49.最期の旅
「……っ!」
ガバッ
何かに追われる感覚と共に意識が覚醒する。
急にクリアになった視界には、真っ白な布が目に入った。
どうやら、気を失った後にこのベッドへ運ばれたようだ。
突然起き上がったからか、掛けられていた毛布が吹っ飛んでいる。
少し土がついてしまった布団をはたきながら、天幕の中を見渡した。
「……広っ」
この広さ、もしかしなくてもあの人の天幕だろう。
毛布を抱えて、無駄に広いベッドに戻る。
ベッドの縁に腰掛け、そのまま後ろに倒れ込む。
天井を見つめながら、これからのことを考える。
「ふむ……」
目を閉じて、周囲の気配を探ってみる。
……近くにゼノの気配はしない。
「………逃げるか」
あまりにも都合のいい状況に怖くなるが、チャンスは勇者にしか訪れない。
やらない後悔よりやる後悔だ。
息を押し殺し、天幕の布に手をかけた瞬間。
バチッ
「っだと思ったよ!」
この天幕には、しっかりと防護壁が張られていた。
出口に伸ばした手が思いっきりはじかれた。
その手を見てみると、少し赤くなっている。
この防護壁は聖力でできているようだ。
「本気過ぎ……」
グール相手に聖力はガチ過ぎる。
どんだけ逃がしたくないんだ。
ゼノの執着に改めて恐れおののく。
「どうした」
「!!」
ビクッ
何の前触れもなく現れたゼノに、全身が痙攣する。
いつか私は、心臓麻痺になるだろう。
「急に現れないでください……」
私が出口の近くにいるのを見て察したのだろう。
彼は少し赤くなった私の手を掴んできた。
「………」
「すみませんでした」
無言でここまでの圧を発することができるのは、彼だからだろうな。
無表情が怖いのはもちろんだが、何よりも目が怖い。
どこ見てるの?虚無?やっぱ虚無見てるんですよね?
「俺たちに必要なのは、話し合いのようだ」
「?!」
虚無ってた彼が、あまりにもまともな提案をしてきた。
驚きで混乱したが、とりあえずベッドに座って話すことになった。
「思っていることをすべて話せ」
「え、尋問?」
話し合いという名の尋問が始まった。
あまりにも一方的な話し合いが、今まさに行われようとしている。
「ならば俺から話すか?」
「いえ、私から!」
不穏な空気をまとっている人に会話のターンを譲るわけにはいかない。
絶対にロクなことない。
「………“残党狩り”は終わったんですか」
あのとき目にした光景がフラッシュバックする。
鼻の奥に、まだ焦げ付く臭いがこびりついている気がする。
「終わった」
「そうですか」
相変わらず端的な答え方だ。
余計なことは一切話さない。
だからこそ、彼の考えていることがわからない。
「王命は〈黒変〉の消滅では?」
はっきりとそう言った瞬間、ゼノはすっと目を細めた。
ベッドで隣り合って腰掛けているから、至近距離でその視線を受ける。
その圧に目を逸らしたくなったが、じっと見つめ返した。
「そのことを知って、ここまで来たのか」
「……はい」
ゼノの視線に耐えきれなくなった私は、地面へと目を逸らした。
あー、ぺんぺん草も生えてないなー。
「アレを食べるつもりか」
「………」
彼が言っているアレとは結晶のことだろう。
そして、彼は私がまた倒れることを危惧しているのだろう。
「……まあ、私の使命ですからね!」
胸を逸らし、わざとらしく言った。
そうしないと、ゼノに悟られてしまう気がしたから。
私の死を。
「駄目だ」
「そう言われても……」
「許さない」
「………」
私の決意に対して、彼は全力の反対を示す。
困ったと思う一方で、少しだけ嬉しさも感じてしまった。
「お願いします!……アレを食べることが生きがいなんです!」
鉄壁のゼノを説得するために、ずっとこちらの主張を伝え続けた。
途中で彼の部下が来たが、しっかりと追い返されていた。
ある約束したことで、なんとか彼に同行することが許された。
「なんっでこうなってるんですか!!」
「落ち着け、落ちる」
「むしろ落としてくださいっ!」
現在、馬上でゼノと押し合いへし合いをしている。
〈黒変〉消滅の旅に同行することになったが、移動方法がとんでもなかった。
「どうしてあなたの馬に乗せられてるんですか!」
「あなたじゃない」
「え?」
この人は一体何を言っているんだ。
今の議題は「なぜよりにもよってこの人の馬に乗らされているのか」ということだろう。
「名前」
「……そこかいっ!」
例の約束してからというもの、彼は名前を呼ぶことを頻繁に要求してくるようになった。
まるで、私の身体にその名を刻もうとするかのように。
「ゼノさん……、私は徒歩でいい―――」
「駄目だ」
「却下が早い!」
そのまま言い争い(なお、喚いているのは私のみ)を続け、結局私はゼノの馬で運ばれた。
どさくさに紛れて腹部に腕が巻き付いていたことに気づいた瞬間、私は全てを諦めた。
旅の初日の夜。
「………ゼノさん、まさか寝床は」
「何をしているんだ。さっさと来い」
「懐の中で寝るとかイカれてるっ!」
ゼノとの初めての野宿は、とてもステキな寝床で寝た。
ええ、とても温かい懐でしたよ。
次の日の朝。
朝食を作っている騎士たちを見つけた。
「あっ、料理手伝いま―――」
「奴らと話すな」
「いつからいたんですか?!」
突然現れたゼノに道を阻まれ、一切の手伝いを許してくれなかった。
騎士たちからの視線が痛かったが、ゼノの一睨みですぐに霧散した。
あれが暴政なのだなと思った。
〈黒変〉を発見した日のこと。
「うえぇ……」
「おい、しっかりしろ」
結晶を食べた日は、ゼノの手厚すぎる介抱を受ける。
これが通例となった。
――――――――――――――――――――――――
旅は順調だった。
部下の人たちとの接触は一切させてもらえなかったが、着々と〈黒変〉を処理していった。〈黒変〉を見つけるのを手伝ってくれた彼らにお礼を言いたかったが、ゼノが絶対に許してくれなかった。
長いような短いような時が経った頃。
草木は一本もなく、一切の生命が息絶えている荒れ地。
黒い砂塵が舞っている。
そして、遠くに見える廃城は漆黒に染まっていた。
〈黒変〉が巣くっているのがありありとわかる。
「これで最後だろう」
耳元で聞こえたゼノの声に、一抹の寂しさを感じる。
私は影の言葉を思い出した。
“次の〈黒変〉が、君の最期になる”
こうやってゼノと馬に乗るのも最後になるだろう。
話すことはできなかったが、少し離れたところにいる騎士の人たちともお別れだ。
「ゼノさん、部下の人と話してもい―――」
「駄目だ」
「お馴染みの返答……」
別れの挨拶ができないのは残念だが、いつも通りの彼の反応に少しほっとしている。
まだ、旅が続くような気がしてしまう。
(でも、私の物語はここで終わり)
死への否定も怒りも、夢の中で済ませた。
今はなんだか心が凪いでいる。
まあ、あの影には当たり散らしたが、それもご愛嬌だ。
ここからは馬から降りて行く。
そして、同行者はゼノだけだ。
「行くぞ」
いつも通りの彼の背中についていく。
後ろを振り返ると、騎士たちが手を振ってくれた。
彼らとは今まで話はしなかった。
でも、こうして交流していたのをゼノは知らないだろう。
真っ直ぐに前を見据えて進む彼は。
「さようなら」
届くことのない言葉を、黒い砂塵がさらっていった。