30.甘い紅茶
『騎士』の秘密を知ったことが本人にバレて、人の心を理解できない人造人間だったことを彼から聞いた翌日のことだった。
「……あの、『騎士』?」
「なんだ」
「なんだじゃありませんよ。あなたに羞恥心はないんですか!」
今朝、食堂に向かうと珍しいことに『騎士』がいた。
ここまではよかったが、問題はその後の『騎士』の行動だ。
「私は自分で食べられます!」
現在、私は『騎士』の膝上で野菜の刺さったフォークを突きつけられている。
なぜだろう、このフォークが私の喉を狙っているように思えてしまう。
うーん、ころす気かな?
「好き嫌いをすると背が伸びない」
「いや、野菜食べたくなくてごねてるんじゃないんですけど」
そんな真面目腐った顔で言われても困る。
そして、壁側に控えている使用人の人たちの視線が気まずい。
お願いだから、目を逸らすかガン見するかのどっちかにしてほしい。
チラチラ見られるのが一番気になる。
「………」
しばし沈黙した後、私は『騎士』と周囲からの圧に屈した。
平穏な日々を『騎士』の屋敷で過ごした。
『騎士』と共に食事をとり、日中は好きなように過ごす。読書でも昼寝でも、『騎士』の動向調査でも。屋敷の人たちは私を優しく見守ってくれていた。
このままずっと、このぬるま湯に浸かっていたい。
(ぬるま湯?)
ソファーから体を起こす。
胸に置いていた本がその拍子に落ちた。
『勇者と魔王』と書かれた表紙が目に入り、私の思考は一気にクリアになる。
(私は……何をしているんだろう?)
何も変わらない毎日。何も始まらない毎日。
惰性的に過ごす日々に甘んじる自分。
混乱する頭を落ち着かせるために、テーブルにあるカップに手を伸ばす。
ピタッ
取っ手に絡めようとした指が止まる。
(まって、私はいつからこれを?)
ほのかに甘く香る薄紅色の紅茶。
私はむしろ紅茶が苦手だったはずだ。
しかし、私はこの紅茶をよく知っている。
「一体いつから……?」
コンコン
部屋のドアがノックされ、思考が中断される。
入ってきたのは、茶器をもったメイドだった。
「ネル様、お代りはいかかですか?」
そう言ってティーポットを掲げてみせる。
私が答える前に、彼女は何の躊躇いもなくカップに例の紅茶を注いだ。
「いや、今日はもう大丈夫ですよ」
言い表せない薄気味悪さに頬をひきつらせながら、カップをそっと遠ざける。
私の返答が予想外だったのか、心配そうな顔でこちらを窺ってくる。
そんな彼女に笑いかけ、私は外の空気を吸ってくると伝えた。
夕陽に照らされた庭園は美しく、噴水の反射に目を細める。
どこまでも美しい世界は、私には馴染まなかった。
さっきまでここが自分の居場所だと思えていたことが不思議でならない。
……いや、不思議ではない。この原因は薄々気づいている。
そう、あの紅茶だ。
薄紅色をした甘い紅茶。
あれは『騎士』が勧めてきたものだ。
そして、気がついたら飲み続けていたもの。
手元にある一冊の本を開く。
そこには紅い葉が描かれ、横にこう書いてあった。
『甘美な夢草』
摂取した者の精神を一時的に高揚させる毒草。
少量の摂取であれば精神に良い効果を及ぼすが、長期の摂取では洗脳に近い効果を発揮する。
(洗脳……)
摂取した者の思考を鈍らせ、周囲から影響を受けやすくさせる作用がある。
「………」
自分の流されやすい性格も要因としてはあるだろうが、ここ最近の唯々諾々とした状態はこの毒草紅茶のせいでもあったのだろう。
まさか自分が毒を盛られていたとは思いもしなかった。
というか、不死身の身体のくせに毒耐性がないとはどういう了見だ。
(いや、もとの自分の身体から考えると毒の耐性があるわけないか)
元々いたのは平和な世界だし、毒なんてものを摂取した経験なんてなかったし。
特異な出来事はこの世界に来てから頻発している。
たとえば異世界に飛ばされた途端、首ちょんぱされてグールにされたとかね!
「ここにいたのか」
「!!」
ザッとベンチから立ち上がり、背後を振り返る。
「夕食の時間だ」
『騎士』は何事もなかったかのように、私の方へ手を差しだしてくる。
こんの毒殺犯め!
「私の紅茶に毒が盛られていました」
「………」
『騎士』はこちらへ伸ばしていた手をおろし、じっと見つめてきた。
感情の読めない目を見つめ返し、私ははっきりと言った。
「私をどう洗脳したかったんですか」
正直、聞かなくてもわかる。
彼は、私を幸せを享受するだけの人形にしたかったのだろう。
何も考えず、ただただ彼から与えられるものに喜ぶ人形。
「あれは良い効用のある茶だ」
なんの迷いもなくそう言い切る『騎士』に、私は一瞬迷いが生じる。
あれ、この人ほんとにそう思ってるのかも?
「いやいやいや、これ読んでみてもらえます?!」
先程読んでいた本を『騎士』の前にかかげる。
サッと目を通した彼は、「それがどうした」というように首を傾げた。
「え?ちゃんと読んでこの反応?」
「?」
もしかすると、彼はただ滋養のあるお茶を私に飲ませていただけという認識なのかもしれない。「私を人形にする気だー!」とほざいていたのは、実は深読みだった?
(そうだとすれば、結構恥ずかしい奴になるんですが)
「『騎士』さん、あなたの意図がどうであれ私は毒を盛られていたわけです」
「?お前はグールだろう」
「いや、グールなんですけど毒の耐性がないグールなんですよ」
「………」
「憐憫の視線をこっちに向けないでもらえます?」
こちらをじっと見つめてくる視線に、被害妄想が生まれてしまう。
いや、実は『騎士』は私に同情してたりする?
「とにかく!私にとってあの紅茶は毒なんです。これからは飲みませんから悪しからず!」
そう言い放ち、私は食堂へと駆けた。
『騎士』に背を向けた時、彼の顔が酷く冷めていたことに気づくことなく。
「………あと少しだったんだがな」