◇8◆ 貴方は、『誰』?
―◆◇〖リィナ side〗◆◇―
優柔不断な私。アイが選んでくれたカラフルな色彩のドレス達を前に、あと一歩の決め手に欠ける。明るい灰みの青ワンピースは清々しさが私の弱さを補ってくれる気がするし、深い赤茶のオーバーオールもレトロで大人っぽさが出る気もする。
それでも選べないのは……まだ何かが足りないんだろう。本当に気に入っているからこそ、選び難いのかもしれないが。
「瑠璃唐草は、『Baby blue-eyes』。赤ちゃんの青い瞳とも言われているの。『小さな森』と『愛する』が語源にあたり……森の周辺の明るい日だまりに咲く事に因んでいる。リィナは『赤ちゃん』みたいに弱い自分を否定したけど、私は『赤ちゃん』みたいに可愛らしい事も、リィナの魅力の一つだと思うんだ」
決め手を探す為に『色彩図鑑』だけに飽き足らず、『植物図鑑』や『花言葉図鑑』も広げたアイは唸る。どれも学校では見た事の無い本だ。ブティックの一部を占領する本の山に埋もれてしまわないか、私はドキドキしながらアイを見つめていた。
「確かにパパとママには『赤ちゃんみたいね』って良く言われてた。私は何も出来ない弱い自分のレッテルみたいで気が引けてたけど……そんな意味もあったんだね」
『愛する』という語源に、胸が擽ったくなる。
「パパとママは、語源を知ってたのかな」
「知らないはずだ。そう呼んでいたのは、偶然じゃないか。リィナは『学校』で語源を習った事があるのか? 」
紫黄水晶の瞳で私を捉えたネリアルに、思わずビクリと身が竦んでしまう。
「……無いよ。アイが持ってる本も学校では見た事ない」
「そうなの? あ、『色彩図鑑』は禁書扱いなんだっけ。リィナの学校には無いんだね。……『色彩図鑑』が無いの想像しただけで爆発しそうなんだけど! 」
「アイには耐え難いだろうね」
どうやらアイは『色彩図鑑』が好きらしい。だが“禁書”という言葉に引っかかりを覚える。一体誰に禁じられているのだろう。
私達の各地域に自治体はあるものの……全ての地域を纏めるような統括者など居ないはず。地域長が禁じたのか。それとも教育者達が? ……何の為に?
「ねぇ、アイはその本何処から持ってきたの? 」
「え……ネリアルから貰ったんだけど。読みたい? 」
私はにこやかに『色彩図鑑』を差し出すアイと、ネリアルを思わず見比べてしまう。ネリアルの冷たい輝きを見るのが怖くて、視線が合わない内に俯いたが。
アイの兄であるという彼は何者なのだろう。学校でも見た事の無い“禁書”を一体何処からアイに渡しているのか。そもそも私達とは違う鮮やかな衣を纏う二人について、私は何も知らない事に気が付いた。
「アイは〖太陽の救世者〗なんだよね。私みたいに危険な目に合った人を助けてくれているの? 」
『色彩図鑑』を受け取った私は、アイを見上げる。
「そうだよ。と言っても、リィナが初めの一人なんだけど。漆黒しか纏えない、この世界のカラフルな人々の色彩の自由を反乱により解放したいの。圧政する『為政者』達は異世界人達の色を喰らうから。でもね、ネリアルも為政者の一人だけど、他の為政者とは違う。私に協力してくれている仲間なの」
「『為政者』……? 」
聞いた事の無い存在だった。未知の存在に私達が色彩を圧政されていた……? 俄には信じ難いが、突如私を狙い現れた【混沌の筆】や、私の記憶を奪われたパパとママの存在が事実を裏付けてしまう。
漆黒の衣しか纏わない事に、疑問なんて覚えた事は無かった。それが私達の普通だったから。
「貴方は私達の世界の『何』? 」
臆病から小さく問うた私は、勇気を出してネリアルを見つめた。紺滅から白菫色に化す髪は妖しく艷めいている。感情の読めない紫黄水晶の瞳は冷たく輝き、射抜かれた私の身体は凍りつく。
通りで、ネリアルに形の無い恐怖を覚えた訳だ。色を喰らうという為政者の前では、私は餌にしか過ぎない。私を追いかけた【混沌の筆】たる野犬達の荒い息が蘇ってくるようで、血の気が引いていく。
「俺はこの世界を管理する一人にしか過ぎない。君達には支配されている意識なんて無かっただろうけど。漆黒の衣しか纏えず、夜毎色を他の為政者に奪われ続けている君達をアイが救いたいと言うならば、兄である俺は協力するだけだ」
それって、もしもアイが『私達を救いたい』と願わなければ……ネリアルは『私達を救う気など無い』と言うようにも聞こえる。アイが逆を願えば、それを叶えるとも受け取れた。
――アイが居なければ、ネリアルは他の為政者と何ら変わらないのではないか。
「せっかくだから、リィナの好きな色も選んだら? 」
漠然とした不安へ深堀る思考から救い出してくれたのは、小首を傾げて私に微笑したアイ。
「私が好きな色……? 」
「そう! 『色彩図鑑』で良い色があったら、ネリアルにアクセサリーとか創って貰おうよ! 」
「お兄様を便利屋みたいに扱うんじゃない。なんでも創造出来ると思ったら、大間違いだって言っただろ? 」
「……ローズジュースの時みたいに、お兄ちゃんの気まぐれも関係してると思うんだけど」
ぷぅと頬を膨らませたアイと肩を落としたネリアルに、私は安心し息を吐く。
やはり、考え過ぎだ。リスクがあるはずなのにネリアルがアイに協力するのは、兄妹が仲が良いから。真っ直ぐな妹の信頼と願いを、裏切り傷付けるような事を兄がするとは思えなかった。
私は漆黒の蛇が這い上がるような疑念から逃げるように、『色彩図鑑』を開いた。
『明るい黄』
カラーコード #fff352
やや薄い鮮やかな緑みの黄色で、明るく元気で暖かく、スッキリとした成長性を与える色。救われた私が『憧れ』を抱いた、アイの印象通りだ。アイの色を分けて貰えたら、私も成長できるだろうか?
『明るい灰みの青』
カラーコード #a0d8ef
水色とスカイブルーは違う。少し黄色がかっているのが『水色』で、『スカイブルー』の方が青みがかっている。晴れ渡った夏日の十時から十五時の空の色に似ているらしい。
――『夏日』か。
夏と言えば、私は泳げないのに自然と……『海』を連想してしまう。懐かしい『彼』が教えてくれた、小さな森の周辺の明るい日だまりに広がる、あの大海原を――。