ヴァイオレット・シュガーナイト 〜魔女と飼い人〜
母の最期は無惨なものだった。
リッタの母は粗末な杭に両手足を縛られていて、足元には乱雑に積まれた薪や茅が燃え尽きていた。
「お母、さん……?」
村の子どもたちが眠りについている夜更けと明け方の間に、「処刑」は行われた。やけに外が騒がしくて目を覚ますと、既に事は済んでしまっていた。
「ライラの娘が起きたぞ! こいつも魔女だ、殺せ!」
雄叫びのような声と共に、村人はリッタに迫る。隣の家のベラおばさんも、漁師のジークおじさんもみんな、日々リッタへ向けてくれた笑顔が嘘だったかのような形相だった。彼らは母を弔う暇さえ与えないつもりだ。
「どうして! わたしとお母さんが何かした!?」
リッタの抗議に、ジークおじさんがせせら笑う。松明の炎は彼の斧を照らし、刃の血痕の存在を暴いた。
「その目だよ。緑色の目なんぞ、魔女に決まってる」
「あんた達が越してきた時から怪しいと思ってたのよね」
確かにリッタと母の瞳は珍しい緑色だった。でも、それだけで?
「……わたし達がいつ、魔法を使ったというの」
彼らがほんの少し狼狽した。その隙に、リッタは母の元へ駆け寄る。
皮膚が爛れていて、首には斧か何かで斬られた跡があった。リッタの全身の血がすっと冷えた。喉と鼻の奥が痛み、怒りと悲しみがごちゃ混ぜになってリッタを襲う。それでも、今は子どものように泣きわめく場面ではない。
歯が削れそうなほど食いしばって、リッタは大人たちに吠えた。
「証拠も無しに人を疑って、殺して! むしろあなた達が魔女に見えるわ!」
リッタの瞳が燃える。本格的に夜が明け始め、地平線から漏れるわずかな日光が彼女の目に鋭い光を宿した。
それでも大人というのは不可解なもので、誰も武器を降ろす素振りを見せない。
「黙りな! 魔法を使われてから気づくんじゃ遅いのさ。魔女に遭ったら身も心も闇に食い尽くされて、自分が消えてしまう。あたしらが何度教えたと思ってるんだい」
「なら魔女じゃない証拠を見せてみろよ!」
そうだそうだ、と野太い声が響いた。
魔女に遭ったら身も心も闇に食い尽くされて、自分が消えてしまう。
魔女を見たことはないが、その説教だけは毎日のように聞かされていた。そんなものに疑われるなんて、冗談でも笑えない。
「わたし達は誓って、魔女じゃない……! 家や体を調べてもいい、とにかくわたしは、」
「魔女を狩るぞ!」
何人もの大人がリッタに武器を向けた。斧、棍棒、弓矢……。リッタの主張に耳を傾ける者はおらず、まるで何かに取り憑かれているようだった。
何を言っても意味がない。
彼らにとって、彼らだけが正解なのだ。戦うか、ここから走って逃げるかしたところで、大人に勝てるわけもない。仮に生き延びても、その先に安寧が待っているのだろうか? ならば、母を追いかけるのがいいのか……。
自分はなんて無力なんだろう、こうして迷うことしかできないなんて。
夜が明けて、景色が白んでいく。空気がどうしようもなく清々しくて、リッタは一筋の涙を流した。爽やかな冷気が全身を洗い、同時に刃の切っ先がリッタに迫る。
「アッハハハ! 同族で争うなんて無様だね」
突然、鋭い鎌のような声が降った。その場にいた全員が動きを止め、声の主を探す。リッタも思わず頭を挙げた。
陶器のような白い肌に、夜のように深い黒のドレスと帽子。すみれ色の瞳をした女性がこちらを見下ろしていた。何より異質なのが、彼女がほうきに乗って空に浮いていることだった。
「魔女狩りなんて時代錯誤なこと、まだやってるのかい」
村人たちが呆然と見上げる中、彼女がパチンと指を鳴らす。すると彼らの持っていた武器の数々が、弾けるように細かい塵へと姿を変えた。
女は呆気にとられるリッタの目をじっと見つめた。太陽が沈みかけている黄昏の、東の空のような、幻想的な紫色の瞳がリッタを穿つ。
「この子は貰っていくよ」
突然夜が来たかのように、リッタの視界が真っ暗になった。
魔女に遭ったら身も心も闇に食い尽くされて、自分が消えてしまう。
リッタはベラおばさんの言葉を思い出した。間違いない、この女は魔女だ。
魔女がこの世に存在するせいで、お母さんは殺された。根拠なく疑う奴らと、疑う原因を作った魔女への憎悪が膨らむ。
そのまま、リッタは魔女の闇に呑まれていった。
♦
時は進んで、誰もが寝静まった深い夜。森に囲まれた館にはまだ灯りがあった。
「誕生日おめでとう、ニニーナ」
「ありがとう、おばさま!」
ニニーナはふぅっと息を吹きかけ、ケーキに刺さった蝋燭の火を消した。
灯りがなくなると、メイドたちが燭台に火を付け始める。拍手と共に明るさを取り戻した食堂には、九人の魔女と、六人の人間と、四人のメイドがいた。
「ニニーナがもう十五……早いわあ」
「私が十五のときはプレゼントが待ち遠しかったわ」
「それって、何百年前よ」
クスクスと魔女たちが笑うと、ドレスの裾が小さく揺れた。魔女たちの衣装はみな黒い。
大きなパフスリーブの袖に、厚いベルベットの生地。スカートは真っ黒なフリルがあしらわれていて、裾からすみれ色の生地が覗く。夫人の被るようなつばの広い帽子にはすみれの花が咲いていた。
対するニニーナは、紫色のワンピース。一人前にならないと黒を着てはいけないのだ。
魔女には「家」がある。
それぞれの家がそれぞれのしきたりに従って、魔法と共に何百もの間を生きる。
ニニーナは魔女のとある一族、ヴィオレッタ家の末っ子。末っ子といっても、一番年の近い魔女とは二百歳も離れていた。
「さて、プレゼントの時間ね」
魔女の一人が大きな箱を連れて来た。黒い箱に紫色のリボンと花の舞の魔法がかけられている。それはそれは大きな箱で、ニニーナが余裕で入ることができてしまうほどだ。
ヴィオレッタ家のしきたり、その一。
十五歳になった魔女にはペットを買い与えましょう。
「もしかして、この中……!」
ニニーナの顔が紅潮する。やっとこの時が来た。
「命の尊さを学び、社会性を養うためよ。ほら、開けちゃいなさい」
箱の周りにすみれの花がふわりと舞う。華やかな香りと共に、ニニーナはどきどきしながらリボンの端を引っ張った。
箱の中身は、確かに彼女が一番欲しかったものだった。それはさっきまで眠っていたらしく、ゆっくりと瞼を開いた。その瞳を見て、ニニーナは小さく感嘆の息を漏らす。
「森の色だ……!」
周りの魔女もそれに気づいたようで、好奇の視線を人間に向けた。
「あら、綺麗な緑色。こんな子、孤児院にいたかしら」
「今朝ようやく見つけたの。あ、ニニーナには内緒ね」
人も魔女も、緑の瞳を持った者は珍しい。ここの魔女は、遺伝なのか全員すみれ色だ。
ニニーナは改めて箱の中を見つめた。
自分と同じくらいの年に見える、森の瞳を持った少女。今日からニニーナが、この子の飼い主になる。それを実感すると彼女の鼓動は弾んだ。
「可愛い……! こんな素敵な子が今日からわたくしの飼い人だなんて! おばさま、ありがとう!」
当の「飼い人」はこの状況がよくわかっていないのか、目に見えて混乱していた。透きとおった緑の瞳が揺れている。
「初めまして。わたくしはニニーナチェ・フォルマ・ヴィオレッタ。ニニーナと呼んで!」
ニニーナが手を差し伸べたが、人間は応じず黙ったままだった。その媚びない様子はまるで野良猫のよう。
おかしいな、おばさまたちの飼い人はみんな従順で、優しいのに。
「えっと、ここはヴィオレッタ家のお屋敷でね。今日からあなたも、」
「魔女?」
「え?」
「あんた、魔女?」
人間はニニーナを睨んだ。初めて聞いた声は鈴のように愛らしい。ニニーナは会話の成功に喜びつつ、人間の声を胸と耳に刻んだ。
「そう、そうなの! ここの魔女は人間を飼って、家族の一員にするの。そしてあなたは今日からわたくしの飼い人になるの! そうね、名前は……」
「許さない」
「な、なに?」
「わたしは魔女を許さない! あんた達のせいでわたしのお母さんは殺された!」
突然の威嚇に、ニニーナは動揺した。
お母さまを亡くしたなんて、こちらの知ったことではないのに。しかしそんなことを言うと引っ掻かれてしまいそうだから、ニニーナは本音を押し込んだ。魔女たちのクスクス笑いが聞こえる。
「ミミなんてどう? お名前!」
「ふざけないで! ペットなんかなるわけないでしょ!」
「なによ……」
楽しみにしていたプレゼントにこんな態度を取られては、ニニーナも黙っていられなかった。こんな好機を無駄にするわけにはいかない。
まだ子どものニニーナは、むきになって反発した。
「いいえ。あなたはもうペットよ。わたくしと家族になるしかないの」
「嫌」
「なら生活のあてはあるの?」
人間がぐうと押し黙った。それもそのはず、ちゃんと家族のいる人間がペットとしてやって来ることなどありえない。ニニーナは勝ち誇ったような笑みで鼻を鳴らした。
「あなたにどんな事情があろうとも、人は魔女と家族になれるわ。わたくしが証明してあげるから、まずは名前を教えて頂戴。ミミが不満ならね」
「……リッタ」
「よろしく、リッタ!」
リッタはもう一度ニニーナを睨んだ。誰一人味方のいない場所に放り込まれては、この程度の反抗しかできない。ニニーナはそんな視線などつゆ知らず、ケーキを頬張る。
「あなたも食べる?」
魔女の館で、すみれの香りがリッタを包んだ。
こちらは第18回書き出し祭りに参加した作品です。