3.よし、逃げよう
いつものように地下で仕事をしていた日のことだった。
その日はジメジメしていて、地上では雨が降っているだろうことが分かった。
ザワザワ
(地上がやけに騒がしい)
結構深くにあるこの地下にすら届くようなざわめきだ。
非常事態が起こっていることは違いない。
(出てみる?)
自分に問いかける。
普段は用事がないと地下からは出ない。地上でウロウロしていると他の種族の魔族や魔物にいたぶられるからだ。あいつらグールのことをサンドバッグか何かだと勘違いしてるんじゃないのか……。
暴力を振るわれるという恐怖よりも、もしかしたらという希望を捨てきれなかった。
ここから抜け出せるチャンスかもしれない。
「急げ!さっさと逃げるんだ!」
地上に出てみると、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
様々な種族の魔物も魔族も逃げ惑っている。血塗れの者もいて、戦闘があったのであろうことが推測できた。大人も子どもも、皆一様に顔に恐怖を浮かべていた。
(これは……)
「第三関門が突破された!第二関門ももうすぐ破壊される、ここから急いで離れろ!」
「うわ~ん」
「泣かないで!急いで逃げるのよ」
「うそだろ!第二関門はここから数キロもないじゃないか!」
彼らの焦り様から、ここもすぐに危なくなることを察した。
それに、この混乱でグールがいることにも気づいていない。
(混乱に乗じて逃げられる……!)
その場をすぐに駆けだす。
しかし、逃げ惑う彼らとは反対方向に向かう。
敵の進行が速いのなら、逃げ切ることは博打だ。それに私には奥の手がある。
ドゴーンッ!
突然そばにあった石造りの建物が崩れた。
私はそのまま瓦礫の下敷きになる。
(わお、ハプニング)
痛みはないため特に問題はない。強いて言うなら動けないことくらいか。
「おいおい、乱暴すぎねぇか?」
誰かの声が瓦礫の隙間から聞こえてきた。
「……」
「返事くらいしろっての」
少なくとも二人がそこにいるようだ。
しかし、助けを求めるのは得策ではないだろう。
会話から鑑みて、この惨状を引き起こした当事者たちであるから。
(破壊能力ハンパないなぁ)
「……」
「もう行くのか?まだ何も……おい!置いてくな!」
ザッザッザッ
(気配が消えた)
周囲になんの気配もなくなったため、瓦礫を押しのけて外に出る。
この体はグールにされた時、怪力になったらしい。そのおかげで仕事が苦じゃなかったから不幸中の幸いだ。こんな非常事態でも大活躍な能力である。
(さて、逃げるか)
方向はだいたい決めている。
魔族たちが逃げた方向と逆に行けばいい!
(逃げ出せた……)
あの魔族たちの城壁都市を抜け出した。途中で魔族や武装した鎧集団と会ったが、奥の手を使って生き延びた。そう、秘儀「死んだふり」!一度、『こいつ生きてね?』みたいな勘のいいガキの者もいたけど捨て置かれた。あのときは本当に肝が冷えた……。
(いや……森しかなーい)
城壁を越えた後は平野が広がっていた。しかし、しばらく歩くと森しかなかった。野宿であるが、困った。キャンプなんて子どもの頃以来だ。どうすればいいのか分からない。
食料:いらない。グールは栄養補給が必要ない。
水:飲まない。あっても体を洗うくらい。
たき火:いらない。グールは夜目がきく。
寝床:いる。これは趣味。(グールに睡眠は必要ない)
(うん?やること寝床の確保だけか)
本当は睡眠もいらないが、あてもなく彷徨う旅であるから急ぐ必要はない。惰眠をむさぼるための良い寝床を探そうと思う。あと外敵がこない安全な寝床を。
グールは昼下がりの森を探索し始めた。
その探索の成果として洞穴を見つけた。
寝床に決定だ。葉を敷き詰めれば良い感じになるだろう。
もう面倒だからやらないけど。
(それにしても、本当に静かな森だ)
それなりに歩き回ったが獣に出会うことが全くなかった。小動物すらも見かけない。私の天敵である虫もいない。個人的にこの森は最高の状態だ。でも、私の中の森とはひどく異なっている。まるで森のような森だ。まあアレだ、食品サンプルを見てる感じ。そっくりだけど、どこか違う。
(異世界の森だし、そんなこともあるか)
考えても答えが出ないため、思考を無限の彼方へ放り投げることにした。
日も暮れて、影が地面に溶け込みだす。
もう寝てしまおうと、グールは洞穴へと入っていった。
~同時刻~
「で?お前の探し物は見つかったのか?」
魔族たちが逃げ出して空になったある民家で、銀髪の男が酒を片手に問う。散らかったダイニングルームで、我が物顔で晩酌している。座っている椅子をユラユラと揺らす。
「……」
白髪の男は答えない。
立ったまま壁に凭れ、腕を組んでいる。目を閉じて物思いに浸っているようだ。
その姿はまるで騎士のようだ。
「おいおい、流石にこれは答えてもらうぜ?散々このオレをこき使ったんだからな。その権利くらいはあるだろ」
銀髪の男は沈黙を保つ相手に返答の催促する。
その主張に一理あると思ったのか、白髪の男は静かに答える。
「……いなかった」
「はあ?あんだけ探し回ったのに?……骨折り損かよ」
銀髪の男はうんざりしたように酒を呷る。
無駄になった労力を惜しんでいるのもあるだろうが、一番はこれほどまで白髪の男が執着している探し物に興味があったからだろう。期待していた探し物が見れなくて不満なのだ。
「だいたい何を探してんだよ、お前は」
どうしても気になるのだろう。酒を置いて白髪の男を見る。
白髪の男は深くため息をつき、組んでいた腕をおろした。
「グール」
「は?」
「グールを探している」
「はぁああ?!」
うるさい声に顔をしかめ、『騎士』はあのグールのことを思い出す。自分を助け、世話してくれたあのグール。この魔界から脱出したとき、絶対にあのグールを連れ去ると決めていた。
それがどうだ、あのグールがいた地下は崩れていた。すべてを掘り返しても、あいつはいなかった。逃げだしたのかもしれないと探し回ったが、どこにもいなかった。最悪の想像が脳裏によぎる。
「おいおいグールって魔物じゃねぇか。オレはてっきり物を探してんのかと思ってたぜ。まさかの駆除対象を探してるなん……」
ガンッ
「うおっ、急に壁を殴るなよ」
驚いた顔をした銀髪の男は、すぐに面白がるような顔になる。
「なんだ、ご執心のグールちゃんが心配か?」
「黙れ」
「こえぇ~」
銀髪の男は全く怖がっていない様子で、自分の体を抱きしめる。
「にしても世も末だなァ。グールに心を奪われたのが『聖騎士』とは」
「黙れ、お前が『勇者』である方が終わっている」
「ひどっ」
『勇者』はニヤニヤと笑い、『聖騎士』は鬱陶しそうに眉をひそめる。
彼らの夜は、そう過ぎていった。
「へえ、あの堅物が魔物に…ねぇ」
『勇者』はうっそりと微笑む。
あのどこまでもつまらなくて、清廉の権化みたいだった『聖騎士』の変わりよう。
「ぜひとも、そのグールちゃんに会いたいなぁ」
ぶるるっ
(ん?なんか悪寒が……)
一方その頃、そのグールちゃんは洞穴で身震いしていた。