きっと。たぶん。めいびー…
午後は散々だった。
大きなミスこそなかったが、今週中にまとめる見積書がまったく進まない。
システム部と同じフロアにある経理部へ出す書類は、真紘に頼んでしまった。
真紘は何か言いたそうにしていたが、何も言わずに頼まれてくれた。
「槙田さぁん?」
ニコニコと立っていたのは、野原さん。
会いたくなかったなー。
ちょっといいー?と間延びした声に、背筋がヒヤッとした。
帰るばかりの格好で、よくないですとも返せない。
「先週のことなんだけど」
「ええっと」
「川嶋くんの家で介抱してもらったで、合ってる?」
「………ハイ」
あくまで、穏やかににこやかに、的確に、質問する野原。
「でも、別に何もなくって」
きっと。たぶん。めいびー…
いや、私の中では何もなかったことにしたのだ。翠が何と言おうとも。事実はどうだろうとも。
「彼氏に怒られちゃえ」
あ、私まだ彼氏いることになってたのか。
「あーん、でも、それで彼氏と別れて、槙田さんがライバルなっちゃうのは困るなぁー」
まぁいっか。何で別れたとか根掘り葉掘り聞かれるのも嫌だし。
「聞いてるー?」
「ひゃい」
別のことを考えていたのがバレて、グイッと頬をつねられた。
い、痛い…自慢のお爪が痛いっす…
「あたし、川嶋くんが好きなの。付き合いたいの。わかる?」
「ええはい、まあ…」
「同期で仲がいいのは結構だけど、邪魔しないでくれる?」
「…邪魔、なんて、そんなつもりは」
ふざけて笑い合って、ランチ行って飲みに行って。
仕事で落ち込めば励まされ、客先で意地悪された後輩のために怒れば宥められ、推しが引退して泣けば慰められ。
じゃんけんやおふざけの勝った負けたで、奢り奢られ。
それだけで。
「翠は…ただの気の合う同期です」
翠にしたら、友達ですら、なくって。
「まぁ、そうよね。槙田さんって女の子って感じしないし、恋愛対象にはならないわよねー」
「はあ…」
「並んでてもBL?って感じだもんね」
グサリとなんか刺さった。
その通りなのに。
「うん、いいの、わかってるなら」
言いたいことだけ言って、野原さんは軽やかに去って行った。
あ、あれ。
なんでこんなショック受けてるんだろう。
そんなこと知っていた。
元カレだって、私は友達の延長で、結局フワフワ可愛らしい女の子を選んだ。
そりゃそうだよねと納得してもいた。
自分を卑下するつもりもないが、客観的に見たときに、まあ、翠みたいにモテる人ならわざわざ私を選ばないよね。
並んでも、絵になるような絶世の美女。翠が選ぶなら、きっとそういう子だ。
…その子には、どんな顔するんだろう。
私や真紘に向ける素の表情じゃなくて…
男友達みたいに気安い話し方じゃなくて…
穏やかに微笑んで、思いっきり優しくして、愛の言葉を囁くのだろうか。