29.残酷な過去
月明かりがうっすらと降り注ぐ朧月夜。
かすむ雲が時折、月を遮る。
そんな真夜中、屋敷は静まり返っている。
廊下は蝋燭の火もなくて暗い。
(夜目がきくグールでよかった……)
抜き足差し足で屋敷を徘徊している私は、傍から見ればきっと不審者そのものだろう。
でもこれには理由がある。
『騎士』が屋敷にいない今を狙って屋敷を歩き回っているのは、騎士の過去を調べるためだ。この屋敷には、どうやら隠し通路や隠し部屋があることがわかった。
『騎士』の書斎の奥にあった屋敷の見取り図。
そこには、私の記憶にない道や部屋が記されていた。
それを知った日から、私は『騎士』が留守にする日を虎視眈々と待っていたのだ。
「……ここだ!」
一階にある食料貯蔵室の壁はレンガでできている。
それを手当たり次第に押しまくっていると、ガコッと音がした。
音がしたのは地面からだった。
目を凝らしてみると、石畳の床に四角く切れ目が入っていた。
その石板を除けると、取っ手のついた鉄板が現れた。
それを持ち上げると、真っ暗な空間が現れた。
「地下?」
梯子なんて気の利いたものはなく、私はその暗い空間に飛び込むしかなかった。
バチャッ
「うわっ、濡れた……」
今はねた水が下水でないことを祈りながら、私は湿った通路を歩く。
トンネルみたいだけど、横幅は私が両手を広げられる程度だ。狭い。
途中では多くの分かれ道があったが、音が響く感じからして今の道が正しいだろう。
他の道は音がこもっていたから、きっと行き止まりだったはず。
「ん?」
ふと何かの視線を感じて右を見てみると、結構なでかさのアレがいた。
「ぎゃあああぁぁ!!!」
ダッ!
Gがいた。いや、あれはGなんてもんじゃない。
地球外生命体だ。いくらなんでも手のひらサイズのゴキブリなんてこの世にいるはずない。10センチは余裕で超えてた。
無我夢中で走っていると、鉄でできた扉が目の前にあった。
錆びてほぼ茶色になっている。
随分長く放置されていたようだ。
「よっこいせ」
ガコンッ
ギィーー
扉は悲鳴を上げながら開いた。
そして目が潰れた。
「うわ、眩しっ」
真っ暗な通路を歩いていたため、急な光に目が負傷する。
次第に目が慣れてくると、息を吞む光景が広がっていた。
「……ッ」
試験管やフラスコなどの実験道具が割れた状態で地面に散乱し、石の壁には黒ずんだものが飛び散ったようにこびりついた。人が入れるくらいの檻が大量に転がっている。
地下にこんな広い場所があるのも衝撃だったが、それよりも壁に貼られた無数の絵に目を見開く。
絵に描かれているのは、ツギハギの人間と魔物だった。
腕を合体させるのはまだマシで、内臓すらもツギハギにしている様を描いているものもあった。顔の歪んだ人や魔物の体を切り開いているおぞましい絵。
「うッ!」
絵を見ているだけで吐き気がしてきた。
拘束器のついた実験台を見る限り、この絵は現実で起こったことだ。
黒ずんだ実験台がそれを物語っている。
吐き気で視界がにじむ中、実験台近くにあった机へと歩く。
そこにあった資料には、見覚えのある文字があった。
「“カッコウの巣”……!」
あの計画は『騎士』が私を留めておくための嘘の計画だったはず。
それに内容も、『聖女』様が黒髪黒目になるためというものだったはずなのに。
「もしかして、これが本当の“カッコウの巣”計画だった……?」
急いで資料を読む。所々黒いものが飛び散っていて読みずらい。
なんとか読んでわかったのは、人造人間をつくるための計画だったということ。
「【我々は『魔王』に対抗し得る人間を創り上げた】……」
(計画は完成されてる?!)
これは未完の計画じゃない。
すでに人造人間は創られている……。
一人目を創り上げた後、二人目を作成している途中で計画が頓挫したようだった。二人目に使用しようとした人間と魔物のリストが途中で終わっていた。
完成された一人目は一体どんな人物なのか。
資料でその一人目を探していると、ふと壁に貼られた絵を思い出した。
ふらふらと無数の絵が貼られている壁に近づき、一枚の紙に目が留まった。
【№788 ゼノ】
「うそ……」
描かれた顔は、確かに『騎士』の顔だった。
『騎士』の子ども時代は誰も知らないわけではなかった。
そもそも子ども時代がなかったのだ。
「『騎士』が……人造人間?」
絵の裏に貼られていた紙を読むと、そこには『騎士』が施された過酷な訓練が記されていた。人間兵器をつくるためだけの教育。『魔王』を殺すための教育。
『騎士』は一切を管理され、使われていた。
どこか壊れれば、そこは別の材料で補われた。
【どんな材料も吸収し、己の糧とした。この再生能力は長期戦を可能とするだろう】
「………」
私はすべての資料を地下に残し、自室へ帰った。
空はすでに白んでいた。
「おはようございます!」
「………」
じっとこちらを見つめてくる『騎士』に、ニコッと笑いかける。
最近、『騎士』からこんな風に見つめられることが多い。
「おかしい」
「え?」
「様子がおかしい。何かあったのか」
今まで踏み込んでくることはなかったから油断していた。
とうとう『騎士』が前に進んできた。
「いや、特にないですけど」
でも、『騎士』の歩みを進めさせるわけにはいかない。
私には、そんな覚悟はもてないから。
朝食を食べ終え、席を立つ。
そのまま自室へ帰ろうとすると、体が横に浮いた。
「!?」
横抱きにしてきた人物の方をバッと向く。
『騎士』は感情の読めない顔で前を見据えていた。
「え?え?」
「………」
『騎士』は無駄口を叩くことなく、私を連れ去った。
「地下へ行ったな」
「!!」
あまりにも直球過ぎて、体が固まる。
はやく、はやく何か言わないといけないのに!
「あれはすべて事実だ」
無言を肯定と受け取った『騎士』は、地下のことを話した。
資料で読んだ通りの、それ以上のことを『騎士』は語った。
「俺は人の心がわからない。そんな教育を受けていないからな」
「でも……皆、『騎士』は素晴らしい人って」
私の言葉に、『騎士』は目を細めた。
まるで眩しいものを見るかのように。
「人から称賛を得るような行動は、どんなものだと思う」
「え?うーん……、人を助けること?」
改めて問われると、よくわからない。
称賛を送られるような人は勝手に世の中が賞を贈ってたから、気にすることはなかった。
「それも含まれるな。だが本質は、いかに多くの人間の欲望を満たす行動かだ」
「よ、欲望?」
「そうだ。自分の欲望を満たす行動に、人間は利を感じ称賛を送る」
……『騎士』は人間の欲望を満たすために、使われていた。
多くの称賛が、欲望をはやく満たさせろという催促に聞こえるようになっても無理はない。
「称賛はお前の誇りだと教えられたが、俺は何も感じなかった」
強がりでもなんでもなく、彼は私を真っ直ぐ見て言った。
何の感情も感じられない顔に、うすら寒いものを覚える。
「ただ人間の欲望を満たし、教えられた倫理を守った。それに付随してきた評価が清廉潔白だった」
そうするように教育されたから、そうした。
そこに信念はない。
『騎士』はそう言っているように感じた。
「心の渇きを覚えることはなかった。………お前に会うまでは」
「……?」
急に自分の方に話が向き、困惑する。
「初めてだった。俺に手当してきたのも、俺を簀巻きにしてきたのも」
「い、いやー!簀巻きになんてしましたっけー?」
過去の悪事を覚えられていたことに冷や汗をかく。
まさか、あの時のことをそんな鮮明に覚えてたとは思わなかった。
「触れられた手に、ここが渇きを覚えた」
胸に手を添え『騎士』は目を閉じた。
「最初は脱水症状と考えた」
(だから最初の頃やけに水を飲んでたのか!)
当時の謎が解けたが、今はそんなこと考えている状況ではないような気がする。
「だが、違った。俺はどうやらお前が欲しいのだと気づいた」
(いや、こちらとしては気づかなくてもよかったかも……)
気づかなければ、こんな風に『騎士』に捕まることはなかったんじゃないかとふと考える。しかし、たられば話ほど虚しいものはない。これ以上は何も言うまい。
「グールだろうがどうでもよかった。だから、お前が人間のようなグールになろうがどうでもいい。お前は俺のものだ」
「結局結論はそこになりますか!」
『騎士』が人造人間だと知った今、私がグールであることがなんか些細なことに思えてきた。いや待て、グールも普通じゃない。十分おかしいぞ!?
さらにおかしいのは、騎士が私の所有権を主張してくることだ。
「いや、私は誰のものでも……」
「約束したはずだろう?」
「………したような気がしないでもないです」
なんか3年前にお風呂でそんな感じのこと言われたような気がする。
『騎士』のこの執着は恐ろしいが、無理もない気がする。彼は初めての優しさに触れて、オーバーヒートしているのだ。アドレナリンがドバドバなのだろう。
他の優しさに触れれば、この執着が馬鹿らしく思えるはずだ。
「『騎士』、私が思うにあなたは優しさに慣れていないだけな気がします」
「優しさ?」
首を傾げる『騎士』に、私は目頭を押さえる。
唯一優しさを感じた存在だから、私に執着してしまったのだ。
彼にはもっと癒しを感じられる存在がいるはずのに……!
「安心してください。私が必ずや見つけ出してみせます……!」
「そうか」
『騎士』が絶対によくわかっていないだろうが、私は覚悟を決めた。
彼に必要だったのはユーモアではなく、癒しだったのだ。
家に帰ることから、また一歩遠ざかったのに気が付いたのは自室に帰った時だった。