が元いた世界で、燃料として広く使われていた液体だ。
しかし、この世界でそれに似たものが存在するとは想像していなかった。
しかも、それがモンスター避けの薬品として使われているとは――。
「ハヤトも何か感じた?」
ナノちゃんが楽しげに隼人を見上げた。
「いや……ちょっと懐かしい臭いだと思っただけだ」
隼人は曖昧に答えつつ、ナノちゃんの言葉を思い返していた。
彼女が言う「昔の仲間」とは一体誰なのか。
そして、この薬品がガソリンに似た物質だとしたら、なぜこの世界に存在するのか。
村長は薬品を撒き終えると、満足げに頷いた。
「これでまたしばらくは村の周辺も安全です。こうして定期的に撒いていれば、弱いモンスターは近づきませんからね」
ノアは鼻を覆いながら尋ねた。
「それにしても、この臭いで遠ざけるって……本当に効果があるんですね」
「ええ、試してみればわかりますよ。これを撒いている間は、モンスターどころか野生の獣もほとんど寄りつきません」
村長は自信満々に答えた。
「なるほどね」
リーシャは腕を組みながら、辺りを見回していた。
隼人は村長の説明を聞きつつ、胸の中で思案を続けていた。
この薬品が本当にガソリンに似たものなら、精製方法等を知っている人物がこの世界に存在している可能性がある――。
しかし、今は追及する時ではない。村長への礼儀を重んじ、隼人は疑問を胸にしまい込んだ。
隼人たちは薬品を撒き終わった村長に見送られ、王都へ向かう街道を歩いていた。
道は広く、周囲には平原が広がり、心地よい風が吹いている。
ナノちゃんが時折道端の花を見つけては駆け寄り、明るい声をあげていた。
「いやぁ、任務も無事終わったし、久しぶりに気楽な気分ね」
リーシャが手を後ろに組みながら歩いている。
「そうだな。でも油断は禁物だ」
隼人が答え、周囲に目を配っていると、ノアが突然立ち止まった。
「……あれ?」
ノアがペンダントを軽く触れる。ペンダントの中心部がわずかに光り始めていた。
「どうした?」
隼人が振り返ると、ノアは答えた。
「通信が入ってるみたい」
ノアがペンダントの通信を受けると、ルクシアの落ち着いた声が響いてきた。
「ノア様。こちらルクシアです。緊急のご連絡です」
「どうしたの?」
ノアが心配そうに訊ねると、ルクシアは続けた。
「先日お伝えしていたダンジョンにて、不明な存在と接触しました。フロリアがその存在と交戦しましたが、負傷し意識を失いました。」
「なっ……!」
隼人は思わず息を飲む。フロリアは自分たちより遥かに強い実力者だ。
その彼女が負傷したという事実に驚きを隠せなかった。
「その不明な存在ですが、『アストリス』と名乗っていたようです。フロリアを気絶させた後、どこかへ姿を消しました。現在行方が分かりません。念のため、皆様も警戒を怠らないようお願いいたします」
「アストリス……」
隼人はその名を反芻しながら険しい表情を浮かべた。
通信が終わると、隼人たちはしばらく沈黙していた。
リーシャが口を開く。
「闇の存在を倒したフロリアさんが負傷する相手なんて……そんなの、私たちで太刀打ちできるの?」
「正直、わからない」
隼人は正直に答える。
「でも、どこにいるのかも、こっちに来るのかも不明だ。今できるのは、警戒を怠らないことだけだな」
ノアも頷きながら口を開いた。
「フロリアさんが無事でよかったけど……その相手がどこにいるのか、全く手がかりがないのは不安ね」
「ナノちゃん、何か知らない?」
リーシャが隣のナノちゃんに尋ねると、彼女は首を振った。
「ううん、何もわからない。でも、アストリスって聞き覚えがあるような、ないような……あんまり覚えてないや」
隼人はナノちゃんの曖昧な答えに軽く眉を寄せたが、これ以上追及しても仕方がないと判断した。
会話が一段落したところで、後ろを歩いていたライナーが隼人に声をかけた。
「ハヤト殿、今の通信は何だったのですか?」
マリアも軽い調子で加わった。
「なんだか物騒な内容だったっぽいけど、私たちも知っておいた方がいいわよね?」
隼人は二人を振り返り、軽く頷いた。
「わかった。隠すことでもないし、今の通信の内容を説明する」
隼人は簡潔に話をまとめた。
「今の通信は、俺たちの仲間であるルクシアからだ。あとフロリアという仲間がいて、俺たちより遥かに強い戦士だが、その彼女が負傷させられた。相手は『アストリス』と名乗っていたらしい」
「あなた方より更に強い……そんな相手がいるのですか?」
ライナーの真面目な顔がさらに険しくなる。
「強いというか……どんな存在なのかもまだはっきりしていない。さらにそのアストリスは、フロリアを負傷させた後、姿を消したそうだ」
「へぇ、でも、そんなやばそうなやつがどこかに潜んでるってこと?」
マリアが軽く眉を上げる。
「そういうことだな」
隼人は静かに答えた。
「帰還後に王子にも伝える必要があるな。ただ今できるのは、必要以上に目立たず、警戒を怠らないことだ」
ライナーは真剣に頷き、マリアも肩をすくめながら「了解!」と言った。
「とりあえず王都に戻るまでは、何事も起こらないことを祈ろう」
隼人はそう締めくくり、再び歩き始めた。
見知らぬ強敵の影を感じながら、隼人たちは少し緊張した面持ちで足を進めていった。




