18.新たな生活
時は流れ、季節は巡る。
もう住み慣れたこの家の窓から、遠くにある穏やかな海を眺める。
故郷のことを思い出させる風景に、時々寂しさを覚えることがあった。
山と海の間にあるこの一軒家は、古びているがとても住み心地がいい。
周囲に家はなく、この家だけがポツンと建てられている。
もともと住んでいた住人はよほど人嫌いだったのかもしれない。
崖から落ちたあの日からずっとずっと歩き続けて、たどり着いた場所がここだった。
最初は住みつくつもりはなかったが、やむを得ない事情ができてしまったのだ。
(ん、そろそろかな)
もうすぐで来るであろう嵐に備えて、玄関の方へ向かう。
すると、案の定ドアがけたたましく開け放たれた。
バンッ
「来てやったぞッ!」
「帰ってください」
「なッ!ひどいぞ!」
短く整えられた黒い髪を振り乱しながら、このうるさい人物は私の方へと飛んでくる。
そう飛んでくるのだ。
(まさかこの悪魔と契約することになるとは……)
やむを得ない事情である目の前の人物に、疲れた顔でため息をつく。
それが気にくわなかったのか、彼は私の頭にしがみついてきた。
「なんでそんな顔をするんだ、契約者!」
「原因が自分にあるとは思わないんですかっ」
顔にへばりついてくる悪魔をはがしながら、なんとか酸素を補給する。
この悪魔は、契約者である私の息の根を止めたいのだろうか。
いくら子どもサイズの大きさでも、顔にしがみつかれたら息ができない。
「契約したのは間違いだったかもしれない……」
「いや、大正解だぞ!」
「ちょ、耳元で叫ばないでください」
確かにこの悪魔と契約してから、ただのグールだった頃よりは快適に過ごせるようにはなった。色々あるが、何よりも話せるようになったことが大きな恩恵だろう。
「ただ、代償がこのうるさい悪魔との共同生活とは……」
「オレサマと過ごせることを光栄におもえ!」
「はいはい」
もしかすると、海岸でコレを拾ったのは間違いだったのかもしれない。
それにグールが悪魔と契約するなんておかしすぎる。
ここはクーリングオフが正しいかもしれない。
「すみません、契約解除で」
「何?!」
また騒ぎ出してしまった悪魔を適当に宥め、朝食の準備をする。
この口うるさい悪魔のせいで、早寝早起き朝ごはんの習慣が身についてしまった。
(ご飯を与えたら、一時は静かになるんだけどな……)
そう思いながら、この騒がしい同居人のためにキッチンへと向かった。
「これからしばらく、オレサマはここにいられるぞ。どうだ、嬉しいだろう?」
朝食を食べて大人しくなったと思ったところでの爆弾発言だった。
同じテーブルでお茶を飲んでいた手が思わず止まった。
「え゛、今までみたいな日帰りじゃなくなるんですか?」
これまでは共同生活といっても、日中だけしか傍にいなかったこの悪魔。
どうやら、これからは朝から晩までずっといるようになるらしい。地獄だ。
「どうぞお帰り下さい、悪魔様」
「なんでだよッ!」
勢いあまって椅子から文字通り飛び上がった悪魔は、向かいに座っていた私の膝の上に乗ってきた。私の方を向いて座ってきたから、視線の圧がすごい。
「なんで……、なんで契約者はオレサマの名前を呼んでくれないんだ……?」
(おっと、思った話題と違った)
てっきり帰れと言ったことに対して抗議されるかと思っていたら、斜め上のことを言われた。
いや、悪魔は悪魔でいいんじゃないだろうか。
「……エンダー」
「……!」
しょぼくれた顔をしていたのが、一瞬で満面の笑みにかわる。
なんだかんだ言って、この悪魔は憎めない。
「ほら、今日の分の補給をしないと」
「ああ、わかった!」
エンダーは素直な返事をし、私に抱きついてくる。
絵面的には子供が抱きついているだけだが、遊んでいるわけではないのだ。
この悪魔、エンダーと契約した理由がこの補給だ。
実は出会った頃の彼は、とんでもなくボロボロだった。
それを回復させるために、グールである私の生命力をわけているというわけだ。
その分け与える行為として、契約するのが一番手っ取り早かっただけなのだ。
「……そろそろ回復してきたんじゃないですか」
暗に契約の満了を仄めかす。
結構、長い時を共に過ごしてきた自覚がある。
回復するには十分な時が経ったのではないだろうか。
「………いや、まだだ」
すると、今回もまた同じ言葉が返ってきた。
このやり取りも、何度繰り返したかわからない。
「そうですか……。それじゃあ、そろそろ食料調達に行きますよ」
「……!わかった!」
ほっとしたような顔の彼に気づかない振りをして、私は外へと向かう。
昨日は森で調達したから、今日は別の場所に行くことにする。
「今日は町に行きましょうか」
「承知した!」
威勢のいい返事をして、彼は子どもの姿から大人の姿に変化する。
さっきまでの小生意気な子どもは消え、黒髪のイケメンが姿を現わす。
前髪からのぞく紅い瞳は、いつ見ても「吸血鬼っぽい」と思ってしまう。
「毎度のことですけど、大人の姿に違和感が……」
「カッコいいだろう?」
ドヤ顔をするエンダーのせいで、素直に褒めたくなくなる。
微妙な顔をしている私に気づいていないのか、彼は意気揚々としている。
「ネルが以前言っていた“いけめん”というやつなんだろう、オレサマは!」
「………」
ご機嫌な様子のエンダーをそのままに、改めて自分の名前を思い返す。
(ネル……か)
もう思い出せなくなった元の世界の名前のかわりに、エンダーがつけてくれた名前。
普段は呼ばないくせに、なぜか彼は大人の姿になった時だけ私をそう呼ぶ。
子どもの姿の時は「契約者」としか呼ばないのに。
(まあ、そんなことより買うものを決めとかないと)
余計な思考を頭の中から振り払い、前にいるエンダーのもとへ行く。
手を差し出してくる彼を見ながら、手にある籠を持ち直す。
さて、今日の市場はどんなものが売っているだろうか。
「らっしゃい!新鮮な魚だよ!」
「野菜はいかがー!」
「スパイスもあるよー!」
近くに港はあるこの町は、いつ来ても賑わっている。
路地裏にテレポートするが、そこからでも賑やかな声が聞こえてくる。
「果物があるといいですね」
「きっとあるさ」
うきうきする私とは対照的に、落ち着いた様子でこちらを見てくるエンダー。
なぜか大人の姿になると、彼は精神も大人になる傾向がある。
「なぜあなたは町に来るときはその姿になるんですか?」
いつも疑問に思っていたことを聞いてみるが、彼はニッコリと笑うだけで答えなかった。
そして、私の手をひいて市場の方へ導く。
「ほら、早く買わないとなくなるぞ」
「ちょ、はぐらかしましたね!」
前も同じことを聞いてみたが、今回のように答えてくれなかった。
私の同居人はなかなか謎が多い。
「あっ、リンゴがある!」
「いらっしゃーい!おひとついかが?」
「どうしようかな……」
「今なら2ルーだよ!」
「買います!」
「毎度ありー!」
朝日に照らされた大通りを歩きながら、私は買い物に勤しんだ。
なお、エンダーにはしっかりと荷物持ちをしてもらった。
「あの、半分持ちますよ」
「大丈夫だ」
両手が空いている私とは対照的に、エンダーは両手にいっぱいの荷物を持っている。
申し訳なさ過ぎる状況に思わず声をかけるが、案の定断られた。
毎回のことだけど、申し訳ないと思うのは仕方ないだろう。
「いや……やはり持ってもらおうか」
「……!もちろん!」
今回は珍しく私に荷物を持たせてくれるようだ。
彼なりに譲歩してくれたのだろう。
「その代わり」
彼の左手から荷物をうば……ゴホン、受け取った私は何かを言おうとしている彼に目を向ける。いたずらっぽい笑顔で私の右手にあった荷物を左手に持たせた。
自分の空いた右手を不思議に思って見ていると、その手がエンダーの手に包まれた。
「こちらの手はもらっておく」
「いや……、なんで?」
謎の等価交換に戸惑うが、嬉しそうな彼に水を差すことは躊躇われた。
そのまま彼に手を繋がれ、私は我が家へ帰った。
平和に終わった町へのお出掛けだった。
しかし、市場で耳にした「『勇者』たちが仲間割れした」という話が少し気になった。