今のままじゃダメ?
「…さん。槙田さーん!」
「え?は、はい?」
ぼーっとしながらギリギリ仕事をしてエレベーターを待っていると声をかけられていたらしい。ニコニコと、後藤くんが立っていた。
「駅ですか?一緒に帰りませんか?」
「う、うん」
先延ばしにしていたが、後藤くんにも返事しなきゃ。
考えてはいたのだ。「まだ返事いいです!」の“まだ”がいつまでなのか、わからなくて。
エントランスを抜けて、後藤くんの隣を歩く。
ひょろりと高い、背の高い私でも見上げる身長。冷たい風で、ふわふわと後藤くんの髪が揺れた。
「川嶋さんと何かありました?」
「ええっと、……いや。別に。」
翠のことを話すのは、無神経かなと誤魔化そうとしたのに、後藤くんはぷっと噴き出した。
「わっかりやすいなー。告白でもされました?」
「ふぇ!?」
「あはははは!槙田さん、ウソつけないですね」
こういうとき、とっさに誤魔化したりウソが出てこないのは昔からだ。
「な、なんで…」
「川嶋さんが今日機嫌よかったから」
「ま、まっさかー」
「お昼も一緒にでかけてましたし」
「……うん」
「付き合うんですか?」
どんな気持ちで言ってくれてるの、それ。
だって、私のこと、好きだって言ってくれて。
「僕、聞く権利あると思うなー」
ニコニコと可愛いえくぼを見せて、私の言葉を待ってくれる後藤くん。
「ははは、なんで顔してるんですか。」
少なくとも、伝えるだけで満足する好意ではなくて、チャンスがあるなら頑張りたいと思う程度にはきっと好いていてくれて。
どんな顔したらいいかわからなくて、どんな表情でも傷つけそうで。
「今、返事もらってもいいですか?」
ピタリと歩みを止める後藤くん。
私も引っ張られるように足を止めて振り返った。
最近、見慣れてしまった、眉を下げる困り顔。
そんな顔をさせているのは、紛れもなく私だ。
お弁当のおかずやお菓子を分けてくれるのは楽しくて、仕事の悩みや愚痴を話してくれるのも、新卒の頃から見ていた先輩として嬉しくて。
でもそんなこと、不用意に、言えない。
「ごめんなさい。後藤くんとは付き合えません。」
顔を見れなくて、深々と頭を下げる。
バサバサバサバサ
「ぎゃあ」
カバンの中身が流れ出た。
ほんと私ってこういうとこ…
「何やってるんですか」
「あわわ、ごめん」
しゃがんで、一緒に飛び出した本やポーチを拾ってくれる後藤くん。
「昔と逆ですね」
「え?」
「新人の頃、ファイル思いっきりぶちまけて、真っ先に手伝ってくれたのが、たまたま経理部に来てた槙田さんだったなって。」
ポーチを渡してくれた、そのまま、後藤くんは膝を抱えて穏やかに微笑んだ。
覚えてる。
真っ青になっているのが、新人の頃の私に重なって、思わず声かけていた。
「これ重いよねー昔私もひっくり返しちゃった」とかなんとか。
私もひっくり返したとき、翠や真紘が手伝ってくれたから。
「『伸びる新人の育て方』」
本のタイトルと、付箋びっしりの資料を見て、笑われてしまった。
「それはっ」
「新人さんの提案資料添削ですか?」
「……ソウデス…」
「面倒見いい槙田さんらしいですね」
営業部の新人ちゃんが教育担当の先輩社員が手一杯で放置されかけていて、見るに見かねてアレコレ世話を焼いてしまったのだ。
困ったら私を頼ってくれるようになり、実質教育担当となっている。
翠には、キャパないのに何仕事増やしてんのと呆れられた。
「だって、ほんとはベテランの先輩が教えた方がいいでしょ。教えられることは限られるけど、せめて後輩が困らないように努力はしなきゃって」
「らしいなあー」
無駄に仕事増やしちゃってキャパオーバーしてるところ、が?
「仕事というより、不安なときに気にかけてもらえるだけで僕は嬉しかったです」
「そっか。それはよかった」
翠に無駄と言われたそれが、誰かの役に立っていたなら、よかった。
受け取った本を立ち上がってカバンに入れ直す。
「そういうとこも好きでした。」
「…ありがとう」
私を見上げて、えくぼを見せて微笑む後藤くんは、あのときのまま、やっぱり可愛い後輩だった。
「やっぱり川嶋さんが好きですか?」
その質問は、今、一番困る。
私が一番、わからない。
「あれ。即答じゃないんですね」
「っ、それは…」
後藤くんは隣を歩きながら、意外そうに首を傾げた。
「僕が告白したときは、そんな悩まなかったと思いますけどね」
「そうかな」
「即答で断ろうとしたでしょ?」
「そんな…ことは…」
あるかも。
気持ちは嬉しかったけど、付き合うイメージはつかなくて、咄嗟に。
「あーあ、川嶋さんと上手く行ってないなら、付け入る隙あるかなって思ったんだけどなー」
「うーん…」
「やっぱあれくらいクールで何考えてるかわからないくらいがモテるんですよねー。仕事もできるし羨ましい」
唇を尖らせてそんなことを言う後藤くんに、思わず笑ってしまった。
「あ、これで気まずくて避けるのナシですからね!」
バイバイと手を振って。後藤くんは家の方面の電車のホームへ降りていく。
私も手を振り返して、ホームへ向かった。
電車の窓に映る私は、やっぱり一重で、翠に似合いそうなフワフワ可愛い女の子ではなくて、困った顔をしている。
後藤くんは可愛い後輩で、付き合うイメージがつかなかった。
でも翠は…翠だって、付き合うイメージがつかない。
ずっと友達としてしか見ていなかったのに、いきなり異性としてなんて見れない。
抱きしめられるのは、嫌じゃなかった。
でも、女友達とだってじゃれて抱きついたり、抱きしめたりすることはあるし。
同僚に酔って肩に腕を回されるくらいなら何とも思わない。
…違うな。
他の人は関係なく、抱きしめられるのを嫌だと思わないくらい、翠のことは大好きだ。
ずっと隣にいたいのに、なんで意識してなんて言うのって思ってる。
関係性変えなきゃダメ?今のままじゃダメ?
なんで、友達の好きならいらないなんて言うの?
翠の顔が見れなくて、話したいこともあったはずなのに緊張して、考えて話すには内容が空っぽで口にできなくなって。
なのに、翠はそんな私を見て満足気。
翠と違って恋愛経験値は大してないのだ。
元カレだって、意気投合してたら周りに「付き合っちゃいなよ」って冷やかされて何となく始まったくらいだ。
私なりに、この人とずっと一緒にいれたらいいなと思ったから、首を縦に振った。
でも、翠の“恋愛”って違うんでしょ?
ゲームみたいに心を賭けて楽しむんでしょ?
数ヶ月で別れても「続いた方だよね」って、心ごと簡単に切って捨てられるくらい。
やだ。
そんなのは嫌。