49■言葉を継ぐ者
「お父さん?」
信乃ちゃんが近寄ってくる。
「ああ、信乃か。もう一度顔を見せておくれ」
七塚は左手で信乃ちゃんの頬に触れる。
「お父さん。お父さん!」
「おまえを殺すことにならなくて私は安心している。彼に感謝するんだよ。私の大切な信乃を守ってくれたんだから」
「……お父さん?」
「さっきはお別れの言葉も言えなかったから悔いが残ってしまった。でも、今度はきちんと言えそうだよ」
「やだ。やだよ。お父さんとお別れするのは」
「私の願いはね。信乃や親帆に幸せになってもらうことなんだよ。なあ、信乃、私の願いを叶えてくれないか?」
「お父さん……」
「そうだ。信乃に渡すものがある。さっきはダメだったが、今ならうまくいきそうな気がする。私の左手の手袋を取ってくれないか」
「え? 手袋? いいけど」
信乃ちゃんが彼の手袋を取る。すると、その手の甲には赤い文字が浮かび上がっていた。
「まさか?」
そこに書いてあるのはラマスカル語で『ハル』。意味は『孝』。
つまりよく親に従うという意味を持つ言葉。これで里見八犬伝の八犬士を踏襲しているというのはわかった。だが、これは誰が仕組んだのだ?
「サトミくんだったね。その刀を信乃に渡してくれないか?」
「ええ、かまいませんが」
俺は信乃ちゃんへと刀を渡す
「信乃。この刀をやる。これで己を守れ。親帆を守れ」
信乃ちゃんは渡された刀を受け取る。その瞬間、彼の手の甲の文字が消え、それは彼女の甲へと転写された。
「お父さん……」
文字が継承されるって……そういうのアリなのか?
ともかく、俺はその文字に触れてみる。空気読めない感じではあるが、これは大事な儀式だ。
「ちょっと失礼」
いつも通り、視界が暗転する。
◇◇◇
「おまえは剣士じゃないのだろう? なぜ、私に師事をする?」
目の前にいるのは50代くらいの隻眼の剣士。名をシルバー・シュヴァリエという、かつて剣聖とよばれていた達人だ。
「生き残るには、自分の身は自分で守れないといけないんです」
自身が生き残れなければ、大切なあの人を守れないから。
「生き残る? そんな当たり前のことを口にするのか?」
「俺は強くならなければならないんです。生き残るのは当然なくらいに余裕がないといけないんです」
隻眼の剣士はニヤリと笑う。
「なるほど。それを口にすることに意味がありそうだな」
剣士は俺の心を読んだかのような反応をした。
「……」
「おまえはもしかして、誰かを守りたいのじゃないのか? そのためにも過剰な能力を得ようとしている。誰を守りたいのだ?
「それは言えません」
今の段階では自分よりも強い相手だ。そんな彼女を守りたいなんて、恥ずかしい話である。
「ならば、あえて訊かない。前線から離れて暇をしておったから、いい暇潰しになるだろう。なにしろ、あのヘレンの推薦だからな」
「よろしくお願いします」
「おまえ、なんとなくアベルに似てるな」
「アベル? 誰ですか?」
「私の息子だよ。生きていれば君と同じ年齢だろう」
それから彼の元で修行をし、基本を身につけてもらう。そもそも聖職者なので、剣士特有の大技は身につけられなかった。
そして1年もの月日が流れる。結局、師匠を超えることなどできなかった。たった1年の修行は短すぎるし、そもそも剣士の素質はほとんどない聖職者なのだから。
さらに魔王討伐のために英雄たちと合流しなければならず、タイムリミットは迫っていた。
「今日でボウズも修行が終わりだな。免許皆伝というわけにはいかないが、記念にこれをやるよ」
師匠から渡されたのはショートソード。
「これは?」
「『パッシングレイン』という銘を持つ、ムラサメって奴が打った面白い剣だ。魔力に反応して様々な効果を出すらしい」
その剣は、ほんのりと紫色の妖しい光が発せられていた。
「どんな効果ですか?」
「それは自分で試せ。鍛冶師もこれは完成品じゃないといっていた」
「わかりました。ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
「ああ、最後にこれだけは言っておく。俺より先に死ぬなよ」
「え?」
「親子じゃないが、師匠より先に死ぬ弟子は出来の悪い弟子だ。だからおまえは死ぬな。先に死んだら俺が笑われるからな」
そう言って彼は「かかかっ!」と笑った。
◇◇◇
「あれ? 刀の形が変わった」
信乃ちゃんの手にあった日本刀である妖刀が、洋風のショートソードに変わる。だが、あの妖しい輝きはそのままだ。
そういえばあのゴーレムを真っ二つにしたあの力は、このショートソードと同じスキルのようだった。
「お父さん。これ、どういうこと」
信乃ちゃんが驚くように左手の甲を見ている。そこには七塚さんの甲にあったあの文字がコピーされたかのように彼女に転写されていた。
七塚さんの方の手にはもう文字はない。完全に信乃ちゃんが受け継いでいる。
「やはり、その刀も変化するのだな。シカガの言っていたことが本当だったのか」
シカガだと?
俺が異世界にいた頃に、魔王の討伐を手伝ってくれた人の名だ。まさか、こんなところで彼の名を聞くとは。
「シカガって、まさか賢者シカガじゃないですよね?」
こんなところに彼がいるはずがないのだが……
「ああ、そうだ。賢者シカガだ。彼は私を助けてくれたのだよ。私が自我を保っていられるのも、彼と共に開発した薬のおかげだ」
自我を抑えるために回復能力を無効化した薬のことか。グールの回復能力を理解していて、それを無効化する薬を作り出せるという時点で、この世界の人間ではないだろう。
やはり、俺の知っている賢者シカガなのかもしれない。
「だけど、シカガは別世界の人間です。彼はなんのためにここに来たんですか?」
「彼には、やることがあると言っていた」
「やること?」
「この世界での魔王の復活を阻止することだよ。私が知っているのはこれくらいだ」
魔王? 魔王だと? 俺たちが異世界で倒した魔王がこの世界で復活?
「お父さん……お父さんはサトミさんたちの仲間だったんだね。なんで黙っていたの?」
信乃ちゃんはボロボロと涙を流しながら父親に話しかけている。
「この身体では、いつ仲間に牙を剥くかわからないからね」
「あたしはお父さんとも旅がしたかった」
「ああ、それは私もだ。だが、それはもう叶わない。だからこそ、私の願いを叶えてくれ」
「あたしが幸せになるってこと? でも、わかんないよ。幸せってなんなの?」
「それを見つけることも私の願いだ。生きていればきっとそれが見つかる。サトミくんたちと行動を共にしていれば大丈夫だ。彼らが信乃を守ってくれる。そして、その刀があれば自分自身を守ることもできる」
「お父さん……」
「幸せに……なれよ」
七塚さんはそこで息絶える。粒子化が始まった。
「お父さん? お父さん!!!!!」
親帆さんは信乃ちゃんを抱きよせ、彼女はその胸の中で泣きじゃくった。




