マズい。-side翠-
男らしいし話しやすい。下ネタも可愛い女子の話も気軽にできる。男友達のように扱われ慣れている。持ち前のお人好しで要らんとこまで気を回して、後輩の面倒見もいい。自分の仕事終わらなくなるくせに。
本人は女子にモテるだけと思っているようだが実際は違う。
純粋に可愛がっている人も慕っている人も多いが、それなりにそういう目で見られてもいるし、飲みに誘う殆どにあわよくばと下心が透け見える。
なのだが、茜本人はアプローチにも気付かず、のほほん。
普段は危なげない距離感なのだが、いかんせん酒に弱い。
「すーいー!」
一次会の会場を出たところで、ガシッと肩に腕を回される。
完全に出来上がっている。
「飲み過ぎだアホ。」
「酔ってないよ!」
「嘘つけ、弱いんだから加減覚えろ」
「弱くない!」
「弱いわ」
「翠だって弱いのに…」
「俺はキャパわかってるからいいんだよ」
「ねね、それより二次会カラオケだって。行こ?」
「聞けよ。行かねぇ」
「翠の歌久しぶりに聞きたい!ね?」
「帰るぞ」
飲みたがる癖に強くないんだから、酔い潰れんなよこういう場で。マジで。
「マキちゃん、二次会行く?」
「せんぱーい!翠に振られちゃいましたー」
ーーーなんだよそれ。人の気も知らないで。
声をかけに来たのは茜に気のある営業部の先輩だ。よく茜にお菓子をあげている。茜も喜んでそれをもらって…いやそんなことはどうでもいい。
残念そうに唇を尖らせて、スッと俺から離れて先輩の方へ行く茜。
俺に向けられた先輩の挑発的な目線にイラっとした。
「二次会行きましょ!」
ーーー何故、お前はその下心に気付かない。
考える前に、茜の手を掴んでいた。
「…俺も行く」
きょとんとした目が細くなり、八重歯を見せて笑う。
「うん!行こ行こ!!」
手を引いて二次会に行く人の輪に入れられた。
あーもー何やってんだ。
結局二次会まで行き、茜は一曲歌ってそのまま俺の肩に頭を預けて寝始めた。
隣で寝ているからと歌うのは断った。
「…何しに来たんだ、俺…」
だから帰ろうって言ったのに。
夢の中なのに楽しそうにむにゃむにゃ言っていている茜。
「…無防備に寝ちゃって…」
結局、少ししたら起こして終電に乗せてやった。
飲み会も残業も、こんなの放っておけばいいのに。
らしくない自分の紳士っぷりが心底不快だ。
◇◆◇
あーあ、雨ダルいなと思いながら廊下を歩いているとしゃがみ込んでいる茜。
「何やってんの」
体調でも悪いのかと思ったら、雷に怯えていたらしく、飛びついてきた茜は歯をカチカチいわせて震えていた。
怖いものなしで何処へでも突っ込んで行く茜が。
窓の少ない資料室へ連れ込んで抱きしめてやると、想像以上に細い肩に戸惑った。
ふわりと、香水じゃない甘い香りが鼻を掠める。
マズい。
いつもは気丈に微笑んで弱みなんて見せないのに。
同期が辞めたり、アイドルが引退したりで、コイツの涙なんて見慣れてるだろ。
すがるように背中に回された腕に、あたたかい体温に。
「カワイーとこあるじゃん」
いつもの軽口のつもりで言ったそれは上擦ったが、耳を塞いでいる茜にはきっと届いていないだろう。
こんな生産性のない時間、無駄なだけなのに。
離れがたくて、泣き止んで震えが治っても、抱きしめたままで。
落ち着いたなら、離して仕事に戻るべきなのに。
茜も俺に体を預けたまま動こうとしない。
役得なんて思う相手じゃないだろ。
可愛い。
怯えて震えているのが。
泣いて俺にすがるのが。
ーーーもっと泣かせたい。
マズいマズいマズい。
芽生えた感情を振り払うように、茜を引き剥がす。
そんな俺の心情など露知らず、茜は微笑んだ。
鼻を真っ赤にして、潤んだ瞳で、八重歯を見せて。
「ありがとう」
その頬に手を伸ばしかけて、誤魔化すように茜の頬をつまんだ。
そんな顔、他の奴に見せたくないなんて、どうかしてる。
「あ、川嶋さ…」
資料室を出たところで後藤と出会した。
「何?チェックなら置いといてくれれば」
「あ、えっと、今日中に仕上げたくて」
通り過ぎて行った茜を、わかりやすく気にする後藤。
ああうんそうだよねって、これまでなら全く気にも留めなかったことが気に掛かる。
フロアに向かいながら後藤は少し後ろをついてくる。
「…槙田さん、泣かせたんですか」
「さぁ。それお前に関係ある?」
なんで、こんな些細なことでイライラしているんだ。
「あります!」
なんなんだ。
「僕は槙田さんが好きなので」
言われなくても知ってる、そんなこと。
知らないのは茜だけだ。巻き込むな。
「泣かせるなら奪います」
ーーーお似合いだ。
率直な感想だった。
純真で正面突破で、真面目で努力家で不器用で。
「川嶋さんが付き合ってるのに泣かせるなら」
「付き合ってない」
「…えっ?」
後藤の言葉の先は何となく予想できるが、苛立つまま遮った。
「好きにしたら。俺関係ないし」
少なくともこんな、どす黒い感情を向けたりしない。
友人として、先輩として、見守るのがベストな選択に思えた。
◇◆◇
抱きしめた体を、体温を、吐息を、ふとした瞬間に思い出す。
マズい。
そう思うのに、今更距離の置き方なんかわからないくらい、隣にいた。
理由もなく邪険にはできない。
…それは言い訳で、自分で思っていたよりずっと茜の隣が居心地よくなっていたみたいだ。
会社の飲み会なんて煩わしいばかりで、何の生産性もないのに。
何となく気がかりで、飲み会に顔を出してしまうのはもう習慣だった。
そして案の定酔い潰れ、タクシーで連れ帰った。
酔って抱きついてきて、そのまま寝るか?普通。
「…俺じゃなかったらどうすんの…」
俺だから気を許してるの?
後藤とか他の男にお持ち帰りされたらどうするつもりなの?
どうにか支えてベッドまで連れて行き、放り投げたい気持ちで寝かせた。
「んー」
じっとり汗をかいた。
何でこんなことしてるんだと自分に呆れながら、ベッドに腰掛けた。
「ほら、水飲んで寝ろ」
モゾモゾとシャツを脱いでいる茜に水を渡して飲ませた。
キャミソールだけ纏う引き締まった体からは無理矢理目を逸らして、まんまるな頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
心地良さそうに俺に撫でられている茜。
「翠も一緒に寝よ」
スルリと、撫でるのと反対の手を握られる。
あたたかい細い指が、俺の指に絡む。
「アホか」
「えー」
頭を撫でる手を離すと、コテンと横になって残念そうな顔をした。
ーーー無防備すぎだ。
「ソファで寝るからなんかあったら…」
「やだー行かないで翠」
「あのな」
指を絡めていない方の手が、俺の頬に触れる。
上気した頬。とろんとうるんだ細い目。
ちらりと覗く八重歯。
「いっしょがいい」
「ーーーっ!」
心臓が掴まれた。
なのに、茜はそのまますうすう寝息を立て始めた。
何事もなかったように、おだやかに。
頬に触れてた手は、俺の頬に熱だけ残してベッドに落ちた。
握った手だけはしっかり、離さないままで。
ドクドクと心臓が嫌な音を立てている。
「…信じらんねぇ…」
俺は脱力してそのまま茜の隣に横になった。
もう、言い逃れできなかった。
茜が可愛くて仕方ない。
バカで女らしくなくて、酒癖悪くて、可愛い女子にしか興味なくて、好きなこと話すだけ話して、お人好しで、無駄に正義感強くて、人のペースを乱していくくせに、一向にこっちを見ない、この女が。
“茜に手出すほど女に困ってない”
幾度となく言ってきたそれは、嘘じゃなかった。
そのはずだった。
なのに、他の誰でもなく、茜が欲しい。
そばかすいっぱいの頬に触れる。
なんでこんなに欲しいのに手に入らない。
寒いのか、擦り寄って来た茜を抱きしめる。
しなやかにやわらかくて、あたたかい。
唇に触れようとして…思い留まった。
理性を試されもしているのに、体をモノにしたって、茜は俺を見ないだろうと思うと、抱きしめるしかできなかった。
俺のために泣かせたいあの時の感情もあるのに、失望されたくない。
欲しいのは体じゃなくて茜の心だと気付いてしまった。
意識してほしい。
泣かせたい。
笑ってて欲しい。
友達のままでいたい。
こっちを見て。
ちょっとした意趣返しのつもりだった。
何バカなこと考えてるんだって頭では思うのに、自分ばっかり意識しているのがたまらなく悔しかった。
まるで事後みたいな状況だったら、ちょっとは慌てる?意識する?
ーーーあのはにかんだ表情、俺にしてくれる?