20.さあ、仕事の時間だ
少し暑さを感じられるようになった麗らかな夏の朝。
ジリリッ!と謎の鳴き方をする虫の声に叩き起こされ、のんびりとベッドで寛いでいた時だった。
「おい、“仕事”の時間だ」
乙女の部屋にノックすることなく現れた不届きな悪魔は、開口一番にそう言い放った。全身を黒の装備で固め、いで立ちが暗殺者みたいになっている大人の姿のエンダー。彼がこの装備をしている時は、十中八九“アレ”に関することだ。
「また“黒変”がでたんですか……」
「そうだ」
“黒変”
アレに初対面したのはあの人狼の森の時だ。それ以降はちょくちょく目撃していたが、自分から関わりに行くことはなかった。
この悪魔と出会うまでは。
「毎度のことながら、なんで私にアレを食わせようとするんですか……」
そう、この悪魔は私の胃を使ってあの黒い結晶を処分させているのだ。私がお腹の膨張感に苦しむことをわかった上で、だ!なんという悪魔の所業……!いや、そういえばこの人本物の悪魔だったわ。
「お前しかアレを安全に消せないからだ」
「なるほどー」
もはや思考を放棄した顔で返事する。
人使い……いやグール使いが荒い悪魔だ。
こちらに手を差し出してくる悪魔に、渋々と近づく。
そして、その手に自分の手を重ねた瞬間、世界が暗転した。
さっきまでの爽やかな空気とは一転して、澱んだ空気が肌を撫でる。
目を開けると、黒く染まり荒廃した街が目の前に広がっていた。
しかし、街の様子よりも緊急の問題がある。
「うえ、酔った……」
「まあ、今回は距離がたいぶ遠かったからな」
エンダーが飄々とした顔で黒く汚染された街を見渡している。グールなのに三半規管が弱いってどういうことだ。なぜ悪魔の方が三半規管が強いんだ。チート?チートですか?
「この街も以前は綺麗だったんでしょうね」
気合でワープ酔いを醒まし、なんとか周囲の様子に目を凝らす。
私たちはかつて大通りだったであろう道の中央に立っている。
目の前には枯れた噴水がある。よく見てみると大理石でできた噴水のようだ。
右側に目を向けると、ナイフとフォークが描かれた看板が立てかけられた建物がある。きっと繁盛していた食堂だったのだろう。結構な大きさの建物だ。
「こっちだな」
スタスタと歩き出したエンダーに慌てて付いていく。
以前、ちゃんとついていかなかった時、あっさりと置いて行かれたのだ。
自力で結晶を探し出して食べたことは、今でも鮮明に思い出せる。
(悪魔だからかな、容赦なく我が道を行くんだよねー)
迷いなく進んでいくエンダーについていくと、目の前に立派な屋敷が現れた。
おそらくこの街の一番偉い人物が住んでいたと推測される。
しかし、門の外からも見てわかるくらいに庭園は荒れ、建物の壁は真っ黒に染まっている。
「これは……ひどいですね」
瘴気が濃くなっている屋敷の中に入ってみると、想像以上の悲惨さだった。
空気は掴めそうなくらい重苦しいし、通路には人を拒むように結晶が切っ先をこちらに向けている。黒い霧のせいで数メートル先の物が見えずらい。
「無駄口を叩くなよ。ここからは瘴気が濃くなる」
そう言ったエンダーは、目をつぶって何かを唱える。
すると、目の前に透明な膜が現れた。
いつも思うが、よくこんなシャボン玉みたいなので瘴気を防げるなぁと思う。
彼が張ってくれた結界に入り、瘴気が濃くなる方向へと私たちは足を進めた。
元凶の結晶を探すために屋敷を徘徊していると、ある豪華そうな部屋の床にあった扉にたどり着いた。きっとこれはお偉いさんが逃げるための隠し通路的なやつだったのだろう。
梯子がかけられているが、その先は暗くて見えない。
というか瘴気が濃すぎて見えないと言ってもいいかも。
「……ここに入るんですか」
「それ以外ないだろ」
簡単に言うなと思い、悪魔をじっとりとした目で見る。
そして、気づいてしまった。
彼の顔色が酷く青ざめていることに。
「エンダー、あなたはここで待っていてください」
彼が持っていたランタンを奪い取り、梯子へと足をかける。
ランタンを簡単に奪われた彼は何か言おうとしたが、私はそれを聞かないように下へ勢いよく飛び降りた。彼の体が瘴気に侵されていたことに気づけなかった悔恨を振り払うように。
「うっ!」
バタッ
「ハッ!」
タッタッタッ
「うっ!」
バタッ
地下に降りてからというもの、瘴気で倒れて復活して倒れてのエンドレスループをしている。かれこれ数十回は死んでは生き返ることを繰り返している。なんかもう楽しくなってきた。
「いや、死ぬのが楽しいとか……。いよいよ頭が瘴気にやられたか」
一人で自分にツッコミながらも、着実に前へ進む。
ランタンを前にかかげながら歩いているが、もう明かりの意味を果たしていない気がする。だって瘴気が濃すぎて前が全然見えないからね!
石でできた壁を手で伝い歩く。
壁にできた結晶がちょくちょく手に刺さるけど、気にしている余裕はない。
さっさと元凶の結晶を食べて、この息苦しい地下から脱出したい一心しかない。
「……あった」
避難用の地下通路だと思っていたが、どうやら地下牢だったらしい。
目の前にある鉄格子の先に、巨大な黒い結晶が見えた。
このでかいのを今から食べるのか……。
「胃もたれ確定……」
しばらく黒い食べ物がトラウマになると思いながらも、鉄格子をグール特有の怪力で捻じ曲げる。そして、牢の中に入ってひんやりとした結晶に触れる。
バキッ!
それを素手で割り、どんどん口へ運ぶ。
食べた感覚としては、味のない飴をかみ砕いている感じだ。
食べたいとも思わないが、食べられないこともない。
私は無心になって巨大な黒い結晶を食べ続けた。
「うぐッ……もう、むり」
ドサッ
粗方、結晶を食べ終わって地面へと倒れ込む。
さっきまでは見えなかった天井が目に入る。どうやら瘴気が薄まったようだ。
私は仰向けになったままそっと目を閉じた。
これから暫く動けなくなるが、問題は全くない。
なぜなら、あと処理をしてくれる存在がいるから。
「おい!ネルッ!」
遠くにエンダーの気配を感じた。
諸々のことは彼に丸投げすればいい。適材適所だ。
(いやぁ、後処理班がいてくれて助かるな~)
目を閉じたままだった私は、そのまま意識を手放した。
「こんの馬鹿がッ!」
「いや、開口一番がそれですか?」
目を覚ますと家のベッドに寝ており、そばにいた悪魔から突然の暴言を賜った。
いや、“黒変”を共に解決した仲間にかける言葉がそれ?ひどすぎない?
「お前ッ、一週間も目を覚まさなかったんだぞ?!」
「え?!家の食材は無事ですか!」
「着眼点そこかよ!」
華麗なツッコミをもらい、私は満足げに微笑む。
やはり悲しんでいる顔よりも怒っている顔の方がマシだ。
プンプンしている彼には申し訳ないが、私はなんだかほっとした。
「ほらほら、そんなに怒ってないでお粥でも用意してくださいよ」
「図々しいな!」
さっきまで泣きそうだったのが嘘だったと思うくらい、彼は顔を真っ赤にして怒っている。おや、よく見てみると目元が少し赤いような……。
「……心配させてごめん」
「フンッ、ほんとにな!」
怒った勢いのままそう吐き捨て、彼は部屋から出ていった。
そして、すぐに戻ってきた。
「これでも食ってろ!」
そう言って私の顔前に突きつけてきたトレイには、卵がゆがのせられていた。
どうやら彼は事前にこれを作ってくれていたらしい。
言動が一致していない彼は、本当にツンデレだと思う。
「ありがとうございます」
にやける口元を抑えて、そっぽを向いているエンダーにお礼を言う。
私が食事をしている間、彼はこっちを一度も見ようとしなかったがこの部屋から出ていくことはなかった。彼なりに心配してくれているのを感じて、お腹と心が満たされた時間だった。
胃が回復し、黒い食べ物の拒否反応も収まった頃。
久しぶりに町へと出かけていた。
買い物も終わり、のんびりと港の方を歩く。
そして、そこである話を耳にした。
私はその話をエンダーにもしてあげようと思い、いそいそと家へと帰った。
「エンダー!聞いてください!」
「なんだ、帰って早々うるさい奴だな」
憎たらしい反応を示す悪魔だが、読んでいた本を手元から消したからこちらの話を聞いてはくれるらしい。この悪魔は優しいけど、本当に素直な反応はしないよなぁと思う。
「『聖女』様がまた“黒変”を解決したらしいですよ!」
「………」
反応が芳しくない彼を怪訝に思いながらも、話を続ける。
「以前も瘴気を消したことがあったし、やっぱり『聖女』様は素晴らしいって話で持ち切りですよ!」
「……はっ、そうかよ」
馬鹿にするかのように鼻で笑うエンダーに、私はブスッとした顔をする。
この悪魔はなぜか『聖女』様を敵視している節がある。
初めて会った頃はそんな様子はなかったのに。
「なんでそんなに『聖女』様に冷たいんですか」
「さあ、なんでだろうな」
「質問で返してきた……」
エンダーの反応を残念に思い、しょぼくれた顔で買った物を仕分ける。
せめてもの仕返しで、今日の夕飯は質素にしてやろうかなと邪な考えに駆られる。
「その『聖女』サマが解決した“黒変”の地域はどこだ?」
「え?確か……サルマタラっていう街らしいですよ」
なぜそんなことを聞くのかと思ったが、この質問も答えてくれなさそうだったから諦めた。この悪魔はけっこう秘密主義だ。彼は一体なにを知っているのやら。
「……お前が結晶を喰った街もサルマタラという名なんだがな」
「なにか言いました?」
「いや、言ってないぞ」
買い物かごを漁っている間に、彼が何かを言ったような気がしたが気のせいだったらしい。
「『聖女』サマは本当に厚かましいなァ」
悪魔は冷たい顔で笑った。