19.悪魔とグール
ここに来てからはずっと、平穏で(多少うるさいのがいたが)穏やかな日々を過ごしていた。森で果物を採り(エンダーが)、海で海産物を採る(エンダーが)という単調な日々だったが。
「おい!なんでオレサマばっかり働かされてるんだよ!」
「いやぁ、エンダー様ってば頼りになる~」
ごもっともな意見を主張してくる悪魔に、適当な誉め言葉をかける。
大きな籠をキッチンに置きながら、目の前で羽虫のように飛びまわっている彼に笑いかけた。
「言っておきますけど、私は別に食べる必要ないんですからね」
「ダメだ!体に悪いだろッ!」
彼が森で採ってきたのであろう果物を籠から出していると、採ってきた本人が私の目の前に飛んできた。ちょ、お皿を乾かしてる所でそんなに動き回らないでほしい。絶対に割る。
それと、彼の力強い主張に一言言わせていただきたい。
「いや、グールだから……。私、グールですからね……?」
「四の五の言うな!」
「何様なんですか?!」
悪魔のくせにこうして頻繁に健康を気遣うような素振りをみせるのは謎でしかない。
あと、何様もなにも悪魔様だったなと気が付く。
エンダーは私が手にしていたアケビのようなものを奪い取り、それを乱暴に籠へ戻した。そして何を血迷ったのか、体をそのまま籠の中に突っ込んだ。
ガサゴソと動く籠を見ながら、この悪魔は一体何をするつもりなのかと警戒する。
そして、奴が手にしたものを見た瞬間、その場から逃走した。
「待てッ!今日こそはコレを食べさせる!」
「いやです!」
そう言ってソレを水戸黄門よろしく私に突きつけながら追ってくる悪魔。文字通り、悪魔のような所業をしてくる。
「キノコはきらいって言ってるでしょうが!」
「好き嫌いすんなー!」
そんなに広くない部屋で駆けまわりながら、グールと悪魔の一日は過ぎていった。
昼も夜もこのエンダーという悪魔が共にいることに慣れてきた頃。
ニワトリのように、けたたましく私を起こしてきたエンダーにふと思い出したことを言う。
「エンダー、『勇者』様って知ってます?」
ソファーで寛ぎながら、朝食の余韻に浸っていた悪魔に話しかける。
隣でふんぞり返るように座っていた悪魔は、キョトンした顔でこちらを見てきた。
そして、ニヤァーとバカにするような顔で笑ってきた。
めっっちゃ腹立つ。
「お前、そんなことも知らなかったのか?流石、箱入りグールちゃんだな」
神よ、どうかこの悪魔に鉄槌を下してください。
「かわいい仔猫ちゃん」みたいな言い方しないでほしい。鳥肌が立つ。
「『勇者』が『魔王』と聖剣かヒノキ棒で戦うのは常識だろ~」
「まって、ヒノキ棒?」
調子に乗って話す彼には申し訳ないが、「ヒノキ棒」というパワーワードのせいで話が入ってこなくなった。え?『勇者』ってそういうものなの?
「まあ、そんなことは置いといて」
(いや、ヒノキ棒はそんなことで済まされないような……)
「お前が話そうとしてんのは『勇者』と『聖女』の仲間割れのことだろ?」
「やっぱり、知ってましたか」
最近、巷で噂になっている話だ。
なんというか、字面から世界の滅亡が想像できそうな感じだ。
『勇者』と『聖女』は一緒に世界を救う存在なのでは?
「『勇者』と『聖女』がそんな状態でいいんですか?」
「全く、これだから最近の若いもんは……」
「いや、急に年配者感だしてこないでください」
隣で小生意気そうな子どもが、生意気に首を横に振っている。
この悪魔の凄いところは、人の癇に障ることを自然体で行うところだ。
本当に、素晴らしい特技だ。
「『勇者』も『聖女』も人間だろう。だったら仲違いくらいするだろうよ」
「それはそうですけど、町の人たちはすごく不安がってますよ?」
ここ最近の市場の様子は、以前のような元気がない。
彼らがどうして『勇者』たちの不仲に、あんなにも不安を抱いているのかがわからない分、こちらの不安も大きくなっている。
「そんなもん、人間の希望が『勇者』なんだから当たり前だろ」
「希望ですか……」
何をどう定義した「希望」なのかはわからないけど、この世界の人たちにとっては当たり前に思っている「希望」なのだろう。
そう納得したが、ある不安は拭えない。
なぜなら、『勇者』のいる場所が「王都」であるという点だ。
「王都は大丈夫ですかねー……」
問題の舞台が王都で巻き起こっていることに、一抹の不安がある。
彼らと関わったのは随分前のことだが、それでも一応心配くらいはする。
「ああ、そういえば王都に知り合いがいたっけな」
フヨフヨと目の前に浮いてきた悪魔越しに、真っ青な空が見える。
よく歌詞で、「同じ空の下」という言葉が使われていたなぁとふと思い出す。
「……まあ、知り合いっちゃ知り合いですね」
(彼らにとってはそうでなくても)
「そうか。まっ、ここじゃなんもできないんだからオレサマの世話でもしてな!」
「うるさいです」
「なにぃ?!」
「うわっ、ほんとにうるさい!」
さっきまで静かだった家の中が一気に騒がしくなった。
朝の小鳥たちのさえずりも一瞬で聞こえなくなる。
宙から奇襲してくる悪魔を避けながら、心の中にかつての思い出が浮かんできた。
「………元気にしていてください、『騎士』」
色々と濃かった思い出を振り返りながら、心の中で呼んでいた例の人物の呼び名を初めて口にする。自分の口から言葉が紡げるようになったのは随分と前なのに、王都で出会った彼らの名を口にすることはなかった。
(やっと思い出にできたんだろうな)
これからは彼らの名を口にできるだろう。
そして、この口うるさい悪魔にもいつかきっとあの頃の思い出を話せるようになる。
この悪魔が黙って聞いていてくれたら、の話だが。
「おいッ!今オレサマをバカにしなかったか?」
「わあ、こういう時は勘がいいんですね」
「どう意味だコラァ!」
「口が悪いっ!」
口も治安も悪いこの悪魔に追い回されながらも、平和だなと思った朝だった。
「おい」
「っうわあ!」
鬼ごっこにも飽き、のんびりと自室のソファーで本を読んでいると、奇襲をかけられた。全く心臓に悪い。親に急に人様の背後に立つなと教わらなかったのだろうか。
「……急に背後に立たないでくれます?」
「急じゃなかったらいいのか」
「そういうことじゃない!」
飄々とした顔でそんなことをのたまう悪魔に、私は戦慄を覚える。
この悪魔は、背後に立たれたくないと思うようなことをしでかしているのだ。
最初の頃の己の行いを忘れてしまったのか。
「最初の頃、顔をあわせる度に私へ襲い掛かってきたのを忘れたんですかっ!」
あの頃のことを思い出すだけでもゲッソリする。
火あぶりにしようとしてくるのは当たり前、背後をとられた日には命が刈り取られた。私がグールじゃなかったら、この悪魔は殺人犯になっていた。全く末恐ろしい。
「あー、悪かったと思ってるよ」
「なんという誠意のない言葉……」
鼻をほじってそうな雰囲気で言われても、まっっったく誠意が伝わってこない。
時々垣間見えるこの悪魔の感覚が、あまりにも殺伐としていることには薄々気づいている。きっと彼は、今まで苛烈な環境で生きてきたのだろう。
「あと、そう簡単に人を消そうとしないでもらえます……?」
町で詐欺をしようとしてきた商人を、エンダーが殺そうとしたことを思い出す。結局、その商人は半殺し状態になってしまったけど、これでも被害を最小限にした方なんだ……。
「悪いことをするやつが悪い!」
「いや、………確かにそれはそう」
勧善懲悪を語る悪魔に、思わず耳を傾ける。
しかし、そんな殊勝な心をこの悪魔が持っていないことは分かっている。
「それはそうですけど、殺そうとするのはやり過ぎでしょう……」
「いや、当たり前だろ?自分の行動には命をかけないとな」
もはや開いていただけの本を閉じ、私の頭の上を浮遊していたエンダーを両手で捕まえる。
一瞬だけ驚いた彼だったが、大人しく私の膝の上に向かい合って座った。
「……今は私が守りますからね」
「……ふん」
多くは言わなかったが、私の労いの気持ちは伝わったのかもしれない。
彼は素直じゃない反応をしながらも、自分の頭を撫でる私の手を振り払おうとはしなかった。